日本に「一時」帰ってます。

2年間。長いようで短いニューヨーク赴任を終えて日本に「一時」帰って来た・・と思っている私の、まだまだ続く旅の顛末。

にんげん図鑑① 段ボールの蓋を閉めない女

2021-05-07 22:17:36 | 人間観察
最近、興味深い人間を目撃する機会が増えたので、
試みに「にんげん図鑑」シリーズを展開してみようと思う
記念すべき第1弾は「段ボールの蓋を閉めない女」
横澤夏子的なシリーズに育ったらいいな。…知らんけど

最近、職場近くの小さな事務所を閉めるという仕事をした。
雑居ビルの2室を使った小さな事務所。
異動して早々の引っ越し業務にため息が出かかったけれども、
物量も事務量も知れていて、
正直、自分の家の引っ越しよりなんぼか楽だった。
その、引っ越し作業での出来事。

この事務所、ほかの組織との寄合所帯だったので、引っ越しもよその会社の人との共同作業。
カウンターパートに当たるA子さんは、多分私よりちょっと年上。
きりりとつり上がった細い目にしっかりアイメイク、
細身の体型にきれいめの服装で、見た感じは隙がなく、
ただ、初対面の時から声だけはガラガラで、ひどい風邪を引いているようだった。
そんなに喉が辛いんだったら、無理してしゃべらなくても、
と思ったのは最初の内だけで、
結局その後1月近く経っても、カスッカスの声に変わりはないので、
あれは、彼女の地声なのかも知れない。

年不相応な(とは限らんけれど)細い身体と、それを覆い隠すような外見と、
カスッカスの声に代表される不健康さ。
ちょっと甘えたようで、すぐに誰かの悪口や噂話につながるねっとりとした京都弁。

正直、最初から印象は良くなかったのだけれど、
どうやら私の前任者は働きが良くなかったらしく、
彼女の方に分がある、という評価が大勢を占めていたので、
「最初は謝っといてな」と言われ、下手に出るしかなかった。

けれども。

最初の1週間で気が付いた。
どうやら、彼女の方にもだいぶ問題があることに。
考えたり、調整したり、物事を進めたりするのが得意でなく、
人の話もあまり耳に入っていなくて、何度も同じ主張をする一方で、
目の前の出来事に振り回されがちで、
やるべきことを一つずつ片付けていくことがとても苦手だということ。

にもかかわらず、それらを人のせいにし、自分は被害者だと信じさせることに
一定期間、成功していたようだ、ということに。

ビルからの退去期限はひと月後と決まっていたし、
作業がほとんど進んでいなかったので、
私は、4月に入るとすぐに、作業をリストアップして、片っ端から片付けて行った。

A子さんはほかにもたくさん仕事を抱えているらしく、
レスポンスは超絶悪く、電話にもほとんど出ない。
時々、居留守を使っているのは分かっていたけれど、
催促されるのが嫌になる位、返事が滞っていたのだもの、仕方がない。

それで、新人の私が、物品リストから何から作成し、引っ越し業者も手配し、
一応おうかがいを立てながら全部お膳立てして、迎えた、荷造りの日。

A子さんは、部下を二人引き連れてやってきた。
・・まあ、ここまでは想定の範囲
キレイなおべべを汚すのも嫌でしょうし、たくさんの作業を一人でやるのも苦痛なはず。
この時までには、荷物の仕分けはある程度できていたので、
作業は別々に進めることにした。

2時間ほどすると、A子さん「会議があるから」と途中退席。
バタバタと忙しそうに帰っていった。・・まあ、これも想定の範囲。
多分、次の会議にも少し遅れて「ごめんなさい」と言いながら、忙しそうに入っていくのだろう。

驚いたのは、残って作業をしていた二人が帰る間際のこと。
せっかく荷造りした段ボールの蓋を閉じていない。
「A子さんが最後に確認してから閉めると言っているので・・。
 多分、休日出勤して確認しようとしてるんじゃないかと思いますぅ。」
と従順そうなB子さんが言う。

部下に仕事を任せて出て行ったはずなのに、
荷造りすら任せ切れずに、自分で最後に確認する、って一体なんだ

しかも、翌週、荷造りの仕上げのため、事務所に向かったら、
段ボールは、相変わらず、フタが開いたままだった。
おかしい。
どうやら、A子さんは、休日出勤して中身を確認し、フタをする、
という作業に至らなかったらしい。
そうやってまた、部下を引き連れてやってきた。

…なんのこっちゃ。

忙しそうにして「もう仕事がいっぱいあるんですよ~」と嘆くA子さん。
深夜や休日にメールの返信をくれるA子さん。そんなに働いているのに、
電話一本で済む用事が済んでいなくて、どんどん積み上がっていくA子さん。

