徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

老いぼれの大失態

2023-11-23 22:49:59 | 随想


















人間って実際は信用できない生き物なんだなってつくづく感じさせられた。

しかも相手が老いぼれであるゆえに、結構なめてかかることも加わるのだろうが、

余計に払った分を着服しても気が付かないだろうと、さっさとしまい込んだのかもしれない。

しまい込んでしまえば証拠は残らないから何とでも言えるからな~

なまじ気を回して着払いの宅配便の受け渡しがスムーズにいくようにと思って、昨夜金銭を用意したのが間違いであった様である。

支払金額は3940円なりであったので、4000円を別の札入れに挟んでいたのである。

ところが宅配が来た時、いろいろ作業を行っている最中であったためかそれをすっかり失念してしまっていて、
不断使いの札入れから金をとりだしたのだが、千円札が二枚しかないので、大きなのを、崩してもらうかなって思ったとたんに、
昨夜用意したことを思い出して、それと札入れから出した二千円計6000円を手にして受け取りに出た。

そこで手にした6000円也を渡して端数の40円を渡せば百円の釣りで、すべてOKと40円也を取りに部屋へ取って返して、
100円の釣りをもらって、無事取引終了、とご満悦だったが、
後に、よくよく思い出してみると昨夜用意したのは4000円だったことを思い出して其れに2000円を加えて支払ったことになる。

結局今日札入れから出したものは、戻しておけばよかったのだが、
何か急かされて手にしたまま用意しておいた札に加えて支払ったことになった事を後刻になって気が付いた。

宅配便の配達員が、善良なら即刻多過ぎることに気が付いているはず。相手が老いぼれだからとぼけ通して100円の釣りを渡して立ち去って行った。

つくずく、人間老いぼれたくないものだと、実感させられた。

と同時に、こんな輩が将来の日本を背負っていくのかなって暗澹たる気持ちになったのだが、
たかだか2000円搾取して彼の心はどの様だったろうと、今考えているのだが、少しでも後ろめたい気持ちが沸いただろうか、
それともたかだか2000円でも儲かったと喜んだだろうか。

現在の人間の気持ちってどの様な考え方をしているのだろうか。

少なくともまともな人間なら、多く支払われた分は多すぎますよって返却するのが人間というものであろう。

いや間違える方が悪いと考えるのが現代人なのだろうか。

たかだか2000円程度(老いぼれにとっては大金なのだが)を搾取して、何の痛痒も罪も感じなければ、
本当は日本という国は困ったことになるだろうなって思ったりもするが、要は2000円程度で儲かったという感覚が沸いたとすれば、
日本という国は貧しいんだなって、嘆かざるを得ない。


明治のころ、西郷翁もその時の人間という生き物を目にして随分と悩んだことだろう。

西郷翁の遺訓を読んでみると、彼も時の政府の人間どもの所業を目にするにつけ、多いに嘆いている。

尤も、明治の維新といわれた、軍事クーデター後の政府の人間どものやりたい放題から比べると、
微々たるものではあるが、徳川の世を葬り去り、新しい国造りの苦しみを、すべてのものが背負わねばならない…というこの時期に、
薩摩や長州の連中は、豪勢な屋敷を持ち、衣服を飾り、妾を囲って、己の懐をに財をため込むことばかり考えている。
この様ではわが国はどうなってしまうのか。と

あの徳川との壮絶な戦いで勝ち取った維新の目的は、このままでは到底果たされない、国は滅びてしまうだろう。
西郷も嘆いていたように、その国の滅びは昭和の時代になって訪れ、国家の独立を失ってしまった。
長州の軍閥が引き起こしたあの太平洋戦争によって、日本国の独立は絶たれてしまった。
長州閥と呼ばれる、無能な見境のない行為は、納まることなく平成の世にまで生き延びている。
あのコロナ禍の出来事を思い出していただきたい。
まさに長州型政治の見本の様なものであった。

