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還暦を迎えたオールドサーファーの独り言。

『日大闘争』の“記憶”を“記録”にしていく活動がスタート!

2011-02-25 | 独り言
 昨年9月をもって定年退職して以来、今まで仕事の忙しさを言い訳にしてできなかった課題の事々に、少しずつではありますがトライし始めています。そうした試みのひとつとして、40年前に関与した『日大闘争』を再検証する活動にも、1年ほど前から関わらせてもらっていたのですが、このほどようやくそこでの“記憶”を“記録”にするための本の第一作目を完成させることができました。
                       
小学5年生の時にジョイ・アダムソンが著した『野生のエルザ』を読んで以来、私はアフリカ原野に生きる野生動物を保護する獣医師になることを夢見ていました。そして1969年の春に高校を卒業し、胸を膨らませて入学したのが日本大学の農獣医学部獣医学科でした。しかし、当時は今の若い人たちには想像もつかないでしょうが、全国のほとんどの大学で大学当局や国家体制を批判した学生たちの運動が巻き起こっていたのです。いや、そうした運動は日本だけでなく、アメリカやヨーロッパなど先進諸国の大学でも連鎖的に巻き起こり、ベトナム戦争反対や人種差別撤廃や反体制などの運動へと瞬く間に飛び火していったのです。
とりわけ、私が入学した日本大学は、その前年に大学当局による34億円にも及ぶ使途不明金問題が明るみに出たため、それまで社会問題や政治問題に無関心だった学生までが立ち上がり、従来の学生組織であった全学連とは異なる運動体として全共闘(全学共闘会議)が組織され、3万人とも4万人ともいわれる学生たちによる反大学・反体制の運動が高揚していました。
私の農獣医学部獣医学科でも例外ではなく、キャンパスやその周辺では大学当局の不正を追及した抗議集会が連日繰り広げられ、さらに学生たちによる校舎のバリケード封鎖が行われ、学生たちの怒りは頂点に達しました。そして、そうした全共闘の闘いは、全国の大学中に広がって、大学の問題ばかりか日本を揺るがす問題へと飛躍していったのでした。
同年1月には、そうした学生運動の象徴的な闘いとして、東京大学安田講堂に立て籠もった学生たちと大学当局が要請した警察機動隊との間で2日間にわたる壮絶な徹底抗戦も行われ、以降はどの大学も自ら大学問題を隠ぺいしたばかりか、それを手本にするかのように警察権力と手を組んで、学生たちが構築した大学校舎のバリケードの解体と占拠学生の排除が行われました。
私自身は、その後さらにエスカレートする政治闘争にも関わっていったたため1968年-1969年の『日大闘争』には1年にも満たない経験しかありませんが、以後も大学当局に盾つく学生を支援したという理由で日大当局から解雇された小林講師の不当解雇撤回の裁判闘争(1970年-1987年)支援や、1969年2月に日大当局が要請した右翼学生により虐殺された中村克己君の墓参を今日まで続けてきました。
                             
 そんな、当時の思いや行動を私たち自身の手で記録しようと試みているのが、冒頭で紹介した“記憶”を“記録”にする本つくりの活動です。本のタイトルは『日大闘争の記録 Vol.1 忘れざる日々(とき)』。刊行のご挨拶でも触れていますが、当時の日大全共闘の副議長であった矢崎薫氏を制作実行委員長として、“日大闘争”を闘った日大全共闘の闘士たちの活動をいろいろな角度から記録したもので、併せてその後の闘士たちの思いや生き方・生き様を証言として、私たちの体力が続く限り発行を続けながら“記憶”を“記録”として残すことを目的としています。
 私も縁あって並み居る先輩諸氏とともに編集制作に関わらさせていただいていますが、今あらためてこうした作業を通して『日大闘争』とは「一体何だったのか?」、それはその時代に「何をもたらしたのか?」、そしてその後の私たちの生き方に「どんな影響を与え続けているのか?」・・・といった事々を、明らかにしていければと考えています。

『日大闘争の記録 Vol.1 忘れざる日々(とき)』は、自費出版のため一般書店では販売されていませんが、私の先輩が管理している「農獣医学部闘争委員会ホームページ」(http://www.akahel-1968.com/)から取り寄せることができます。日大闘争や日大全共闘やこの時代のことにご興味のある方は、是非お取り寄せいただきご高覧いただければ幸いです。