読書日記

いろいろな本のレビュー

京都ぎらい 井上章一 朝日新書

2015-09-22 09:47:54 | Weblog
 井上氏は建築家出身の研究者で著作も多い。近年朝日放送の「おはようコール」のコメンテーターを務めていた。氏の京都弁は他のコメンテーターの関西弁とは一線を画しており、京都人の矜持を表しているのかなと思っていた。ところが井上氏は京都人の中でも「洛中」の人ではなく、「洛外」嵯峨の人であり、「洛中人」から「ええか君、嵯峨は京都とちがうんやで」とさげすまれてきたという。その代表的なエピソードが冒頭にある。井上氏が学生時代に、旧杉本家の調査に訪れたとき、九代目当主の杉本秀太郎氏(著述家)が彼の京都弁が気になって、「君、どこの子や」と尋ねるた。井上氏が「嵯峨から来ました」というと、「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」と言ったという。この言い回しの中には、嵯峨を田舎とバカにする意味があったと井上氏は感じたのである。ことほど左様に「洛中人」の中華意識は強い。
 今回井上氏が「洛外人」であることは初めて知った。「京都は王城の地でっさかい」は京都人の他国に対する優越感の表明として有名だが、同じ京都市内でもこのような「洛中人」至上主義があるとは、本当に面白い。実際京都市内に住んだものでなければわからない微妙な差別意識である。この京都人の差別意識を考えると、差別・在日朝鮮人差別のような問題も隠微な感じで語られる可能性があってなかなか難しい問題と言えそうだ。著者はこの問題に言及していないが、感じていることは多いと思う。
 その京都で有名なお寺の坊さんと舞子さんの実態は誠に京都らしいと言うか、なにか突き抜けた感じがしてある種の感動を覚える。即ち坊さんが京都の花柳界を支える大事なお得意さんだということである。この点を井上氏はシニカルに語っている。坊さんにとっては、仏の道も色の道も両方大事だということらしい。
 後半は井上氏の地元嵯峨の名刹天龍寺の話題で、足利尊氏が後醍醐天皇を祀ったのは、後醍醐天皇の鎮魂のためという内容。後醍醐天皇は内乱のはじまった三年後に病死したが、最期まで、足利尊氏の打倒と京都への復帰を思い描いていたという。こういう人物は怨霊となって、たたりをもたらす可能性があると当時の人々は考えたのである。梅原猛が『隠された十字架』で法隆寺を聖徳太子の鎮魂の寺だと論じたように。この鎮魂の話題から、靖国神社へと繋がっていく。靖国は官軍のために死んだものを祀るだけで、反官軍の死者は祀られていない。佐幕派の会津藩、西南戦争の西郷隆盛等々、中世までの怨霊思想に従えば、敵の霊を手厚く祀るべきなのにである。この靖国神社に政府高官は参拝して亡き英霊に尊崇の念を表したといつも言うが、京都人の井上氏からすると、ぽっと出の神社が何をすんねんということらしい。さらに国旗・国歌、日の丸や君が代に伝統を感じる人間にも訝しさを覚えるという。あんなもの東京が首都になってからうかびあがった新出来の象徴にすぎず、伝統もくそもないと。「京都人」の面目躍如たるものがある。

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