家づくり日誌

gooで再スタート。2008~10年にセルフビルドで家と工房をつくった記録。今は榛名山麓から暮らしの便りをお届けします。

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フェイク探知機/日本アンデパンダン展

2018-03-30 09:47:33 | 暮らし 個展・アート
 国立新美術館向かいの桜 3月24日

 東京六本木の国立新美術館で今、アンデパンダン展が開催されている。3年ぶりに出品。作品のタイトルは「フェイク探知機」。
 米トランプ大統領が誕生してから「フェイク」という言葉がすっかり流行になってしまった。
 昔、「フェイク」といえば、女性が身にまとう人造?毛皮だったような・・・。本物の、つまり生きていた動物の毛皮でないので、区別するために「フェイク(偽物)」と呼んだのだろう。
 今から思えば、まだ正直で、のどかな時代だった。

 トランプ大統領は、自分に都合の悪いニュースは「フェイク(嘘)」と指呼して応酬する。「フェイク(嘘)」が、トランプ大統領に批判的なマスコミなのか、トランプ大統領自身なのか、テレビを見ているだけでは分からない。

 日本の首相もトランプ大統領と似ている。都合の悪いことは、はじめ「知らぬ、存ぜぬ」で通し、キレると、論点をすり替えて相手を攻撃する。
 日本はアメリカと文化が違うので、首相がテレビカメラの前であからさまに「フェイク」呼ばわりすることはないが、インターネットではずいぶん「フェイク(嘘)」を連発しているようだ。このあたりの使い分けは日本文化の特徴か。本音と建て前の使い分け。狡猾なのか、陰湿なのか。

 出品した「フェイク探知機」は本を選別する。ベルトコンベアで運ばれてくる本を組み込まれたプログラムに沿って判定する。フェイクと判定された本は白紙でカバーされて出てくる。何の本か分からない。フェイクではないと判定された本はそのまま出てくる。・・・という見立て。

 さて、どんな本が包装され、どんな本がそのまま出てくるのだろう。
 会場では数十冊の本を並べている。トランプ大統領や安倍首相の本もあれば、スノーデンやアサンジ(ウィキリークス)、湯浅誠、広瀬隆の本もある。大江健三郎や本谷由希子、百田尚樹の小説もあれば、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』やジョージ・オーウェルの『1984年』、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』もある。

 フェイク探知機のモニタ画面には次の文章が表示されている(表示される文章は、会期途中で一部入れ替わります)。


 <警告! Alert!>
・この本はフェイク(嘘、いつわりの内容)です。
・フェイクと判定された本は、自動包装されます。
・すみやかに書き換え、削除、廃棄してください。


フェイク探知機 Ver.3<書籍用>の特徴
・読み取り精度と速度の向上・・・・本を閉じたまま全ページを読み取ることができます。
・判定精度の向上・・社会に出まわる多くの本をフェイクと判定できるようになりました。
・省スペース、省電力設計・・・東京オリンピック後の新省エネ基準も楽々クリアーです。
 さらに、本の流通量を減らすことで、省資源大国ニッポンの国づくりに貢献します。
 判定プログラムの詳細については、お答えすることができません。それは秘密です。



<第71回日本アンデパンダン展>
 会 場   東京六本木・国立新美術館1階
 会 期   3月21日(水)~4月2日(月) 10:00~18:00(最終日は14:00終了)
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米軍ヘリ窓落下 「やらせでは」と学校に中傷

2017-12-22 21:32:04 | 暮らし 原発事故・社会
 このところ、もう一つのブログ「今日の東京新聞」に記事をアップしています。
ところが今日、そのブログを運営している「はてな」に障害が発生したためブログの更新ができません。そこで、このブログ「家づくり日誌」に、今日掲載する予定だった「今日の東京新聞」の記事を掲載します。

   31面/2017.12.22

ヘリ窓落下 「やらせでは」と学校に中傷/31面

米軍飛行再開 地元の不安 晴れぬまま
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に所属するCH53Eヘリコプターの窓が、小学校の校庭に落下した事故。米軍は飛行前点検の徹底や、飛行ルートの見直しなどの安全措置をとったとして19日、発生から1週間もたたずに同型機の飛行を再開させ、日本政府も容認した。市街地上空を米軍機が飛び回り、不安な日々が続く地元住民ら。基地のすぐ近くに学校や保育園があることを批判する中傷も相次ぎ、さらに苦しめられている。

