沖縄の出版界が出版を拒否した
問題の書!
『沖縄に内なる民主主義はあるか』
著者:又吉康隆 定価:税込み1575円
ネット販売註文先 ezaki0222@ybb.ne.jp
※住所氏名と電話番号を御連絡いただければ、受注当日か翌日までに発送いたします<送金方法等詳細はここ>
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沖縄は地元出版の多い県だ。
大きな書店には「県産本コーナー」が特設され、沖縄戦などの歴史本からグルメに至る多種の本が覇を競っているのが目に付く。
地元出版といっても必ずしも書店に並ぶ出版物ではない自費出版も多い。
自分の両親や祖父母が喜寿、米寿を迎えるお祝いの記念に、写真を交えた伝記を自費出版し親戚縁者に配布するような話もよく聞く。
還暦を過ぎてもロッカーを自称する内田裕也のような奇人もいるが、歌手のミッキーカーチスが還暦を過ぎてから、「監獄ロック」をもじって「還暦ロック」をリリースしたのは有名な話しだ。
還暦とは文字通り干支が一巡し、起算点となった年に戻ることなので、還暦を迎えた記念に自費出版をする人も多い。 したがって自費出版を主なる営業種目にしている地元出版社も多く、沖縄タイムス等の新聞社も自費出版を営業種目に掲げているくらいだ。
瓢箪から駒というが、人生計画通り行かないほうが多いもの。 思わぬ事から思わぬ出来事が起き、それが次々と当初の予想とは違う方向に発展する場合も人生には多い。
還暦を過ぎ、これまで書き溜めたブログを整理し自費出版を希望した無名のオジサンが、県内の出版社から出版拒否をされたが、それに怯むことなく自分で出版社を立ち上げ、自力で出版に踏み切った。
県内出版物の中で現在もベストセラーを続ける又吉康隆著「沖縄に内なる民主主義はあるか」のことだ。
その又吉さんが、瓢箪から2個目の駒で、季刊誌「かみつく」を出版する運びとなった。
年4回の発刊を予定しているようだが、毎回沖縄の著名人で「反戦平和は免罪符」というマスコミの保護に胡坐をかいて、嘘八百を撒き散らし沖縄の言論界を駄目にした人物に「かみつく」という趣向である。
第一回目の標的は、琉球大学教授、県知事、国会議員と沖縄出身者としてはエリートコースを歩いてきて、現在でも大田平和研究所所長として、全国に嘘まみれの害毒を流し続けている大田昌秀氏を取り上げている。
購読希望の方には当日記でも取次ぎいたしますので下記メールアドのご連絡ください。
申し込み先 ezaki0222@ybb.ne.jp
価格 1260円(税込み)+送料240円=1500円(税・送料込み)
以下は季刊誌「かみつく」発行者の又吉康隆さんのブログの転載です。
★
「かみつく」が印刷所から送られてきた。
今日、Booksきょうはんの美浜店に運ぶ。本店の那覇は遠いので美浜店を中継点にしている。来週の月曜日にはBooksきょうはん全店に並ぶと思う。
それから順次県内書店に並ぶだろう。
注文は県内の全書店でできるようだ。
書店で沖縄教販から発売している「かみつく」を注文すれば
数日以内で書店に配達するようだ。
もし、近くの書店に置かれていない場合は
他の書店を回るより注文したほうがいいとおもいます。
まえがき
こつこつお金を貯めて、
「沖縄に内なる民主主義はあるか」を自費出版しようと、
WEBで見つけた自費出版を募集している出版会社に原稿を送り、
自費出版を依頼した。
その会社では自費出版の費用を明記していたので、
私は出版費用をいつでも振り込む準備もしていた。
ところが自費出版を断わられた。
私にとって信じられないことであったが、
出版社が私の自費出版を断わったのは事実だった。
この体験をきっかけに知り合いになった「狼魔人日記」の江崎さんから
沖縄の現状を聞いて再び驚いた。
