旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

うち続く政治の貧困 … 米中間選挙ほか

2018-11-16 11:10:07 | 政治経済


 猫の逃亡や孫の運動会などに気を取られてきたが、一方、ホワイトハウスや霞が関に目を転ずると、相変わらずの政治の貧困が目を覆う。国会では、国の運営を進める法律や政策の論議はそっちのけで、その運営にあたる大臣そのものの資質を問う話に明け暮れている(桜田、片山問題)。貧困どころではなく、想像を絶する水準の低さだ。
 驚くべきは、米中間選挙の結果に対するトランプ大統領の、勝利宣言に近い喜びようだ(内心はそうでもないのであろうが)。上院は辛うじて過半数を維持したものの、下院においては明らかな敗北である。それを勝利と位置付けるのは、「本当はもっと負けるはずであったが、この程度の敗北に収まった」という安ど感からであろう。つまり、自己の悪政を自覚し、その結果の大敗を予測していたということになる。
 結果は、下院では議長を始めすべての委員会で委員長を民主党が占めることとなり、トランプの思うままにはいかなくなるだろう。恐ろしいのは、その状態に開き直って、大統領令などを振りかざして専横のかぎりを尽くすことだ。世界の良識派は、すでにそれに対して警告を発している。
 去る11日、パリで開かれた「第一次大戦終結100年記念集会」で、フランスのマクロン首相は、トランプが強めつつある一国主義、自国第一主義、排外主義的傾向に危機感を示した。トランプの動向は、大戦前夜の大国の動きを示すものであるからだ。さすがに自由と任主主義の先進国のリーダーである。
 それに反し、わが安倍首相のトランプ一辺倒は目に余る。トランプに尻尾を振り続ける、この安倍忠犬ポチ公は、安保行政の改悪から憲法改悪を推し進め、専ら軍事大国への道を突き進んでいるように見える。。
 日本の将来は大丈夫か?(つづく)

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新宿Meeting2018秋(大分県立臼杵高等学校第6回生在京同窓会)

2018-11-09 20:25:35 | 時局雑感


 この会は、すでに2,30年は続けられているが、最近は場所も固定されて、「新宿Meetinn」と名付けれ、春と秋、年2回開催されている。臼杵高校第6回生、昭和29年卒業生の集まりである。ピーク時には3,40名は集まっていたが、年を経て、最近は20名を切った。今回も春と同じく16名が集まり気勢を上げた。齢83歳、参加できることは健康であることの証左で、参加者の心意気は高い。
 ふるさと臼杵を離れて60年となる感慨を覚えて、私は次のような発言をした。

 「…園の小百合 撫子 垣根の千草 今日は汝れをながむる最後の日なり
  おもえば涙 膝をひたす さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば … …
と、吉丸一昌が謳い、ふるさと臼杵を後にしたのは明治30年(注)、…翻って昭和33(1958)年、私たちは自立を求めて臼杵を後にした。爾来、今年(2018年)は60年目にあたる。つまり今年は「社会人60年」…「独り立ちして還暦」を迎えたことになる。自然年齢の還暦以上に、私にとっては感慨深い。私たちは、昭和の後半30年と平成の30年を社会人として生きてきた。折しも今年で平成は幕を閉じる。まさに、新しい年代が始まる。これからが俺たちの本当の余生ではないか。豊かな、充実した余生を送るために、元気に新しい年を迎えて、再びここで会おうではないか」

 それぞれに、体には傷を持つ。83年生き抜いた体は、それなりの衰えを示す。しかし、心意気において未だ負けない。かつて臼杵の山野に放ち続けた若い血潮が、参加者の明るい笑顔に満ちていた。


 
     

  
     

  


(注)この「故郷を離ゝる歌」は、大正2年6月19日に発表され、吉丸の「新作唱歌」に掲載されたが、その発想の原点は、明治30年吉丸が東京大学入学のため臼杵を発ち、先ず大分に向かう六ヶ迫峠から臼杵の町を振り返ったときにあるとも伝えられている。

 

 

 

 

