狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

日本に影響なし、【GSOMIA破棄】岩屋防衛相「情報収集に影響はなかった」

2019-08-24 14:48:50 | 経済

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2019年08月24日 14:05

【GSOMIA破棄】岩屋防衛相「情報収集に影響はなかった」

【GSOMIA破棄】岩屋防衛相「情報収集に影響はなかった」

 
引用元:岩屋防衛相「GSOMIA破棄でも情報収集に影響はなかった」 

http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1566610471/

1: プランク定数(東京都) [CN] 2019/08/24(土) 10:34:31.02 ID:xhurR0SY0● BE:448218991-PLT(14145)
岩屋防衛大臣は防衛省で記者団に、北朝鮮が24日、2発の弾道ミサイルを発射したことを明らかにしました。 
そのうえで、23日、韓国が日韓の軍事情報包括保護協定=「GSOMIA」の破棄を通告したことについては 
情報収集に影響はなかったという認識を示しました。 
「(中略)」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190824/k10012046751000.html

3: ベラトリックス(茸) [ニダ] 2019/08/24(土) 10:35:31.25 ID:U9jmG9gZ0
まさかの岩屋の死体蹴り

4: 赤色超巨星(ジパング) [BR] 2019/08/24(土) 10:35:46.03 ID:6fgdyqTu0
なんだよ 
監視能力テストのための発射かよ

6: アークトゥルス(大阪府) [ZA] 2019/08/24(土) 10:36:40.27 ID:37OCTv7R0
もはや韓国に配慮する必要もなくなったから飛翔体なんて言わなくてよくなったのか

13: 赤色超巨星(関西地方) [US] 2019/08/24(土) 10:42:44.10 ID:Ek1jkYEl0
>>6 
あ、そういうことか!

24: はくちょう座X-1(東京都) [CA] 2019/08/24(土) 10:46:13.45 ID:KnvsSC9j0
>>6 
あれって配慮の表現だったのか

40: かに星雲(埼玉県) [ニダ] 2019/08/24(土) 10:56:17.04 ID:QYMWtLrR0
>>6 
そう言われれば弾道ミサイルって断定するまで早くなったな

101: ダイモス(福岡県) [SE] 2019/08/24(土) 12:09:36.03 ID:zyIBp9nm0
>>6 
俺も気になってた 
そこんとこ確認したいよね 
なんで今まで「飛しょう体」と読んで、そしてなぜこのタイミングで今日から弾道ミサイルになったのか

109: ガニメデ(茸) [US] 2019/08/24(土) 12:17:46.21 ID:5xK9mJaO0
>>101 
弾道ミサイルか中距離ミサイルか判断がつかないうちは飛翔体って言ってる

8: 赤色超巨星(ジパング) [BR] 2019/08/24(土) 10:37:06.73 ID:6fgdyqTu0
つーか継続無し宣告、即、廃止なんだな

48: ニート彗星(大阪府) [US] 2019/08/24(土) 11:02:32.33 ID:YKOY7VQO0
>>8 
まだ廃止はしていない 

たとえると関係者以外公開禁止との約束をして協力会社へ顧客情報を渡していたとする 
ところが相手がその約束は3ヶ月後に解消すると言ってきた場合、それまでどおり顧客情報を渡し続けたりしないだろ 
3ヶ月後にその情報をライバル会社に売られかねないんだから

84: 赤色超巨星(ジパング) [BR] 2019/08/24(土) 11:32:24.40 ID:6fgdyqTu0
>>48 
そうだな 
そういうところか

15: 海王星(東京都) [TH] 2019/08/24(土) 10:42:54.27 ID:mlSnsmcZ0
岩屋更迭でよろ

19: ハレー彗星(家) [US] 2019/08/24(土) 10:44:16.12 ID:VFAG6WVp0
残念ながら11月までは維持されんだろ

31: プレアデス星団(茸) [GB] 2019/08/24(土) 10:48:08.11 ID:Rx4kkJMm0
GSOMIAも破棄されてスッキリしたし、そろそろ岩屋退任で締めようぜ。

34: 赤色矮星(福井県) [TR] 2019/08/24(土) 10:52:36.51 ID:doCFrd/T0
韓国煽ってて草

35: イオ(富山県) [ニダ] 2019/08/24(土) 10:52:52.42 ID:lvd3Jp0x0
それなら今までやってた意味ないやん

36: バン・アレン帯(埼玉県) [US] 2019/08/24(土) 10:53:25.85 ID:lLfq3m8n0
>>35 
ほんこれ

61: 青色超巨星(SB-Android) [US] 2019/08/24(土) 11:08:13.72 ID:i69WU1k10
>>35 
日本の情報は向こうにあげてた

43: ダークマター(ジパング) [ID] 2019/08/24(土) 10:57:58.74 ID:g99L18DX0
そりゃ日本は問題ないだろ

55: カペラ(茸) [JP] 2019/08/24(土) 11:05:38.62 ID:K1Hyf0qB0
ですよね~

66: 黒体放射(SB-Android) [TW] 2019/08/24(土) 11:10:55.91 ID:vWYk3g650
そらそーだ 
まともな衛星ももってない国から何を得るんだよ

68: ジャコビニ・チンナー彗星(東京都) [CN] 2019/08/24(土) 11:12:28.36 ID:Ie6YHRMd0
岩屋更迭でも何の影響もなさそう

86: ベガ(東京都) [CA] 2019/08/24(土) 11:33:24.25 ID:wvJJ03Ed0
破棄する事にしたけどまだ終了してないから変わらんわな。 
破棄後でも大差無いようだけど。

87: パルサー(愛媛県) [US] 2019/08/24(土) 11:33:59.55 ID:YvORNdsG0
オファーすんなよ

90: ミマス(大阪府) [US] 2019/08/24(土) 11:42:30.81 ID:nf38NVTi0
どうせ、韓国から得られる情報なんて大したことないだろう

93: フォーマルハウト(東京都) [CO] 2019/08/24(土) 11:48:45.35 ID:qvlFGFDE0
正直なやつだな

94: フォボス(東京都) [ニダ] 2019/08/24(土) 11:58:48.40 ID:itm6q2Cz0
精神論じゃなくて物理的に技術的に 
情報収集能力は日本が圧倒的に上なんだから当たり前だわな

123: 水星(北海道) [US] 2019/08/24(土) 12:36:08.18 ID:2etSUJ8n0
当たり前 アメリカの情報さえあればそれでいい

129: プレセペ星団(SB-Android) [ニダ] 2019/08/24(土) 12:44:23.18 ID:3hYCFeU90
ついこの間の日本が韓国から情報を提供してもらったというニュースが地味に効いているよね 
韓国民はいつも韓国が一方的に情報を提供していたから日本がパニックになると思い込んでいた

130: デネボラ(庭) [CA] 2019/08/24(土) 12:53:55.94 ID:ghCv0Lbj0
いやさすがに影響0はないだろ 
ないだろ?
 