尤も長州藩の時代も、まともな政治は行われておらず、藩主をはじめ、上級武士は戦々恐々としていたといわれている。
下級武士や足軽、中間あたりの頭では、あの似非学者の 松陰の策謀に簡単に感化されあたのだろう。
心ある為政者としての西郷の弁によれば、今日に政府高官共の、分不相応な贅沢ぶり。
上に立つものとして道を踏み誤っている高慢ぶり。あのような態度を世間の人が見れば、あの戦は薩長が己の欲望のために,
人の血を流しただけではないか。   上西郷南洲翁遺訓。(長尾剛、注釈)による。

まさに、西郷の言う通り己らの、好き放題の安楽を求めて起こしたテロ活動から軍事クーデターであったといっていい。
この明治の代は、政府役人と商売人いわゆる世にいう企業との癒着は現代か見ればとても想像もつかない状態であった。
だから現代の政治も長州型政治と言われる時は政治屋と企業がべったりと癒着している状態を指していう。
平成の長州閥の政治屋が良き見本であろう。
この明治の歴史も軍事クーデターや革命の者が作り出したもので、己らの都合の良いように作られている。
明治の下級武士や足軽、中間、或いは下級公家の政治の政も分からぬ無能者が、政府を構成し、初代の文部大臣森有礼に至っては、
日本国の言語を英語にするなどと、言い出して、外国人に止められた、などという馬鹿者も政府の一員であったという滅茶苦茶ぶりであった。

未来から現代の日本を眺めたら未来の日本人は、現代の日本の政治をどのように言うだろうと、思うと実に愉快な思いがする。

世界のこの様な革命やクーデターなどの歴史は、一般的に勝者が作り出した歴史が流布されるが、
普通百年もすると真相を究明した真の歴史に書き換えられるのが、普通といわれている。
わが国では依然として、薩長が作り出した誤った歴史を修正することもなく、未来の日本を背負う、子供たちに学校教育として教えている。

日本人の役人の阿呆さ加減は聖徳太子の抹消に始まって、自分の国の歴史すなわち日本史を学校教育で選択科目にしているという。
普通の国の教育なら世界史を選択科目にしても、己の国の歴史は必須科目とする、教育をするだろう。
何とも馬鹿な国の、馬鹿な文部省の役人であることか。
自国の歴史を大切にしない国は,間違った方向へ国民を誘導することになる。
こんなところにも案外長州閥の影響が表れている可能性があるのかもしれない。
明治のころのはじめての文部大臣は森夕礼、案外この阿呆のDNAが、日本文部省のDNAとして生きているのかもしれない。 
とんでもない話の展開になったが、日本は今大変なことが起こりかねない、可能性を含んでいるような気がしてならない。

来年の新札発行と預金閉鎖 


日本の借金総額は900兆円を優に超えた。

政府はこの膨大な借金を国民の有する総財産で、購おうとしている可能性がないとは言えない。
無能な政治屋としては一番手っ取り早いからね。
それをやれば私のような経済音痴であっても、日本国自体は終焉を迎えることになる事ぐらいは解る。
おおくの老いぼれ達が血の滲むような思いをして老後の生活を楽しむために貯えた命の糧を政治屋の無能のために、
財産税として没収されると、その夢を履かなくも散らされたとしたら、何の人生だったのか人生の終焉に来て、
早々と地獄を味わうことになる。

私は子供のころこれを経験している。
確か札に小さな証紙を張ったものだけが通用可能な札だったような気がする。
銀行へは母の代わりに金を卸しに行ったら、今月はもうすでに一回卸してると、断られた。
それでも、母が卸して来いといって、粘ったら、延々とその事情を小学生の私に教えてくれたものである。
長州閥が何兆円か何十兆円か知らないが己の金をばら撒く様に、緊急事態宣言のたびにばらまいた結果か、
日本国の借金総額は9百兆円を遥かに超えているという。
新円切り替えで、旧札が使えなくなってしまえば、タンス預金など紙屑になってしまう。
タンス預金などは、旧札使用不能の法を造ればまったく紙くずになってしまう。
事実前回の預金封鎖で行われている。
長州閥ならやりかねなかろうがね、果たして・・・・
多くの人は、それでは政治屋や官僚の物もなくなるだろうと思うだろうが、
そこはそれ、新札発行前にその手当てをすることぐらい容易だろう。
国民がもう少し政治音痴から脱却する必要があるのだろう。