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遥人(孫)の運動会

2018-11-02 11:36:35 | スポーツ


 孫の遥人は、三歳児(満3歳5か月)として保育園に通っている。その保育園が運動会を開催するというので早速出かけた。10月28日の日曜日のこと。
 私は、保育園の運動会などママゴト遊びのようなものだと思っていた。まあ、元気な孫の姿でも見るか…程度の思いで出かけた。ところがドッコイ! その内容は大変なものであった。
 先ず四歳児が壇上に並び、「これから運動会を始めます」と立派に挨拶する。最初の種目はゼロ歳児。ハイハイしながら小山をのりこえ、模型の山小屋を潜り抜け、待ち受けたお母さん(またはお父さん)の足の甲に乗っかりアンヨしながらゴールイン……。立派なものだ。四歳児ともなれば、椅子を使いながらとはいえ、見事な人間ピラミットを作り上げた(椅子体操)。先生の笛と掛け声に、見事に統一されて演じる姿には感動し涙が出た。道具類の製作から細かい指導まで、先生方のご苦労はいかばかりかと思った。
 三歳児のわが遥人は、元気よく障害物競走を走った。名前を呼ばれると、右手を上げ大声で「ハイ」と返事しスタートに向かう。衣装を着せられてスタートラインにつき、最初の網くぐりからいくつか障害を乗り越え、最後はスキップしてゴ-ルイン。メダルを貰って大はしゃぎで帰ってきた。以下、写真を掲げておく。


 
 名前を呼ばれ元気に出発
   
   衣装着せられスタートにつく
     
     ハイハイ姿7で網くぐりに向かう
        
        最後はスキップでゴールイン
  
  メダルを首に掛けて、大はしゃぎで帰還

   
   いや~、楽しい運動会でした

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その後のパンダ(わが家の愛猫、本名パンダ丸)

2018-10-25 16:46:24 | 時局雑感



 わが家の愛猫パンダが、19日間の逃亡生活の末、ガリガリにやせ衰えて帰還したことはすでに書いた(10月1日付)。逃亡前は5キロを超えていた体重は、2.5キロと半減していた。背中をさすると骨と皮だけで、「皮下脂肪を使いつくしていいる」(獣医師)状態だった。
 娘は毎日、時間をかけて食を与え、点滴と歯の治療(注射)などで医者に通うこと数度に及んだ。前記したように17歳(人間に換算すると84歳)の老猫で、私は正直いって生きることはむつかしいのではないかとさえ思った。しかし、だんだん元気を取り戻し、体重も0.5キロふえて3キロ台を取り戻した。
 それにつけても19日間何処をさまよっていたのだろうか?…、と言うことがもっぱらの関心事だ。娘と女房と私が、代わるがわる尋ねる。「お前はいったいどこにいたの?」、「家の近くにずっといたの?」、「それとも相当遠くまで行ってきたの?」……しかし、パンダは何も言わない。
 この間、いったい楽しかったのだろうか? それとも怖い毎日だったのだろうか? いくら聞いても何も言わない。時々反省しているようにも見えるが、隙あらばまた飛び出そうと狙っているように外を眺めているときもある。
 すべては何もわからない。ただ、すこしずつ回復し、元気になってきたのがうれしい。

  
   帰還した直後のパンダ(10月2日撮影)

 
 帰還後19日目。階段を上る前、一休みするところがいじらしい。

   
 しかし、炊事場で食をねだるまでになったので、生きていけるだろう(20日撮影)

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広島カープのCS制覇を喜ぶ

2018-10-20 10:24:53 | スポーツ


 広島カープのCS完全制覇を心から喜んでいる。。CSという変な一発勝負で、セリーグの覇者がどうにでもなる不安があったからだ。
 私の一番の不安は、正直に言って、巨人が勝つかもしれないという不安だった。巨人はレギュラーシーズンで勝率五割に届かない、つまり負け越しチームだ。レギュラーシーズンを負け越したチームが、日本シリーズを争う資格はないと思っている。ところがこのところの調子では、巨人は勝つ気配すらあったのだ。カープは終盤、大瀬良やジョンソンの好投と打線がかみ合わず負ける試合が多かった。反面巨人は、ヤクルト戦の菅野のノーヒット・ノーランのように調子づいている。一発勝負では何が起こるかわからない。
 ところが、神の裁きは正しかった。実力通り、カープの三連勝となった。巨人が勝ったら、「資格のないものを日本シリーズに送る」という事態をどうするか、心の始末に困るところだった。。実にスッキリした昨夜の試合であった。

  
     本日付け毎日新聞より

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私にとって最後の催しとなった「純米酒フェスティバル2018秋」

2018-10-17 14:27:06 | 

 