コメント (1)

改定版・天皇メッセージ、沖縄に主権は残して租借に・・・

2019-08-24 09:49:19 | 未分類

 

 屋良朝苗氏の日記=沖縄県公文書館

 昭和天皇が1975年の初訪米を前に「米国より先に沖縄県に行くことはできないか」との意向を側近に示していたことが13日、分かった。沖縄県公文書館が今年9月に公開した当時の屋良朝苗知事(故人)の日記に、宇佐美毅宮内庁長官(当時)の話として記されていた。

 昭和天皇は47年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に米軍の沖縄占領継続を求めた「天皇メッセージ」を伝え、その後の米軍の沖縄駐留に影響を与えたとされる。識者は「沖縄に犠牲を強いたという負い目が、訪問に強い意欲を持った背景にある」と分析。当時の昭和天皇の沖縄に対する思いを伝える貴重な記録として注目されそうだ。 2012/11/13 19:55   【共同通信】

                   ☆

今ではノンフィクション界の落ちた偶像どころか「パクリの虚人」と囁かれる佐野眞一氏は、11月4日宜野湾市で行われた講演会で、沖縄に媚びる「大文字言葉」を乱発した。 

オスプレイ問題に関しても、沖縄2紙の見出しをなぞる程度の薄っぺらな知識で、「欠陥機」「危険なオスプレイを配備するのは沖縄に対する差別」などと沖縄左翼や沖縄2紙が聞いたら泣いて喜ぶような「大文字言葉」の大サービスであった。

おそらくは沖縄紙の見出しの「島ぐるみオスプレイ阻止」の「島ぐるみ」を見てオスプレイ反対が県民の総意であると考えたのだろう。

会場から、「オスプレイの事故率は海兵隊軍用機平均の事故率より低いのに、オスプレイだけが危険という根拠なんですか」と問われ、「事故率が低いのは知らなかった。勉強不足だった」と直に己の無知を認めたが、「いずれにせよ、アメリカでは飛んでいない欠陥機を沖縄に配備するのは危険」などと開き直った。

ところが会場から「アメリカでも飛んでいる」と声が上がり、佐野氏は立ち往生してしまった。

佐野氏が沖縄では沖縄2紙の論調を繰り返せば受けるだろうと高をくくって、大恥を晒したことは前にも書いたが、実は当日の講演会で上記引用記事に出てくる「天皇メッセージ」についても触れており、沖縄左翼が狂喜乱舞するような言説を吐いていた。

「昭和天皇が命乞いのため沖縄をアメリカに売り渡した」という例の言説である。 

言葉が不明瞭でよく聞き取れなかったが、誰かの記者会見で「沖縄売渡しの天皇メッセージ」が明らかになったと言うのだ。

佐野氏によれば昭和天皇は自分が沖縄を売り渡したという贖罪意識のため生前沖縄の地を踏むことが出来ず、代りに沖縄訪問をした皇太子ご夫妻(今上陛下ご夫妻)が過激派の火炎瓶攻撃を受けたのも昭和天皇の「天皇メッセージ」のせいだとのこと。

昭和天皇は生前、全国行幸で唯一訪問できなかった沖縄行幸を希望していたと伝えられていた。

今回の屋良朝苗氏の日記の発掘で昭和天皇が沖縄訪問を希望していたことが事実として確認されたことになる。

昭和天皇個人はアメリカより先ず沖縄訪問を切望しておられたが、復帰後急速に左傾化した沖縄の状況に鑑み、保安上の都合で天皇の意志は叶えられなかったのが事実である。 その後も再三沖縄訪問を希望されたが体調を崩し、ついに沖縄訪問と言う心残りのまま逝去されたことは周知のとおりである。

昭和天皇は47年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に米軍の沖縄占領継続を求めた「天皇メッセージ」を伝え、その後の米軍の沖縄駐留に影響を与えたとされる。

これに関して反日サヨクが「沖縄売渡し」と糾弾するが、全ては悪意の推量に過ぎない。

識者は「沖縄に犠牲を強いたという負い目が、訪問に強い意欲を持った背景にある」と分析。当時の昭和天皇の沖縄に対する思いを伝える貴重な記録として注目されそうだ。

ここでいう「沖縄に犠牲を強いたという負い目」も反日サヨクにかかると「命乞いのため沖縄を売り渡した負い目」と悪意ある推量に置き換えられてしまう。

昭和天皇が沖縄に負い目を感じるとしたら、終戦の決断が遅れて沖縄で悲惨な地上戦が行われ戦後も米軍の占領下に委ねざるを得なかったことであり、「命乞いのため沖縄を売り渡した」からではない。

「戦勝国に占領された領土が一滴の血も流さず返還された例は、歴史上沖縄を措いてない」と言われるが、これには昭和天皇の深い叡智(潜在主権の主張)のなせる業だが、これに関しては後述する。

反日左翼に占領された感のある沖縄論壇では、日頃は保守を自認する人でも「天皇メッセージで沖縄は売られた」を妄信する人が多く、天皇の責任は追及すべきと言う保守系論客さえ散見される。

敗戦国の君主は、ほとんどすべて、命乞いをするか、海外に逃亡する。

昭和天皇は、敗戦を受け入れながらも命乞いをしなかった唯一の君主といえるが、これについても後述する。


先日も、ネットはやらないという知人の某氏から「天皇メッセージ」の英訳文が発見されたという話を聞いたが、当時GHQの政治顧問だったシーボルトが天皇御用係寺崎英成氏が忖度した「伝聞」を自分なりに解釈しワシントンに送った英文の手紙(署名は勿論シーボルト)のことであった。

少なくとも天皇自筆の「天皇メッセージ」なるものは歴史上発見されていない。

それに「昭和天皇が命乞いした」などは反日サヨクが天皇糾弾のために用いる常套句である。

「マッカーサー自伝」によれば、昭和天皇が初めてマッカーサーを訪問した時の様子を次のように記している。

天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした
 私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのであ。≫(「マッカーサー自伝」天皇との会見 下巻pp141-143)

 

「天皇メッセージ」と称するシーボルトの手紙を公表した沖縄公文書館

【GHQ顧問シーボルトの手紙の画像】
PDF画像(2頁)(226KB)

 

「天皇メッセージ」については過去にエントリーしているの昭和天皇が沖縄を売った?馬鹿な!」から一部抜粋し引用する。

           ☆

昨日のエントリーに続いて本日も「疎開」について書く予定であったが、「潜在主権」に絡む「天皇メッセージ」に読者の反響が多かったので、その中からコメントを二つ引用するする。

■宮古島よりさんのコメント

「昭和天皇が沖縄を米国に売り渡した」として反米左翼複合体がデマの宣伝活動に利用している、悪名高き「沖縄メッセージ」とはいかなるものか。

「沖縄メッセージ」とは、昭和22年(1947年)宮内府御用係の寺崎英成がGHQ外交局長ウィリアム・シーボルトへ沖縄に関する天皇の意見として伝えたもの。

以下、ウィリアム・シーボルトの記録。

「天皇は米国が沖縄をはじめ、その他の琉球諸国に対する軍事占領を継続するよう希望している。天皇の意見では、そのような占領はアメリカの利益になり、また、日本を防衛することにもなる、ということである。

 また、天皇は、沖縄(その他必要とされる諸国)に対する米軍の軍事占領は、主権を日本に残したまま、長期(※中略)25年ないし50年またはそれ以上の租借方式という擬制に基づいて行われるべきであると考えている。天皇によれば、このような占領方式は、米国が琉球諸島に対していかなる恒久的野心ももっていないと日本国民に確信させ、ひいてはこれより、他の諸国、とりわけソ連や中国による同様の権利要求を封ずるであろう。」

つまり、沖縄を日本に主権を残したまま(潜在主権)、租借方式という擬制は(あくまでレンタル)、米国占領統治によりソ連や中国の共産主義を跳ね除け(日本の国防の米国に担ってもらう)、いずれ長期租借が解かれたとき、琉球諸島は日本復帰するという昭和天皇の沖縄に対する確固とした意思が分かる。