移住強いられた歴史「知って」
 米軍ヘリの窓が落下した普天間第二小を含む学校は、普天間飛行場を取り囲むように少なくとも18カ所に点在する。
「学校をどかすのが筋だろう」「やらせじゃないか」。宜野湾市教育委員会によると、13日の事故の翌日から普天間第二小などに計20件の誹謗(ひぼう)中傷の電話があった。市教委の加納貢指導課長は、米軍が古里に巨大な飛行場を造り、住民は仕方なく周りに住むしかなかったという「歴史的経緯を分かってもらいたい」と話すが、理解が進まないという。
 米軍は1945年の沖縄戦で旧宜野湾村中心部に軍用滑走路を建設。住民計約8800人の多くが移住を強いられた。当時の住民に聞き取りを行った字宜野湾郷友会理事の宮城政一さん(74)は「(同飛行場は)親や先祖が住んでいた古里だ。『危険なら周囲の学校や家を動かせば良い』という主張に怒りを通り越して悲しみを感じる」と話す。
 普天間第二小は69年に開校し、初代教頭の宮城武雄さん(94)は「近くにほかに土地はなかった。基地があるから宜野湾市はどこでも危ない。基地がなかった頃は、松並木があり素晴らしかった」と振り返る。
 80年代には第二小を別の米軍施設の返還地に移転する案も浮上した。ただ、第二小の敷地を米軍に提供するのが条件だったため断念したという。

翁長知事が不快感
 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は21日の記者会見で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)に所属する大型輸送ヘリコプターの操縦席窓が、授業中の運動場に落下した市立普天間第二小などに誹謗中傷の電話が相次いでいることに関し「どんなに説明しても繰り返される飽くなきヘイトスピーチや差別が一向に改善されない」と述べ、不快感を示した。
 沖縄戦で米軍が住民の土地を接収して建設した飛行場周辺に、学校や市街地が密集している現状について「古里の周辺に住むのは自然な成り行きだ」と強調した。任期満了まで約1年となり、次期知事選への対応については「とても考えが及ばない」として、明言を避けた。

米軍普天間飛行場周辺での事故・トラブル
7日に緑ケ丘保育園屋根に、米軍ヘリコプターの部品が落下しているのを発見。13日には、市立普天間第二小学校運動場に、同飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリコプターの窓が枠ごと落下した。当時、運動場では児童54人が体育の授業中だつた。19日午後には同型機の飛行が再開された。


<追記>ブログサービス「はてな」の障害は回復しました。もう一つのブログ「今日の東京新聞」もご笑覧ください。
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樹木の伐採

2017-06-09 15:13:59 | 暮らし 畑・農作業
  

 6月上旬は樹木の伐採をした。切ったのは道路側に茂っていた?お化けの木たち。欅(ケヤキ)と柘植(ツゲ)4本と柊(ヒイラギ)と柘植が合体したお化けの木。ケヤキは自生してから10年と経っていないはずだが、日当たりがよかったのか、水路の横で水に恵まれていたのか、どんどん成長して幹も太くなった。枝葉が電線に絡み、落ち葉が雨樋を塞ぐので切り倒して薪にすることにした。

 伐採時に葉が茂っているとめんどうなので春に枝だけ落としておいた。そして今月、チェーンソーで伐採。幹は30ー40センチの長さで輪切りにして、しばらく乾燥させた後、斧で割って薪にする(写真左)。

 ケヤキが空に向かってまっすぐに伸びるのに対して、長く放置されてきたツゲとお化けの木は幹と枝が奔放に絡んでいた。とくにヒイラギとツゲの合体したお化けの木は、太い幹?が複雑に絡んでジャングルのよう。左側はヒイラギ、右側がツゲらしいのだけど、葉は混雑していて、ツゲの小さな葉にトゲが出ていたり、ヒイラギの大きな葉がトゲがなく丸くなっていたり。たぶん木も、自分が何の木だったか分からなくなっていたと思う。チェーンソーで伐採したあと、幹の太い部分で年輪をかぞえたら50本以上あったから樹齢数十年になる(写真右)。

 幹の太さは同じくらいなのに、ケヤキの年輪は10本未満。お化けの木は50本あまり。それだけ落葉樹のケヤキは成長が早い。お化けの木のヒイラギは常緑樹で成長が遅い。その分、年輪の間隔は狭く緻密で、木は堅く重くなる。