普通、表現の封殺は独裁国家がやるものだが、沖縄ではそうではないという。言論封殺は民間レベルでやっているというのだ。
江崎さんの話では、
沖縄では、左系の主張・集会・活動は規模がとても小さくても報道されるが、保守系の主張・集会・活動は報道されない場合が多いという。
嘘みたいであるが、本当のようだ。
現実に私も自費出版を断わられた。
出版2社はそれぞれ「普天間飛行場の移設は辺野古しかない」
「八重山教科書問題はなにが問題だったか」
を書いたのを理由に自費出版を断わった。
私の本は左系の思想を批判しているということであり、
だから、自費出版を断わられたのである。。
10月3日に宜野湾市民会館で、
「普天間飛行場の敏速な移設返還を求める市民集会」があったが、
主催しているのが保守系であるために沖縄のマスコミで紹介されなかった。
同じ日に名護市では稲嶺名護市長の呼びかけによる
オスプレス配備反対の市民大会があったが、
この市民大会は何度もマスコミは紹介した。
左系の市民集会は積極的に紹介するが
保守系の市民集会はほとんど紹介しないのが
現在の沖縄の報道機関の常識なのだ。
「沖縄に内なる民主主義はあるか」を出版したが、
その本が意外に売れている。
江崎さんから保守系の主張や活動が報道封殺されている事実を聞きながら、
自費出版を拒否された原因と本が売れた原因が同じではないかと
私は思うようになった。
沖縄のマスコミ、知識人、沖教祖、自治労、革新政党、自民党、民主党に
対する疑問や反発を持っている人は県内に多くいて、
そういう人たちが私の本を買ってくれたのではないか。
そこで私は閃いた。
もし、マスコミで封殺している情報を公表したり、
「沖縄に内なる民主主義はあるか」のような、
沖縄に蔓延している既成の理論を批判する評論を掲載した本を出版すれば、
もしかすると売れるのではないか。
いわゆる穴場商売である。
沖縄のブログには
沖縄のマスコミで報道されない事実や主張が多く掲載されているし、
左系の思想批判も多い。
だから、本の原稿には不自由しない。
よし、本を出そうと私は決心した。
私は、ブログ「狼魔人日記」の江崎さんに私の考えを説明し
「狼魔人日記」から私が出版する本への寄稿をお願いした。
江崎さんは快諾した。
ブログ「光と影」のヒロシさんにも寄稿してくれるようにお願いした。
ヒロシさんも快諾してくれた。
二人の快諾を得て、私は本を出版する決心をした。
たった二人の協力を取り付けただけで本を出版するのは無謀だ。
あまりにも軽率だと皆さんは思うだろう。
それは正しい考えかもしれない。
しかし、準備万端整えてやろうとすると、
逆に実現できない場合もありうる。
できる時にやっておかないと実現できないかもしれない
という恐怖が私はとても強い。
大急ぎでやって失敗するというのはよくある。
この「かみつく」も一回きりで終わるかもしれない。
しかし、一冊でもいから出版できた。
それでいいじやないか。
学生の頃、3年間も演劇上演できない苦い体験をした。
社会人になった時もオリジナル劇の上演を目指したが何度も頓挫した。
頓挫の人生を送ってきた私は
「やれる時にやろう。やれる時にやらなければやれなくなる」
という思いが強い。
だから「かみつく」を出版した。
後は野となれ山となれだ。
「かみつく」を出版するには私の切実な個人的な事情もある。
私は小説家になりたくて、
年に3から5編の小説を各新人賞に毎年応募し続けているが、
一度も新人賞を受賞したことがない。
私には文才がないのだろうと思わざるをえないのだが、
それでも私は小説家への未練を絶つことができない。
今後私が新人賞を受賞するのは無理だろう。
新人賞を取れない私が小説を出版しても売れるはずがない。
そこで考えたのが「かみつく」に小説を載せることだった。
「かみつく」がそこそこに売れたら、
ついでに私の小説を読む人もいるだろう。