「昭和天皇が沖縄を米国に売り渡した」というのは大いなる間違い。

「思わざる 病となりぬ 沖縄を 訪ねて果さぬ つとめありしを」

昭和63年8月には、天皇皇后両陛下の沖縄への来島は決定していた。病気になられても、なお、陛下は沖縄への思いはあった。

          ☆

■涼太さんのコメント

本日のエントリーで長年の疑問が解決しました。
例えば、「戦傷病者遺族等援護法」も「教科書無償法」も日本本土と、同時期に導入されています。米国の委任統治だからこそ、チャント日本国の行政サービスがあったのですね。
特に、援護法などは民間人にまで50年間に渡り、それこそサラリーマンの生涯賃金に匹敵する額が支給されています。
それでグダグダ言っていたら罰が当たります。
よく言われる基地負担も、今度の大震災で明らかにされた電力負担、それ以外にも京浜工業地帯も公害に苦しんでいます。これなどは産業負担なのでしょう。国には様々負担があります。
それを日本国で分かち合っているのだと思います

 

常々思うことだが当日記の読者はレベルが高いのが自慢であり、筆者の説明では足らない部分を埋め合わせてくるので助かるのだが、宮古島よりさんが筆者が敢て触れなかった「天皇メッセージ」の文言を挙げてその概略を説明して下さっている。

一方の涼太さんが、主権は日本のまま米軍統治下になった沖縄で「援護法」や「無償措置法」が適用されたことに着目されたことはさすがです。

日本政府が「援護法」や「無償措置法」を適用したのは、戸籍を残したまま里子にやった子ども(沖縄)が、いつかは祖国に帰ってくるという昭和天皇の親心(「天皇メッセージ」)を政府当局が勘案したからに他ならない。

さらに沖縄の教育に関して、政府は沖縄の学生だけに限る選抜試験を行い、全国の国立大学に国負担で受け入れている(国費留学制) ちなみに仲井真県知事はこの国費留学制度の恩恵で東京大学を卒業している。

いわゆる「天皇メッセージ」とは、、宮中御用掛の寺崎英成が昭和天皇との会話の中から聞き取った天皇の気持ちを、昭和22年9月19日(金)に総司令部政治顧問シーボルトに伝え、それをシーボルトが英訳してワシントンに送ったとされることである。

これも沖縄に関する大きな誤解の一つだが、保守系の論客の中にも「天皇メッセージ」とは天皇自ら「沖縄をアメリカに売り渡す」と書いた文書が米公文書館から発見された、と誤解する人が多い。

筆者の知人にも終戦時、既に米軍占領下にあった沖縄が米国統治になったのはやむ得ないとしても、「天皇自らが(命乞いのように)沖縄を売り渡す手紙を書いた」のは許せないと息巻く人もいるくらいだが、実際は「天皇の密書」が存在するわけではない。

寺崎が昭和天皇の会話の中から沖縄についての「思い」を斟酌してシーボルトに伝え、それがシーボルトの手紙という形でワシントンに伝えられたのだ。

「天皇メッセージ」はシーボルトの手紙では"Emperor of Japan's Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands"と訳されている。

だが近代史研究家の秦郁彦氏も驚嘆するように、敗戦直後の社会党政権(片山内閣)下で、当時の社会情勢では政府の誰もが思いも及ばなかった「主権は残した(潜在主権の)まま」いつかは祖国に帰る日のために統治を委任するという方法を思いついた昭和天皇の判断力の確かさは「天皇メッセージ」というより、いまでは死語になりつつある「昭和天皇の大御心(おおみごごろ)」と訳した方が的を射ているのではないか。 (当時世界一の経済力を誇る米国の統治下にあった沖縄では、食糧不足で喘ぐ祖国日本では食すること出来ない米国産の豊富な少量供給の恩恵に浴した。 その名残の一つがプラムポークランチョンミートであり、戦前の沖縄にはなかった牛肉文化の繁栄である)

秦郁彦氏はいわゆる「天皇メッセージ」についてその著書「昭和天皇五つの決断」(文藝春秋)で、次のように述べている。

「23年早々という早い時点で、アメリカのアジア戦略の動向を正確に探知して、適切な情勢判断を示した天皇の洞察力には脱帽のほかない・・・」

          ☆

「天皇メッセージ」(昭和天皇の大御心」について稿を改めて詳述すると書いたが、とりあえず凪論さんの孫引きで、小林よしのり氏の「昭和天皇論」を、全文引用させて頂いた。

小林よしのり著「ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論」を読む 2 ~サンフランシスコ講和条約と先帝陛下のかかわりの虚と実~

「昭和天皇論」は、先帝陛下が政治家として動かざるを得なかった時代に脚光をあてている。その中で非常に興味深いのがサンフランシスコ講和条約直前における先帝陛下と政治のかかわりである。昭和24年9月にソ連が原爆保有を表明し、同年10月に中華人民共和国が成立した。それはまさに「アジアの冷戦は朝鮮半島、台湾海峡、ベトナムでいつ熱戦に転じてもおかしい状況下」であり、日本国内で強硬に主張されていた「全面講和」は絵空事に過ぎなかった。

 当時占領軍のトップであったマッカーサーは

「日本としては永久中立が保たれればそれが理想であります。また米ソ双方にとっても利益である筈であります。」(昭和25年4月18日第10回会見)

「(日本は)将来いかなる戦争があろうとも中立を保たなければならない。ソ連も軍事上の利点から日米の中立を尊重するものと信じている。」(「リーダーズ・ダイジェスト」)

と現実離れした「非武装中立」を主張し、アメリカ政府はアジアの共産主義との対立のために日本の再軍備と米軍の基地保有が必要との見解に立っており、両者の間の溝は非常に大きいものであった。その中で吉田茂総理大臣はマッカーサーに対しては米軍駐留の主張を引っ込め、ダレス国務省顧問に対しては日本側からの米軍駐留申出を行う用意があることを示唆するなど日本の立場は混乱していた。そのような状況下でダレス国務省顧問が来日し、案の定日本側の姿勢に激怒した。その中で側近の松平康昌を通してダレス国務省顧問にメッセージを送ったのが先帝陛下であった。「吉田茂はマッカーサーに媚びていて信任できず、米軍駐留に関する交渉は吉田とマッカーサー以外の人物によって行うべきだ」という趣旨のメッセージを送り、マッカーサーの頭越しに日米の講和交渉が行われるきっかけとなった。

 先帝陛下のメッセージで大きな影響を受けたのが沖縄である。連合国側には米軍による沖縄の信託統治や日本の沖縄に対する主権放棄を主張する声が非常に強く残っており、沖縄が日本から切り離される危険性は非常に高いものであった。ダレス国務省顧問は、

「日本に主権を残しつつ米国の戦略的要請を確保していると解釈解釈できる条約を作るもので、以前の国際法には見られない表現」

である「潜在的主権」という表現を用いて意見を調整し、沖縄の本土復帰において法的根拠となったのはまさにこの「潜在主権」であった。小林氏は

「もし昭和天皇が米国政府に『沖縄メッセージ』を送らなかったら?

そしてやる気を失いかけていたダレスに絶妙のタイミングでメッセージを送って感激させていなかったら?

