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1945年3月、沖縄戦のとき座間味、渡嘉敷両島で起きた集団自決をめぐる「軍命の有無」について、県民のほとんどが沖縄2紙の印象操作記事に騙されている。
以下に引用するのは少し古い記事だが、集団自決の真実を確認するためあえて紹介した。
沖縄戦識者を検定官に 文科省に要請 9・29大会決議実現させる会
琉球新報 2015年11月12日
【東京】沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)について、歴史教科書に軍命の記述復活を求めている「9・29県民大会決議を実現させる会」(世話人・仲西春雅県高校PTA連合会会長)は11日、文部科学省に堂故茂政務官を訪ね、沖縄戦に詳しい有識者を検定官と検定審議委員に加える「沖縄条項」を検定基準に盛り込むよう要請した。
要請では「『集団自決』が日本軍の統制下で軍の強い関与を受けていたことは文科省も教科書審議会も認識している」と指摘。検定制度の透明化や制度の抜本的な改革なども求めた。
堂故政務官は「沖縄の歴史を風化させないよう県民の思いを重く受け止める」と述べた。
要請には2007年の県民大会で実行委員長を務めた仲里利信衆院議員、高嶋伸欣琉大名誉教授、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表らが同行した。
☆
>沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)について、歴史教科書に軍命の記述復活を求めている「9・29県民大会決議を実現させる会」(世話人・仲西春雅県高校PTA連合会会長)は11日、文部科学省に堂故茂政務官を訪ね、沖縄戦に詳しい有識者を検定官と検定審議委員に加える「沖縄条項」を検定基準に盛り込むよう要請した。
ここで言う「9,29県民大会」とは、2007年の高校歴史教科書に関する文科省の検定意見を撤回させるため沖縄2紙が大発狂した9月29日の「11万人集会」のことである。
沖縄2紙が実際には約2万人程度の集会を「11万人集会」(11万6000人と表記)と大幅水増し報道で政府を恐喝した。
そのため、当時の福田首相・町村官房長官のコンビは、軍命削除の「検定意見の撤回要求」は拒否したものの、「軍の関与」という妥協案を飲まされた。
集団自決は戦時中のことであり、中には手榴弾で自決したものもいたため、軍命の有無にに関係なく広義の「軍の関与」という曖昧な文言でごまかした。
これは、慰安婦問題で軍の強制連行はなくても、慰安所を軍が利用した事実をもって広義の「軍の関与」とした例と酷似している。
妥協の産物として「軍の関与」を認めようとする政府の弱腰に、藤岡拓大教授が「『軍の関与も認めてはいけない』と、反論したが最後は押し切られてしまった。
【正論】集団自決と検定 拓殖大学教授・藤岡信勝
"トリック報道"で世論誘導
2007.10.24
■「軍の関与」も認めてはならない
≪防衛隊と日本軍の混同≫
日本軍が無辜の住民に自決を強要するほどの悪逆非道な存在であったことにしたい一部マスコミは、正面から「命令」「強制」を論証できないので、住民の証言を持ち出して世論誘導を図っている。その際、トリックの材料として用いられているのが防衛隊の存在である。
米軍来襲時、島には(1)陸軍の正規部隊たる将兵(2)防衛隊(3)一般住民-の3種類の人々がいた。防衛隊とは昭和19年7月に帝国在郷軍人会沖縄支部が市町村の集落単位で中隊を編成したもので、法令的な根拠はなく、住民の義勇隊という性格のものだ。中国戦線から帰還した、村長など村の顔役が隊長を兼ねて行政と一体化し、日常の生活は家族と起居をともにしていた。
