Dream Factory

私の夢、いろいろ・・・・・

マヤノトップガン が☆になりました(涙)

2019-11-06 00:00:01 | 一口馬主
昨日、マヤノトップガンの訃報が発表されました。

大ショックですが、年齢的なことを考えると仕方がありません。

TOPの写真は、去年の夏に会ったときのマヤノトップガンです。
20年近く続けている夏の牧場訪問の記事で、マヤノトップガンは
カネツクロスと並んで常連さんでした。


以下はJRAからの発表です。

◆マヤノトップガン号が死亡
第40回有馬記念(GⅠ)(1995年)を優勝するなどGⅠを4勝し、
1995年のJRA賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬を受賞。現役引退後
は優駿スタリオンステーション(北海道新冠郡新冠町)において
種牡馬として供用され、種牡馬引退後も同所にて繋養されていた
マヤノトップガン号(牡・27歳)は、11月3日(祝日・日曜)に
同所で老衰のため、死亡したとの連絡がありましたので、お知らせ
いたします。

株式会社 優駿のコメント
27歳ともなり、今年になってだんだん体にもハリがなくなり、歳を
とってきたように感じていました。11月3日の夕刻より体調を崩し、
午後6時に安らかに息を引き取りました。怪我や病気は無く、立会い
の獣医師によりますと高齢による老衰とのことでありました。
種牡馬として、重賞馬も数多く出してくれて、長く現役種牡馬として
活躍してくれました。功労馬として余生を過ごし、ファンにもとても
愛された馬でした。

と言うことです。

私のハンドルネームの基になっているマヤノトップガンについては
現役時代、引退後を通して数え切れないぐらいの思い出があります。
今年の夏も優駿SSに行った際に会ってきましたが、去年までの
ような元気はなく、馬体のハリも以前とは違っていたので、写真を
撮るのをやめました。去年亡くなったカネツクロスの時もそんな
感じだったので、自分の中ではそれなりの準備はしていましたが、
実際にこういう報道が流れてくると・・・です。
優駿SSのスタッフさんのコメントにあるように、怪我や病気では
なく、27歳、高齢による老衰で安らかにと言うことなので、これが
マヤノトップガンの運命だったと言うことでしょう。

☆になったマヤノトップガンの冥福を祈りながら、私なりの視点で
トップガンの功績を振り返りたいと思います。
(かなり偏った振り返りになるかもしれませんが、勘弁してください)

通算成績は 21戦8勝
武豊騎手が4回、田原成貴騎手が17回騎乗しています。
田原騎手は、残念なことになっていますが、騎手としては素晴らしい
人で、私は今でも騎手 田原の信者です(苦笑)
特にマヤノトップガンとのコンビには、いろいろなドラマがありました。

まずは、1995年の有馬記念

田原の天才的なリードで逃げ切り勝ち!


次は、1996年の阪神大賞典

2着でしたが・・・


写真のタイミングではトップガンが勝っていますが、世紀の
マッチレースの末に勝ったのはブライアンでした。
次の年の阪神大賞典は勝っていますが、敢えてこのレースを
チョイスしました。

続いては、1996年の宝塚記念

カネツクロスとの勝負


これは、もう完全に個人的な思い入れからです。
カネツクロスは完敗でしたが、直線で2頭が並んだ時には
シビレました(苦笑)

最後は、1997年の天皇賞(春)

3強対決


結果的には、これが引退レースになりました。
サクラローレル、マーベラスサンデー、マヤノトップガンの
3強が全力でぶつかりあった素晴らしいレースでした。
当時の春の天皇賞は、今とは比べ物にならないぐらいの注目度で
盛り上がっていました。
このレースで、トップガンは2番人気。1番人気のサクラローレル
には、ここまで完敗続きで、サクラローレルには2度と勝てないんでは
ないかと言う評価が定着しつつあって、非常に悔しい思いをしていました。

そしてこの大一番で、天才田原が選んだ作戦は後方一気!
これがズバリ的中して見事1着でゴール。

私は、今でも、仕事やいろいろなことで落ち込んだ時にはこの
レースを見て立ち直ることにしています。
とにかく勇気をもらえるレースで、そういう気分の時に見る
レースとして、これ以上のレースは今のところはありません。

と言うことで、思ったよりも長くなってしまいましたが、
最後にもう1度、☆になったマヤノトップガンの冥福を祈り
たいと思います。
コメント   この記事についてブログを書く
« アップルパイ | トップ | 11/7(木) <笠松> 、... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

一口馬主」カテゴリの最新記事