歴史は違う方向に動いていたかもしれない。

当時の日本には、ここまで現実的に日本を護るための手段を打てる政治家は他に誰もいなかったのである!」

と結ぶ。

 そのような講和交渉の現実を見ると、漫画原作者の雁屋哲氏が「美味しんぼ日記」で

 



「沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

それは、昭和天皇である。

昭和天皇が『沖縄にずっとアメリカ軍に存在して貰いたい』といったのが始まりではないのか。

昭和天皇の沖縄についての発言は、いちいち、私はここで挙げないが,様々な文書で明らかにされている。

もし、私の言葉に疑いを抱く人がいたら、ちょうど良い機会だ、昭和天皇の言行録を、当たって欲しい。ちょっとした図書館に行って、昭和天皇についての書籍を調べれば、すぐに分かることだ。(その意図があるから、私はわざと、文書をここに引用しないのだ。読者諸姉諸兄が自分の目で、昭和天皇が何を言ったのか読んで欲しい。それで、驚かなかったら、おかしい)

昭和天皇が、沖縄をアメリカに渡すと言った言葉に従って、その後の政府は忠実にアメリカに沖縄を自由に使うことを許してきた。

歴代の自民党政府が六十年以上にわたって、アメリカに沖縄を自由に使うことを許してきたのだ。」

と述べているのは、雁屋氏の無知と傲慢をさらけ出すだけのものであると言える。

「また、天皇は、沖縄(その他必要とされる諸島)に対する米軍の軍事的占領は、主権を日本に残したまま、長期-25年ないし50年またはそれ以上の-租借方式という擬制(fiction)に基づいて行われるべきであると考えている。天皇によれば、このような占領方式は米国が琉球諸島に対していかなる恒久的野心ももっていないと日本国民に確信させ、ひいてはこれにより、他の諸国、とりわけソ連や中国による同様の権利の要求を封ずるであろう。」

と述べる先帝陛下のメッセージは間違いなく沖縄の本土復帰の法的根拠となった「潜在的主権」に沿ったものであり、連合国による沖縄の主権放棄への要求を封ずるものであったと言える。おそらく雁屋氏は無知をこじらせたか、史実を明らかにされると自らのイデオロギーにとって都合が悪いのであろう。


引用終了   ☆

「疎開」のひと言を取り上げても、極悪複合体(反日左翼)のように悪意に満ちた色眼鏡で見れば、「残虐非道の日本軍」の象徴になる。

昭和天皇が、アメリカが沖縄を永久支配しないことの保障のために、主権は残したまま(潜在主権)、施政権のみ一時預かると、当時(昭和23年)の状況でいえば最適の判断をしたことも、悪意に満ちた極悪複合体に言わせれば「天皇が沖縄をアメリカに売り渡した」となるのである。

           ☆

【追記】

中国新聞が共同配信の後半部分も掲載しているので保存資料として引用する。(太字部分が後半)

中国新聞 '12/11/14

昭和天皇「訪米前に沖縄行けぬか」 側近に意向示す
 
 昭和天皇が1975年の初訪米を前に「米国より先に沖縄県に行くことはできないか」との意向を側近に示していたことが13日、分かった。沖縄県公文書館が今年9月に公開した当時の屋良朝苗やら・ちょうびょう知事(故人)の日記に、宇佐美毅うさみ・たけし宮内庁長官(当時)の話として記されていた。
 
 昭和天皇は47年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に米軍の沖縄占領継続を求めた「天皇メッセージ」を伝え、その後の米軍の沖縄駐留に影響を与えたとされる。識者は「沖縄に犠牲を強いたという負い目が、訪問に強い意欲を持った背景にある」と分析。当時の昭和天皇の沖縄に対する思いを伝える貴重な記録として注目されそうだ。
 
 日記によると、屋良知事は皇太子(現天皇陛下)の沖縄国際海洋博覧会(海洋博、75年7月開幕)名誉総裁就任の正式発表を受け、あいさつのため同年4月16日に宮内庁を訪問。その際、宇佐美長官が知事に「天皇陛下から『私はどうするのだ アメリカに行く前に(沖縄に)行けないか』との御下問があって困った」と打ち明けたという。
 
 当時は、同年9月末の出発に向けた初の天皇訪米の準備が本格化していた時期に当たる。
 
 さらに日記には、宇佐美長官の話から、昭和天皇が「(海洋博に)外国元首が見えて、天皇が参加して居られぬ事になると大変具合が悪いとの事も話されたようだ」という記述もあった。
 
 昭和天皇は終戦後、全国を回ったが、米占領下だった沖縄は訪問できなかった。
 
 沖縄県は72年5月に本土復帰を果たし、同年11月に復帰記念植樹祭、翌73年5月に特別国体「若夏国体」が県内で開かれた。植樹祭と国体には天皇が出席するのが恒例で、屋良知事は植樹祭出席を「宮内庁に正式要請したい」と記者会見で明言したが、知事を支える革新陣営から強硬な反対論が出て、植樹祭も国体も昭和天皇の訪問は実現しなかった。
 
 知事は復帰前の69年春と復帰直後の72年春の園遊会に招かれ、昭和天皇と直接の面識があったことから、日記には「(宇佐美長官から)陛下の御気持もうかがって胸がいたむ」とも書いている。
 
 昭和天皇は87年10月開催の国体(海邦国体)での沖縄訪問が決まったが、直前に体調を崩して開腹手術を受けたため、天皇として沖縄の地を踏むことなく89年1月に逝去。93年4月の植樹祭で、現在の天皇陛下が歴代天皇として初めて沖縄県を訪問した。

【おまけ】

拙ブログを要領よくまとめたブログ「大師小100期生集まれ!を参考資料として引用します。(一部編集有り)


【沖縄】昭和天皇が命乞いのために沖縄を売り飛ばしたという嘘【天皇メッセージと第二の玉音放送】

前回のエントリー『【沖縄】『屈辱の日』という言葉を知っていますか?-沖縄と本土を分断工作者の造語-』の続きです。

前回ご紹介したキャプチャは下の動画から撮ったもので、この番組で筆者が「沖縄近現代史の3つの誤解」として説明しています。

 

【沖縄の声】「屈辱の日」と天皇メッセージ~沖縄近代史の3つの誤解・終戦直後の時代背景・「屈辱の日」と講和発効[H30/5/5]

平成30年5月4日金曜日に放送された『沖縄の声』。本日は、特番といたしましてキャスターの江崎孝が”「屈辱の日」と天皇メッセージ~沖縄近代史の3つの誤解・終戦直後の時代背景・「屈辱の日」と講和発効”をテーマに、自身の見解を述べさせていただきます。
※ネット生放送配信:平成30年月5月4日、19:00~

出演:
   江崎 孝(沖縄支局担当キャスター)

 

 

 

0428_06

 

前回のエントリーを書く前はこの説明をそのまままとめて追記するだけ、と思っていたのですが、その後調べて見ると、「天皇メッセージ」(詳細後述)についてはその影響について異論が見つかったので、そちらもご紹介すべきだと思い、記事を分けました。

 

この番組で説明したのは上のパネルの①~③を論拠にするもので、

簡単に説明すると、「元々、沖縄が未返還の間も主権は日本にあったので①は間違い、沖縄の米軍統治は「租借」(氏の説明によると「リース」のようなもの)で主権は日本にあった。③の“沖縄が米軍統治になったのは「昭和天皇が天皇メッセージで命乞いのために沖縄を米国に売り渡したから」という誤解”は、そもそも「日本国憲法」(1946年11月3日公布、翌47年5月3日から実施)で既に天皇が「象徴」として位置づけられていたので、1947年9月の「天皇メッセージ」で昭和天皇が“命乞い”などする必要がない、という、時系列を考えれば嘘だと分かる、という説明でした。

 

③の説明だけでも、昭和天皇が沖縄を売り渡したという嘘が否定されるので十分なのですが、「天皇メッセージ」と関連して①と②の説明とは異なる論説があったのでご紹介します。

 

「天皇メッセージ」とは何か?

実物のコピーが沖縄県公文書館のサイトで公開されています(資料コード:0000017550)が、ここに書いてあるように、「1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモ」のことです。

 

Emperorsmessage01

Emperorsmessage02

 

メッセージの内容(ポイントとなる部分のみ赤字にして和訳)

 

20 September 1947

Memoradum For: General MacArthur

Mr. Hidenari Terasaki, an adviser to the Emperor, called by appointment for the purpose of conveying to me the Emperor’s ideas concerning the future of Okinawa.