「かみつく」が売れれば売れるほど私の小説を読む人が増える。
その期待が私には大きい。
私の考えを不純だと非難する人がいるだろう。
しかし、私が考えついた最良の方法はこれしかないのだ。
それも「かみつく」が売れた場合のことであり、「
かみつく」が売れなかったら、私の魂胆は失敗する。
そうなったらそうなったでいいじやないか。それもまた楽しい人生だ。
狼魔人日記のブログから、
八重山教科書問題やゼロ校時問題について転載する予定だったが、
9・9県民大会の数日後に、私は江崎さんと相談し、
八重山教科書やゼロ校時問題はカットして、
9・9県民大会について集中的に掲載することにした。
なぜなら9・9県民大会に参加した人たちからの写真や情報が
どんどん「狼魔人日記」に集まってきて、
読者の意見が殺到したからだ。
リアルな情報と意見はインターネットならではであり、迫力がある。
きっと読者の目をひくだろうと考えたからだ。
多くの人々が「狼魔人日記」にリアルなコメントをし、
オスプレイ配備への賛成反対の自由闊達な討論を展開した。
激しいコメントの展開に
コメント欄を閉鎖するように要求する読者も出る始末だった。
言論の自由を封殺している沖縄のマスコミにはない、
インターネットの世界ならではの
自由闊達な白熱した討論が展開された「狼魔人日記」を本にするのは
沖縄のマスコミ界にもいい刺激を与えると思う。
ブログ・光と影の「那覇市役者で見た!なんと、観光客にも無料バス券!これがオスプレイ反対県民大会の動員実態」
は大スクープである。
「光と影」のヒロシさんがユーチューブで見つけた
那覇市役所の潜入映像を文字化した。
中止になった8・5県民大会に向けて、
那覇市役所の職員が勤務中に県民大会の準備をやり、
観光客さえも県民大会に動員している。
無差別動員の実態が明らかになる。
マスコミには一切報道されていないが、
沖縄にはオスプレイ配備賛成の保守派がいる。
彼らは横断幕でオスプレイ配備賛成を主張したが、
横断幕のほとんどが何者かによって切り裂かれた。
横断幕切り裂き事件の後に、
オスプレイ配備反対派のテントが切り裂かれたり、
辺野古の横断幕が何者かによって持ち去られた。
横断幕切り裂き事件は
インターネットの世界では公開されたがマスコミでは報道されなかった。
テント切り裂きや横断幕持ち去りは
マスコミで報道されたから皆さんも知っていると思う。
短編小説・1971 Mの死は、
私の体験を小説にした。
Mとは琉大男子寮で惨殺された革マル派活動家町田宗秀氏のことである。
彼が殺される数時間前の彼との会話が題材である。
小説だからすべてが事実というわけではない。
「かみつく」は、表現が自由であるブログの世界を本にした。
目次
元県知事・大田昌秀にかみつく 4ページ
「普天間飛行場の迅速な移設・返還を求める市民集会」講演原稿 14ページ
ブログ・狼魔人日記
自衛隊も原発も反対!どさくさ紛れの似非県民大会 18ページ
狼魔人日記への読者コメント 23ページ
ブログ・光と影
那覇市役所で見た!なんと、観光客にも無料バス券!これがオスプレイ反対県民大会の動員実態 35ページ
非人道的な思考回路、これが平和団体 40ページ
無残にも破られたオスプレイ賛成派の横断幕 43ページ
ブログ・沖縄に内なる民主主義はあるか
宜野湾市の私利私欲が基地周辺の危機を拡大した 45ページ
基本的人権を犯したのはどっちだ 46ページ
宜野湾市は子供の人権を守る意思がない 47ページ
沖縄の無責任な政治家たち 48ページ
度を超した水増しの9・9県民大会 48ページ
沖縄のマスコミは戦前の大本営と同じだ 49ページ
10万1000人県民大会をでっちあげた過程 49ページ
オスプレイ阻止運動は無能な政治家たちがやること 50ページ
厚顔無恥なオスプレイ配備撤回要請団 51ページ