手榴弾は防衛隊に米軍上陸の際の戦闘用に支給したものであり、自決用に一般住民に配布したのではない。集団自決を主導したのは防衛隊で、時には手榴弾を軍陣地から持ち出して住民に配布した。「兵隊さんから手榴弾を渡された」という住民の証言は、防衛隊を日本軍と混同しているのだが、マスコミはこの事実をよく知りながらイメージ操作のため確信犯的にこの混乱を利用しているのである。
≪「軍命令説」と同じ虚構≫
もう一つのトリックは、「軍の関与」という言葉である。これはマスコミの世論操作であると同時に、政府の「落としどころ」として喧伝された経過がある。すでに8月段階で伊吹文科相(当時)は、「『軍の関与』という表現であれば、次回の検定で問題とはならないだろう。出版会社にお願いしてはどうか」と沖縄選出の自民党議員に水を向けていた。
しかし、プレゼントに送った果物ナイフが殺人に使われたからといって送り主が殺人に「関与」したとはいえないという事例を分析すればわかるように、集団自決への「軍の関与」を認める必要はない。「軍の関与のもとに集団自決が起こった」という文を作ってみればわかるように、これは結局「軍命令説」や「軍の強制」と同じ虚構を教えることになる。
集団自決は悲しい出来事だが、当時の日本人の心理状態では米軍が上陸すれば日本中どこでも起こった可能性がある。現に沖縄で日本軍不在の地でも集団自決は起こっている。
そもそも「関与」という定義曖昧・伸縮自在の概念の導入は事態を紛糾・悪化させるだけである。「従軍慰安婦」問題で「軍の関与」がいかに国益を損なう混乱をもたらしたかを一考すればその危険は明らかだ。なぜ政治家は同じ轍を踏むのか。
結果的に「関与」の記述は認めたものの、依然として当時の文科省検定意見は現在も生きている。
したがって教科書に「集団自決は軍の命令による」と記述することは禁じられている。
上記「9・2911万人集会」の前後、沖縄戦がらみで三つの裁判が行われた。
一つは慶良間島の元戦隊長梅澤さんらが大江健三郎よ岩波書店を名誉毀損で提訴した「集団自決訴訟」。
そして靖国合祀の取り消しを沖縄戦の遺族が求めた「沖縄靖国訴訟」と、ドキュメンタリー作家上原正稔氏が有給新報を訴えた「パンドラの箱掲載訴訟」である。
ちなみに「パンドラ訴訟」は、第二審で被告の琉球新報が逆転敗訴を喫したが、上告を断念したため、琉球新報の敗訴が確定した。 ところが沖縄2紙は琉球新報の敗訴確定を一行も報道せず,県民の耳目から隠蔽した。
琉球新報の敗訴確定を報じたのは本土メディアだけであった。
三つの訴訟はそれぞれ原告と被告、そして表面上の訴因は違っているが、実質の争点が沖縄戦であり、さらに論点を絞ると「集団自決と援護法の関係」になるという点では大きな共通項を持つ。
慶良間島の戦隊長だった梅澤氏らが大江健三郎氏と岩波書店を訴えた「集団自決訴訟」は最高裁判断で原告側が敗訴しているので、集団自決の「軍命の有無」論争は「軍命説」が確定したと一般には思われている。
だが、これは沖縄2紙による印象操作による大きな誤解である。
たしかに最高裁で原告側の名誉毀損と損害賠償の請求は敗訴が確定した。
だが、最大の争点である「軍命」については被告大江・岩波側は裁判を通じて立証することが出来なかった。
「軍命説」を流布させた張本人の大江氏と岩波は法廷で「軍命」の挙証義務があるが、それが立証できなかったため事実上梅澤氏らの名誉回復は確定した。
