読書日記

いろいろな本のレビュー

銀河鉄道の父 門井慶喜 講談社

2018-10-23 09:06:15 | Weblog
 本書は直木賞受賞作で、宮沢賢治の父政次郎から見た賢治と家族の物語である。まずこの本の装丁が素晴らしい。メガネ・懐中時計・手帳・万年筆・そろばん・コインと賢治が使ったであろう小物が並べられて、在りし日の故人を偲ばせる。賢治自身の写真を使うよりインパクトがある。
 政次郎は古着屋兼質屋の家業を父喜助から引き継ぎ、商売に学歴は不要という喜助の方針によって上級学校に進む事を諦めた。そして息子の賢治にも同じ道を歩ませようとしたが、本人のたっての願いで、花巻の小学校から盛岡中学・盛岡高等農林への進学を許した。勿論賢治の成績が良かったことが大きな理由だが、政次郎自身が進学できなかったこともあり、息子にはそれを許してやろうという気持ちが湧いていたのだろう。政次郎の賢治(他の子どもも含めて)に対する愛情がさりげなく描かれていて優しい気持ちになる。これが受賞の大きな理由であろう。
 賢治は日蓮宗に帰依して国柱会に入り活動するが、その過程で父親に改宗を勧める場面が印象的だ。政次郎を始め宮沢家はもともと浄土真宗の熱心な信徒であったが、その父に「お父さん、おらと信仰をともにしませんか。お父さんの生き方は、実は法華経の生き方なのす」と言うと、政次郎は「ばかと」答える。父子の論争は、二三日おきに繰り返された。ひとたび始まれば近所に声がとどくほどの激語となり、深夜に及ぶことも珍しくなかったとある。著者はこの親子について「何より、人生への態度が律儀である。人生は人生、宗教は宗教というふうに割り切らず、その分人生にも宗教にものめり込みすぎる。ある意味、ふたりとも子供なのである」と述べる。賢治のこの一途さは妹のトシの看病においても発揮され、「ほとんど兄弟愛の域を超えていた」とある。確かに『永訣の朝』にはインセスト(近親相姦)のにおいがするとはよく言われることだが、これを踏まえての記述であろう。
 トシの臨終の床で、政次郎が巻紙をかまえ、小筆をにぎり、「これから、お前の遺言を書き取る。言い置くことがあるなら言いなさい」と賢治の反対を無視して、トシに語りかける場面がある。その理由を「私は家長だ。自覚がある。死後のことを考える義務がある。トシの肉が灰になり、骨が墓におさまってなお家族がトシの存在を意識するには、位牌では足りない。着物などの形見でも足りない。遺言という依代が是非必要なのだ」と言う。そしてトシは「うまれてくるたて、こんどは、、、、」そのとき賢治は、政次郎とトシの間に割り込んで耳もとに口を寄せて、「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経」とお題目を唱え続けたが、トシは逝った。
 後に賢治が「永訣の朝」を作った時、その最後に「うまれてくるだて こんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあようにいまれてくる」(また人に生まれるなら、こんなに自分のことで苦しまないように生まれて来ます)というトシの言葉が書かれているのを見た政次郎は、この長ぜりふは、どう見てもトシ自身のものではない、トシの遺言を捏造した、おのが作品のためにとその本を放り投げた場面が出てくるが、この詩の解釈において重要な指摘であろうと思う。浄化された世界の表現にトシの死を援用したわけだ。
 そして最後、賢治は病床で「雨ニモマケズ」を作る。その詩を書いた巻紙の墨を乾かすために政次郎が階下に降りたその間に賢治は死んだ。やられたと政次郎は呆然とした。でも結局は、あれも賢治一流の「遊び。いたずら」だったのかもしれない。そう思うようになったと結論付けた。これも息子との和解の一形態と言えるだろう。とにかく政次郎はよい父親だった。
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