 大きな栗の木に梯子(はしご)を掛けて登り、太り枝を切り落としているときに転落したのは昨年9月。あれから9ヶ月。チェーンソーで樹木を切り倒して「復活した」といいたいところだけど、腰や背中は痛くなるし、二日休んでも疲れがなかなか抜けない。薬局でもらってきた湿布薬のモーラステープが手放せない。

 「今年は無理をしない。ビスターリ(ゆっくり)で行く」と言っても、草や木は成長を待ってくれない。さぼればさぼった分だけやらなければならない作業がたまっていくのが山の暮らしの辛いところ(です)。

 
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新しいブログのお知らせ

2017-05-30 18:20:27 | 暮らし 原発事故・社会

    「今日の東京新聞」2017.5.30

 新しいブログをアップしました。タイトルは「今日の東京新聞」。
 このブログでもたびたび取り上げてきた東京新聞の記事を紹介するブログです。
 ブログの場所は「goo(グー)」から「はてな」に移ります。下の文字をクリックしてご覧ください。

 はてなブログ:「今日の東京新聞
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「共謀罪」は治安維持法

2017-05-18 14:37:24 | 暮らし 原発事故・社会

     2017.5.9 

 共謀罪、昨日の委員会採決は回避されましたが、予断を許さない状況です。国会の委員会審議、法務大臣の答弁は酔っ払いオヤジのようなひどさでしたが、中身はもっとひどい。まるで1925年(大正14年)に制定された治安維持法のようで、海外からも日本の秘密主義に懸念の声が上がっています。
 先日、映画監督の周防さんの共謀罪に対する意見が新聞に載っていたので紹介します。

共謀罪わたしの視点① 映画監督/周防正行さん  東京新聞 2017.5.9
 共謀罪のある国でもテロは起きている。政府の言うテロ対策というのは名目にすぎない。国民をだましてでも立法事実(法律を作る根拠)がない法案を成立させようとするのは、国家権力に対して声を上げる人を黙らせたいからだろう。
 何が罪に当たるのかよく分からず、突然警察に「悪いことをしようとしただろう」と言われ、捜査されるかもしれない。「だったら何もしないほうがいい」という発想に陥りかねず、創作に携わる人はもちろん全ての人に萎縮をもたらす。
 刑事司法改革を論議した法制審議会特別部会の委員を経験し、法律は解釈と運用次第でどうにでもなると痛感した。刑事訴訟法が想定していなかったはずの「人質司法」や「調書裁判」が、運用する側の警察や検察、裁判所によって作り出され、冤罪(えんざい)の温床となっていた。令状の審査を通じて捜査に歯止めをかける立場の裁判所にチェック機能は期待できない。
 監視社会にならないと政府がどれだけ言っても、十年、二十年先に解釈や運用が変わる可能性はある。安倍政権は安全保障関連法案を成立させるために、憲法という国の最高法規の解釈までも変更したのだから。
 今われわれが手にしている自由を得るため、歴史上どれだけたくさんの人が闘ってきたのか考えてほしい。国家が唱える「安全」という言葉の先にどんな社会が待っているか、想像力を働かせなければならない。

 すお・まさゆき:1956年、東京都生まれ。代表作に「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」など。
 
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介護初体験

2017-05-17 08:51:42 | 暮らし 榛名山麓

  

 ここ榛名山は雨の日が続きます。今日も晴れるかと思ったら午前中は小雨模様。青空がみたいな、と思い、先月の写真を1枚アップします。写真左は高崎観音山駐車場からみる高崎市街。高台からは市街が一望できます。ちょうど桜が満開のころで、平日の昼下がりにもかかわらず、多くの人が訪れていました。

 写真右は、昨年秋から冬にかけて常時装着していた硬質コルセット。このコルセットで上半身を固定していました。まるで戦国武将の甲冑のよう。赤く塗れば、昨年はやった大河ドラマの「真田丸」か。

 このブログ、2つ前に「老犬介護 今夏そろって16歳」という記事があります。わが家の犬のことを書いたものです。じつはこのあとにもう一つの介護についても原稿を用意していたのですが、一つの記事に同じテーマが二つ続くと内容が散漫になるので、「老犬介護」を先にアップしてもう一つの介護はそのあとからと思っているうちに1ヶ月半がすぎてしまいました。
 遅ればせながら、もう一つの介護についての記事をアップします。文章は老犬介護のつづきからはじまります。


 クロにはかせるため人間用の紙パンツを買ってきたとき、これがあの紙パンツかと両手に広げてしばらく眺めてしまった。昨年一度、私にも「紙パンツ」という動きがあったのだ。

