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沖縄タイムスは、昨日の夕刊、そして今朝の朝刊と連続で「教科書検定意見」に関する敗北に危機感を露にした記事で埋めている。
先ず夕刊から。
沖縄タイムス 2008年12月25日【夕刊】 政治 一面
事後公表盛り決定 教科書検定見直し/審議会報告書 文科相に提出【12月25日】
【東京】沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書検定問題を契機にした検定手続き見直しについて、教科書検定審議会総括部会は二十五日午前、議事概要を事後公表するなどの改定策をまとめた報告書を正式決定し、塩谷立文部科学相に提出した。報告書を受けて、文部科学省は検定基準や検定規則の改正案を部会に提示。二十六日から来月二十四日までのパブリックコメント(意見公募)を経て、来年二月に告示、四月から施行する方針。
報告書は、教科ごとの部会・小委員会の議事概要を審査終了後に公表するとし、「外部からの圧力がなく静謐な環境の下、委員が自由に議論し合意形成することが必要」と指摘、部会自体の公開は見送った。
検定意見書の原案として教科書調査官が作る「調査意見書」や合否判定案も新たに公開対象とする。
申請された教科書の情報が流出し、審議に支障があると判断された場合、審議の一時停止を取ることを明確化。訂正申請の内容などについて情報管理の徹底を求めた。
一九六九年に定められた調査官の選考基準として、三十五―五十五歳とした年齢制限や「思想が穏健中性で身体健全である者」「人格が高潔で円満である者」などの要件がある。報告書は「今日的な状況にそぐわない面がある」として見直しを求めた。調査官の氏名や職歴も公表する。
検定意見の伝達方法に関しては、時間的余裕を持って補足説明の場を設けるなど、より丁寧に伝わるよう運用改善を図るとした。
教科書記述については「著者の一面的な見解や複数ある学説の一つを断定的に記述している」場合に、「選択・扱いの公正を求める規定」を適用するよう基準を見直すとした。
塩谷文科相は「国民の信頼を得て、公正な手続きで検定が行われることが必要。教科書会社が(改定の)趣旨を理解し、著作・編集を行うよう文科省としても周知したい」と述べた。
◇
まっとうな検定手続「改善策」であり、従来より一歩も二歩も前進しているとしか思えないのだが、
タイムスは社会面のウェブで非公開の記事で、危機感と憤懣をぶちまけている。
社会面トップ
<教科書検定審 報告書を提出>
「後退している」と落胆
信頼回復に繋がらず
何しろ動員数「11万人」をぶち上げて、「県民の声」とか「島ぐるみ」とか、
あたかも「沖縄県民すべてを敵に回す」かのようなプレッシャーを政府にかけ続けた作戦が無視されたのだ。
首謀者のタイムスが切歯扼腕する気持ちはワカル、ワカル。
当然、記事にも「県民の声」とか「沖縄の声」の乱用が目立つが、もうそろそろその手は食わぬの何とやらでは。(笑)
「沖縄県民の声」もそろそろインフレ気味?
<・・・沖縄県民大会副委員長の玉寄哲永さんは「一歩前進、二歩前進を求めてきたのに、後退している」と指摘。>
<沖縄・座間味島で「集団自決」を体験した宮城恒彦さんは「議事概要を事後に見て、もし問題があってもどうすればよいのか・プロセスを見せないで結果だけを見せられても・・・」と語った。>
<・・・沖縄県民や教科書関係者からは「むしろ後退だ」「密室性が増している」と落胆の声が上がった>
<教科書執筆者の石山久男・歴史教育者協議会委員長は「教科書会社や執筆者の情報管理を強めるなど、逆に密室性が増していると話した。>
<また、「集団自決」問題で検定審は、沖縄県民を中心に疑問を招いた検定意見の撤回もしていない」>
「沖縄県民の声」といっても、結局顔を出してくるのはお馴染みの被告側応援団の面々ではないか。
使いまわしもいい加減にし欲しい。
そして、今朝の朝刊は又しても、お馴染みもオナジミ、定年退職したはずのあの高嶋伸欣氏が琉球大学名誉教授という肩書きで寄稿している。
◆朝刊総合面「寄稿」
高嶋伸欣琉球大学名誉教授
沖縄の声にごまかし策
選考基準公表は県民成果
また「県民の声」かとうんざりだが、社会面は「県民の声」が「落胆」から「怒りの声」に変化した。
どうやら沖縄タイムスは130数万人の「沖縄の声」を一夜にして「落胆」から「怒り」に変えられる偉大な力を持っているようだ。(爆)
◆朝刊社会面
教科書検定「改善策」
「後退」と怒りの声
県内関係者 にじむ危機感
<・・・県内関係者は危機感をにじませて「沖縄の声をもう1度突きつけなければ」・・・>
<「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員の玉寄哲永副委員長は「文科省の都合が優先された。 結局、国民の声より、国の体面の方が大切なのだろう」とあきれる。>
<高教組の松田寛委員長は「教科書は何だったのかを文科省は理解していない。怒りをあらためて文科省にぶつけるとともに、沖縄での運動を盛り上げたい」と述べた>
<大浜敏夫・沖教組委員長は「今後どういう教科書検定が行われるか、現場の教師も注視しなければならない。検定の意味そのものの意味を問い直すことも必要だ」と語気を強めた。>
「沖縄の声」が怒りに震えるという割には、玉寄氏が再登場してり、教育関係者といってもゾンビのように甦った高嶋氏や日教組(沖教組)の幹部が怒っているだけではないか。