沖縄産業の恩人 53ページ
短編小説
1971 Mの死 55ページ
長編小説
バーデスの五日間 67ページ
☆
パンドラの箱掲載拒否訴訟第十一回口頭弁論のご案内
昨年一月の提訴よりこれまでご支援賜りました本日記の読者の皆様に上原正稔氏に代わり心から感謝申し上げます。(本人は、報告会の度に支援者の皆様に感謝の弁を述べております)
いよいよ今月20日をもちまして判決を迎える事となりました。
多くの皆様の善意に支えられて裁判を進めて参りましたので良きご報告が出来るものと確信しております。
記
◆第十一回口頭弁論
日時 :十一月二十日(火) 午後一時十分より
場所: 那覇地方裁判所
◆記者会見 同日 午後二により県庁記者クラブにて
◆報告会
日時: 同日 午後三時より
会場 :青年会館(那覇市久米二の十五の二十三)
お問合せ: 三善会
〇九〇‐九七八〇‐七二七二(にしこりマデ)
平日ではありますが、多くの皆様が参加頂けるようにお願い申し上げます。
★
琉球大学の学生たちが奮闘を続けています。
復帰40周年、沖縄と日本を考える講演会
テーマ:「若者にとって皇室とは」
~天皇陛下を沖縄にお迎えするにあたって~
沖縄県祖国復帰40周年の今年、11月18日(日)の「第32回全国豊かな海づくり大会・美ら海おきなわ大会」へのご臨席のため、17日から20日まで、天皇皇后両陛下が沖縄にいらっしゃいます。しかし、我々若い世代は、詳しく習ったことも無いため、天皇陛下、皇室とは何かをよくわからずにいます。
《講師:三荻 祥先生》
【講師プロフィール】昭和59年生。香川県出身。平成19年、長崎大学(教育学部)卒業後、全日本学生文化会議に奉職。皇居での勤労奉仕活動や、皇室と国民の間に生まれたドラマを調べるため、全国で取材活動を行う。平成22年、産経新聞主催「第25回土光杯全国青年弁論大会」で最優秀賞土光杯を授賞。平成24年、アパグループ主催「第5回真の近現代史観」論文にて、「戦歿者慰霊と日の丸掲揚運動から始まった沖縄の戦後復帰運動の父・屋良朝苗の虚像と実像」が佳作に入賞。共著『天皇陛下がわが町に日本に生まれた物語』『脅かされる国境の島・与那国だけが危機ではない!』(ともに明成社)、フジテレビ「新・皇室入門」にも出演。
■日時 平成24年11月15日㈭ 18:00開場、18:20開演(40分程度の講演の後、質疑応答、ディスカッションの時間を設けます。)
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おかしいことはおかしい。
人間としてその感性は無くしたくないですね。
そして何がおかしいのか自分で調べ、自分の頭で考える。マルクスとかレンコンとか難しいことは知らなくていいのです。おかしいことはおかしいのです。
私が社会人になった頃も、今の民主党政権のような左翼勢力が跋扈していました。
彼らは、もうとにかく会社=資本主義の象徴=富の搾取みたいな考えでしたね。だから最終的には打倒資本=打倒会社です。
それに対し私は「馬鹿野郎会社が無くなったらどうやって生活するんだ。何かの本の影響かも知れんが少しは自分の頭で考えろ。」と言ったような記憶があります。
今の沖縄の現実を考えたとき、沖縄の馬鹿左翼に聞いてみたいですね。「馬鹿野郎、国がなくなったらどうやって生きていくんだ」と。
私も不器用な人間であり、相手が何とか長であれ噛み付いてしまうので出世とは縁のない人間ですが、仕事だけは真面目にやっているつもりです。何故ならお金をいただいて家族を養い、何とか世間並みに生きていけるのも仕事があってのことです。
「かみつく」是非読んでみたいですね。
沖縄在住の人たちが「おかしい」と発信するから説得力があるのです。
>沖縄在住の人たちが「おかしい」と発信するから説得力があるのです。
同感です!