法廷では「軍命説」を立証できなかったが、裁判官は問題の大江健三郎著『沖縄ノート』が出版された当時の歴史研究では、大江氏が「軍命説」を真実として信じても仕方がなかった、という「真実相当性」を適用し、大江・岩波の「名誉毀損」は免責とした。
ただ名誉毀損が訴因である裁判で大江・岩波側が勝訴したため、あたかも「集団自決は軍命だった」ということが最高裁で確定したかのような印象操作記事を沖縄2紙が垂れ流し、それに誤誘導された読者が多い。
この沖縄2紙の印象操作については、しつこいが何度でも指摘しておく。
「パンドラ訴訟」でも原告上原さんが陳述書で強調されているように、集団自決には「援護法」が大きく関わっている。
集団自決の真相を解明しようとすると、その適用を受けるため申請書を偽造したという点に触れねばならない。
この援護法の「秘密」を隠蔽しようとする勢力との壮絶な戦いが裁判という舞台で展開されることになるのである。
沖縄2紙を筆頭に反日左翼勢力は、「援護法」の」カラクリを必死になって隠蔽しようとしているが、これが結果的には「極悪非道の日本軍人」という歴史の捏造を生み出すことになりる。
その一番の被害者が「軍命で住民を自決させた極悪人」という汚名を着せられた梅澤さんと故赤松さんということになる。
上原正稔さんが、琉球新報を提訴した記者会見の冒頭で、梅澤さんと故赤松さんに沖縄県民として謝罪した理由は、すべて「援護法と集団自決」の複雑な関係にある。
集団自決と「援護法」の関係を深く検証すればするほど、援護法申請書の偽造などに行き着き、詐欺行為の疑いを持つ人も多い。
より直裁的にいえば、援護法申請書の偽造は「公文書偽造による公金詐取」といわれても仕方ない行為である。 沖縄県人の立場としては言い難い言葉だが、筆者はこれまでに何度も「公金詐取」と指摘している。
■石原教授のトンデモ発言
反日左翼の急先鋒であるOABテレビに、石原昌家沖国大教授が出演し、靖国訴訟の援護法関係でこんな意味の発言をしていた。
「本人(遺族)が知らない間に、靖国に祀られてしまい、本来なら軍人にしか給付されないはずの援護金を国が支給してごまかした」。
だが、実際は「援護法」適用の申請をしたのは遺族本人であり、裁判では遺族を支援している石原昌家沖国大名誉教授でさえも、「当時文字の書けない人のために申請書を代筆した」と証言しているくらいである。
したがって「本人(遺族)が知らない間に」とは真っ赤な嘘である。 それどころか遺族の虚偽の申請には石原教授も加担しており、石原教授は「公文書偽造による公金詐取」の共同正犯といわれても仕方が無いだろう。
ちなみにこの石原教授は、QABテレビの当該番組で、「(チビチリガマの集団自決は)「軍の方針で行われた」とデタラメな発言をしているのには呆れるが、学者の名を騙る左翼アジテーターといえば納得できる。(チビチリガマには1人の軍人もいなかった)
大田少将の「県民斯く戦へり」という電報に応え、県民に配慮した国側の「援護金の拡大解釈」も、沖縄国際大学・石原昌家名誉教授のひねくれた解釈によるとこうなってしまう。
「沖縄戦で亡くなった一般住民を靖国に合祀することによって、ヤマト政府が軍事植民地的支配だけでなく、精神的にも沖縄を支配するという仕組みを作り上げていったと思います」(QABテレビ)
■政府主導の「公金詐取」■
現在の厚労省には「隊長命令を記した援護法申請書」は存在しないという。
当時の厚生省は「援護法」申請者に可能な限り許可を与えるため、度重なる政令を連発して軍命を暗示、誘導して申請書を書き換えさせた。
無謬性を誇るはずの官僚のこれらの措置は、今から考えれば違法ともいえる強引な拡大解釈をしたことになる。