Mr. Terasaki stated that the Emperor hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus. In the Emperor’s opinion, such occupation would benefit the United States and also provide protection for Japan. The Emperor feels that such a move would meet with widespread approval among the Japanese people who fear not only the menace of Russia, but after the Occupation has ended, the growth of rightist and leftist groups which might give rise to an “incident” which Russia could use as a basis for interfering internally in Japan.

米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望する。その占領は米国に利益をもたらすだけでなく、日本国民にも保護を与えることとなる。そのような処置は、ロシアの脅威のみならず占領終了後の右翼や左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠を与えるような「事件」を引き起こすことを恐れる国民の間でも賛同を得られるものであろう。

The Emperor further feels that United States military occupation of Okinawa (and such other islands as may be required) should be based upon the fiction of a long-term lease–25 to 50 years or more-with sovereignty retained in Japan. According to the Emperor, this method of occupation would convince the Japanese people that the United States has no permanent designs on the Ryukyu Islands, and other nations, particularly Soviet Russia and China, would thereby be estopped from demanding similar rights.

沖縄(および必要とされるその他の島々)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残して25年から50年、あるいはそれ以上の期間の擬制に基づくものである。

この占領方法は米国が沖縄に永遠の野心を持たないということを日本国民に納得させ、それにより、他国、特にソ連と中国が同様の権利を要求することを禁じさせることであろう。

As to procedure, Mr. Terasaki felt that the acquisition of “military base rights” (of Okinawa and other islands in the Ryukyus) should be by bilateral treaty between the United States and Japan rather than form part of the Allied peace treaty with Japan. The latter method, according to Mr. Terasaki, would savor too much of a dictated peace and might in the future endanger the sympathetic understanding of the Japanese people.

W. J. Sebald

 

「右翼や左翼勢力が増大して」云々とあるのは、背景として、昭和20年(1945年)12月には陸海空軍が解体されており、国民は飢餓に苦しみ、治安も乱れていました。同年10月には政治犯の釈放が行われ、出獄した沖縄出身の徳田球一(名護市には記念碑がある)が間もなく日本共産党書記長に就任。これと前後して都内で「沖縄人連盟」が結成されて「朝鮮人連盟との連帯」を呼号シテ警察署を襲うなどの暴力破壊活動を行っていました。(参考:惠隆之介著『沖縄よ、甘えるな!」)

このメッセージから、少なくとも昭和天皇は日本に主権を残したまま米国に租借されることを希望されていたというのが分かり、“命乞いのために沖縄を売り飛ばそうとした”のではないことが理解できます。

 

租借地とは香港の九竜半島の例でも分かるように租借国(イギリス)が統治するも租貸国(中国)に領土主権が存在します。

この説明をもって沖縄の主権は日本にあった、というのが江崎氏の説明で、上述の惠氏の本も、章のタイトルは「天皇メモで守られた日本の主権」となっています。

 

「天皇メッセージ」については後ほど続きを書くことにして、番組内で筆者が示したご自身のパスポート(正式には『日本旅行証明書』)のキャプチャをご紹介します。

 

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これをもってして主権の話はできないですが、珍しいので。

当時、沖縄の方が羽田に到着するとイミグレーションはごく簡単な形式的なものだったそうで、「日本国への帰国を証する」と書かれたスタンプを押されたと言うことが分かります。

「天皇メッセージ」の影響は?

ブログ主が天皇メッセージについて調べていて見つけたサイト『天皇の沖縄メッセージの誤った解釈を糺す』(2015年 10月 7日/矢吹晋:横浜市立大学名誉教授)に書いてあります。

ところどころ読点が分かりにくくてやや読みにくい文章なのですが、結論部分を引用します。(①、②とあるのは沖縄公文書館の天皇メッセージに付けられた説明で下のようなもの。)

 

メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、①日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、②長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。

 

 

矢吹教授は「沖縄切り捨て」論は排除していますが、「租借地」ではなく「信託統治」であると説明しています。

 

ケナンは、「沖縄米軍基地の永久使用」論を提起して、次のように述べた。

「米国政府はいまこそ、沖縄基地の恒久的確保を決意すべきであり、沖縄基地の発展を図るべきである。沖縄を恒久的に戦略管理することについての国際的承認の課題は、国務省が検討すべきである」。このケナンの「沖縄米軍基地の永久使用」という問題提起を受けて、国務省は1948年4月5日に沖縄で会議を聞き、沖縄の扱いを検討した。

(中略)

以上のように「天皇メッセージ」の歴史的背景を分析すると、山中季広エッセイおよびその典拠となった豊下楢彦の解釈は、沖縄公文書館の資料解説にいう、「①日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論」であり、典型的な「沖縄切り捨て論」であることが分かる。ここから逆に浮かび上がるのは、沖縄メッセージの核心が「主権」にあることだ。

いいかえれば、「長期租借」とは、ケナンの沖縄「永久基地化」構想、日本の沖縄主権を拒否して信託統治扱いとし、処分保留とする連合国の思惑に対抗する文脈で提起されたものにほかならない。すなわち、沖縄公文書館の資料解説にいう「②長期租借の形式をとることで主権を確保する意図だったという議論」のみが正解なのだ。もし「沖縄切り捨て論」ならば、連合国が天皇メッセージを拒否するはずはなく、SF講和会議で容易に受け入れられたに違いない。

実際には、SF第3条において、沖縄の地位は次のように規定された。「日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」ことを余儀なくされた。「このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」ことが規定された。

条文から明らかなように、ここでは「長期租借」提案は無視された。米国はサンフランシスコ講和において、租借を退けることによって、「沖縄に対する日本の主権を認める」ことを拒否したのだ。ダレスはこれによって、沖縄に対して「無期限に」、「行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利」を獲得した。これがサンフランシスコ講和の厳しい現実である。この帰結から、1947年9~51年9月の時点で沖縄の地位がいかに不安定なものであったかを理解すべきなのだ。

 

ジョージ・ケナンは『沖縄「永久基地化」構想=沖縄主権を拒否して信託統治扱い』、対して、昭和天皇の希望は『長期租借の形式をとることで日本が主権を確保する』。しかし、サンフランシスコ講和条約では『信託統治扱い』が採用された、という内容です。

 

なお、信託統治地域とは一般にはパラオのように、それ以前、他国の植民地(スペイン→ドイツ→第1次世界大戦後は日本が「委任統治」をしていた)であった地域が代表的で、自立能力の不十分な非自治地区に対して行われました。その統治が終わると独立していますが、沖縄の場合は元々日本固有の領土であり、1972年5月15日に日本に返還されました。

ブログ主は矢吹教授の説明に反論するだけの見識もなく、そのつもりもありませんが、結局は租借地と同様に日本に返還されたわけで、一般的な信託統治地域とも異なります。

江崎氏がよく喩えるように、“本土の子供(国民)すら十分に食べさせることができない親(日本)が、金持ちの家族(アメリカ)に一時期預かって貰った”のではないでしょうか。動画の中で、この時期の食糧事情を表す「第二の玉音放送」が紹介されています。

 

しんたく‐とうち【信託統治】
国際連合の監督の下に、その信託を受けた国(施政権者)が一定の領土(信託統治地域)に対して行う統治。国際連盟の委任統治に相当する制度。信託統治地域は1994年までにすべて独立。〔広辞苑 第六版 (C)2008  株式会社岩波書店〕

