読書日記

いろいろな本のレビュー

永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」 早坂隆 文春新書

2015-08-14 09:24:08 | Weblog
 永田鉄山とは昭和十年十二月、東京三宅坂の陸軍省で相沢三郎中佐に惨殺された、当時軍務局長だった人物である。この暗殺事件は陸軍の統制派と皇道派の対立の極点の事象と見なされ、以後皇道派が陸軍を支配して行くきっかけとなった。この永田鉄山についての評伝は一般書としては珍しく、その意味で本書の意義は大きい。永田は長野県諏訪市の生まれで、陸軍士官学校から陸軍大学を経て、陸軍のエリートコースを歩んできたが、十一歳の時に父親を亡くしており、平坦な道ではなかった。その後結婚して家庭を持ったが、最初の妻は病死し、後に再婚をするなど結構苦労をしている。
 永田が陸軍で取り組んだことは、軍内の長州閥打破と国家総動員体制の研究である。彼は東條秀樹の一年先輩で、東條を抑えられるのは彼しかいなかったということで、もし生きていれば太平洋戦争に突入しなかったかもしれないと言われている。しかし天皇を中心にして軍の発言権を増大させて国政を牛耳ろうとする統制派からは目の敵にされていた。相沢中佐は事件の時は四十五歳、永田は五十一歳であったが、相沢は永田の仕事について詳しく調べたことはなく、ただ風評に惑わされての凶行であった。分別盛りの男が昼間堂々と永田の部屋に乗り込んで日本刀で惨殺する光景は鳥肌がたつ。本人の中では天誅という感覚だったのだろうが、統制派のフアナティックな感じが横溢して嫌な感じである。
 暗殺当日、永田は久里浜の自宅を出て陸軍省に向かう。子どもの頭を撫でながら「風邪をひかしてはいけないよ」と妻・重子に声を掛けたという。一方、相沢は代々木の西田税宅から陸軍省に向かった。この最終章はまるで小説を読んでいるような感じで鮮やかなイメージを喚起する。
 剣道の達人が真剣の突きで相手を倒す場面は誠に残虐。近代社会の陸軍省の執務室の情景とは思えない。しかし日本刀で敵を殺戮するのは日本軍の常套手段で、これが日本軍の残虐性を世界に喧伝してしまったともいえる。
 上官の命令、神風特攻隊、命を捨てる、負のスパイラルが延々と続く。結局、軍の暴走、太平洋戦争、原爆投下、敗戦となり、軍は崩壊。以後、民主主義国の誕生、高度経済成長、先進国日本、と70年の歴史を歩んできたが、為政者はこの戦争の経験をしっかり受け止めて、無辜の民を戦禍に巻き込まぬようにしなければならない。

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