違法の疑のある「隊長命令添付」の申請書の存在を、無謬性を信じる厚労省が認めるはずは無い。
当然「そのような書類の存在は確認できない」といった官僚的言辞で、当該書類(軍の命令書付き申請書)の存在を事実上否定したのだろう。
研究者の調査によると、拡大解釈してでも何とか「援護法」申請を受理しようとした当時の厚生省は、「軍命があれば受理出来る」と何度も誘導の文書を村役所の担当者に送っているという。
元々「援護法」は沖縄住民に援護金給付をする目的の特例だったため、当時の厚生省は裏付け調査を省いて、書式さえ整っていたら全てを給付の対象にした。
通常、お役所に何らかの給付金を申請するとき、お役所側は重箱の隅を突っつくように、申請書のミスを指摘しできるだけ給付金を与えないようにする。 少なくとも役所は給付したくないように見える。 お役所仕事といわれる所以である。
ところが、本来軍人に給付すべき「援護法」を、沖縄戦に限り拡大解釈し軍に協力した住民に適用した。
当時の厚生省は、何とかして給付させたいという善意が働いて、書類の不備を指摘するどころか、今考えればお役所が「偽造申請」に加担したような場面も散見される。
申請書の記入に「軍命」を臭わすように村役場を指導したのもその一つだが、厚生省側でも沖縄出身者を他の部署から援護課担当者に強引に移動させ、同じ沖縄人なら対応しやすいだろうという配慮を示していた。
沖縄集団自決に絡む援護金給付が「政府主導の公金横領」といわれる所以である。
■厚生省の担当者に沖縄出身者を配属■
当時の厚生省は、校長など地域のリーダーがほとんど無条件に署名した現認証明書をそのまま受け付けるという極めて大雑把な審査をしていたという。
政府側は今から考えると違法性を問われかねない措置をしていたが、何とか沖縄側の申請に対応しやすいように、東京側の厚生省担当者にわざわざ沖縄出身者を配属して、出来るだけ援護法の適用の拡大を計った。
その当時東京側の厚生省担当に配属された沖縄出身者の証言が沖縄タイムスの2005年3月5日付朝刊に掲載されている。
< 沖縄戦の住民犠牲者が、援護法の対象となる「戦闘参加者」として、「該当」するか否か。最終的に決定したのは厚生省だ。その決定に携わっていたのが、沖縄県出身の祝嶺和子さん(77)=静岡県=だ。
一九八九年に厚生省を退職するまで、中国残留孤児問題を含めて、援護畑一筋に働いた。
沖縄戦当時、女子師範本科に在学していた。四五年三月、女師、一高女の学生が、看護隊として出陣する集合に、空襲に遭い、祝嶺さんは間に合わなかった。
大勢の同級生や後輩が「ひめゆり学徒」として、亡くなった。戦後、そのことは「ずっと、頭を離れることはなかった」という。
多くの友人を亡くし、生き残った元特攻隊員の祝嶺正献さん(故人)と結婚。沖縄から密航で日本本土へ渡った後、五四年、厚生省に入省した。
沖縄出身ということで「『沖縄のことをこれからやるからね、援護局につくられた沖縄班に来なさい』と上司に言われ、決まっていた配属先から異動させられた」。
前年から、米軍統治下の沖縄でも、軍人軍属に対して、日本の援護法適用が始まっていた。祝嶺さんの異動は、援護法の適用拡大に向けた動きだったようだ。
「援護では最初に、軍人軍属の、その次に沖縄では学徒たちも戦ったらしいな、ということで、私が引っ張られたのだと思う」
当時、沖縄班の人員は七、八人。祝嶺さん以外に、もう一人県出身で、後に国民年金課長を務めた比嘉新英さん(故人)がいた。
沖縄の市町村が受け付け、琉球政府を経由して、厚生省に送られる援護の申請資料。防衛隊など軍人軍属への申請書類に目を通していた同僚が、祝嶺さんに、尋ねた。
