K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

アンドレイ・ズギャビンツェフ『LOVELESS』

2018年04月20日 | 映画
ゴールデンウィークも間近ですね。金欠でボーナスが待ち遠しいただけいまです。

今回はロシアの鬼才アンドレイ・ズギャビンツェフ監督の『LOVELESS』の鑑賞録です。前作の『裁かれるは善人のみ』も衝撃的な作品でしたが、本作はより暗澹とした凄まじい作品でした。




《Story》
一流企業で働くボリスと美容サロンを経営するジェーニャの夫婦。離婚協議中のふたりにはそれぞれすでに別のパートナーがいて、早く新しい生活に入りたいと苛立ちを募らせていた。12歳になる息子のアレクセイをどちらが引き取るかについて言い争い、罵り合うふたり。耳をふさぎながら両親の口論を聞いていたアレクセイはある朝、学校に出かけたまま行方不明になってしまう。ふたりはボランティアの人々の手も借りながら、自分たちの未来のために必死で息子を探し始める。息子は無事に見つかるのだろうか、それとも――。(「映画『LOVELESS』公式サイト」より)


キャッチコピー は幸せを渇望し、愛を見失う。
そのコピー通り、自分だけの幸せを求める両親の元で生まれた少年の不幸を描いた作品です。



舞台はロシア。離婚協議中のボリスとジェーニャは、息子アレクセイの処遇を巡って対立していました。お互いがアレクセイを押し付けようと押し問答を繰り広げた夜の翌日、そのやり取りを聞いたアレクセイは突如失踪します。



ボリスとジェーニャは離婚後に一緒になろうとしている新しい相手と過ごし、息子の失踪に気づいたのは失踪してから二日後。民間の捜索隊に依頼するときも、息子がどこで遊んでいるかも、誰と仲が良いのかも曖昧で、正に愛情の欠如した姿を露呈します。



民間の捜索隊の協力を得ながら必死に息子を捜索する姿に一瞬愛の回帰を感じますが、ジェーニャの母親との問答を通して、妊娠したのをきっかけに母親から離れるために結婚したという事実が明るみに。アレクセイは、ジェーニャが故郷を出るためのツールでしかなかったのです。それを知ったボリスは激昂しジェーニャを車から降ろす。自らの幸せを求めて偶然一緒になったこの一家は最初からバラバラだったのです。



結局、二人の元にアレクセイは戻らず、二人はそれぞれ別の人生を歩むことに。数年後、そこにはアレクセイの面影はなく、ただ離婚前と同じように愛の不足した二人の姿(ボリスは再婚相手の子供をあやすことさえせず、ジェーニャは会話もなくテレビに見入る)があるだけでした。
ひとりランニングマシンで走るジェーニャの姿が、永遠に到達できない幸せを追い求める哀れな像として映ります。



アレクセイの失踪は忘れ去られ、街に張り出されたポスターに誰も見向きもしない。ただ彼が生きていた有機的な証として、木に引っ掛けられた紐がはためくのみ。大掛かりな捜索シーンと対比される壮絶なラストシーンです。
アレクセイを最も必死に捜索したのが警察でも両親でもなく民間の捜索隊だったというのが切なく胸に刺さります。



とにかく、ボリスとジェーニャは自分のこと以外に関心がない。その徹底ぶりが恐ろしく残酷で私たちに警鐘を鳴らします。
それは、セルフィーを撮る女性たちやSNSにのめり込む姿(そのせいでアレクセイの変化に気づけなかった)、他人事のように流れる国際紛争や内戦、マヤの終末論などで暗示されます。自分が幸せでさえあれば、二人にとって世界などどうなっても良いのです。一見ネグレクトのようなテーマだが、それとは一線を画する社会派映画でした。

私たちはインターネットやSNSの発達によって世界や価値観が広がったように感じていますが、実際には「自分の周りの」世界が広がっているだけで、逆説的に視野が狭くなっているのではないか。自分の幸せを追求する一方で、他者の不幸に鈍感になっているという、本作はそんなメッセージを私たちに伝えているようです。

水や鏡の描写など、ロシア的な表現も印象深い作品です。


最新の画像もっと見る

post a comment