沖縄県民の皆様には、「おかしい」と思っていたのが自分だけでないとわかって、自信をもってくださることを願っています。
>その又吉さんが、瓢箪から2個目の駒で、季刊誌「かみつく」を出版する運びとなった。
年4回の発刊を予定しているようだが、毎回沖縄の著名人で「反戦平和は免罪符」というマスコミの保護に胡坐をかいて、嘘八百を撒き散らし沖縄の言論界を駄目にした人物に「かみつく」という趣向である。
季刊誌、「かみつく」、早速申し込みます。大いに楽しみにしております。
>>私は思うようになった。
沖縄のマスコミ、知識人、沖教祖、自治労、革新政党、自民党、民主党に
対する疑問や反発を持っている人は県内に多くいて、
そういう人たちが私の本を買ってくれたのではないか。
そこで私は閃いた。
もし、マスコミで封殺している情報を公表したり、
「沖縄に内なる民主主義はあるか」のような、
沖縄に蔓延している既成の理論を批判する評論を掲載した本を出版すれば、
もしかすると売れるのではないか。
いわゆる穴場商売である。
沖縄のブログには
沖縄のマスコミで報道されない事実や主張が多く掲載されているし、
左系の思想批判も多い。
だから、本の原稿には不自由しない。
よし、本を出そうと私は決心した。
又吉康隆・著ーーー 「沖縄に内なる民主主義はあるか」
を、とても面白く読みました。いずれ、書評というか感想を書き込みさせていただこうと考えています。
沖縄県のみならず、本土、(「本土」、と言う言葉はあまり好きでなく、何となく違和感があります。明治、大正時代の新開拓地、新開地の北海道の人間が北海道以外の日本を呼ぶ、「内地」、を使っても、とも考えますが、北海道と異なり、沖縄県の場合やはりふさわしくない気がしますので、「本土」、を使います)、のマスメディアも沖縄同様、まったく酷いものです。
江藤淳の名著、戦後の、「閉ざされた言語空間」、はそのままで、そのことについて、毎日痛感させられています。
昨日書きました、
三橋貴明・著ーーー「新世紀のビグブラザーへ」・・・《あとがき》より。
昨今、日本国内で、マスメディアの問題がクローズアップされるケースが増えてきました。
「マスメデスアの問題。と書くと、やや漠然としますが、要は、「報道」、の問題です。
たとえば、テレビ局は、「放送法」、という法律により、放送番組を編集、報道する際に、以下の規定を守るように定められています。
《(国内放送の放送番組の編集等)、第三条の二》
放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号に定めるところによらなければならない。
1.公安及び善良な風俗を害しないこと
2.政治的に公平であること
3.報道は事実をまげないですること
4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
現実問題として、日本のテレビ局はこの放送法第三条二項を全く守っていません。日本のテレビ局は、日々、世論誘導や番組制作者の政治的意図を達成するための、偏った放送を続けているのが現実です。
偏向報道は、特に民法だけの問題ではありません。最近では2009年4月5日にNHKが放送した、『NHKスペシャル・ジャパンデビュー』、の第一回、「アジアの<一等国>」、において日本の台湾統治時代を取り上げ、明らかに偏った主張に基づいた編集を行いました。何しろNHKからインタビューを受けた、当の台湾の方、(柯徳三さん)、までもが、
「私はHさん(NHKディレクター)に言うたんだ。あんた、中共の息がかかっているだろう。(中略)NHKは、北京に呼ばれてチヤホヤされて貢物もって行ったんだろう。そう言うたんだ」
と激しい口調で、NHKの偏向ぶりを批判したほどです(平成21年5月18日付、「産経新聞」、意見広告より)
なによりも唖然としたのはインタビューを受けた台湾の方々ご自身が、「自分たちの発言を切り貼りされ、特定の政治的意図を実現するための偏向報道だった」、と非難しているにもかかわらず、NHKが
「私どもとしては、偏向していたとは考えていない。よって偏向報道ではない」、
とまるで殺人者が、「人を殺したとは考えていない。よって殺人ではない」、と強弁するかのごとき態度を取り、抗議団体からの公開討論会への出席要請に対しても、拒否をしたことです。
NHKに、番組が偏向だったか否かを判断する資格はありません。その資格を持っているのは、視聴者だけです。
「偏向報道ではない」、と主張するのであれば、なおさらNHKは公の場に出て、堂々と自分たちの意見を表明すればいいのです。
一方的に自分たちの偏向的主張を電波で垂れ流し、一切の批判、フィードバックを拒否するわけですから、NHKは公共放送としての資格を失ったとしか言いようがありません。
NHKの「NHKスペシャル、JAPANデビュウ」、事件は、マスメディアによる「報道テロリズム」、の恐怖をまざまざと見せつけてくれました。