 転落事故で背骨を強打、骨折して入院したのは昨年9月のこと。背中のほか首も痛い。しばらくは寝返りもうてなかった。そのとき「紙パンツはきます?」という声がかかった。
 「紙パンツ? いや、いいです。自分でやります」。私に紙パンツ? 想定外だった。
 「あ、そう? 大丈夫? だめだったら無理しないで言ってくださいね。ベッド、汚れちゃうから」
 なるほど、そういうことか。寝たきりの患者に粗相(そそう)をされるとベッドが汚れて片づけが大変になる。それで紙パンツ。

 小をするときは尿瓶(しびん)を使った。しばらくは横を向くのも大変だったけど、それでも何とか尿瓶のなかに小便をした。問題は大。一日中ベッドで横になっているだけなので二、三日は便意もなかったけど、数日が過ぎるとさすがにしたくなくる。
 枕もとのブザーを押して便意を告げると介護士が差し込み便器をもってきた。ベッドを立ててもらう。介護はここまで。あとは自力。医者の許可で70度まで立てたベッドに上半身を押しつけて少しずつずりあげ腰を浮かしていく。尻の下に便器を差し込む。このあとは疲れて便器に座ってしまう。そして力む。奮闘努力の結果、ベッドの上で無事排便を終える。ブザーをおして便器の回収を依頼する。

 介護士がやってきた。便器を回収する。そのあと尻を拭いてもらわないといけない。そのために尻を持ち上げていなくてはならないのだけど、排便だけで疲労困憊しているので、ベッドに上体をおしつけ尻を持ちあげているのがとてもたいへん。するとトイレットペーパーを手にして待ちあぐねた介護士が言った。
「男の人はみんな恥ずかしがるけど、私たち(仕事だから)何とも思わないもんね」
 来年で定年を迎える女性介護士だった。

 私は尻を持ち上げるのが精一杯で恥ずかしいと思う余裕もなかったけど、言われてみるとなるほどと思った。はじめにブザーを押して便意を告げたとき、尻はどうやって拭くのだろう、拭くのは男性か女性か、との思いがかすめたのを思いだしたからだ。気が楽になった。肩の力が抜けると尻が楽に持ち上がる。介護士の手が伸びてきた。拭きおわるとベッドを倒してもらう。横になってほっとする。

 介護を受けるとはこういうことなのか。大人になってからの初体験。このような体験を積み重ねて人は年をとっていくのだろう。つぎに尻を拭いてもらうのが何年先のことか(当面その予定はない)わからないけど、前に拭いてもらったのはいつだっただろう。拭いてくれたのはだれ? 小学校に上がる前、保育園児のころ? 拭いてくれたのは保母の先生? ちがうように思う。
 では家で? 祖母に叱られながら?
 まだズボンとパンツを膝までさげたまま便器をまたぐことができず、全部脱いでから便所に駆け込んでいたときの記憶は残っているけど、尻を拭いてもらったときのことは・・・。
 失念しました。覚えていない。
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首相の二枚舌  新聞記事から

2017-05-10 09:30:29 | 暮らし 原発事故・社会

   

本音のコラム「飛び出し坊や」 斎藤美奈子 東京新聞/2017.5.10
 安倍首相発明の改憲案には意表を突かれた。
 ①九条の1項(戦争放棄)と2項(戦力不保持)を残したうえで自衛隊について明記する。②教育を無償化する。
 みんなが道路の右側を注視していたら、左側から急に子どもが飛び出してきたような感じ。
 八日の衆院予算委員会で真意を問われた首相は「相当詳しく読売新聞に書いてあるので、熟読していただいて」と述べ、日本中をズッコケさせたが、当の読売新聞はさすが腰巾着、九日の社説でも「各党は、生産的な改正論議を展開してもらいたい」なぞと、ふんぞり返って書いている。
 近畿地方を旅すると、よく「飛び出し坊や」に遭遇する。ドライバーに子どもの飛び出しへの注意を促す、一種の交通安全看板だ。どこから飛び出すかわからない首相の不規則な憲法発言も、飛び出し坊やに近い。
 2013年には改憲の要件を緩和する96条の改正をいい出して、大ブーイングが起こった。15年には緊急事態条項の必要性を説くも、必要ないと撃破された。そして今度はコレである。
 自民党の石破元幹事長も「今まで積み重ねた党内論議の中では、なかった考え方だ」と述べている。読売新聞の前に、首相には自民党の改憲草案を熟読なさるようすすめたい。整合性のない憲法論議でこちらまで事故に巻きこまれるのはまっぴらだ。(文芸評論家)