そりゃ、そうだ。

人に任せて終わりにできる仕事を、絶対手放せなくて、
あの日、フタをしてしまえば、終わったはずの仕事のために、
もう一度みんなで来るなんて。そりゃ、仕事も倍かかるはずだ。

一つの仕事に2倍も3倍も時間を掛けて、
他人にやらせて、他人に頼って、
それなのに、他人を信用していない。

ひっさびさに、こんなに仕事ができひん人見たわ・・ 

と、正直思うけど、

こんなに「自分」にがんじがらめで
「自分はできる」と証明してみせなきゃ不安で
だから仕事を抱え込み過ぎて(いや、自業自得なんやけど)、
できるはずのことも出来なくて、いつもアップアップしているなんて。

と、気の毒にも思う。

まあ、けれども、彼女は私の同情なんていらないだろうし、
そういうことに気付きもしないだろう。
アップアップでいつもマックスがんばっている自分、
に生き甲斐を感じているのかもしれない。

あのね。でもね、フタは、早めに閉めた方がいいよ。

と、段取り上手な私は、そう思っている。

コロナ禍の1年とわたし

2021-04-27 00:26:10 | 演劇・ワークショップ
GW明けに出演を予定していた芝居の【中止】が決定した。
「悲しいね😢」を自分に付けたい気分。

去年の今頃、初稽古の読合せで「これが最後の稽古になるかも知れませんね」と、
その頃は半分冗談のつもりで言っていたことが、あっという間に本当になり、
その後も中止、延期と、さまざまな変更と話し合いを重ねた1年でした。

出演者の個性が爆発する😜、素敵な作品に仕上がっていたし、
「今」のお客さんに伝わるものが多いと感じていたので、
「今」「ここ」で見てもらう機会を失うのは、返す返すも残念です。

細心の注意を払って準備を進めてくれていた人たちの苦労と落胆を思うと、いたたまれない。

けれでも。第3波と第4波の合間をすり抜けて、3月、京都公演に漕ぎつけられたのは、幸運だった。

丁寧に積み上げたことは、「これは、こういうものです」と説明しなくても、お客さんに伝わると分かったし、
意図した以上のこと、もの、感情を多くの人が受け取り、言葉にして返してくれたことに、感嘆した。

お芝居は、見てもらって初めて完成する、とよく言われるけれど、
お客さんの感性や共感が作品を「創る」のだ、
それは、こんなにも鮮やかなのだ、
と改めて、感じることができました。

思えば、この特別な1年を、この物語とともに過ごせたことは、幸せだったとさえ、思います。

当初の稽古期間では、もしかして消化し切れなかったかも知れない、
時代背景や人物像、人間関係などに、長い時間を掛けて取り組めたこと。

その時間や探求に耐える作品に出会えたこと。

村人たちのありようが、役者個人の意図を超えて、驚くほど的確に、お客さんに伝わるようになっていたこと。

灰色に染まったかも知れない2020年は、
カレー色の鮮やかなスパイスを載せて、
いろどり豊かで具沢山の1年になりました。

「公演」という目標があることも、
そのために「要・急」の稽古をし、集団で創作に励むことも、
役を生きる、という自分の仕事に熱中することも、
物語の世界に没頭し、現実を忘れることも、
作品を通じて、一期一会のお客さんと同じ時間を生きることも、
どれも大切で、幸せなことでした。

信頼する人たちと、朗らかに、前向きに、稽古や創作に励む、
いくつかの場を持てていた、ということが、
コロナ禍の自分の心を、結構救ってくれていたのだ、
と、最近よく感じます。

それは、私にとって演劇だったけれど、
これから始まる陰鬱な数週間をやり過ごすための「何か」が、
多くの人にあると良いなあと思う。

(とても久し振りにブログの記事を書いてみた。
 これは、友人・知人に向けてFacebook に書いた記事を少し編集したもの。
 まったく長い文章を書けなかったコロナ禍の自分を振り返るものでもあると感じたので、ここにも記しておこうと思う。
 これが、私の今の現在地)

2020年のわたし(その2)~演劇編~

2021-01-10 22:39:58 | 演劇・ワークショップ
年が明けてからも、世の中の動きは目まぐるしい。
その余波で、私の今月の予定も大きく変わった。
オーディションから数えると1年かけて準備をしてきた公演の東京ツアーが中止になり、
予定にぽっかり穴が空いた。

