シゲティ(ヨーゼフ)の弾くバッハの「無伴奏ソナタ第2番」のアンダンテを聴いていると、ロバート・ジョンソンのブルースを想い出す。ギターの低音弦をガッガッガッ・・・とベース音を鳴らしながら、時々高音でソロを入れる感じが似ている。
シゲティの演奏には「間(ま)」がある。音と音のあいだに無音の「間」がある。無意識のうちにその空白の「間」に集中させられ、つぎの音を渇望させられる。渇けば、水は甘露に変わる。
シゲティの音は枯れた響きを持つが、同時に、乾いた喉を潤す泉のようなウエットな感じを有している。
シゲティ(ヨーゼフ)の弾くバッハの「無伴奏ソナタ第2番」のアンダンテを聴いていると、ロバート・ジョンソンのブルースを想い出す。ギターの低音弦をガッガッガッ・・・とベース音を鳴らしながら、時々高音でソロを入れる感じが似ている。
シゲティの演奏には「間(ま)」がある。音と音のあいだに無音の「間」がある。無意識のうちにその空白の「間」に集中させられ、つぎの音を渇望させられる。渇けば、水は甘露に変わる。
シゲティの音は枯れた響きを持つが、同時に、乾いた喉を潤す泉のようなウエットな感じを有している。
バッハの「無伴奏チェロ組曲」を好んで聴くようになるまでに、13年かかった。
初めて聴いたのは、静岡のSさんの車の中。カザルスのCDをかけてくれた。クラッシック音楽=オーケストラと思い込んでいた私は、チェロという楽器を単独で演奏する曲があることを初めて知った。「なかなかシブイな」と思った。間もなく私もカザルスのCDを手に入れ聴いて見た。太極拳や気功教室のBGMなどにも使い、頻繁に聴いた。しかし、その曲は相変わらずシブイままで、好きにはならなかった。
その後、バッハではヴァイオリンやピアノの曲に興味が向いて、「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」や「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」「平均律クラヴィーア曲集」などを好んで聴いた。「無伴奏チェロ組曲」もカザルス以外の演奏者も聴いて見た。「シュタルケル」「フルニエ」「ロストロポーヴィチ」など。私は「エンリコ・マイナルディ」という人の演奏がゆったりとして、伸びやかな音色で、抵抗無く聴けた。
最近になって何故か、「無伴奏チェロ組曲」が聴きたくなる。身心がそれを欲している。朝、仕事に出かける前に聴きたくなる。帰って来た後にも。休みの日の午前中にも聴きたくなる。或いは「立つ練習」のBGMに・・・
私は音楽を勉強したことが無いから、音楽をどのように理解すれば良いのかを知らない。名曲とは一体何を指すのかを知らない。ただ私は、自分の身体の欲するものを聴きたいと思っている。今の私は「無伴奏チェロ組曲」を欲している。演奏はカザルスが多い。
私のクラッシック音楽の聴き方は妙かも知れない。たとえばベートーベンの交響曲第5番「運命」。私は第3楽章と第4楽章の間に拘る。一番のお気に入りは1943年の演奏のもの(写真上段真ん中)だ。第4楽章の「解放(勝手に解放と呼んでいる)の前にたっぷりと時間がかけられているので、気分が昇華する。背骨の中を気がグーンと上昇し、頭のテッペンから天に抜けていく感じだ。
クラッシックに詳しい知人は、1947年のもの(写真上段左)が良いという。確かに緊張感に貫かれた気の抜けない演奏である。
しかし、私はやはり、第3楽章と第4楽章の間に拘ってしまう。そのわずか数秒のところが私の身体を変えたり変えなかったり・・・ちがいになって現れる。
私はクラッシック音楽については素人である。音楽の勉強をしたことも無い。ただ耳に心地好い音楽だけを聴いている。
モーツァルトの「クラリネット五重奏曲(K.581)」は、以前教室の生徒さんに頂いたカセットテープの中に入っていた。この曲の第2楽章を聴くとイメージが浮かんで来る。
第2楽章がはじまって暫くすると、ヴァイオリンとクラリネットの掛け合いがある。積極的なヴァイオリンが先に行き、消極的なクラリネットが後を付いていく。モジモジしていたクラリネットが友達想いのヴァイオリンのリードでようやく動き出す。暫くすると今度はクラリネットが先に出るが、後ろにはヴァイオリンが控えている。そして山場では、ヴァイオリンが再びリードするが、クラリネットもただ付いて行くだけでなく、勇気を出して自分の歌をうたい出す。
と言うのが今までのイメージ。しかし最近になって聴いてみると、それが変わった。クラリネットはそんなに消極的ではなく、いつでも大きく全体を包んでいた。ヴァイオリンが踊ったり歌ったりするのを、クラリネットはもっと大きなところでしっかりと見守っていた。
カセットテープのクラリネット奏者は「シフリン」という人。写真は「レオポルト・ウラッハ」のCD。
「トム・ウエイツ(TOM WAITS)」を知ったのは、21歳の頃だ。友人のアキラがテープを持ってきた。以来トム・ウエイツのしわがれた声と付き合っている。
仕事から帰り、一人で部屋で飲む酒のBGMはいつもトム・ウエイツだった。北京に留学したときも、内モンゴルに旅したときもトム・ウエイツと一緒だった。
しかし私は熱狂的なファンではない。歌詞も良くは知らない。ただ極上のBGMとして聴いているだけ・・・
一番良く聴いたのが、「クロージング・タイム(上のジャケットご参照)」。A面の1曲目に針を落とすと、静かにカウントが入り、続いてピアノが鳴り出す・・・今でもここを聴いただけで一気に20年前に戻ることができる。あの頃ウイスキーを飲むのに使っていた大口グラスの手触りをまだ憶えている。「ホワイトホース」や「アーリータイムス」の香りは忘れたけど・・・
「クロージング・タイム」のジャケットは、夜を想わす黒で大きく包まれている。ピアノの鍵盤と、トムのシャツと、タバコだけが白く、個をアピールしている。ピアノは夜に溶け、トムの足も夜の黒に溶けている。トムとピアノは、万物をつくるであろう夜に包まれ、同じ存在性を保つ。トムがピアノを越えることなく控えめに観えるのは、彼がそれを望んでいたからかも知れない。
ただ一つ、気になることがある。頭上のブルーのライトがもう少し上に在った方が良いのではないかと。以前は何とも思わなかったのに・・・歳をとったのかな。
このアルバムに入っている「saving all my love for you 」、「 jersey girl」は、酒無くして聴けない名曲。