hasyan の 旅の散歩道

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黒田官兵衛ゆかりの地・黒田城址  2013.09.28

2013年09月30日 09時16分30秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  黒田城址    兵庫県西脇市黒田庄町黒田

 加古川線本黒田庄駅より1kmほど東へ行くと、黒田城跡のある山頂まで車で入る道があります。入り口には、猪など獣の出入りを防止する為門扉が設けられている。開けた後は、必ず閉める様にとの注意書きがあります。扉付近には沢山の彼岸花が、扉を開けてガタガタの道をあがって行くと車を止めるところがあります。

 車を止めた先には、清綱稲荷大明神参道の沢山の鳥居が

 幾重にも重なった鳥居のある階段を上り、傾斜のある道を少し進むと正面に稲荷神社が見えてきます。この辺りには、黒田城があったと伝えられています。この城は、室町時代の土豪・黒田重勝によって築城されたといわれています。

 初めてこの地に武士集団がやってきたのは室町時代(1350年頃)です。播磨の国西部で大勢力を持つ赤松則村(円心)の弟円光も武勇に優れ、元弘の乱では大活躍をしました。円光は楠木正成の姉を妻に娶り、東播磨に勢力を伸ばそうと加西郡河内(現在の加西市河内町)に城を築きます。円光の息子で兄の敦光は別所五郎と名乗り別所氏の祖となり、三木城主別所長治まで続きます。また弟の重光は、丹波との国境を守るべくこの地にやってきて黒田七郎重光と名乗り、黒田城黒田氏初代となります。初代重光はこの黒田に父祖の霊を弔うべき円光寺を建てます。

 山上に黒田城の主郭が、山裾の姥ヶ懐といわれる所に黒田家の屋敷があり黒田官兵衛はここで生まれたと言われています。九代治隆の時代の元亀の頃(1570始め)丹波の赤井五郎・川向い石原城の石原掃部助(かもんのすけ)連合軍の突然の襲撃に敗れ、黒田城は滅亡しました。一方、弟の孝隆はそれより早く姫路城主・小寺美濃守職隆(みのうかみもとたか)の猶子(養子)となっており、御着城主・小寺政職(まさたか)の家老になっていました。

 山裾の姥ヶ懐から山上に黒田城址へ戻り、車でガタガタ道を下ります。正一位清綱稲荷大明神が播磨黒田家の城跡とされている所で現在は、清綱稲荷大明神が祀られて居るといわれています。
 次回をお楽しみに  では またね
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