治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

自分の中の強い部分

2016-11-29 09:16:24 | 日記
「愛着障害は治りますか?」まじめに好調のようです。
やはりそれだけ、本当は普遍的なんですよね、愛着障害は。
虐待・被虐待の問題だけじゃなく、それこそ日本の家族制度の中では当たり前だった愛着障害。それを治していい時代になりました。治す方法が見つかりました。そういう本です。

私にとっては、中年期から壮年期へのトランジションの本ですね。
壮年期はどういうフェーズかというと、世の中への恩返しがテーマになりますね。
そもそも、自分にとってはさほど一人称の問題ではない愛着障害の本を出そう、と思った時点でその芽生えはあったわけですが。

昨日某所で、「苦しんでいる人と、苦しんでいない人、どっちがいい支援者かは永遠のテーマ」みたいな話をしていました。
まあ永遠のテーマではないんですけど、花風社クラスタにとっては。
花風社的には、愛甲さんみたいに乗り越えてきた人がいい支援者ですね。つまりもう自分は苦しんでいないこと。自分の苦しみを癒すためにクライアントを利用しないだけの土台ができている人がいい支援者。花風社クラスタは「治るが勝ち」ですから。
でも別の考えの人もいるわけです。「苦しみを共有してくれるこそいい支援者」と言う意見を持つ人たちもいる。

私はもちろん「苦しんでいない支援者」を支持します。その理由はいくつかありますがその一つは、私が当事者の持っている苦しみに気づいたのが自分の中の強い部分からの類推ということが多かったからです。

身体的に、私にも皆さんと同じように強い部分と弱い部分があります。
強い部分は病気をしないところ。疲れが一日で回復するところ。
弱い部分は手先が不器用なところ。

病気をしない自分の身体を自分で便利に使っていたからこそ、そうじゃない人の不利な点には若いころから気づいていました。
何しろ仕事と遊びの両立ができないんですね。人生の楽しみが少ないんです。
ハードワークすると週末寝てたりするわけです。
そして発達の問題を抱えた人の身体問題はそれ以上にへんてこでした。
すぐに熱が出たり季節に翻弄されたりする当時のニキさんや藤家さんが不便そうだなあ、なんとか治す方法ないのかなあ、と思ったわけですね。
それでなんとかなる方法を探したわけです。
だって思いがあるのにそれを実現できない身体だともったいないじゃないですか。
私はいくらでも働ける自分の身体に感謝していたからこそ、不便さに気づいたのです。

学習能力的にも私には強い部分と弱い部分があります。
南雲さんにもあります。
そして南雲さんと本を作ったとき私が言ったこと、それは
「私にも学習能力の偏りはあるけど、自分の偏り方が、学業において有利だとずっと自覚してきた」ということでした。
強いところは読解力、書く力、文字情報に強いこと。
これは私のピークスキルだと思うんですけど、それが学校では「たまたま」有利だったんですね。それは高校生くらいのときから自覚していました。

でも私は極端な方向音痴です。だいぶマシになりましたけど。
地図が読めないと実生活は不便。でも学校の勉強ではあまり困らないんですよね。
南雲さんの方が板書方面では苦労したと思いますが、今、講演依頼されて、講演会場を探し当てていく能力なんていうのは南雲さんの方が高いでしょう。

つまりね、私が凸凹さんたちの不便さに気づいたのは
自分の中の強い部分への感謝の気持ちがあったからです。
だからね、私は苦しんでいる人がいい支援者になるという意見にはどっちかというとネガティブです。
弱い人は弱い人の気持ちはわかるかもしれない。
でも「弱さが強さに転じるとこういう風に便利だよ」はわからないかもしれない。

一方で私は、自分が怖いもの知らずで他人の顔色を伺わないで生きてこられたことにあまり感謝してなかったのだと思います。
それで非難されたことも多かったからかも。
でもよく考えてみれば、この資質は確実に私を幸せにしてきたのです。