「普通のおじさんやおばさんも、軍のために働いたのか」
沖縄戦では、一般住民が、武器らしい武器もなく、米軍への切り込みを命じられ、日本軍のために弾薬を運び、「集団自決」を強いられた。・・・ (社会部・謝花直美) >
◇
「集団自決」は戦時中の特殊な状況の下で行われた事件であり、金城重明氏の例のように、たとえ他人の「自決」に手をかして、本人が生き残ったとしても現在の価値観や法律でこれを裁くことは出来ない。
同じように、実際には存在しない軍の命令を政府指導で捏造し、「援護金」と言う形の公金を横領したことも現在の価値観や法律で断罪できない。
また、これらの「犯罪」を事実上指導・誘導した当時の厚生省、そして現在の厚労省が先輩の行った「過誤」を認めるはずはない。
従って「捏造命令書付き申請書」の存在を認めるはずはない。
■石原昌家氏の二枚舌■
集団自決の軍命論争ではいろんな場面で沖縄の識者たちがカメレオンのようにくるくると自説を変えていく例が多い。これを一々論じていたら一冊の本が出来るくらいなのでここでは深く立ち入らないが、援護法の研究者を自認する石原昌家氏の立場は微妙である。
石原氏は「集団自決訴訟」では被告・大江、岩波側を支援し、軍命はあったと主張する。
石原氏は「集団自決」という述語は「強制集団死」と呼ぶべきだと主張し、述語の中に軍命を意味する「強制」を使うなど、徹底した「軍命派」である。
その一方で、沖縄靖国訴訟では原告の遺族側の証人に立ち、「軍命は政府側が住民を靖国に祭るためのに指導した方便」という意味の証言をして、結局は軍命が「政府によって偽造されたもの」(軍命否定)といった自己矛盾の発言をしている。
つまり政府が援護法認定のために、実際は存在してない「軍命令」を、「軍命令があった」と偽って申請するように示唆したというのだ。
もっと具体的に言えば、石原氏は自分の体験も含めて、援護法申請書に「実際はなかった軍命による自決」と書いて出せば、援護金をもらえたと証言しているのだ。
この人物、同じテーマの裁判に首を突っ込んでしまい原告と被告が逆の立場であることをうっかり失念して「オウン・ゴール」をかましたことになる。(爆)
参考: 茶番劇の靖国合祀訴訟 戦争加害者と同列視するなだって
【おまけ】
石原教授は、沖縄靖国訴訟の原告側証人として法廷に立ち、原告側にとって致命的ともいえる発言をしているが、これについては稿を改めて述べてみたい。
翁長知事のリコールについてはこの動画を参照。
☆
▼世日フォーラム沖縄「沖縄と日本の未来を考える講演会」
26日(木)午後6時半開演、沖縄県立博物館・美術館講堂(那覇市)で
自民党政調会調査役・国防部会担当の田村重信氏が「安保法制の意義と沖縄の重
要性」と題して講演する。参加費=500円。
問い合わせ=世日フォーラム沖縄事務局(電)090(1945)9217
オピニオン面に一般投稿6本(児童生徒限定の「ぼくも私も」除く)。
「首相は無視か 普天間の停止」の浦添市・比嘉義央さん(74)は4月11、27日、5月17日、8月20、28日、10月21日、11月3日に続き今年8回目の掲載。
「久辺3区に金 沖縄県民愚弄」の那覇市・大見昭子さん(81)は9月27日、11月7日に続いて今年3回目の掲載。
「老後の手習い 書を覚え充実」の那覇市・松川和弘さん(75)は1月16日、2月19日、3月1日、4月28日、5月23日、6月5、20日、7月18日、8月7日、9月8、21日、10月10日に続き今年13回目の掲載。
「チラシで実感 世の不景気さ」の宜野湾市・伊良波幸政さん(74)は2月14日、3月2、25日、4月16日、5月9日、7月4日、8月4日、9月7、20日、10月7、27日に続き今年12回目の掲載。