 19年続いている恒例のフェスティバルを今年も無事に終えることができた。しかし私にとっては、とても恒例どころではなくきわめて印象深いフェスティバルとなった。それは、この回をもって、19年間務めた純米酒普及推進委員を退くことになったからである。30歳を超えるころから、目の不自由さもあり引退を申し出ていたがなか、なか後任が見つからずここまで来たのだ。
 数えてみれば今回は、51回目のフェスティバルにあたる。東京では春と秋に催してきたので、今年(19年目)で38回、そのほか夏に、大阪で10回、名古屋で3回催している。思えば長い道のりであったが、振り返れば昨日のことのようにも思える。人の世の常だろう。
 私は最後のステージに立って次のような挨拶をした。
 「日本文化のうちの最たるものの一つであると思われる日本酒文化――その本流である純米酒の普及推進に、19年間携わってきたことを誇りに思う。人類は生まれ落ちるとともに酒を造ってきたと言って過言ではない。ビールの神様マイケル・ジャクソンは、『人類が狩猟時代の彷徨をやめて一定の地に定着したのは、パンを焼くためではなくビールを醸すためだった』とさえ書いている。日本酒の神様坂口謹一郎博士は、『優れた酒を持つ民族は、必ず優れた文化を生み出している』と書いている。日本酒が今、純米酒を中心に百花繚乱咲きにおい、世界に羽ばたこうとしていることを見ると感に堪えない。私は今回をもって委員の任を卒業するが、今後も日本酒を愛し続け、飲み続け、その普及に相応の力を注ぐことに変わりはない。だから私は、サヨナラは言わない。みなさんご機嫌よう! そして、われらが純米酒に栄光あれ! ありがとうございました」

 ご出展頂いたすべての蔵を回った。たくさんお客さんたちと語り合い、記念写真も撮った。そのいくつかを掲げておこう。

  
 スロヴァキア出身のヤナさんは「黒牛」が大好きなので蔵元に紹介

      
  
 娘のオペラグループにネクタイとTシャツをプレゼントすると大ヒット

     
  「郷乃誉」須藤蔵元に紹介すると、たちまちオペラ談義となった

   
   「白鷺の城」ブースで、蔵元と4名の普及推進委員の記念撮影

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箱根に行ってきました(つづき)

2018-10-06 15:06:39 | 

 

 義兄一家と二泊三日の箱根に出かけ、二日目は大涌谷から芦ノ湖周辺を回り、最後は海賊船に乗ってくつろいだところまではすでに書いた。三日目は、朝もゆっくりして、見物も「箱根美術館」と強羅公園だけにして、早めに帰路についた。

 箱根美術館は初めて行ったが、陳列品も素晴らしく、何よりも庭園がきれいであった。開設者の岡田茂吉は、1882年(明治15年)に浅草に生まれ、1955年(昭和30年)72歳で死去するまで、かなり波乱にとんだ生涯を送ったようだ。Wikipediaによれば、岡田は日本の新宗教・世界救世教の始祖とあり、ほかに宗教家、文明評論家、書家、画家、歌人、華道流祖、造園家、建築家、美術品収集家、となっており生活の巾の広さをうかがわせる。
 我々は、その美術品収集家と造園家の一端に触れただけであるが、その素晴らしさに驚いた。収集品では備前と景徳鎮が目を引いた。何とも欲しくなるような酒器などが並んでいた。
 庭園の美しさには驚嘆した。一面やわらかい苔に覆われ、木々の緑と調和した風情は、心を和ませてくれた。言葉は要らない。写真を何枚か掲げておこう。

  
      
 

 ついでに強羅公園の写真も一枚。

      
 

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パンダ(娘の愛猫)の帰還!

2018-10-01 14:59:54 | 時局雑感


 この20日近く、わが家は悲しみに暮れていた。10年近く飼ってきたパンダ丸という猫(通称パンダ)が、姿を消したのだ。娘がアルバイトをしていた動物病院から、処分の運命にあったところを引き取り、わが子のように可愛がり育ててきた猫だ。故あって全て室内で育ててきたのであるが、この度、わずかな網戸の隙間から逃げ出し姿を消した。9月13日の朝のことで今日で19日目になる。
 この間、娘は探し続けた。自分だけではなく、オペラ仲間のおじさんたちまで動員して、家の周囲を相当広範囲にわたって探し続けた。夜には帰ってくるはずだと、真っ暗になった庭先に、「パンダ、パンダ…」と呼ぶ娘の声が、夜ごと、悲しく、むなしく響いた。しかし、パンダは帰ってこなかった。
 「猫を探しています」という写真入りのチラシを何枚も作り、周囲の家々や飲食店などに張ってもらった。みんな協力してくれて、いろいろな情報をたくさんくれたが、いずれも似ているほかの猫であった。