正月休みには、定まり決まらなかった予定が収まるところに収まったので、
ここ10日ほどのことも含めて、昨年の自分を今一度振り返ろう。
(ほんとうは、2021の抱負を書こうと思ったのだけれど、
 書いてる内に振り返りが止まらんくなりました…💦)

2020年は、役者/パフォーマーとして、フィードバックを得にくい年だった。
3月にギリギリ所属団体の記念公演を実施できたのは良かったのだけれど、
それ以降は「本番」の機会がなく、新たな機会を得ることもできず、
自分で創作したり、配信したり、しようと思えばできたのだろうけれど、
新しいことを始めてやり切る根性がなさ過ぎて💦
作品を完成させたり、発表したりすることは少なかった。

もっとも、普段から公演のために稽古しているばかりではないので、
発表の場ありきの人たちと比べて、ダメージは小さかったかも知れない。

稽古や創作の実験、遊び、(創作の)基礎体力づくり・・などなどに
時間を割くというライフスタイルは、大きく変わらず、むしろ、
普段の活動がままならない人たちが、
われわれの地道な活動に参加してくれたので、
それはそれで充実していた。

一度、しゃがみこむことが、高くジャンプするには必要だというけれど、
そういう意味で土台は十分整っている。
あとは、ジャンプするだけだ!・・と、思う。

それにまた、今年参加した作品づくりの現場はとてもしっかりしていて、
安心感もあり、勉強にもなった。

演劇集団にありがちな、パワハラや諍い、無理解や無神経に悩まされることもなく、
それぞれの技量をもって、大らかに、でも着実に稽古や準備が進む現場は、
とても快適だった。

共演者の演技の創り方、深め方、仕上げ方を秘かに観察し、
意外と(!)自分は大したことないな、とか、こういうのができひんのやな、
と素直に思ったりもした。

それは、市民劇団や後輩の芝居や、所属団体の稽古における、
自分が先頭を切って走るつもりで、そのしんどさは感じつつも、
集団に対する余裕もある、といった状態とはずいぶん違っていて、
集団の中にいて周りの景色が十分に見えない心細さもあったけれど、
サボれなくて、ほんとうに良かった

今もまだ、アンサンブル芝居の間合いや
空間の中での泳ぎ方、
呼吸やアクションと台詞のバランス、
集団の中でのい方には戸惑いを感じるし、
分かってきたところとそうでないところ、
やりやすいところと、いまだ躓きを感じる部分があるのだけれど、
昨日の通し稽古では、一つ山を乗り越えた感覚があった。

見ていた人にも、それは鮮やかに伝わったらしく、
独特の表現で言葉にしてもらい、
ようやく視界が晴れた気がした。

東京ツアーがなくなったので、しばらく稽古は休みになるけれど、
ひとつ視界は定まったので、この先は、周りを見ながら、
山を登れそうな気がする。

公演中止の報を受けて、段階的に落ち込んだりもしたし、
(世の中が大変過ぎて、一気に落ち込んだりはしなかった。
 人間の心理はフクザツだ。)
「本番」に向けて準備したり、楽しみにしてくれてていた人たちもいるので、
大きな声では言えないのだけれど、わたしは、まだ大丈夫
ま、これは「まだ3月がある」って思えるからでもあるけれど。

そういう訳で、コロナ禍の中でも、良い1年だったし、
私の演劇活動は、止まらんかった。ふふん

今日の新聞のコラムに

「緊急事態宣言下で仕事が手に着かなくなったけれど、
 韓流ドラマやネットフリックスなどのシリーズものに次々ハマった。
 今思うと、そうやって、心の平穏を保っていたのだろうと思う。
 あの頃、次々にドラマを勧めてくれた友人たちも、きっと同じだったろう。」

という話が載っていた。

なるほど。この作品と作品づくり、演劇一般は、
私にとって、そういうものでもあったろう。

この作品について、登場人物について、時代について、地域について、
演劇について、表現について、人間について、人の営みについて、
調べたり、考えたり、感じたり、没頭したりすることが、
危機にあって、私の精神を健やかに支えてくれたのだろう。

やることも、楽しみも、心の支えもあって、
自分は割と幸福なのだろうと思う
みなさんも、どうぞお元気で

わたしの2020年

2021-01-02 00:44:12 | 日記
あけましておめでとうございます。
もう年イチしか更新してないんじゃないかと思ったけれど、
本当に書きたい時は、書いてるみたいですね。
気まぐれブログ。

今年は、実家にも帰らないし、初詣にも行きづらいし、
なんとも締まりはないけれど、
今月芝居の公演が控えていて、緩み切るって訳にも行かないという、
どっちつかずのお正月です。