ただ、選挙のたびごとに、得々と嬉々として、どんぐり選びに出掛ける人々を見ると、いつも悲しい気持ちにさせられてきた。






























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お盆に思う~輪廻転生~

2023-08-15 19:00:36 | 随想























お盆に思う~輪廻転生~
宗教というのは矛盾に満ちたことを得意そうに平然と人に押し付けてくる。

このお盆というのも宗教行事の一つなのだが、仏教で釈迦という男、本当にこんなものを説いたのだろうか、といつも疑問に思う。
おそらく様々な弟子たちが己の都合のいい様にこんなものを作り上げて来たのだろう。
現在は何百という経典が仏教を支配しているのだろうが、一つとして釈迦という男が書き記したものはない。

口伝での教えだというのだろうが、弟子の中にも頭脳の優れたやつ、あるいは阿呆に近い輩も存在しただろう。
そんな輩が釈迦の教えだと言って世間に吹聴して歩いたら、それを信じた者を通して、とんでもない話が釈迦の教えとして広まっていく可能性だって無数にあるだろう。
世界的宗教にしても仏陀やキリスト、あるいはムハマンドにしても己が直接書いたり、口伝したものが経典として残っているものはないだろう。それぞれの多数の弟子たちが、それぞれ勝手に教祖の教えだとして流布したのもばかりが、それぞれの教義として、流布されてきた。それを聞いた輩がまたそれぞれ違った理解を示して、何十,何百の教派が出来上がってきたのが宗教といわれるものなんだろう。

われは日本人にして、幸いなるかな、キリスト教やイスラム教などは全く感知しないので、仏教特有のお盆というものが、本日でもあり、このことについっての矛盾みたいなものを感じているので調べてみようかなと思っている。

仏教には輪廻転生という言葉というか、概念みたいなものがあるらしく、人間の死後の在り方を述べたものだと知らされてきた。
一方人間の死後については、釈迦といえど解るわけがないのだが、それでは弟子たちへの話の突端にもならないので苦労したであろうことは目に見えるようだ。
それで輪廻転生などという途方もないウソを作り上げ、其れから脱出するには解脱するほかはないなどと、弟子を励ましたのであろう。
尤も仏教では人間の生、すなわち人間が生きることは苦であるという前提が出来上がっているようで、それゆえ輪廻の世界から脱出することが必要であるというらしい。
釈迦が修行して悟りを得たのはその輪廻の世界からの脱出を試みた結果であるといわれている。
と私は理解しているのだが、輪廻の世界から脱出すると、天国へと昇ることができるらしいのである。
ここで、仏教でいう天上界と天国とは別物である。ということを認識する必要がある。というのはキリスト教あたりでいう天国とは違う、輪廻のうちの一つ、天上界というものが存在するということである。

人間の死後四十九日は魂が元の世界、生きていた時の世界を彷徨って居ると言われており、
四十九日を過ぎると転生して、いずれかの世界、六道の世界へ生まれ変わるのだと・・・・

とすれば、元の生の世界との関係は一切なかったことになるのは普通の思考力をもってすれば理解できるであろう。
生前関係のあった者たちとも、無縁の存在になると言ことになろう。
ではなぜ転生して他に生を受けているとすれば、転生してしまったものを先祖として崇め祭るということになる。
釈迦の言う輪廻転生という思考というか概念というか、それともお盆で先祖を祭る現代人のどちらかが間違っているということになるのでは・・・

ただ、己の先祖が転生の輪廻から脱出して、天国に生まれ変わっているとすれば、十分に意義のあることかもしれない。
天国の仏を祭り拝むのだから・・・

ただ現代人がお盆という日を設けて、先祖といわれる死者の生前を思い出して感慨ふける、
気休めだというなら、それはそれ宗教すなわち仏教とはまったっく関係のないものになるのだろう。