>県内関係者は危機感をにじませて「沖縄の声をもう1度突きつけなければ」
もう一度、「11万人」集会を開催して、「県民の声」を集結したら、「11万人」の虚偽が暴露されて面白いと思うのだが、その勇気も元気も残っていないように見える。
一晩にしてカメレオンのように「落胆」したり「怒りの声」を発している方々には、下記の「社説検証」を読むことをおすすめしたいのだが・・・・、
逆に怒りが倍加するか。
【社説検証】教科書検定 「審議後の公開は妥当」産読、「議事録出さないとは」朝毎
文部科学省は今月上旬、教科書検定の過程を検定終了後に公表する改善案をまとめた。検定審議会の審議概要や教科書調査官の意見のほか、調査官の氏名や職歴も公開される。この改善案づくりは、昨年、高校日本史の教科書検定で沖縄戦の集団自決をめぐり、審議の不透明さが指摘されたことがきっかけとなった。
各紙は透明性や信頼性の向上に寄与すると評価しながらも、公開は一定の範囲内にとどめるべきだとする読売、産経と、今回の案ではまだまだ不十分とする朝日、毎日の間で論調が分かれた。
読売は、検定審の審議内容公開に歯止めをかけたことに賛意を示した。
「改善案が、検定の透明性に配慮する一方、審議の非公開を維持し、記録の公開も検定後としてバランスを取ったのは、妥当な判断だ。冷静で自由な議論を交わすには、静かな環境が確保されていなければならないからだ」
さらに、同じ文科相の諮問機関で原則公開になっている中央教育審議会とは「性格が大きく異なる」としたうえで、「公開のあり方におのずと違いがあるのは、当然だろう」と強調した。
産経は過去に外務省サイドが検定に圧力を加えたケースとして、昭和61年の「新編日本史・外圧検定事件」と元外交官の検定審議会委員による平成12年の「検定不合格工作事件」をあげ、「検定経過が一定程度、公表されることにより、外務省もそのような干渉はしにくくなるはずだ」と、今回の改善内容を評価した。
そのうえで、審議会の原則公開には「行き過ぎ」と論じた。
「検定審議会の審議は、外部の意見や先入観にとらわれず、静かな環境で公正に行われるべきものだ。審議対象となる申請図書に出版社名や著者名が書かれず、「白表紙本」と呼ばれているのも、そのためである。やはり事後公開が望ましい」
これに対し、朝日は「密室の扉がわずかに開く」という皮肉たっぷりの見出しを付けた社説のなかで、改善案は「十分だとは言えない」と批判した。
「審議会を非公開とし、議事録を作らないことについては従来通りだという。教科書作りの指針となる学習指導要領を審議する中央教育審議会が原則公開されていることと比べると、その差は歴然である」と述べ、読売とは逆の立場をとり、次のように続けた。
「そもそも調査官の意見を、検定後にしか知りようがないのも気がかりだ。意見書の内容がその後の審議の基調になるとすればなおさらだ」
毎日も「あるべき公開の姿には遠い」と突き放した。
「事後になってもなお、議事録も出せないというのでは説得力を欠く。『概要』の要件もあいまいで、ふたを開けたら、木で鼻をくくったものだった、ではたまらない」
教育は、いうまでもなく国の礎である。将来を担う子供たちにとって、重要なツールである教科書に国の内外から不当な干渉があってはならない。検定作業に対するさまざまな圧力を排除するためにも検定審の非公開は維持されるべきではないだろうか。
また、産経は自戒を込めて、昭和57年の教科書誤報事件に触れている。当時、旧文部省クラブに所属する新聞、テレビ局の記者は教科書を分担して取材していたが、ある社の記者が得た、検定で日本の中国「侵略」が「進出」に変わったという誤った情報を全社が報じ、外交問題にまで発展してしまった。
これを契機に検定の内容が少しずつ公開されるようになったが、今回、産経は改めて、「文科省の検定担当者やマスコミは常に、この苦い経験を頭に入れておく必要がある」と警鐘を鳴らしている。(津田俊樹)
◇
■教科書検定に関する各社の社説
朝日
・密室の扉がわずかに開く(5日)
毎日
・公開は内容の充実につながる(7日)
読売
・圧力の排除が透明性の前提だ(7日)
産経
・事後公開が信頼性高める(6日)
〈注〉日付はいずれも12月
【追記】
「被告応援団=軍命あり派」は法廷闘争でも教科書検定闘争でも、「原告側vs沖縄」という構図を印象作りに懸命だと書いたが、
高嶋琉球大学名誉教授の沖縄タイムスへの寄稿論文に、その意図がミエミエで興味深い。 同文中に「沖縄県民の声」といった県民を代表するかの表現を拾うとこうなった。
内容なんかどうでも良く、「沖縄県民の声」を数多く挿入すれば寄稿の目的は達したのだ。
①沖縄の声にごまかし策(タイトル)
②・・沖縄の声に国側が・・
③いかにも沖縄の声に応じたかのよう
④主権者沖縄県民に対するあなどり
⑤12月26日は、沖縄県民「屈辱の日」
⑥昨年中の沖縄からの要求
⑦沖縄県民たち主権者へのあなどり
⑧沖縄県民は不公正さを強く感じて・・・
この人物はよくもま、勝手に「沖縄県民の声」を代弁・乱用してくれたものだ。
筆者は、沖縄県民でありながら2007年12月26日が沖縄県民「屈辱の日」ろは知らなかった。
県民に何の断りもなく、勝手に「屈辱の日」を設定しないでくれ!(怒)
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