とはいえ、年も改まることだし、昨年の1年間を振り返ってみよう💨

2020年を振り返る
1-2月 仕事のプロジェクトがちょっと動き出す
3月  所属団体の20周年記念公演✨
4-5月 コロナでバタバタからの緊急事態宣言、6月の芝居延期決定
    読合せ部やマイムのオンラインレッスンに参加
6月頃~ 徐々に正常化、稽古やワークショップを再開
7-8月 出演舞台のプレ稽古
9月  海の京都の旅(天の橋立など)
10月~12月 出演舞台の稽古など

大体、主観で振り返ると、こんな感じや

初の一人芝居 とか、NYでレコーディング とか、
これこれに出たぞ とか、新しいチャレンジをしたぞ って分かりやすい成果がなく、
かと言って、自粛期間中に新作一本書きました!とか、
めっちゃ映画を見ました!とかあっても良さそうなのに、そんな成果もなく…
まあ、われながら、これと言って誇れる成果の少ない、パッとしない1年だったと思う。

ただ、その分、ムダも少なくて、ここだけの話、
義理で詰まらない芝居を見に行かなアカンってことも減ったし、
同じように付き合いの飲み会も減ったし、
「そこにあるから」という理由でオーディションを受けたり、
結果、出演できることになったものの、不毛な稽古場で悶々としたり
・・・ってことにならずに済んだ

ちょっと受け身になり過ぎた嫌いはあるけれど、
厳選された現場で、創作や実践に向き合える日々だったと思う。

もしかして、慌ただしい日常の中では、準備が間に合わずに通り過ぎてしまったかもしれない機会に、
時間を掛けて向き合えたのも、幸せなことだった
私はやっぱり、自分が良いと思える創作に参加したいし、
初心者向けや学生向け、一般向けでない、手応えのある現場に参加すべきだと思った。

どちらかというと、引きこもり派で、一人でも平気なタチの私にとって、
この「新しい日常」は、さほど苦になっていないのかも知れない。

もちろん、いざマスクを外してちゃんと芝居ができるだろうか?とか、
この間に、自分の五感や体力が鈍ってしまわないだろうか?という不安はあるけれど、
地味に身体訓練にも取り組めたし(当社比
私個人にとっては、マイナスよりプラスが大きかったかも知れない。

仕事は、相変わらず今一つだけれども、
折り合いの悪かった同僚とは縁が切れ(わっはっは)
こんな時期ではあるけれども、海外担当的な業務も増え、
少しは呼吸が楽になった。
時差を計算し、Zoomで英語ミーティングに臨む日々は多少なりとも刺激的

最近になって急に、仕事も人生も、諦めを感じ始めた部分があり、
何事もそこそここなせる気でいた自分が大人になるとはこういうことか、と
人並みに感慨に耽ったりもするけれど、
お蔭で演劇に時間を割けることだし、
これは、これまでの自分の行動の当然の帰結なのだから、
そう落胆することもないのだと思う。
人生の後半生を薄ボンヤリ、考え始めた。そんな2020年。

この1年に、立ち止まって考えたり、準備したり鍛錬したりしたことが、
2021年以降の飛躍につながればいいな

と、そんな風に思っている。

頭とカラダとファンタジー

2020-10-06 23:29:09 | 日記
今朝がた書いた「老害」に悩まされ、浅い眠りの間に間に、妙に生々しい夢を見た。

下腹部が痛いなと思ったら、そこがぶよぶよ膨れ上がり、こぶのようになる夢。
グロテスクで、妙にリアルで生々しい。
移動するとブヨブヨ動くそれが千切れるんじゃないかと心配していたら、
案の定、それは千切れて、中から血と一緒にドットのような膿が流れ出た。
うわー。出血 救急車
と思う内、目が覚めた。

思うに、あの「こぶ」や「膿」は、私が「澱」と呼んだものなんだろう。
自分が感覚的に捉えていた心理的な負担を、頭が勝手に、
生々しく、グロテスクに、かつリアルにビジュアライズしてきたことに、
驚くとともに感心した。頭って、なんて想像力豊か

そうして、目が覚めたら、夏の間なぜか止まっていた生理が突然やってきた。
何がどうつながっているのか分からないけれど、頭と心とカラダは全部つながってるみたいだ
そして、頭の中の世界は、思う以上にファンタジーだ

その、想像力や飛躍のお蔭で、わたしたちは現実を生き延びられるんだろう、と思う。

ヤなヤツも、ヤなことも、世の中にはあふれているけれど、
心の中の世界が広いってことは、生き延びる力も強いってことかも知れない。

明日からも、逞しく生きるぞ