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沖縄タイムス 2007年12月21日(金) 夕刊 1面
軍命めぐり最終弁論/「集団自決」訴訟
大阪地裁3月にも判決
沖縄戦時に慶良間諸島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、島に駐屯していた部隊の元戦隊長とその遺族らが、作家・大江健三郎氏の「沖縄ノート」などの著作で名誉を傷つけられているとして、大江氏や岩波書店に出版の差し止めや慰謝料などを求めている訴訟は二十一日午後、大阪地裁(深見敏正裁判長)で最終弁論が始まった。
原告と被告の双方がこれまでの主張をまとめた最終準備書面を提出。法廷で代理人がそれぞれ十五分ずつ、要旨を陳述した。提訴から約二年五カ月の審理を経て弁論は同日で終結し、来年三月には判決が言い渡される見通し。
これまでの審理で原告側は、自決命令を否定する元戦隊長らの名誉回復訴訟と位置付け、戦隊長による個別の命令について事実の立証を要求。被告側は、当時の状況から軍隊による強制や命令があったのは明らかで、戦隊長による命令も数多くの資料から真実だと反論。判決が「集団自決」の事実にどこまで踏み込むかが焦点となる。
訴えているのは、座間味島駐屯部隊の戦隊長だった梅澤裕氏(91)と、渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の弟の秀一氏(74)。「沖縄ノート」や故家永三郎氏の著作「太平洋戦争」で、住民に「集団自決」を命じたと記され、両元戦隊長の名誉とともに、秀一氏が兄を慕い敬う「敬愛追慕の情」が侵されている、としている。
弁論に先立ち、傍聴抽選が行われ、六十四枚の傍聴券を求めて百七十八人が並んだ。
宜野湾市から傍聴に訪れた平和ネットワーク会員の外間明美さん(41)は「沖縄戦の実相を住民からみれば、軍によって多くの被害をもたらされ、命を失うところまで追いやられたのは明らか。被告側は幾つもの新証拠で示している」と指摘し、「裁判所は、それを踏まえた判決を書いてほしい」と話した。
◇
>被告側は、当時の状況から軍隊による強制や命令があったのは明らかで、戦隊長による命令も数多くの資料から真実だと反論。
沖縄タイムスが次々と紹介した一連の資料で軍の命令や強制を客観的に証明できるものは皆無であり、いずれも被告側が情緒的に証拠として思い込んでいるに過ぎない。
裁判が客観的証拠・証言を元に論理で戦う場であるとしたら、この裁判は原告勝訴が客観的見方だろう。
>判決が「集団自決」の事実にどこまで踏み込むかが焦点となる。
裁判官の資質にもよるが、裁判官が結論を出すのを躊躇して、「軍命、強制の有無」をあいまいにしたま、「名誉毀損の有無」のみに絞った判決が出るのを危惧する。
>沖縄戦の実相を住民からみれば、軍によって多くの被害をもたらされ、命を失うところまで追いやられたのは明らか。
>被告側は幾つもの新証拠で示している。
「軍によって・・・命を失うとこまで追いつめられたのは明らか」というのなら証拠が必要だが、「幾つもの新証拠」の中にこれを立証できる客観的証拠は一つもない。
■琉球新報の「声」欄■
教科書問題と係争中の裁判は、「集団自決」の軍命の有無については表裏一体をなす。
琉球新報は中立を標榜するアリバイ作りのためか、時折自社論調に真っ向から反論するような読者の声を掲載する。
「教科書記述」に関し、昨日の琉球新報オピニオン面に那覇市在住の公務員Mさんの「万難排し軍命挙証を」と題する読者の「声」が掲載された。
<(略)・・沖縄戦の専門家を自負され、旧日本軍の命令・強制はあったと主張される県内外の国私立大学の諸先生方は、万難を排して挙証責任を果たさなければならないはずだ。 それが不可能なのであれば、「検定意見を撤回せよ」を撤回するしかない。>
係争中の「裁判」でも軍の命命・強制の有無の挙証責任は大江・岩波側にあるはずだ。
「旧日本軍の命令・強制はあったと主張される県内外の国私立大学の諸先生方」は、裁判では被告大江・岩波側を支援している。
Mさんが指摘するように、教科書問題と同様に裁判においても、「彼ら」は万難を排して挙証責任を果たさなければならないはずだ。
だが結審を迎えても未だに「彼ら」は挙証責任を果たしていない。
つまり次々出てくる「新資料」「新証言」はいずれもピントはずれで、客観的論証に耐えるものはないのだ。
ということは来年3月28日といわれる判決の結果は自明だと思われるのだが。
■曽野綾子氏が語る慰霊碑・碑文の真実■
渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏が、
集団自決の慰霊祭に参列のため沖縄訪問した時、沖縄の左翼団体の猛抗議で渡嘉敷訪問を阻止された話は良く知られている。
その赤松氏を『者』として断罪した『沖縄ノート』やその種本になった『鉄の暴風』を伝聞による物語だとして批判した曽野綾子氏に対して、地元マスコミの論調を見る限り、渡嘉敷島の住民は決して快く思ってはいないだろうと想像しても不思議はない。