いにん‐とうち【委任統治】 ヰ‥
国際連盟の委任に基づいて、その監督下に、特定の国家によって行われた統治形式。国際連合の信託統治の前身。第一次大戦の敗戦国ドイツ・トルコの旧植民地に適用され、戦勝国が直接に統治し、または保護国とした。太平洋諸島中、赤道以北は日本が受任国であった。〔広辞苑〕

そしゃく‐ち【租借地】
ある国が他の国から租借した土地。かつての中国の九竜半島(イギリス)など。〔広辞苑〕
租借地は期限の到来により、また期限到来以前でも租借国の意思により租貸国に変換されうるもので、法的に領土割譲とは区別される。〔ブリタニカ国際大百科事典より追記〕

 

第2の玉音放送-「食糧問題に関するお言葉」 昭和21年(1946年)5月24日

日本国憲法が公布(1946年11月3日)される数ヶ月前にラジオで流れたものだそうです。(下はお言葉のキャプチャ)

 

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韓国人は日本人と戦ったのではない。 日本人の同胞だった

2019-08-24 08:27:56 | 従軍慰安婦

 

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日本とアメリカが戦った事実を知らない若者がいるという事実には驚く。

 沖縄2紙を通じて沖縄戦を学んだ人の中には、沖縄戦は日本軍が沖縄を植民地化するため、県民を虐殺した戦争という印象を受けるもの多いという。

 

近現代史の教育を疎かにした付は韓国問題でも顔を覗かせる。

 自民党の石破茂元幹事長は23日付の自身のブログで、韓国政府が日韓の軍事情報包括保護協定GSOMIA)の破棄を決めたことについて、「日韓関係は問題解決の見込みの立たない状態に陥った。わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、さまざまな形で表面化している」と分析した。

 石破氏は、明治維新後の日韓関係を再考する必要性を強調し、「(ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いた)ニュルンベルク裁判とは別に戦争責任を自らの手で明らかにしたドイツとの違いは認識しなくてはならない」とも指摘した

                          ☆

 

 

上記記事を読むと、太平洋戦争で日本は韓国と戦った誤解する人がいてもおかしくない。

常軌を逸した韓国の最近の反日運動や韓国大統領が「抗日戦争」などと公言する事実を見ると、我が国が韓国と戦ったと誤解する人がいても不思議ではない。

「抗日戦争勝利」に気まずい韓国、

事実はどうか。

朝鮮人兵士は日本人と戦ったのではなく、日本人として戦ったのだ。

 

2019年08月23日 14:30

韓国がGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄を決めたことで、朝鮮半島をめぐる対立は新たな局面を迎えた。これを海外メディアも報じているが、BBCの記事には大きな事実誤認がある。

第2次世界大戦では、アジア各地の数万人とも20万人ともいわれる女性が、日本軍向けの売春婦として連行された。「慰安婦」と呼ばれるこの女性たちの多くは朝鮮人だった。また日韓併合の後、多くの朝鮮人男性が日本軍に強制的に徴兵された

慰安婦をめぐる誤りはありふれたものだが、「多くの朝鮮人が徴兵された」とは何を根拠にしているのか。朝鮮半島に徴兵制はなく、1944年4月に徴兵令が施行されたが、訓練中に終戦になったので一人も出征しなかった。

第二次大戦で日本兵として戦った24万2000人の朝鮮人兵士は、すべて志願兵だったのだ。その募集には、最大50倍の志願者が殺到した。当時の新聞は、その熱気を「兵役志願 三千名を突破す」などと伝えている。

朝鮮人志願兵制度実施が発表されるや半島同胞の間に一大センセイションを巻き起こし、十六日夜から十七日にかけて熱誠溢れる志願者がどつと繰出し京城憲兵隊、京城憲兵分隊、龍山憲兵分隊の受付は問合せの電話や志願者との応対でほかの仕事は全然手がつけられぬ有様だ。(『大阪朝日新聞』南鮮版1938年1月18日)

朝鮮人兵士のうち2万2000人が戦死し、その霊は靖国神社に祀られている。彼らの中には、陸軍士官学校や陸軍大学を卒業して、将校になった朝鮮人もいる。その代表が、陸士を出て満州国軍に勤務し、中尉まで昇進した朴正煕(朴槿恵元大統領の父)である。

 

大島渚のドキュメンタリー「忘れられた皇軍」は朝鮮人兵士の戦後を描いたものだが、こういう歴史は韓国では秘密である。それは韓国が「抗日戦争」に勝利して独立した戦勝国だという公式の歴史観と矛盾するからだ。

BBCは「日本はたびたび朝鮮半島に侵攻している」と書いているが、豊臣秀吉はともかく、日韓併合は侵攻の結果ではない。その朝鮮支配の実態も、大英帝国のインド支配のように苛酷なものではなかった。

それを何より示しているのが、これほど多くの朝鮮人が志願兵になったことだ。朝鮮人兵士は日本人と戦ったのではなく、日本人として戦ったのだ。韓国の「反日」は決して古いものではなく、戦後の軍事政権がその支配を「抗日戦争」で正当化するために植えつけた歴史観である。

日本の植民地支配はイギリスのような搾取ではなく、現地にインフラを建設する「同化政策」だったので、結果的には大幅な赤字だった。それは戦略的に賢明ではなかったが、日本と朝鮮が戦ったわけではない。日本人と韓国人は戦争の加害者と被害者ではなく、同胞だったのだ。

日本と韓国が対立することは当面避けられないだろうが、反日は歴史の必然ではなく、それほど根深い感情でもない。英米メディアの事実誤認は影響が大きいので、訂正しておく。


 

「朝鮮人 志願兵」の画像検索結果

 

YouTube【必見動画】

【追記】

今年、小学校の社会の教科書から『漢江の奇跡』という文言が消えました。1960年代から1980年代の、韓国の経済成長を表わすフレーズですが、この時代を否定すれば、韓国の経済発展への歩みが理解できなくなりかねないのですが……」

 こう危惧するのは、神戸大学の木村幹教授だ。「漢江の奇跡」は長年、韓国人の誇りだった。朴正煕政権で成立した「日韓請求権協定」によって日本から得た5億ドルの経済支援で、韓国経済は奇跡的な高度成長を成し遂げ、今日の繁栄の礎になった。

 だが、文在寅大統領(66)や周囲の人間は、この時代を評価したくない。日本の支援もあって経済成長した朴正煕政権を、最新の歴史教科書では「維新独裁」と否定的に決めつけ、日本統治時代をモデルにしたともいわれる農村振興運動「セマウル運動」も、記述が削除された。

 また、文政権の教科書改訂は、初代大統領の李承晩にも及ぶ。1948年8月15日の「大韓民国樹立」を「大韓民国政府樹立」に変更したのは、この日に政府ができただけ、と初代大統領・李承晩の業績を矮小化するためだという。

 さらに、「朝鮮半島における唯一の合法政府」という記述も削除。これは文大統領が、1919年に上海に設立された「大韓民国臨時政府」を評価するからだ。

 一方、日本については、「小学校の教科書には適切でない」として記されてこなかった「日本軍の慰安婦」という名称が記され、“反日色” が濃くなった。

 その反面、北朝鮮には融和的だ。朝鮮戦争は、「北朝鮮の南侵から始まった」とする記述は、2018年から削除された。

 極めつきは、2019年6月、「顕忠日(戦没者追悼のための国家記念日)」での文大統領の演説だ。1919年に設立された、臨時政府の「光復軍」で副司令官を務めた金元鳳を「韓国軍のルーツ」と称えたのである。

