所在地 山口家住宅 大阪府堺市堺区錦之町東1丁目2―31
山口家住宅の主屋は慶長20年(1615年)、大坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられた、国内でも現存する数少ない江戸初期の町家のひとつとして、昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定されています。
山口家住宅では、表から入って小さな土間からカマドをもつ大きな土間に続きます。
土間の一画の上には、駕籠が吊り下げられています。主人が使用していたのかな?
同家は江戸時代、近隣農村の庄屋を務め、奉行所と町方・村方をつなぐ役割も担っていました。
太いこの木は、松の木だそうです。手斧(ちょうな)の痕があります。
江戸中期から後期には、座敷が増築され、もてなしの場として使われてきました。
大坂夏の陣で、堺は約2万戸ともいわれた家や寺は兵火にあい壊滅的な被害を受けました。 しかし、この戦いに勝利した徳川幕府はすぐ復興に着手し、環濠を掘り直して碁盤の目状に道を整備しました。この「元和の町割」は、現在までほぼそのまま引き継がれています。山口家住宅は、この元和の町割直後の江戸時代初期に建てられたものと考えられています。
ここは、中庭のようです。
堺は茶の湯の伝統があり、山口家にも江戸後期に茶室よ水屋、待合が設けられていました。
庭園には、樹齢200年近いといわれる大きなハゼの木があり、秋には紅葉が楽しむことが出来ます。
ここの場所は、元禄2年(1689)の「堺大絵図」では、東の山口筋を表側として山口家の屋号である「越前屋」の名が記されています。
次回をお楽しみに では またね
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