木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鬼、河童に濁流の水飲まされるー19

2007年05月02日 | 一九じいさんのつぶやき
 そのつぶやきには意外と早く回答が与えられることになる。

 江戸中が大雨に見舞われた翌日。
 その日は昨日の雨が嘘のような五月晴れの気持ちのいい天気になった。
 深川州崎には今日も人だかりができていた。
 その人だかりの中心には三代目瀬川菊之丞の整った顔が見える。
 「今日こそ鬼じゃのうて、河童が見たかったのに、怖い鬼の手下に見張られておっては、河童もさぞ出にくかろう」
 菊之丞が声をひそめて言うと、とりまきから笑いが起こった。
 先日の轍を踏むまいとしたのか、長谷川平蔵自らは出張ってなかったが、部下の与力や同心がご丁寧に火付け盗賊改めの提灯を手にして、存在を誇示していた。
 貞一と岩徳もその場に潜り込んでいたが、八つ(午後2時頃)になって定町廻りの佐々木も合流した。
 「なにも起こりゃしねえな」
 佐々木の独り言のようなつぶやきに、
 「三代目に、鬼の平蔵の手下、役者は揃っていやすぜ。何かが起こるんじゃねえかな」
 貞一がつぶやきで返した。
 「おおい」
 そのつぶやきに応報するように、川から声がかかった。
 その声の方向を見ると、屋形舟があり、舟上にはこの前と同じ顔ぶれがあった。
 「松次郎のやつめ、何を企んでやがる」
 岩徳が苦々しげに顔をしかめた。
 「みなさん、ご精がでますなあ。今日も河童見物ですかい」
 舟の上の番頭風の男が叫んだ。
 今日は昨日の雨で水かさが増え、流れも急なので、前回のようにゆったりという訳にはいかない。
 「松次郎、俺だ、徳三だ。てめえ、なにか企んでやがるな」
 岩徳が叫んだ。
 「親分、なにを言ってやがるんでぇ」
 船頭の松次郎が言葉を返したところで、
 「その舟、櫓を止めろ」
 流れの後方から声が掛かった。
 そこには、舟上に陣笠をかぶった長谷川平蔵の姿があった。
 「いけねえ」
 松次郎が言葉を漏らすのと同時に、
 「あれは何だ」
 岸の見物人から歓声が上がった。
 「あれこそ、河童ぞえ」
 三代目も立ち上がって目を見開いた。
 「種子島、狙いをつけよ」
 平蔵は火縄銃を持った同心を舟の前に位置させた。
 「河童を撃ってどうするつもりだ。やめねえか」
 佐々木の声に舟上の同心も少しひるんだ様子だったが、
 「構わぬ。不埒な妖怪を退治せよ」
 平蔵に励まされ、再び河童に狙いを定めた。
 「待ってくださいまし」
 前方の番頭から声が掛かるのと同時だった。
 「撃て」
 平蔵の声が掛かった。
 「さても憎い」
 三代目の囁きは、廻りの者の嘆息を誘った。
 しかし、舟の上から撃つ狙いは正確ではなかった。
 河童は、今までと変わらず、前方の舟と沿うように、泳いでいた。
 「再度、狙いをつけよ」
 「お待ち下さい。全てお話しますから、銃をお収めくださいまし」
 番頭の声は再びの銃声によってかき消された。
 同時にそれまでは、舟と沿っていた河童は、急に流れに呑まれていった。
 「お嬢様」
 番頭が身を乗り出した。
 「お嬢様、やと。そうか、分かったぞ」
 貞一が大きな声を出した。