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銀の馬車道をたどる ~時空を超える輝きの道~④福崎町~飾磨津物揚場跡へ

2017年10月09日 09時30分26秒 | 歴史街道倶楽部
トイレ休憩場所へ到着



福崎町で古くから栽培されていたもち麦の麺料理が人気だとか・・

日本民俗学の祖 柳田国男は銀の馬車道沿いの家に生まれましたが、その家は辻川村に移築され、石像が立てられ
その隣に柳田国男・松岡家記念館が開設されています。









この日は日曜日で駐車場は満車でした 
家族連れがいっぱいで ・・理由はわかりました。池から出てくる妖怪?河童を見るため人盛りとなっていました。
私もテレビで一度見たことがありました。
見たかったのですが、出発時間もあるので(笑)





オブジェを楽しみました 



生野橋は道路事情のため車窓からの見学となりましたが・・写真は撮りませんでした 

明治9年、馬車道の完成を祝って橋のたもとに記念碑が立てられました。
修築としたのは旧街道を利用した工事だったからだとか、始発・終着点でもない地に記念碑が置かれたのは
生野橋が最も難工事だったと言われています。
現在の橋は3代目で初代の橋は右岸に橋台の石垣と川中に橋脚跡が残っています。



馬車道の終着点に着きました。



生野のレンガで造られた「飾磨津物揚場」跡 (浅田化学工場敷地内)に残っています。
現在の姫路港は特定重要港湾に指定され、播磨地域の海の玄関口として世界に通じています。






感想
帰宅してから、画像と資料を片手に記憶を呼び起こして 記事を書くことが出来ました。
生野銀山は個人ではなかなか行くことが出来ないので 歴史街道倶楽部で見学ができて良かったです。
銀の馬車道も今回のイベントで初めて知りましたし、昔ながらの街並みが残る景観地区が歩けたのも良かったと思います。
帰りは中国自動車道・・・渋滞に遭いましたが新大阪着 19時50分でした。
渋滞がなければ、18時30分の到着ですが、皆さん笑顔で帰られましたよ~~ 
皆様 お疲れさまでした、ありがとうございました。










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銀の馬車道をたどる ~時空を超える輝きの道~③景観地区(竹内家住宅)

2017年10月05日 15時21分05秒 | 歴史街道倶楽部
美味しい昼食を頂いたあと うまやの館長さんに竹内家住宅の説明をお聞きしました。

古くから地域の盟主として旧粟賀村で作り醤油、作り酒屋を営んでいました。
また、地域のお茶の問屋としての役割も担ってきました。
天保12年の大火により内蔵だけは残し。他の建物は全焼、その後、生野鉱山の山師の家を移築したと言われます。



難波酒販売店は 旧生野街道沿いの宿場町に位置しています。
先祖が江戸時代に大阪からこの地に移り住み財をなしました、現在の建物は明治中期に建て替えられたそうです。
かつては養蚕業。染色業も営んでいました、玄関腰窓に用いられている杉の一枚板や、出格子、虫籠窓などのしつらえは
宿場町として栄えた往時の様子を垣間見ることができます。









のんびりと景観地区を歩くことができました 
こういう町並みが大好きです  重層的な歴史的・文化的景観が形成されており
2014年4月 兵庫県歴史的景観地区に指定されました。



粟賀駅の道標です
この地は古くから、丹後・但馬へ向かう道筋が交わる要所で江戸時代に福本藩が置かれてから、商工業者を道筋に集め粟賀町村と命名されました。
明治初年から馬車道がこの町を通り、明治27年に飾磨寺前間の播但鉄道が開通したことにより ここを発着場として鶴井駅までの
乗り合い馬車が運行されていました。

再びバスに乗り移動します 
もちむぎのやかたでトイレ休憩をしますが、民俗学者 柳田国男の生家のある福崎町へ


続く



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銀の馬車道をたどる ~時空を超える輝きの道~②盛明橋~現存する銀の馬車道へ

2017年10月05日 08時32分46秒 | 歴史街道倶楽部
生野銀山をあとにして盛明橋に向かいます。
ここで「馬車道ひめじ応援の会」のガイドさんと合流し説明を聞きながらの移動です。





鍛冶屋通りを歩いて盛明橋へ・・・お祭りイベントに遭遇し賑やかでしたよ~





明治時代 初代生野銀山長を務めた朝倉盛明の名が付けられた盛明橋と馬車のモニュメントです☆



銀の馬車道は正式名称を生野鉱山寮馬車道と言い、フランス人技師の指導のもと、明治9年に生野鉱山~飾磨港(姫路港)の間
約49キロを結ぶ馬車道専用道路として作られました。
雨などの天候に左右されずに、馬車がスムーズに走行できるように、当時としては最先端の技術が用いられ、日本初の高速産業道路と
言われています。
完成してから130年が経った今では、道の大部分が国道や県道に変わり、一部は新幹線「姫路駅」になっています。
しかしながら銀の馬車道ルートをたどれば、あちらこちらに記念碑やゆかりの場所などがあり、当時の面影を残しています。



神河町の現存する銀の馬車道を歩いています、のどかな秋の田園風景が広がります。
散策のあとは 昼食場所「うまや」へ





中村・粟賀町 歴史的景観形成地区にて しばし休憩です。お弁当といっしょに美味しい仙霊茶を頂きました。
お茶の栽培が盛んなようです。



この後は うまやの館長さんのご案内で景観地区をウォークします。


続く






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銀の馬車道をたどる ~時空を超える輝きの道~①生野銀山

2017年10月02日 15時40分34秒 | 歴史街道倶楽部
2017年9月24日(日) 歴史街道倶楽部のイベントに参加しました。

集合は新大阪駅1階正面口  
貸切バス(奈良交通バス)満席40名 8時出発

銀の馬車道は明治時代に造られた馬車専用道路で、生野銀山~姫路港までの間を
馬車がたくさんの荷物を運んでいました。
銀の馬車道で繋がれた地域には、豊かな自然と歴史・文化が息づいています。

道路渋滞もなく予定通り 10時 史跡生野銀山に到着しました。2班に分かれて見学します。














坑内は常時13度に保たれていて真夏なら涼しいでしょうね、入ったとたん寒い!!と感じましたが(笑)
ガイドさんは半袖でしたよ 
生野銀山は、平安時代に開坑した鉱山で明治元年には、日本初の官営鉱山となり、朝倉盛明とコワニェら、お雇い外国人の
協力のもと大きく近代化したが、昭和48年に閉山しました。

現在は、実際に掘られていた坑内に入り、当時のままの岩肌や、人形で再現された作業風景を見ることができる観光施設に
なっています。

江戸時代の終わりごろ、生野銀山はあまり銀がとれなくなっていました。
明治時代を迎え、新しくつくられた政府は、西洋で普及していた技術を用いて、銀山の再開発を命じました。
飾磨津(姫路港)に船で届けられた機械や物資を生野銀山へ運びこむには、広くて長い道が必要でした。



お土産処  お手頃な価格の銀製品やアメジストなどの貴金属などあるそうですが、時間がなくてスルー 
なぜかお酒に目が行きました(笑)


続く
 
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