 
首相「読売熟読して」/発言撤回せず 野党、国会軽視と批判 東京新聞一面/2017.5.10
 九日の参院予算委では、安倍晋三首相が八日の衆院予算委で改憲を巡る自身の考え方について「読売新聞を熟読してほしい」と具体的な答弁を避けたことに対し、野党から「国民の代表機関である国会で説明する責任を放棄している」として、批判や発言の撤回を求める声が相次いだ。
 首相は三日に開かれた会合に寄せたビデオメッセージで九条を含む改憲の考えを表明。同日付の読売新聞でも同趣旨のインタビュー記事が掲載された。
 九日の参院予算委で、民進党の蓮舫代表は「読売新聞では気持ちよく改憲の思いを話し、国会では話さない。国会をなんだと思っているのか」と発言の撤回を要求した。
 首相は「首相としてこの場に立っている。自民党総裁そして一政党の考えを披瀝すべきではない」と撤回に応じず、蓮舫氏は「政府与党が一体の議院内閣制で首相と総裁を使い分けるのは二枚舌だ」と批判した。(横山大輔) 


5月3日読売新聞一面/参考写真
 上の右写真は、安倍首相が「熟読してほしい」という5月3日の読売新聞一面です。首相は、首相には(憲法尊重擁護義務があるから)国会では憲法改正などの発言や答弁はしないといういっぽうで、5月3日の読売新聞では憲法改正について唐突に踏み込んだ発言をしています。首相によれば、このときの発言は自民党総裁としての発言だから(首相に課せられている憲法尊重擁護義務を守らなくても)いい、となるようです。こんな屁理屈、使い分け、詭弁、ウソを許していたら憲法はがたがたになってしまいます。
 国会で発言の真意をたずねられたとき、首相は「新聞に詳しく書いてあるから読売新聞を熟読してほしい」といって答えなかった。国民軽視もはなはだしいけど、調べてみたら読売新聞にはちゃんと「首相インタビュー」と書いてあった。「自民党総裁インタビュー」じゃなかったんだ。ということはこのインタビュー、首相の憲法尊重擁護義務違反になるんじゃないか。
「首相インタビュー」なのに「自民党総裁として発言した」という安倍首相はここでも平気でウソをついている。
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老犬介護 今夏そろって16歳

2017-03-29 07:31:52 | 暮らし 榛名山麓

    1年前の写真から ハナ(右)とクロ(左)

 わが家には犬が二匹いる。いずれも今年16歳になる老犬だ。
 ハナは野良犬の赤ん坊をひきとって育てた。元気のいい犬だったけど数年前から老化が目立つ。
 耳が遠くなったときはとてもおびえた。野良だったら、外敵が近づいてきても気づかずにいたらやられてしまう。寝場所を外から工房に変えてやったら少し落ち着いた。今はごはんと散歩のとき以外はほとんど一日中、工房の作業テーブルの横で寝ている。安心できるらしい。
 3年前から歯がぬけるようになった。ドッグフードが食べづらくなって、食べ終わるまでに時間がかかる。食欲も落ちてきた。自慢の牙が抜けたときは野生の自信をなくしたのかしばらく落ち込んでいた。

 昨年、手をやいた。5月、6月の蒸し暑くなるころ、ハナがとつぜんハンガーストライキ。はじめは食欲が落ちたくらいに思っていたが、老犬になって野生の血がよみがえったか。ニンゲン嫌いになり、背を向ける。ごはんを食べない。器の水も飲まない。これでは尿毒症になってしまう。散歩でたまり水をみつけるとピチャピチャなめて渇きを癒す。でも器に水をくんでやると飲まない。そこで外水道の水をホースで誘導したら、ホースから流れる水を飲むようになった。ハンストは1週間前後の断食を2回くり返したが、器の水飲み拒否は3か月くらいつづいた。蒸し暑さで、おつむが野良にもどっていたのだろうか。

 クロも10年前に保健所からひきとった犬。推定4-5歳。わが家に来て10年。今夏で11年になる。推定年齢はハナと同じ。
 大型犬は高齢になると足腰が弱る。クロもその例外ではない。4年ほど前から散歩のときふらつくようになった。それでもよく頑張っている。とにかく散歩が好きで、足腰が立たなくなってきた今でも、「さんぽ」ということばを聞くと立ち上がろうとする。今は胴につけたハーネスを持ちあげ、立ち上がりをサポートしているけど。