ところが地元マスコミの報道とは裏腹に渡嘉敷島の住民は曽野氏の「集団自決」の聞き取り現地調査に対して敬意を払っていた。
何と「集団自決」の慰霊碑の碑文は曽野氏が書いていたのだ。
曽野綾子氏は碑文を依頼された時の事情を雑誌『will』1月号で、次のように書いている。
<・・・この連載(「集団自決の真実」)が『諸君!』に連載され、本になった後、いつのことか私は時期も詳しくは知りませんが、渡嘉敷島に慰霊塔が建てられることになったようです。 私は今でもその碑を見たことさえありませんが。
その時、村から、その碑文を私に書くように、と言って来たのです。 私は当事者ではないし、そんな資格もないと思ってご辞退したのですが、それでも、と言われたのは、私が文章を書き慣れているからだと思われたのだろうと思ってお引き受けしました。
その際私は「あったことの事実のみ」と「自決は家族への愛からであった」という意味の一言を書きました。
もし、村の大半の人々に私が既に出版していた『「集団自決」の真実』への反感があったら、その碑文を書くことを私に依頼して来ることはないだろうと思います。>
■碑文が語る真実■
昭和25年、『鉄の暴風』(沖縄タイムス)が出版され、それを鵜呑みにした『沖縄ノート』(大江健三郎)が、その20年後に出版された。
二つの本は渡嘉敷、座間味両島で起きた「集団自決」は赤松、梅沢両隊長の命令或いは強制であると断罪した。
『沖縄ノート』出版の後、雑誌連載を経て二年後に曽野綾子著『「集団自決」の真相』(ある神話の背景)が出版された。
地元マスコミは「集団自決」は「集団自決」は軍の命令、強制によるものと主張し犯人を梅沢、赤松両隊長と断定した。
地元マスコミは、これに反対する意見は「沖縄県民を敵に廻す」といった風潮を造り上げた。
事実、『鉄の暴風』や『沖縄ノート』を一貫して批判してきた当日記に対しても、
沖縄県民と見られる読者から「沖縄県民のくせに云々」とか、
「仲間を裏切る気か云々」と理屈にならない理由で罵詈雑言のコメント受けたりもした。
このような風潮では「軍命説」に最初に異論を述べた曽野綾子氏などは県民、いや少なくとも「集団自決」の現地・渡嘉敷島住民にとっては、憎悪の対象となっても不思議ではないはずだ。
ところが渡嘉敷住民は「集団自決」の慰霊碑建立にあたり碑文を、
「味方」のはずの大江健三郎には依頼せずに、
「敵」であり憎悪の対象であるはずの曽野綾子氏に依頼している。
「県民の10人に1人が参加した」といわれる「県民大会」にも渡嘉敷島から参加した人は僅かで、
それも「集団自決」を指導したといわれる当時の古波蔵村長の縁の人たちだけだったという。
地元マスコミが造り上げた「現地の人々は曽野氏に反感を持っている」といったミスリードが真実でないことは曽野氏が書いた碑文が証明している。
つまり沖縄タイムスを始めとする地元マスコミにミスリードされているのは本島の「沖縄県人」であり、
現地の人々は「真実」を知っている。
もう一度曽野綾子氏の言葉を引用する。
<もし、村の大半の人々に私が既に出版していた『「集団自決」の真実』への反感があったら、その碑文を書くことを私に依頼して来ることはないだろうと思います。>
碑文が真実を語っている。
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Mさんって宮平氏のことですよね。
彼に聞いたところ、「イニシャルではなく宮平で全然かまわないですよ」と仰っておりました。掲載に関しては当初、「論壇」を希望され投稿したらしいのですが、担当者との激しいやりとりのすえ、「「声」ならいいですよ」との回答を得たようです。担当者もサラリーマンですし、上司に逆らってまで社論に異を唱える者の投稿を大きく掲載できないということでしょうね。タイムスより少しマシかな?「五十歩五十歩半」
くらい。
それができてないわけですから、原告の勝訴は間違いないですね。
そうなるとやはり内容が問題になってきます。
裁判官がどんな判決文を書くのか。
軍命令の有無に踏み込まないと、名誉毀損かどうかの判断は出来ないはずだと思ってますから、なんとしても軍命令の有無に踏み込んだ判決を期待したいものです。
M氏とは仰るとおり宮平修さんのことです。
ご存知でしたか。 以前にも「論壇」に書いていましたが、名前どころか職業(地方公務員)、顔写真まで出して「沖縄の風」に逆風の意見を堂々と述べる態度は立派です。
>当初、「論壇」を希望され投稿したらしいのですが、担当者との激しいやりとりのすえ、「「声」ならいいですよ」との回答を得たようです。
なるほど担当記者の困惑した様子が思い浮かび、苦笑と共に同情もしたくなります。
節目節目には「論壇」に投稿して、閉塞した沖縄の「論壇」に風穴を開けるように伝言してください。
◆涼月さん
>裁判官がどんな判決文を書くのか。
「憲法訴訟」などの判決でよく見られるように「傍論」で変なことを言わないで欲しいです。
主文で「軍命の有無」の判断を避けては、例え勝訴しても意味がありませんね。