わたしたちは、NHKなどのテレビ局が放送した番組について、基本的にそのまま信じるしかありません。そして、もし何らかの偏った政治的意図に基づき、NHKなどが捏造情報を放送し、日本の国益を大きく損なったとしても、わたしたちはそれを掣肘る術を、全く持ち合わせていないのです。
更に恐ろしいのはNHKの木で鼻をくくった対応に怒った1000人を超す一般の日本国民がNHKに大々的な抗議デモを行ったにもかかわらず、それを全てのテレビ局、大手新聞が報道しなかったという事実です。(#私も、平成21年、私にとって貴重な土曜日の時間を何回も潰し、抗議デモに参加しました。)
信じられないかもしれませんが、日本の大手マスメディアは、日本国民のNHKへの千人規模の抗議行動を、いっさい報じようとはしなかったのです。これは作中にある、「報道拒否」、という、報道テロリズムの一種としか表現しようがありません。
政治家の暴走は、有権者の投票で止められます。官僚機構や企業の不祥事は、それこそマスメディアが、ここぞとばかりに叩くでしょう。
しかし、そのマスメディア自身の暴走や不祥事は、果たして誰が抑えることができるのでしょうか。日本国民はマスメディアを管理、制御する手段を一切持ち合わせていないのです。
しかも、そもそも各マスメディアがいっせいに報道拒否を行った場合、私たちはマスメディアの暴走という情報自体を、知ることさえできないということになります。
情報とはかくも恐ろしいものなのです。
本作品は、情報を完全にコントロールされてしまった、近未来の日本を描いたシミュラフィクションです。NHKの偏向報道や、NHKに対する抗議行動を無視する大手マスメディアの姿を見ていると、本作品で描いた、「新・全体主義」の世界が本当に訪れるのではないかーーと心底恐ろしくなってしまいます。
とはいえ、わたしは、何か問題があるときに、「もうダメだ」、とか、「どうせ××だから」、と投げ出す態度は嫌いです。問題があるならば、ただ解決すればいのです。日本のマスメディアの問題はたしかに深刻ですが、これは間違いなくわたしたち日本人で解決すべき、日本人自身の問題なのです。
1945年にアメリカとの戦争に敗北したとき、当時の日本人たちは、「もうダメだ」、と自暴自棄になり、すべてを投げ出したでしょうか。もしも投げ出してしまっていたならば、今の日本の繁栄があったとはとても思えません。
同じく社会が悪い方向に進んでいると感じた時に、政治家や官僚など、他人に責任を押しつける、あるいは他人に助けを求める態度も間違っていると思うのです。
社会をより良い方向に導いてくれる人を求め、その人に会いたいと思ったならば、ただ、鏡を見ればいいのですから。
2009年5月27日
三橋貴明
P.S.
このブログを愛読している、琉大、はじめ沖縄の大学の若い学生さんは多いと思います。
昨日、「人権救済法」、について書いた際、参考図書として、『危ない!人権擁護法』、を上げました。
特にその中で、碩学、長谷川三千子・埼玉大学教授が書かれた、論文
「『人権』、概念の危ふさ」
は、ぜひ、読まれるよう、お薦めします。
学校や、市町村等の公共図書館にはあると思います。
※、・・・・・かってこの板に、「西尾教授は、「朝日新聞」=築地カルト・チョーニチ、にとっては、小林よしのり氏とともに、絶対に許せぬ、憎むべき敵でしょう。二人によって、『築地』、の虚偽、偽善、が徹底して暴かれ、多くの国民に知られたからです。
例えて言うならば、詐欺師、ベテン師が、一般の日本人を騙そうとして、うまくいきかかっているところへ、インチキのからくりを見抜いている人間が、通りかかり、
「『それは、詐欺、イカサマである。騙されてはいかん』、と言うようなものです。詐欺師、ペテン師が怒るのは無理もありません」、と書き込みました。・・・・
上記文章の、西尾幹二を狼魔人に、『築地・チョーニチ』、を《タイムス、新報》、に換えてもひピッタリと思います。(笑)
更に、新報、タイムスに強敵が表れました。(笑×哂)
現職が再選したのなら喜ぶべきなのかもしれませんが、
近ごろの、自治体の業務の範囲を超えていて、
なおかつ管轄外のオスプレイ排斥運動の、
あの陣頭指揮ぶりを見ると…、
ちょっと考えさせられますね。
もっとも、対立候補の無所属を装う共産党員、
その正体は…、
「一坪たりとも渡すまい」っていう、
身内だけしか流行ってない、
正直キモイ歌で有名な土地闘争で、
この歌を作ったばばぁとともに県外から潜り込んだ、
アカの他人っていう外来種とのことで、
こいつが市長になって、
「アカい(那覇)市長」の夢よもう一度…、
よりはマシと思うしかないですね。
こいつや、その歌をつくったばばぁが、
「一坪たりとも渡すまい」と言ってた土地は、
今や米軍属の暮らす住宅街、ってオチもあるし、
ホント、ムダなことをするのがお好きなようで(笑)。