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毎年同じ時期に同じような行事が行われ、同じような記事を新聞が報道する。
長崎・雲仙普賢岳噴火の犠牲者追悼会のことだ。
その典型がコレ↓「火砕流から18年」って? で、来年は?
火砕流から18年、犠牲者を追悼 長崎・雲仙普賢岳
2009年6月3日21時48分
![写真:雲仙岳噴火災害犠牲者追悼之碑に献花する市幹部や遺族たち=3日午前8時30分、長崎県島原市、中山尭撮影](http://www.asahi.com/national/update/0603/images/SEB200906030003.jpg)
43人の死者・行方不明者を出した長崎県・雲仙普賢岳の大火砕流惨事から丸18年を迎えた3日、「いのりの日」と定めているふもとの島原市で犠牲者を追悼する行事があった。
噴火災害で家を失った被災者たちが移り住んだ同市仁田団地にある雲仙岳噴火災害犠牲者追悼之碑に献花所が設けられ、雨の中、こうべを垂れる人が続いた。
市内13小中学校では、子どもたちが校長や被災体験者の話を聴き、「いつまでも語り伝えよう」と誓った。大火砕流が発生した午後4時8分には市内でサイレンが鳴り、市民に黙祷(もくとう)を呼びかける。
◇
18年前の噴火災害となると恐らく30歳以下の人は「自然災害は怖い」程度の認識しか記事からは読み取れないだろうが、これは自然災害ではなく「人災」であり、それも「マスコミの傲慢」がもたらした「マスコミ災害」ともいえる。
だが、記事には「己がもたらした災害」に対する微塵の反省も見ること無い。 恐らくは来年も同じ時期になると、「火砕流から19年」と、無反省な記事を書き連ねることだろう。
>「いつまでも語り伝えよう」
子ども達にもこのことは伝えて欲しい。
「暴力団もマスコミがカメラを構えると一瞬怯むが、火砕流はカメラを構えても何の躊躇も無く彼らを直撃する」と。
そう、火山が噴火するのは花が咲き、花が散るのと同じく自然の営みの一環であり、そこに土足で踏み込んだマスコミが被害を被るの「天罰てきめん」といわれても仕方がないが、
彼らの無法な「定点」(立ち入り禁止点)越えの行動を警戒して、事故に巻き込まれた多くの消防団員や警察官の死は、マスコミの傲慢な行動が無ければ、起こる筈のない無念の事故死である。
これを指摘されると彼らは得意の開き直りで、このように抗弁する。
「なぜ、もっとはっきり警告しなかったのか、また強力な規制がなぜできなかったのか」などと。
だが、亡くなった12人の消防団員のほとんどは、普段は農業をする若者であり、彼らが押し留めたとしても功名心に駆られておっとり刀、いや、おっとりカメラで現場に駆けつけた傲慢なマスコミが、警告に従っていただろうか。
彼らの日頃の言動を見ると、否の一言に尽きる。
恐らくは「報道の自由」だとか「事故を読者に伝える義務」とか戯言をほざいて、同じように「定点」を越えていただろう。
新聞は己が引き起こした「人災」には頬被りして反省を見せないので「消防博物館」の記事からマスコミの犯した犯罪を読み取って欲しい。
2大惨事発生なぜ消防団が犠牲に
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コンビニ等で携帯充電するための盗電はテレビでも報じられますが
避難勧告区域の住民がいなくなった後のマスコミはやりたい放題。
一種の暴徒です。
マスコミを監視するために避難勧告区域に入らざるを得ず、そのために命を落とした。
殺したのはマスコミです。
新聞が自分に都合の悪いことは報道しないと、知ってはいても、例年マスコミ責任には触れない記事でごまかされると、そのうち「雲仙・普賢岳のマスコミ犯罪」は人びとの記憶から消えて行くのでしょう。 そうさせないためにもネットが頑張る必要がありますね。
ヒロシさん
5月30日の「田母神講演会」にしても、新報は二人も記者が来ており、参加人員について「実行委員」から「850人」と正確な人数を聞いていながら500名と40%引きの報道をする始末です。
これには後日談があって、タイムス850人、新報500人の報道を見た県警が、余りの人数の差に実行委員に電話があったそうです。
ヒロシさんは参加されたので会場の雰囲気はご存知でしょうが、外の読者にも氏って貰う為、長くなりますが後日談を書きます。
県警が記録するにはどちらが正しいかということでしたので、
「最初の設置席が定員一杯の800席。 直ぐに満席になったので追加席が50席。 立ち見の人は除いてもぎっしり満席だったので、総参加人数は650人です」
と答えたたそうです。
野外の集会ならともかく、今回の場合入場料も取っており、定員の決まったホテルの会場故、主催者発表の850人は正確な数字であり、疑念があれば会場設置したホテル側に聞けば済むことだし、何よりその気になれば記者自身で椅子の数をカウントすれば容易に分かるはずです。
それを40%以上も少ない500名の報道をするとは、琉球新報は報道機関としてのホコリを捨て去ったようです。
ちなみに当日会場に取材に来た記者は内間記者と伊佐記者のご両名だったとのこと。
四つの目は何処を見ていたのでしょうね。
人数の数え方から記者教育すべきでしょうね。(笑)
すごいですね。
二人で数えたから半分にした、なんてことはないでしょうか?
(笑)
沖縄の報道をみながら毎日「ニュースの天才」という映画を思い出します。
500人と聞いて、私のところの記事にさせていただきました。
(たいした事は書いていませんが)
当日記の読者なら、いつもの誤字・変換ミスは判読いただいていますが、重要な数字の誤記ですので訂正します。
×氏って貰う為→○知ってもらう為
×県警が記録するにはどちらが正しいかということでしたので、
「最初の設置席が定員一杯の800席。 直ぐに満席になったので追加席が50席。 立ち見の人は除いてもぎっしり満席だったので、総参加人数は650人です」
→○ 850人です
確かに、マスコミ関係者は好きではありません。何度か、居酒屋で、テレビで見たことのある、リポーター達とそのとりまき達が飲んでいる場面に、出くわしたことがあるのですが、我が物顔、傲慢さが目立ち、部下に対する態度も横柄であまり気持ちいいものではありません。こんな人がテレビで偉そうにと、思ったのは私だけではないと思います。
話は変わります。ネットが普及した現在では、琉球新報の行為は自殺行為です。過去には「琉球新報が500人だと書けば500人だ。」が通用した時期もあったのでしょうが、結果的に沖縄を窮地に追い込んでいます。本人達も気が付いているんでしょうが、居酒屋であったリポーターみたいに、プライドが人一倍高い人達ですから、修正が利かないのでしょうね。
>琉球新報の行為は自殺行為です。
愚かな行為ですね。
彼らはネットを甘く見ているようですね。
天網恢恢もネットが普及した現在では、
電網開怪疎にして洩らさず、天知る知知る
読者知る
ということを肝に命じないと、読者離れの波は止められませんね。