読書日記

いろいろな本のレビュー

島崎藤村短編集 大木志門編 岩波文庫

2022-09-26 09:40:40 | Weblog
 最近岩波文庫で明治以降の有名作家の短編小説を刊行して本好きの読者を喜ばせているが、本書もその一つ。島崎藤村の小説は『夜明け前』や『破戒』など長編が有名で、短編は読んだことがなかったので、新鮮な感じがした。これで藤村を読もうとする人が増えるといいなと思う。これが岩波書店の戦略でもあるのだろう。

 藤村は詩人として出発した。25歳のとき刊行した『若菜集』がそれである。中でも「初恋」は高校の教科書にもよく載せられていた。「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花ぐしの 花ある君と思ひけり」で始まる七五調の文語自由詩は、「初恋」の情緒をいかんなく表現して詩人の名を高からしめた。その他「千曲川旅情の歌」や「椰子の実」など歌うことのできる詩が多く、人気の原因ともなっている。でも最近は読んですぐわかる藤村の詩は教科書で見かけない。教室でこれを口ずさんで、各自の「初恋」の詩を作ってみましょうというような授業はほとんど顧みられない。大体、詩とか短歌・俳句は無視される傾向が強く、評論と小説に特化して授業が行われることが多い。これは大学共通テスト等の在り方と関係がある。漢文なども、共通テストに出るからやっているといっても過言ではない。漢文を味わうというレベルではなく。句法の暗記等々無味乾燥な授業が行われている。進学校といわれる学校ほどこの傾向が強い。

 現状がこうであるから、「現代文」の授業では、文脈の把握や心情の分析等が重んじられ、「この詩、この文章いいですねえ」とか言って終わったら生徒に嫌われる。生徒はプリントを使ってまとめるのがお好きだ。塾がこの傾向を助長している。ホントに何かが間違っている。さらにこれを助長するのが新学習指導要領だ。実用的な文章を読んで読む力をつけさせる。小説教材は載せてはならないという「現代語」の教科書編集指針は出版社を当惑させたことは耳に新しい。この文脈で考えると島崎藤村の詩の退場も理解ができるというものだ。

 その藤村の小説だが、どれも面白かったが登場人物が実在の人間をモデルにしているという意味で、私小説だと言える。逆に言うと小説に出来るほど劇的な人生を歩んできたということになる。彼の人生を概観すると次の通り、1881年に明治学院に入学してキリスト教の洗礼を受ける。1906年栄養失調により三人の娘が相次いで没し、後に『家』で描かれることになる。1910年妻・冬が四女を出産後に死去。このため次兄・広助の次女・こま子が家事手伝いに来る。1912年半ばころからこま子と愛人関係になり、やがて彼女は妊娠する。1913年神戸港より有島生馬の紹介でパリへ渡る。1916年帰国するもこま子との関係が再燃。その後、1928年56歳で加藤静子と再婚。そして1943年脳溢血のため71歳で死去。

 「初恋」の清廉さとは裏腹のドロドロした人生だったといえる。皮肉な言い方をすれば、これは作家としての成功に寄与したとも言える。本書に掲載された11編はどれも面白かったが、自分の家族との交流を描いた「子に送る手紙」と「嵐」が藤村の詩人としての資質が表れていて読ませる。前者は関東大震災に遭った家族の様子を描いたものだが、最後の破壊された東京の風景を隅田川に視点を当てた次の文章は素晴らしい。「だぶだぶだぶの音のする春の水、風をうけて走る帆、岸に光るバラックの屋根、===なにもかも、河口らしい空気と煙都の中に一緒になって、私の心を楽しませないものはなかった。流れよ、流れよ、ともいいたい隅田川には、およそ幾艘の船が動いていると言ってみることもできないくらいで、大きな都会の都会の気象が、一番よくその水の上に感じられた。そこには春の焔にまじって、もう一度この東京を破壊のどん底から甦らせるような、大きな力が溢れ、流れていた」この時、藤村51歳。これまでの苦難を乗り越えて、新しい人生に向かおうとする決意がうかがえる。やはり彼は詩人だ。

 詩人の感性に共感して作者の人生に迫り、自分のこれからを考えるというようなことが授業として無視されるとしたら、いったい国語として何を教えるというのか。入試問題などは問題集を与えて自習させておけばいいのだというのが私の持論である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。