 クロは足腰のおとろえ以外はいたって健康。耳もいい。歯もじょうぶだ。ただ一つ困ったことがある。工房で粗相するのだ。下半身が硬直してきて、とくに最近は後ろ脚が曲がらず、いつもつっぱったままになっている。それで排便の自覚があいまいになってきたらしい。粗相には紙パンツ(おむつ)で対応するしかない。
 紙パンツは、犬用が高価なので人間用の紙パンツを買ってきてつかっている。はさみで穴をあけてしっぽをとおすのだけど、下肢が硬直しているのではかせるのに一苦労。

 二匹とも、16年目の夏を無事迎えられるか。乗り越えられるか。冬がすぎて夏、夏がすぎればまた冬が来る。この先も試練の日々がつづく。
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ダブルスタンダード(二重基準)

2017-03-20 11:34:31 | 暮らし 原発事故・社会

  

 写真は3月11日に放映されたNHKの番組『避難指示”一斉解除”』の場面です。場所は福島県飯舘村。2011年の福島第一原発事故で全村避難となった飯舘村は今月末(3月31日)で避難指示が解除されます。除染などで年間の放射線量が20ミリシーベルト以下に下がったというのがその理由です。(まわりの山は除染されていません)

 写真左は、避難指示が解除される地域の空間線量。計測器は2.12マイクロシーベルト/毎時を示していて、画面に表示される避難指示解除の基準「3.8マイクロシーベルト/毎時(年間20ミリシーベルト)」を下回っていることがわかります。またこの次の映像では東京の空間線量が0.04マイクロシーベルトと表示されていました。3.8マイクロシーベルトを下回ったといっても2.12マイクロシーベルトは東京の50倍を超える線量です。

 写真右は、飯舘村の田んぼに積み上げられたフレコン(放射能で汚染された土などをいれた黒い袋)の山。除染作業の一場面です。このような場所が村内に数多くあります。フレコンには除染ででた高線量の汚染土などが入っています。

 先週金曜日(3月17日)、前橋地裁で一つの判決がでました。福島第一原発事故で福島県から群馬県などに避難した住民が国(政府)と東京電力に損害賠償を求めた裁判の判決で、前橋地裁は「巨大津波の予見は可能で事故は防げた」として、国と東電の責任を認め、損害賠償の支払いを命じました。

 裁判所は、2002年に発表された国(政府)の津波地震予測から巨大津波が予見できたこと、東電が必要な対策をとっていれば原発事故は防げたこと、また、国(政府)が2007年8月に東電の津波対策がすすまない状況を認識していながら規制権限を行使せず東電に対策をとらせなかったことは「違法」であると指摘しました。(以上、新聞記事から)

 では、福島第一原発事故に責任があると指摘された2007年8月の政府、首相はだれだったのでしょうか。調べてみると、当時は、小泉政権のあとをうけて誕生した第一次安倍政権でした。首相はもちろん、いまと同じ安倍晋三首相です。
 裁判所が、福島第一原発事故に責任があると指摘した国(政府)とは、第一次安倍政権のことでした。

 判決では避難指示区域から避難してきた人(強制避難をしいられた人たち)のほか、避難指示区域外から自主的に避難してきた人たちにも損害賠償を認めています。
 なぜ自主的に避難してきた人にも裁判所は補償の必要性を認めたのでしょうか。避難指示区域外ならどこに住んでいても他県に避難すれば自主避難者と認定されて補償がもらえるのでしょうか。たとえば群馬県でも。・・・そんなことはありません。

 理由は、福島県と福島県以外の都道府県では放射線の被爆許容量がちがうからです。
 福島第一原発事故以前の安全基準は年間1ミリシーベルトでした。ところが2011年3月11日にフクイチで深刻な原発事故が発生すると広範囲の地域が放射能で汚染されました。
 国(当時は民主党の菅政権)は緊急対策として年間被曝量が20ミリシーベルトを超える地域を避難指示区域とし、区域内の住民全員を避難させました。その区域の外側、年間被曝量が20ミリシーベルト以下の地域から避難してきた福島県の人たちが自主的避難者です。