ただ、人間という生き物は生前に人の在り方をのちの人間が思い出して懐かしく接することは、
とても意義深いことではあるのだが・・・・
であるとすれば、お盆という日本の催しは意義深い行いではあるといえるだろう。

輪廻転生などという概念は釈迦が唱えたにしろ、
西洋のニーチェがツアラトゥストラで言い出した永劫回帰などという似たような死後の概念の阿保らしさは、
頭の狂った輩の妄想でしかない、と思わずにはいられない。

なぜなら、どんなに特異な人間であっても、死後を経験したものはこの世には存在しないからである。
医学的には何分か、死に類する状態にあった者はあるのだろうが、そんなものは論外である。

人間世界が苦であるとすれば、死後転生して人間に生まれ変わっても、苦を味わくことには変わりない。

だとすれば、大吾して天国へ生まれ変わる以外に、苦から逃れる道はないことになる。









































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季節は進む~だが毎年現れ方が違う~

2023-04-09 18:39:03 | 随想





































毎年同じ様に季節は進む、だがその現れ方は全く違う。
季節の移り変わりが、毎年違うという事は、地球は間違いなく何らかの変化しているという事であろう。
人類の絶滅まで1000年といっていた可笑しな男がいたが、何年か後にがそれを100年に修正した。
恐竜が2億年生き延びたにも拘らず、人間らしい姿の生き物、猿人がアフリカに現れてから500万年にもならない。
しかも、現代人つまりホモサピエンスが現れてからは、20万年程でもあろうか。
そのころは歩きながらスマホとかいうものにのめり込んだ阿保はいなかった。
こつこつと石をけずって道具を作っていた、石器の時代であったろう。
地球は5億年で消滅するなどと述べている阿呆もいるが、その時地球上にはどんな生き物がいるのかな。
地球が誕生してから46億年、その地球があと5億年で消滅するという阿呆もいる。
人類はあと100年で絶滅するという面白い輩がこの地球上にいると言事自体が、人間って面白い生き物だなって思う。
人間という生き物がこれまで行ってきた様々な事柄を総合した結果だとは言うが、人間という生き物が恐竜などと比べてその数がはるかに多い。
ほんの数年間に72億といっていたのが十年もたたないうちに80億を突破した異常さ。
あのヤハウエーとかいう阿呆な神も人類を淘汰する力を失ってしまったのか、それとも人間という生き物にあきれ果てた結果なのか・・・
人類絶滅を100年に修正した男、生きていれば50年に修正したかもしれない。
ニーチェの永劫回帰どころのはなしではない。
ニーチェも困ったろう、人類絶滅しては永劫回帰など及びじゃないからね。
どこかの阿呆が言うように人類が生きれるのはあと百年だとすれば、今更慌てて炭酸ガスの排出が多すぎるなどと、
低能な官僚や政治屋が慌てて、己の支配する国民を搾り取ろうとすることも、まさに阿呆の滑稽さといわれても仕方るまい。
今更慌ててみても時すでに遅し。