「金元鳳は戦後、北朝鮮に渡って政府要人になった、韓国にとっては “裏切り者” とも言える存在。彼が韓国軍のルーツという発言は、中国の国家主席が、『人民解放軍を作ったのは蒋介石』と発言するのと同じぐらいあり得ないことです」(前出・木村氏)

 これも朴正煕ら、旧日本軍や旧満州国軍出身者が多かった韓国軍の本来の創設者たちを、「親日残滓」として否定したいからだ。

「国内の保守派こそ、文政権がもっとも意識する敵。彼らの否定こそ、文政権が重視する歴史観です。韓国を発展させた保守派を無理に否定し、文政権の歴史観を上書きしようとするので、どこまでいってもフィクションめいてしまうのです」(同前)

 以下では、文政権誕生以来の、韓国の教科書記述の変化をまとめた。日韓の溝はさらに深まるばかりである。

【文在寅政権成立後の教科書の記述の変化】※小学6年、中学校の教科書をもとに本誌が作成
●建国の父・李承晩初代大統領を否定
・「大韓民国樹立」→「大韓民国政府樹立」
・「(1948年に韓国が国連で)朝鮮半島における唯一の合法政府として承認」→削除

●高度経済成長を成し遂げた朴正煕政権を否定
・「維新体制」→「維新独裁」
・「農村を発達させるセマウル運動を展開した」→削除
・「漢江の奇跡」→削除
 小学6年前期・2009年改訂版の社会科の教科書では「漢江の奇跡」について、「韓国の輝かしい経済発展をドイツのライン川の奇跡にたとえて作られた言葉」と解説。
 加えて、「この期間に経済が急速に成長した韓国は、世界の多くの国から漢江の奇跡を成し遂げた国といわれた」と誇っていたが、2019年、教科書からこの部分は削除された

●従軍慰安婦問題でより厳しく!
・「若い女性たちが、日本軍から多くの苦痛を受けた」
→「韓国の女性だけでなく、日本軍が占領した地域の女性たちまでもが、強制的に日本軍の慰安婦として連れていかれ、酷い苦痛を受けた」

●北朝鮮への配慮
・「(朝鮮戦争で)北朝鮮が南侵」→削除(2020年から復活)
・「依然として朝鮮半島の安全と平和を脅かしている」→削除


(週刊FLASH 2019年9月3日号)



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改定版・沖縄タイムスを恫喝した男、富村順一・沖タイの執筆者

2019-08-24 01:27:23 | ★改定版集団自決

 



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■恐喝された沖縄タイムス■

沖縄在住の芥川賞作家目取真俊氏が自身のブログで、「大江・岩波集団自決訴訟」の判決文を誇らしげに引用し、『うらそえ文藝』に掲載の上原氏の発言を批判して「裏事情を知っているだけで、判決文も読まないものが口出しをするな」といったニュアンスの文を書いている。

『鉄の暴風』を訴えなかった理由

ところが判決文では触れていない「裏事情」を、これ以上発言されると一番困るのは沖縄タイムスであり、その意味では同じ立場の目取真氏も困るはずだ。 

そこで目取真氏は沖縄タイムスの意を受けて星、上原両氏に、判決文全文を読んでいないことを盾に、これ以上の発言を封じようと画策していることは容易に想像できる。

目取真氏は、沖縄タイムスが富村順一氏に恐喝され50万円支払ったことを、大した問題ではないといった書き方をしている。

だが、これこそが大問題なのだ。

富村氏の恐喝は、沖縄タイムスが『鉄の暴風』の記事のデタラメな記事を指摘したに過ぎず、沖縄タイムスにとって二つの意味で大きな汚点になる。

いや、新聞社としては致命的ともいえる大きな打撃でもある。

先ず恐喝した富山氏は、過去に沖縄タイムスから著書を出版したり寄稿をしていたタイムスにとっては重宝な「識者」言われる左翼作家であること。

そして恐喝の理由が、問題の書『鉄の暴風』の記事削除であり、沖縄タイムスは実際削除に応じたこと。

恐喝を受けた当事者の新川明氏(元沖縄タイムス社長)が、「うらそえ文藝」の当該記事を見て立腹し、何らかの対抗手段を打つと息巻いていたが、結局この事件(50万円恐喝)には沖縄タイムスOBを含む複数の証言があるというので、問題化することを諦めたと聞く。

そして脅し取った50万円(当時の50万円は現在の数百万円に相当)は、当然タイムス社からの出費だが、その出金名目は「原稿料」とした、という生々しい証言もある。

さらに恐喝した当人の富山氏が78歳の高齢ながら当時は(現在は故人)大阪でお元気であることも沖縄タイムスが対抗手段を打つことなく沈黙を守る理由だという。

目取真氏はタイムスが恐喝されたことの真偽を同社に問い合わせ、それが事実だと知って愕然としたのではないか。

そこであのような目くらまし記事を書いて「沖縄タイムスが恐喝に屈した」という「うらそえ文藝」の告発を、「矮小化」(左翼の得意の表現)し、星、上原両氏のこれ以上の発言を封じ込めようとしているのではないか。

まさに、沖縄版・言論封殺魔の登場である。

■証言の信憑性■

「集団自決訴訟」の特徴は、70数年前の体験者の証言と、数十年前に彼らに聞き取り調査した人物の記録、という極めて曖昧な要素のある証拠物を根拠に争われているという点である。

しかも数十年前に聞き取り調査に応じた体験者も大半は鬼籍に入ってしまった現在、彼らが残した記録に「思い違い」や「勘違い」などがあったとしてもそれを本人に確認する術はない。

いや、その聞き取りをした人さえ「聞き違い」などが考えられるが、聞き取りした人にも既に物故した方がいて、この問題の検証の難しさを倍化させている。

証言者がその時、その場所にいたからといって、その証言を無条件で信じることは出来ない。

■証言者のバックグラウンド■

アリバイ証言を求める場合、家族や、親族の証言がその信憑性を疑われるように、証言者のバックグラウンドが証言に及ぼす影響を無視することはできない。

ここで「集団自決訴訟」に登場する証人をそのバックグラウンドによって、大きく二つに分けてみる。

①本人または近い親族が「援護金」を受給している証人

②「援護金」とは無関係な証人

この二種類の証人は夫々同じような証言をするという特徴を持つ。

①の証人は金城重明氏や、宮里春子氏、宮村幸延氏のように「軍の命令があった」と証言しているのに対して、

②の証人は宮平秀幸氏のように「軍命令はなかった」と証言している。

通常の刑事裁判ならこの時点で「援護金受給」という経済的バックグラウンドを考慮すれば、①の証言は信憑性に欠けるとして却下されてしかるべきである。

だが、奇怪なことに「集団自決訴訟」では①の証言はほとんどそのまま採用されている。

その一方で、②の「援護金受給」に無関係な人びとの証言はことごとく虚言として却下されている。

■証言者のプラス派とマイナス派■

裁判には集団自決当時、現場にいなかった戦後生まれの学者や関係者も多く登場するが、彼らはその「証言」が経済的、社会的に見て本人にプラスかマイナスかによって二つに分類できる。

①プラス派⇒宮城晴美氏、林博史、安仁屋政昭、大城将保、石原昌家など

②マイナス派⇒照屋昇雄、星雅彦、上原正稔、安里巡査、知念少尉

外にも①の【プラス派】には高校教師から琉球大学教授に駆け上がった、高嶋伸也氏や元県知事で沖縄戦戦記本を多数出版した太田昌秀氏などの大物もいるが、

中でも宮城晴美氏は、那覇市役所の臨時職員だったのが『母の遺したもの』を出版した後、わずか三カ月足らずで那覇市歴史博物館の主査のポストを得た。

その後は女性史研究家の肩書きで新聞その他の団体から講演会等で引く手あまたの地元知名士になり、母校の沖国大では講師を努めていると聞く。 

更には琉球大学に博士論文提出中というから高嶋教授の後釜でも狙おうかというほど社会的にも経済的にもプラス派の代表者であろう。 

おっと、教科書執筆者の高校教師・坂本昇氏なども①の【プラス派】の代表だろう。この方も沖縄では有名人になって沖縄の大学のポストを狙っているとか。

 