「沖縄戦体験 継承急ぐ時」の宜野湾市・宮城千恵さん(56)は8月23日に続き今年2回目の掲載。
「おもろ学・仲原善忠先生」の那覇市・喜舎場朝順さん(81)は3月8日、4月12日、5月8日、6月17日、7月6、26日、8月18日に続き今年8回目の掲載。
カギカッコは投稿欄における見出し。
宜野湾市・宮城さんは、去る2月の、ゲート前のテロリスト・山城博治の逮捕劇をいまだに「不当拘束」と思っているようだ。名護署に抗議にいった帰り、ハーフの若者に怒られたというエピソードはなかなか興味深い。
>ところが沖縄2紙は琉球新報の敗訴確定を一行も報道せず,県民の耳目から隠蔽した。
ネットで狼魔人日記を読んでいた者には、裁判の成り行きは逐一知るところであり、結果も承知しているが、「琉球新報の敗訴確定を一行も報道せず」で、ネットを見ない県民は、知らない。
「沖縄2紙を正す会の我那覇真子さん講演詳報 「移設反対意見書は工作活動の後押し」 2015.11.24」
http://www.sankei.com/politics/news/151124/plt1511240015-n1.html
>会場のみなさまは日頃、沖縄の情報をどのような方法で手に入れていらっしゃいますか。
>私がこの質問をしたのは、インターネットで情報を入手しているか、していないかで沖縄に対するイメージが180度変わるという現象が起きているからです。
>本日はインターネットで情報入手している私たちが、何をみているのかをみなさんにも知っていただきたいと思っています。
全文を是非お読みください。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/170372/1
>市民団体は、戦争法に賛成した国会議員の落選を目的に今月結成された「安保関連法賛成議員の落選運動を支援する弁護士・研究者の会」(落選運動を支援する会)。
>議員の関連政治団体や資金管理団体のカネの流れを徹底的に調べ、違法の疑いがあれば刑事告発する方針を示している。
>島尻大臣はその「第1号」だ。
【参考】
「安保関連法賛成議員の落選運動を支援する・弁護士・研究者の会」(略称 落選運動を支援する会)」
http://rakusen-sien.com/
呼びかけ人
阪口徳雄(大阪弁護士会)
沢藤統一郎・梓澤和幸(以上東京弁護士会)
郷路征記(札幌弁護士会)
上脇博之(神戸学院大学法学部教授)
「賛同のお願い」
http://rakusen-sien.com/appeal.html
「公職選挙法の選挙運動と誤解されないために、賛同者の中で、特定の政党や特定の候補者、野党統一候補者が決まった時に支援、選挙活動を予定されている方はせっかくですが、ご遠慮されたくお願いします。」
政治的意図はないことを強調。
上脇博之氏、ググルと共産党シンパとの書き込み多数。
「落選運動を支援する会」は、SEALsのシニア版?
来年夏の参院選で野党の選挙協力が岡田代表などの優柔不断で進まないのの打開に、仕掛けられのか?
http://kudocf4r.exblog.jp/23886564/
>SEALDs琉球の元山仁士郎さんのお父さんが誰だか知ってますか?
>沖縄女子短期大学の元山和仁教授です。
>実は親子で政治的思想がまるで水と油のように違うんです。
>この前も説得しに東京に行った時は「8月には辞める」と言っていた筈だった。
>それが事もあろうにSEALDs琉球なんて反対運動組織を立ち上げて今はそのリーダーになっている。
>もう絶縁だ!!あんな奴は息子ではない!!