ま、精々おのれの終焉が近づいていることに危惧を覚えるがいい。


<掲載写真の複写、転載はお断り。>




















































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偉そうなこと抜かす前に、少しは頭を働かせよ~

2022-11-12 22:09:28 | 随想
いま諸外国のといっても、二か国だけの確認であるが、人々はマスクなしで戸外を大手を振って闊歩している。
街中でマスクをしている人はほとんどいない。
人々が密集していようがいまいが関係ないらしい。
そんな時、なかなか感染者が下降線たどらないわが国において、ワクチン接種の個人負担を無料にする必要がどこにあるなと、抜かした阿呆な輩がいたが、
彼らが企業に保障と称して膨大な金ををばらまいていて喜んでいた頃、カナダやオークランドでは感染者の拡大に悩んでいた。
その国の人々がマスクから全く開放されている。
政治屋たちも真剣に考え真剣に民衆に訴えていた映像を再三目にしたが、今それ等の国の映像を見るにつけ、
様々な所で人が密集してい様がいまいが、マスクをつけた人々を見ることは全く無くなっているようだ。
これは政治屋たちが、コロナに対して真剣にコロナ対策を講じた結果の様な気がしてならない。
日本という国の輩はワクチンさえ接種してやれば、コロナの感染を防げるという安易な考えに凝り固まっていたのかもしれない。
外国では出社に及ばず、自宅勤務という制度も随分と行われているという。
ワクチンとは言っても、全面的な信頼性を以て登場したワクチンではない。
その有効期間も当初行っていたものよりはるかに短縮された期間であるようだ。
そのワクチンによる被害に遭っても、因果関係が見当たらずという錦の御旗で、一蹴されることは初めから分かっていた。
大好きな非常事態宣言などという言葉で、企業保障だなどと金をばらまくことに喜び感じていた輩たちとは、一味も二味も違った結果が今あちこちの国で現れている。
そこへワクチン接種を無料などにする必要がどこにある、などと抜かす輩がいるんだから、
日本という国は救いようがない様な気がしてならない。
民衆も参政権行使について一考する時期に来ているのではないのだろうか。

朝鮮野郎の思い上がり

2022-11-03 11:17:28 | 随想
朝鮮野郎のミサイル発射情報騒ぎで、朝の静粛を乱された。
発射されたのは確かだろうが、多くの部分が早とちりの誤報であったような気がする。
これだけ科学が発達しても、まず発表されるのはある程度の推量を交えたものであるらしいのにはがっかりした。
朝鮮野郎の思い上がりの何物でもないのだが、歴史を振り返れば、すぐに気が付くだろうに、それだけの頭もないほどのぼせ上っているのだろう。
朝鮮野郎が早朝からミサイルを発射したとして、防衛庁が様々な事を発表しているようだが、果たしてどこまで真実を発表しているか判ったものではない。
二次大戦中は大本営とか言う処が、ありもしない戦勝報告を発表し続けていたが、日本人の小学生から大人まで誰一人信用したものはいなかったろう。
子供達すなわちわれら小学生が、友と話しをするとき、大本営発表といってから話すことは全部嘘の事だよという了解が成り立っていた。
それほど軍部は国民に信用されていなかった。
華々しい戦勝報告が大本営発表を通じて頻繁にあった、がその全部が嘘の発表といってよかった。
大本営の合評が真実なら、その夜、空襲のサイレンなど鳴り響くことなどないはずであった。
だが、その夜早速空襲警報のサイレンが鳴り響いたものである。
そのサイレンさえ仕舞には信用のおけるものではなくなった。
そのサイレンが鳴り響いた夜でも、飛行機の爆音さえしない夜であることが多くなった。
もうそれを信用するものもほとんどいなくなった。
今度の朝鮮野郎のミサイル発射のニュースもどれほどが信用できるものやら、国民には確認の仕様がない。
要は、政府や官僚どもの言う事を国民誰もが信用しなくなったのである。
防衛庁の発表自体過っての大本営発表のいい加減な発表と同じような匂いがしてならい。
というのも過って中国機による領空侵犯で日に何度もスクランブルをかけているなどという自衛隊の発表自体、
私には戦闘機購入のための煙幕の可能性しか感じられなかった。
だが、どこの国にもかっての東条英機のような阿呆な輩が存在するのだろう。
現朝鮮の金正恩とか言う輩が東条と同じような行動をとる可能性は高いと言わざるを得ないほど、阿呆の部類に入るのかもしれない。
世は核兵器禁止などといってはいるが、何も核兵器を使う必要など全くない。
世界各国には原子力発電所が山のようにある。そこへ小さな爆発物でも投下すれば、原爆の数倍の被害をもたらすことだろう。
現在の自衛隊からの様々な発表がどこまで信用できるか、かっての大本営であっては国民が困るし、迷惑する。
自衛隊自体の信用を失い、子供たちに自衛隊発表といわせて嘘をつきますよの合図とされない様に注意する必要があるだろう。
自衛隊幹部程度の頭で、国民をだましとおせると思った大間違いである。
かっての軍部の様に年功序列の様な幹部でないことを祈るのみである。
国民には信実を発表するのが、政治屋や官僚どもの義務である。