hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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兵庫津の道を歩く・和田神社  2011.12.15

2011年12月18日 07時31分27秒 | 神社・寺院


  所在地  和田神社   神戸市兵庫区和田宮通3丁目2―45

  和田神社の関西最大の石鳥居が阪神淡路大震災で倒壊した。その後この大鳥居を造船所が奉納されました。

 和田宮の御祭神は天御中主大神を主神とし、市柿嶋姫大神と蛭子大神を相殿にお祀りしています。淡路島から蛭子大神が和田岬に流れ着いたのが和田宮の始まりであると伝えられ、1662年(寛文2年)領主の尼崎藩主・青山幸利が社殿を造営しこれより後に和田神社と呼ばれるようになったと伝えられています。

 境内には、影向の松が、 和田明神の使いとして信仰される白蛇が姿を現した松(二代目)だそうです。根元に陶器製の白蛇が沢山おいてありました。

 「影向松」の伝説にちなみ、高倉稲荷神社の奥には白蛇を祀る巳塚があります。

 1680年、境内にある陰向松に白蛇が現れ、祭式が盛んに行われたと「網家古伝記」に記されています。白蛇は古来より和田宮の神使として崇拝されており、神社移転の際などは姿を現したと伝えられています。

 不自由な身体に生まれたために葦の舟で自凝島(おのころじま)から流されたといわれる蛭子大神。西宮神社に祀られ、商売繁盛の「えべっさん」として親しまれるようになった蛭子大神が、自凝島からまず最初に辿り着いたのが和田岬だといわれています。このため、古来よりこの辺りにあった森のことを「蛭子の森」と呼び、蛭子大神をお祀りしていました。

 1173(承安3)年、平清盛公は日宋貿易の拠点とするために、奈良時代に行基上人の手によって開かれていた大輪田泊の改修整備を行いましたが、その際とても工事が難航したそうです。そのため平清盛公は、この一大港湾整備事業の完成と兵庫津の繁栄を祈願して、安芸国・宮島より市杵嶋姫大神を勧請しました。宮島にある7つの海岸にちなみ、兵庫エリアには7か所の弁天社が建てられたといいます。和田神社をはじめ、氷室神社・真光寺・済鱗寺・恵林寺・兵庫厳島神社・花隈厳島神社の7つの弁天社は「清盛七弁天」と呼ばれ、平家の隆盛を偲ぶ観光名所として整備されました。

 江戸時代には朝鮮通信使一行が祈願に訪れ、幕末には時の将軍が参拝、与謝蕪村が歌会を開催するなど文化の華を咲かせていました。

 ちょっと埴輪のある神社というのは、珍しいですよね~

 宮比社は、元々この神社には『宮比講』という崇敬会が組織されていました。その象徴ともいうべきこの御社には古くより自らが信仰する神様を祀る習慣があり、たくさんの神様がお祀りされています。御社の前に飾られている額は旧大鳥居に掛かっていた物です。
 次回をお楽しみに  では またね