そしてびくびくと他人の顔色を伺う人のことが理解したくて、愛甲さんにいろいろ質問したのかもしれません。
これからのテーマは、びくびくした人とどう腹を立てないでつきあうか、かもしれません。

とか書きながら
「治っちゃえよめんどくさいから」とか思ってたりするんですけどね。

何はともあれ
お役立てください。

そうそう
大久保さんのブログ。必見です。
「治せない理由がなくなった」。
本当にそうですね。
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7 コメント

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自閉と分かって潰れた強み (豆柿)
2016-12-02 08:18:27
自閉の人は人の気持ちが分からないと言われますが、私の場合は、そもそも自分でそのことについてそんなふうに思っていない時に、「自閉の人は人の気持ちが分からない」と人が言っているのを聞いたり、自閉症への理解を進める為のパンフレットなんかに書いてあるのを見たりして、自閉だからという理由で他人にどう思われているか気にするようになっていったんじゃないかなと思いました。
さらに、自分の苦手と得意を理解して他人に自分の苦手を理解してもらう為に話せるようにするスキルの習得や、恐怖麻痺反射が他人の顔色を伺うことを後押ししているように思いました。
ですが、単に無意識に怖いもの知らずで他人の顔色を気にしないだけだったのに、上記の理由で顔色を伺うようにさせられ、ビクビクしながら人と付き合って来たんじゃないかと思いました。 強みだったものを弱みと言われ、本当は弱みじゃないんじゃんと思う今、他人の気持ちが分からないと思わされてきた時間を何だったんだろうと思ってしまいました。
強みについて (ふうりん)
2016-12-02 12:13:57
人の気持ちは(誰のも)わかりようがないというのが本当のところです。とりわけ人の気持ちがわからないからというのではなく、自閉っ子は文化的な行動を自然には習得しにくい気がします。実感として。「愛着障害は治りますか?」には段階を追ってヒントがたくさんありました。
狭い文化圏でのこだわりの押し付けは害になるけど、人権の尊重や公共でのマナーなどは他人から見ても認められるレベルで身につけていないと人間関係に支障が出ます。親子の努力の結果(お互いに向き合う姿勢があった)ある程度それが身についているから豆柿さんの強みが生きてきたと思います。自分の強みに気づいたことはすばらしいことです。

