ブッダ の 真理   Buddha Dharma


ブッダ(仏)は、内在する普遍の真理

般若心経 Prajna paramita hridaya sutra

2014-10-10 | 大乗仏教

このように聞いた。

ある時、ブッダはラージャグリハの霊鷲山において、あまたの比丘衆やあまたの菩薩と共におられた。

その時、ブッダは「深遠な光明」といわれるサマーディー(超越意識)に入られた。

同時に、尊き観自在菩薩・マハーサットヴァは深遠な智慧の修行において、
五つの集まり(五蘊)の本質は空性と観察した。

その時、大徳シャーリプトラが、ブッダの威徳によって、尊き観自在菩薩に次のことを言った。

「もし善き男女が、深遠な智慧の修行を実践したいと望んだら、どのように学ぶべきでしようか」。

尊き観自在菩薩は、大徳シャーリプトラに次のように言った。


「シャーリプトラ。善き男女が、深遠な智慧の修行を実践したいと望んだら、次のように観察されるべきである。
五つの集まり(五蘊)の本質は空性であると。


形象は空性であり、空性だからこそ形象なのである。

形象から離れて空性であるのではなく、空性から離れて形象なのではない。

形象であるもの、それが空性であり、空性であるもの、それが形象なのである。

このように、感覚作用も、思考も、カルマも、識別も空性なのである。

このように、シャーリプトラよ、すべての事象が空性を特色としている。

生じるのでもなく、滅するのでもなく、垢れているのでもなく、
無垢なのでもなく、減るのでもなく、 満ちるのでもない。

それゆえに、シャーリプトラよ。

空性においては、形象もなく、感覚作用もなく、
思考もなく、カルマもなく、識別もない。

眼、耳、鼻、舌、身体、心もなく、
形、声、香り、味、触れられるべきもの、識別対象もない。

眼の世界、心の世界もなく、
識別対象の世界もなく、心による識別の世界に至るまでない。

明知もなく、明知のないこともなく、(それらが)滅することもなく、
老いること、死ぬこともなく、老いることと死ぬことが滅することもない。

苦、苦の生起、苦の滅尽、苦の滅尽の道もなく、
智慧もなく、得ることもなく、得ないこともない。

このように、シャーリプトラ。

得ることもないことからして、諸菩薩の深遠な智慧に依って心の覆いをぬぐいさり、心の覆いのないものとなる。

心の覆いがないことからして、恐怖のないものとなり、二元性の思考を超越したものとなり、寂静の境地に導かれたものとなるのである。

過去、現在、未来におられるすべてのブッダは、深遠な智慧に依って、無上の覚醒、光明を得たのである。

これゆえに、深遠な智慧の大いなる真言、明知の真言、無上の真言、比べるもののない真言が、すべての苦を除く真言であると知られるべきである。

真実は偽りがないことからして、深遠な智慧において真言が説かれた。

 OM GATE GATE PARAGATE PARASAMGATE BODHI SVAHA

シャーリプトラよ。深遠な智慧の修行はこのように学ばれるべきである。」


その時、ブッダはサマーディーより起きて、尊き観自在菩薩を褒めたたえた。

「善きことだ、善き男女よ。それはその通りだ、善き男女よ。

深遠な智慧の修行は、あなたによって述べられたように実践されるべきである。
そうすれば、すべての如来方から祝福されるであろう。」

ブッダがこのように言われたとき、大徳シャーリプトラ、尊き観自在菩薩、すべての神々・人間・アスラ・ガンダルヴァは歓喜した。



* 瞑想~止観(サマター・ヴィパッサナー)、身体と心を観察すること、集中すること、瞑想によって、覚醒と純粋観照智が生まれて寂静の境地に達します。