 2011年当時の年間被曝許容量20ミリシーベルトという数値は、事故発生直後の緊急避難的な値で、その後は情勢の変化とともに数値を下げ、1ミリシーベルトに近づけていくことが求められていました。
 ところが国(政府)はそのような措置をとらず、6年が経過したいまでも福島県の年間被爆許容量を20ミリシーベルトに固定したまま避難指示を解除しています。福島県と福島以外の都道府県では被爆許容量が20倍もちがうダブルスタンダード(二重基準)です。

 避難指示が解除されても帰還する人はわずかで、その多くは高齢者といわれています。高齢者よりも放射能の影響をうけやすい若い人や子どもたちが帰らないのは20ミリシーベルト以下という放射線量に不安があるからです。他の都道府県は1ミリシーベルト以下なのに・・・。
 20ミリシーベルトまでなら安全とはだれも思っていないのに、国(第二次安倍政権)は20ミリシーベルトに固定したまま避難指示を解除する。だれも信用していないおかしなことが今この国ではまかりとおっています。
 
 ちなみにチェルノブイリ原発事故では、事故発生から5年後の1991年に避難基準を法律で定めました(ベラルーシ/旧ソ連)。
 チェルノブイリの避難基準は、年間被曝量1ミリシーベルトを超える可能性のある地域を移住権利ゾーン、5ミリシーベルトを超える可能性のある地域を移住ゾーン(第2次移住)、10ミリシーベルトを超える可能性のある地域を移住義務ゾーン(第1次移住)、1986年に住民が避難したチェルノブイリ原発に隣接する地域を無人ゾーンと定めています。(「ベラルーシにおける法的取り組みと影響研究の概要」ウラジーミル・P・マツコ,今中哲二、から)。
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国道6号線 相双エリア

2017-03-09 15:28:55 | 暮らし 原発事故・社会

 前のブログ、はじめタイトルを「ビスターリ、ビスターリ」としていた。あとでこれでは何のことかわからないと気づいて「ビスターリ(ゆっくり)」に変えたけど、もう一度考えなおして「ビスターリ、ビスターリ(ゆっくりと)」にした。
 ビスターリはネパールの言葉。荷物を背負って山道をのぼるとき「ビスターリ、ビスターリ」と口ずさみながら歩くと、足を運ぶ動作が言葉のリズムが重なって、ゆっくり息切れしないで歩きつづけることができる。
 昨年背骨を痛めてスローダウンする今年は、ビスターリ、ビスターリ(ゆっくりと)だ。

 今日は3月9日。明後日の土曜日は3.11から6年を迎える。
 昨年(2016年)6月、茨城県まで所用ででかけたついでに、水戸から国道6号線を走り、福島まで足をのばした。6号線を走行したのは茨城県の水戸から福島県の南相馬まで。途中、福島県の大熊町、双葉町の一部では福島第一原発から3キロ以内のエリアを走る。
 2011年3月の原発事故発生後、高線量の放射能に汚染された国道6号線は大熊町の北部から双葉町にかけての区間が通行禁止になった。規制が解除されたのは2014年9月。この区間の通行禁止は解除されたが、車での6号線通行(通過)が解除されただけで、停車や近隣への立ち寄りは認められていない。この区域はいまも高線量の帰宅困難区域に指定されている。

 福島県の太平洋側は通称浜通りとよばれる。その約3分の2をしめるのが南から順に広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、南相馬市、相馬市。この二市六町は相双エリア(相馬・双葉地域)とも呼ばれている。このうちの相馬市をのぞく一市六町が福島第一原発事故で深刻な放射能汚染の被害をこうむった地域とかさなる。
 昨年6月に走行したのは広野町から南相馬市までの一市六町と、南相馬市の西に隣接する飯舘村。福島第一原発の北西に位置する飯舘村も高線量の放射能に汚染されて住民が村外に避難した地域だ。

 3.11を前に昨年、南相馬市まで国道6号線を走行し、その後飯舘村をぬけたときのようすを紹介します。

 2016年6月、茨城県水戸市から6号線を北上して福島県に入り、いわき市をぬけて広野町のコンビニに車を停めたのが午後6時半だった。今晩はどこで休むことになるのかまだわからない。とりあえずここでおにぎりとお茶を買っておく。
 広野町は2011年の原発事故で住民が避難した地域。・・・なのだが、5年が過ぎてコンビニはたくさんの人でにぎわっていた。客のほとんどが工事関係者とわかる男性たち。レジに立って接客するのはアルバイトの若い女性だ。放射能汚染=避難地域=若い女性と連想がつながると、無責任な立場と承知しつつも一瞬「だいじょうぶか」と案じてしまう。この広野町からさきが線量の高いエリアになる。
 でも広野町のコンビニでこのにぎわいなら6号線はこの先も車が多そうだ。車に戻り6号線を北に向かって走る。ところがまもなく交通量が激減した。さきほどまで車線に列をなしていた大型トラックはいったいどこへ消えたのだろう。
 そして気づくと私の車の前後を走るのは、前をゆく1台の赤い大型バスだけになっていた。対向車もあまり来ない。