>本当に辺野古の皆様には息子が迷惑ばかりかけてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
>父親の元山教授が何度も東京に足を運び、息子を説得している状況であれば何時、SEALDs琉球の活動を投げ出して一方的に居なくなるか分からないだろう。
「SEALDs(シールズ)の次なるターゲットは辺野古移設 「東京から来た機動隊は冷たい目をしている」と宣戦布告 2015.11.14」
http://www.sankei.com/premium/news/151114/prm1511140020-n1.html
>中心メンバーで沖縄県出身の大学4年、元山仁士郎さんは、沖縄が構造的差別を受けているとして、こう訴えた。
>「沖縄はずっと強行的なやり方をされてきた。沖縄戦、『銃剣とブルドーザー』(米軍基地用地の接収)…」「新基地建設は、沖縄の人たちが経験から得た平和の理想を踏みにじるもので許せない」
>10月末には、来年夏の参院選で野党が選挙協力するよう呼びかけるとともに、参院選後の「解散」を宣言した。
>それまでは辺野古移設の問題にも注力するという。
ゲスト松元剛氏(琉球新報編集局次長)
http://www.videonews.com/marugeki-talk/763/
>「沖縄ソリューション」と呼ばれる妥協案
>キャンプ・シュワブ内に小規模なヘリポートを建設した上で、オスプレイを本土の別の基地に移駐させる
>モチヅキ教授はアメリカ政府は日本側から現実的な代替案が示され、それが米側の軍事的なニーズを満たすものであれば、柔軟に対応する用意があるとの見方を示す。
米側の軍事的なニーズを満たさないから、駄目。
検討するまでもない駄目な案をだしておいて、日本政府はアメリカに交渉しないと非難する、いつもの手。
>沖縄ソリューション」を提唱している橋本氏も、これ以上、沖縄県民を追い詰めると、怒りの矛先が嘉手納基地の全面返還要求や、米軍そのものに対する反対運動に向かいかねないと指摘する。
辺野古移設は、止まらない。
辺野古移設が止まらないことを理由に、独立運動の根拠としたい意図、見え見え。
その点について、レッドチーム新聞が頼りにするひとりの林博史氏が1992年の論文「『集団自決』の再検討」で彼なりの考察をしている。
http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper11.htm
集団自決があった場所においても、「軍からの明示の自決命令は確認できない」座間味島のことや自決前に既に日本軍がいなかったチビチリガマのこと、時代の価値観や情報の錯綜、「軍に協力し住民を戦争に動員していった村幹部や教員の役割も大きい」「日本兵の『自決』の巻き込まれ」など複合的要素を挙げ、「『集団自決』の要因といってもその階層によって、かなり異なっていることがわかる」という見解を述べている。
集団自決がなかった場所においては、「死んではいけない」と言った阿嘉島の軍人の存在の他、日本兵の有無や関係性、米軍の動向、やはり情報によりけりだったこと、移民帰りやクリスチャンなど「皇民化教育にからめとられない」住民がいたことなどを考察している。
自決があったところもなかったところも様々な要因があると自分で挙げて、結論で「沖縄戦での住民の行動を見ると、『集団自決』をおこなわなかった人々の方が圧倒的に多い」と述べつつ、「『集団自決』は文字通りの「自決」ではなく日本軍による強制と誘導によるものであることは、『集団自決』が起きなかったところと比較したとき、一層明確になる」というところは、では軍命(今でいう「軍の関与」)とは結局なんぞ?という当然想起させる疑問に答えてくれていない不足感を齎すが、ともかくも、林氏が「一層明確になる」とするのは主として渡嘉敷島を指していると思われる。
今現在でも「軍命」「軍の関与」の主張において、肝心のその中身が明確にされていないし、軍命派の砦は渡嘉敷島なのだろう。
その渡嘉敷でもこちらの方
http://bnews.kouron.net/archives/3000642
のような証言が上がっている現在、「再検討」の「再検討」が必要なんじゃないですか?と思う次第。
余談ですが、上掲の林論文、脚注8で
>赤松隊長から今自決せよという形の自決命令は出されていないとも考えられる(大江志乃夫『花綵の海辺から』朝日新聞社、一九九〇年、二七頁、参照)。なお曽野綾子『ある神話の背景』(中央公論社、一九七三年)も自決命令を否定しているが、同書は問題点が多い(安仁屋前掲書参照)
と、朝日新聞社刊出典で軍命なしの可能性を紹介し、直後に曽野綾子「ある神話の背景」「も」自決命令を否定しているが「問題点が多い」と此方だけ態々書いているのがなんとも。
ちなみに、2006年教科書検定で「集団自決は日本軍の強制ではない」旨の修正が行われた根拠のひとつが、林氏の著書にある記述(上記・脚注8にあるのと同じ、赤松隊長の命令はなかったと考えられるとする記述)であったことに、林氏はそれとこれとは違うの!とご立腹だったはず。(狼魔人日記過去ログ参照されたし
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/b2899ebb81745fd9bb39d452503f5cf0など)
やっぱり再々検討が要るんじゃない?