一方、②の【マイナス派】の証言者が少ないのは地元のマスコミが証言しても取り上げないせいもあるが、

経済的、社会的にマイナスになるなら、でしゃばって証言するより沈黙を選ぶのは人間の常なので、人数が少ないのも仕方がない。

例えば、戦後早い時期に現地で聞き取り調査をした、照屋昇雄さんなどは、「軍命があった」と証言しておれば地元ではチヤホヤされ、各地で集団自決の重要証人として執筆や講演会などを請われ、社会的にもプラス面が多かったはずだが、「軍命はなかった」と証言したばかりに嫌がらせなどを受けた。 

いや現在も受けているときく。

照屋さんの場合も当然マイナス面ばかりである。

最近『うらそえ文藝』で沖縄タイムスに捏造記事の訂正と謝罪を要求した、星雅彦氏と上原正稔氏が、その後沖縄の文壇から締め出され兵糧攻めに遭っていると聞くが、これも証言したための典型的なマイナス面であろう。

■富村順一・・・・・最大のマイナス派証言者■

もう一人、最大のマイナスを被った証言者がいる。

自ら座間味島を訪問し、聞き取り調査をした結果、これまでの極左的言動から一変し、沖縄タイムスの『鉄の暴風』のデタラメな記事を批判する側に「転向」した富村順一氏こそ、「転向」で最も激しいマイナスを被った人物だろう。

富村氏については改めて詳しくエントリーしたい興味ある人物だが、ここでは概略を述べる。

 

天皇糾弾を叫んで東京タワージャック事件を起こした男

富村氏は、沖縄返還の前年、天皇糾弾を叫んで東京タワージャック事件を起こし逮捕された。 

服役中、彼を支援する左翼弁護団と交した獄中記がベストセラーになり、出所後は「作家」として生計を立てるようになる。 

「富村順一 沖縄タイムス 東京タワー」の画像検索結果

 

「富村順一 沖縄タイムス 東京タワー」の画像検索結果600×484
 

勿論出版物の内容は左翼弁護団が「天皇糾弾・反日・沖縄人」というキーワードでおだて上げたせいか、

『棄民・戦争・天皇』とか『皇軍とアイヌ兵』といったいかにも左翼が喜ぶタイトルで10冊ほど出版するほどの売れっ子作家になる。 

沖縄では沖縄タイムスを始め、出版社と新聞社からの原稿依頼が殺到し、沖縄の知識人・文化人から大歓迎をされ、さらに、各大学、各地で講演することもあった。 

そして沖縄タイムス刊『沖縄にとって天皇制とは何か』(1976。 タイムス選書)の執筆者の一人にもなる。

ところが座間味島で聞き取り調査をしているうちに、『鉄の暴風』の余りのデタラメさが徐々に発覚し、流石の極左が売りものの富村氏も、沖縄左翼の捏造体質にあきれ返ってしまう。 

特に「朝鮮慰安婦と不明死した」と侮辱的に書かれている梅澤元隊長は存命という情報を島の古老から得て、富村氏は梅澤元隊長探索の旅を開始する。

元隊員や多くの人脈を辿って大阪で警備会社の重役をしていた梅沢氏と大阪の梅田で会うことになる。 その頃は未だ『鉄の暴風』には梅沢氏の「死亡記事」が平気で記載されていた。

富村氏の慶良間島取材後に「梅澤生存」を記した『隠された沖縄戦記』をするのだが、その出版年(1979年)から判断して1978年ごろのことである。 

その後30年経って梅澤氏は「集団自決訴訟」の原告の一人になるわけだが、その時は『鉄の暴風』の存在さえ知らなかったようだ。

梅澤氏は、作家というより刑務所を出たり入ったりのヤクザ者といった方が似合う富村氏に梅田の居酒屋に呼び出され、二人は酒を酌み交わしながら座間味島のことを語り合った。

そのとき梅沢氏はこう語った。

「確かに悲惨な島であった。私は自決命令を出していない。 だが、私が自決命令出したとして公表されれば、助かる島の人は一杯いるでしょう。(援護法に該当) またお金も降りるでしょう。それでいいんじゃないでしょうか。もう終わったことです。」

「私は自分が悪者になってもいいよ。座間味は大きな犠牲を出したんだから、自決した人もいる。 私は生きのびて、こうやって生きのびているだけでありがたい。それから考えると、あまり重視する問題じゃない」(富村順一著『沖縄戦語り歩き』拓植書房1995年』)

富村氏は梅澤氏の言葉に大きなショックを受ける。

沖縄の論壇から総スカンを食う覚悟で『隠された沖縄戦』を出版し、沖縄タイムスの歪曲報道を暴露する。

通常のパターンだったら沖縄人が沖縄戦記を出版した場合、沖縄マスコミは揃って宣伝記事を書くものだ。

だが、『隠された沖縄戦』の場合、沖縄マスコミ、知識人、文化人は皆これを黙殺し、沖縄の書店でもこれを販売するものはほとんど無かった。

従って富村順一氏のことを知る沖縄県人は、左翼文化人と古い記者以外ではほとんどいない。

ましてや富村氏が沖縄タイムスに乗り込んで「捏造記事」をネタに恐喝した話など知る人は少ない。(タイムスを恐喝した話は『うらそえ文藝』に詳しい)

何よりも不可解なのは、『鉄の暴風』で「死亡記事」を書かれた「悪鬼のような梅澤元隊長」が生存していることが判明したのだから、新聞にとっては重大ニュースであり一面トップで扱ってもおかしくなかったはずだ。

だが、実際は『鉄の暴風』から該当記事をソッと削除しただけで、タイムスも新報もこの重大ニュースを報道することはなかった。

それ以降、富村氏はあれほどチヤホヤされていた沖縄マスコミからも干されてしまい、多くの出版物も今ではほとんど絶版になっている。

おまけに左翼集団に襲われ重傷を負って車椅子生活を余儀なくされるのだから、富村順一氏ほど「転向」によって損害を被った人物もいないだろう。

富村順一氏は、沖縄マスコミの徹底した黙殺により、沖縄では忘れ去られた沖縄戦記作家であり、元極左活動家であり、そして「転向者」でもある。

従って現在「集団自決」に興味を持つ人でも、その名を知る者は少ない。

『鉄の暴風』から「梅澤死亡」の記事が削除されるのは、出版後30年経過した1980年になってからだが、沖縄タイムスはその年にはどうしても「削除版」を発行せねばならぬ理由があった。

それは、富村氏が削除の件でタイムスを恐喝しただけでなく、前年の1979年発行の自著『隠された沖縄戦』で、梅澤氏が生存している事実を書いて『鉄の暴風』の捏造体質を暴露していたからである。

富村氏が「梅澤生存情報」を使ってどのように50万円を脅し取ったのか。 

おそらくは沖縄タイムスが、「そのうちソッと削除するから、騒ぎ立てないでくれ」と口止めの意味で50万円を支払ったのであろう。

だが、富山氏は50万円を脅し取った上、口止めどころか自著でも暴露して大儲けした。

富村氏も良くやるね。

 

 

 
 
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秦 郁彦
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