  

 写真左は、6号線に設置されているモニタリングポストの線量表示(富岡町)。ここは2.803マイクロシーベルト/毎時を示していた。運転中に確認できたモニタリングポストは3カ所。2番目のモニタリングポストは3マイクロシーベルト/毎時を超えるさらに高い線量が表示されていた(大熊町)。福島第一原発から3キロのエリアだった。
 写真右は大熊町。両側に家が立ち並ぶ市街地区域。道路はガードレールで車道と歩道にわけられている。ガードレールは一軒ごとに自家用車が出入りできるスペース(あき)があり、すべてのスペースが車道から侵入できないよう柵で封鎖されていた(写真の左側のガードレールにスペースを封鎖する柵が写っている)。この付近一帯はいまも帰宅困難地域に指定されている。

 下の写真左は、前を走っていた大型バスが前方の交差点で右折するために車線変更したところ。前方の交差点を右折していった先に福島第一原子力発電所がある。バス車内のようすは確認できなかったけどフクイチで働く作業員が乗るバスだったと思う。
 フクイチへ曲がる交差点を直進してさらに進むと、前方を走る車はなく、すれちがう対向車もまれになった。時計を見ると午後7時近く。ヘッドライトに照らされる前方が暗くなるほどに道路の両側で闇が深くなる。

 写真雑誌『DAYS JAPAN』2014年11月号には、9月に通行規制が解除されたばかりの国道6号線走行の記録が載っている。その記事によると、走行中の車内でも、フクイチに近い3キロエリアで10マイクロシーベルトを超える高線量が計測されている(記事「実測・車内放射能測定地図/通ってはいけない。」)。
 ヘッドライトの左右に広がる闇はいまも高濃度の放射能で汚染されている。すれちがう車もなく一台で走っていると少し不気味だった。
 やがて闇の中に明かりが灯るようになるとほっとする。人家の小さな灯りは見おとしたかも知れないが、そこに人がいると最初に思った明かりはコンビニだった。ふりかえると、帰宅困難区域の手前で最後に見た明かりもコンビニ。広野町のコンビニを出てしばらく走り富岡町に入ったあたりだったと思う。第二原子力発電所の入り口を示す道路標識の先にそのコンビニはあった。
 この放射能で汚染された広大な闇の両端にコンビニの明かりが灯るという光景は、いまの日本の社会、私たちの暮らしのありようを端的に物語っているようだ。
 その夜は6号線沿いにある南相馬の道の駅で車中泊した。

  

 翌朝は、道の駅を早朝に発って県道12号線を西に向かう。町を出て田んぼのあいだをしばらく走ると道路は山間の登りになる。阿武隈高地だ。この阿武隈高地に広がるのが、福島第一原発の北西に位置する飯舘村。飯舘村は走っていても、牧歌的な美しい風景がつづく。そのなかに黒い大きな袋を積みあげた場所があちこちに点在する。黒い大きな袋は除染作業ででた放射能汚染土を詰めてフレコンだ。仮置き場なのだが、5年がたってもほかに移す場所もない。美しい飯舘村のあちこちに積まれたフレコンの山は、はじめて見るものには異様な光景だった。

 写真右は午前5時台に通過した飯舘村の中心部。このあたりでは避難解除に向けての整備が進んでいた。
 2011年4月22日に全村避難した飯舘村は、6年後の今月末(2017年3月31日)に一部の帰宅困難区域をのぞいて避難指示が解除される。はたしてこの町角に何人の人がもどってくるのだろうか。走行したのが早朝だったこともあるが、飯舘村では人を見かけなかった。
 復興庁が2015年12月におこなった飯舘村住民意向調査では、将来の希望も含めて帰還の意向をしめした人は全体の約3割にすぎず、10代、20代は7.4%、30代で10.3%、帰還を望む割合がもっとも多い60代でも45.6%、半数以下だった。

 ・この記事は3月9日夜に投稿、翌10日に加筆しました。
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