    

 パンダはどこに行ったか? 以前いた猫が一週間後に帰ってきたこともあったので、最初の10日や二週間ぐらいは私も希望をつないでいたが,20日近くなって私もあきらめかけていた。年齢17歳(人間なら84歳)と推定され、最近はよぼよぼと歩いていた。猫は死に様を見せないとも言われる。私は、「パンダは死に場所を求めて出ていったのだ。最後は自分の居場所を自ら探し、自らも光を放つ星になったのだ」と思っていた。…しかしそれを娘に言う勇気もなかった。悲しみに暮れて待ち続ける娘が不憫でならなかった。


 ところが! 今朝、帰ってきたのだ。隣りに住む甥が「パンダらしい姿を見た」と知らせてきたので、娘は早朝から探した。そして隣の家の庭に備えたエサにを食べに現れたのだ!
 実に19日目である。ガリガリに痩せている。「ほとんど食べていないのではないか?」と言うのが娘の見立てだ。
 奇跡が起こった、としか言いようがないと思っている。

    
     逃亡前のパンダ(わが書斎にて)

     

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箱根に行ってきました

2018-09-26 14:01:57 | 


 何十年ぶりかで箱根に行ってきた。義兄一家(6人)の計画にわが夫婦が加わった総勢8人の旅だ。実は、奥様を亡くし一人暮らしとなった義兄を、お子様方が「お父様の老いを癒そう」と企画したもので、我々の参加は若干お邪魔虫ではあったが、気心知れた者同士の旅は楽しかった。
 一同小田原で落ち合い、先ずは早川漁港で「鮮魚の昼食」、その後、秀吉北条攻めの「一夜城跡」を散策して、二泊予定の強羅『静雲荘』(文科省共済組合宿舎)に向かう。メンバーの一人、神戸大学教授の予約だ。

 このところ悪天候が続いたが、この三日間は好天に恵まれた。富士山が見えるまではいかなかったが、久しぶりに青空を満喫した。二日目は、お決まりの早雲山…大涌谷…芦ノ湖めぐりというコースだ。もはや説明は要しないので、以下は写真でつづろう。

 
     

ロープウェイで大涌谷へ。まずお目当ての「黒たまご」を食べる。

 
      

 桃源台に降りて先ず向かったのは、義兄推薦の「早川水門」だ。義兄によれば、芦ノ湖は周辺の地にとって大変な水源で、この早川水門と「深良水門」は是非とも見るべしと言う。それでは、ということにしたがキャンプ場わきの案内板を見ると、「深良水門1500m」とある。まあ、1.5キロならいいかと思い歩き始めが、気がついて見れば、行けばそれだけ帰らなければならぬ。つまり3キロの行程だ。あとでわかったが結局この日は8キロ以上を歩いたことになり、老体には少々堪えた。

  

 早川水門
   
   勢いよく深良水門を流れ出る水流

 
  箱根は秋の風情でした

 

   

  
 最後は海賊船で元箱根に向かいました。特別室にくつろいで。

 


     
   

 

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敬老の日を祝って遥人(孫)来る

2018-09-21 10:23:26 | 時局雑感


 敬老の日を祝って、孫の遥人が来てくれた。
 「9月は老人の月か…」などと、90歳になろうとする先輩の話など年寄りのことばかり書いてきたが、3歳4か月の孫がやってきて一挙に雰囲気が変わった。逞しく育った孫の遥人は、例によって部屋中を駆け回り、音楽に合わせて踊り、ジュースをあおり旺盛にお菓子を食べる。
 何よりもうれしかったのは、「じーじ、ばーば、おめでとう」とプレゼントをくれたことだ。見れば、自分の写真を印刷した栞だ。裏を見ると「ありがとう」と書いてある。聞けば、保育園の先生が並べてくれたいろいろな品から、遥人自身が選んだものだという。孫に栞を貰ったのでは、まだまだ本を読まなければならない。目が見えない、なんて言っていられないと励まされた。

 裏には「ありがとう」と書いてある

 

 夕食は、うな重などとって、親子三代たのしい食事会となりました。

  

 

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