豆柿さんの強みのようなその人の持つ生命力を強みとして使える状態にすることと、身につけるべきことをおさえておくこと。どっちが欠けてもうまくいかない。どちらの情報もあるのが花風社のすごいところで、社会で生きる力をつけるということを追求しているからこそだと思います。
Unknown (豆柿)
2016-12-02 23:47:39
私は元々、人の気持ちが分からないという度合いがそんなに濃くなかったんだと思います。
それと、人の気持ちが分からない人が普通に暮らしていることに気が付いた事も大きかったように思います。 自閉じゃない人が変わった人、ちょっと嫌な人でも干渉されずに暮らしているのに、そのことに気付かず、そういった人を絶対悪のように思う部分が根底にあったんだと思います。
そう考えていた頃はスイートスポットが狭かったんだと思います。というか、そんな風に考えているからスイートスポットがどんどん狭くなってしまったと言うほうが正しい気がします。人の事が気になって他人の振り見て我が振り直せ的な感じで自分を修正していって、そうしたら他の人の事が気になってまた他人の振り見て我が振り直すの繰り返しが起きるような感じで。
でも、変わったおじさんとか、ちょっと嫌なおばさんとか見ていて、そんな人が仕事して家庭も持っててそれでも、人生送っているんだとか、自分が他人の気持ちが分からないからだと考えていた事が、社会的なエゴからの押し付けだったんじゃないかと思うようになって、 それからは、ただ自分はそういう人間だっただけなんじゃないかと思うようになった事が、人の顔色を伺わずに生きて行く分岐点的要素を果たしたんじゃないかと思います。
Unknown (豆柿)
2016-12-04 21:50:16
公共のマナーとか人権の尊重とかも、本当は存在していそうで存在していないんじゃないかというのが本音です。
狭い文化圏っていうのも厳密にはなくてみんなバラバラだから例え親子であっても、人として別の個体だから公共のマナーも人権の尊重も狭い文化圏が何なのかも教えられないのが本当だし、そんなもの本当にあっちゃいけないんじゃないかと思います。
もし、親から教わったマナーをそのまんま自分のマナーとして生きていると、調子を崩すんじゃないかと思います。
個人的には、そういう1番大事な所こそ他人に教わると、それが親が言っていることとほぼ同じことであっても、自分で分からないと調子を崩すんだと思います。
また、考え方正しいような親や専門家がいる場合はそれが一番問題になるんじゃ無いかとも思います。 自分でご飯が食べられるようになるようなことはとても大事だと思いますが、そういう1番大事なことは小さいうちは子供も親も望んでいて問題なくても、大人になるにつれて、大人の考え方がその子にとって1番大事なことだと子供は困るような気がするのです。
私の親も私が大人になった時に困らないように育てるべく、いろんなことをしてくれたのでしょうが(今もですが)、それが大きくなるにつれて仇になっている気がするのです。
それはなんと言っていいか分からないんですけど、自分にとって1番大事なことは自分で見つけないと生きてゆく糧の元みたいなのがうまく形成されないんじゃないかと思います。それで親離れ不全みたいな感じになっている気がします。
親の会 (浅見淳子)
2016-12-06 07:24:19
豆柿さん、ようこそ。
このコメントは伝わりにくいです。一読ではわからない人が多いかも。私は何度も読んで、100パーセントの確信は持てないけど「こういうこと言いたいんだろうな」というところまではきました。つまり、定型の子が自然にやることを豆柿さんは苦労してたどりついたのだと思います。それは、自分で世の中に生きていくためには親を相対化しないといけないということです。
豆柿さんは今、親を相対化する必要に気づいたのだと思います。それが親御さんにとっては反抗期に見えるかもしれませんが、必要な時期ですよね。私は豆柿さんとも豆柿さんの親御さんとも会ったことはありませんが、立派な親御さんだと思います。でも一方で、怖がりな面があったと思います。なぜなら会に入ることを選んだ方だからです。会にいれば、支援者にドヤ顔で無料で使役されるし、大変なことがいっぱいあったけど、それを耐えても子どもの将来のために会に居続けた。それだけ恐怖心が強いのだと思います。じゃないと入らないし途中で抜けますから。そういう人なのだと相対化して生きて行けば自分の道が見つかると思います。
Unknown (豆柿)
2016-12-06 21:00:05
もしかしたら伝わりにくかたかもしれません。
申し訳ありませんでした。

前のコメントを書いてから、もう一度「愛着障害は治りますか?」を読んでいて、気付いたんですが、65ページのB君のあたりを読んでいて、私は主体性が育つ前にマナーを覚えたんじゃないかと思います。
本の70ページの8行目あたりに、「ルールを守ること=自分を抑えること」、「おそらく大人になってもそれを信じている人はいる」「そういう人は多かれ少なかれ他人の都合に合わせなければいけない社会というものに対して被害的なスタンスを取っている」、っていう部分がありますが、私は主体性が育つ前にルールを覚えたので、今、ルールの書き換えのようなことが起きているんじゃないかと思います。
そして、ルールを守ることは主体的なことなので、実は、みんな一人ずつ、同じようで違うんじゃないかと思います。
また、私の親はもしかしたら2人とも、「大人になってもそれを信じている」人なのかなとも思います。
そして、本の70ページの1行目あたりに「ルールを守る主体は自分」、「自分でこのルールを守ると決断しなくてはならない」とありますが、自分にあんまり主体性がなかった状態で、世間のルールを守ってきたので書き換えが必要なんじゃないかとも思います。 そして、ルールの内容じゃなくて、ルールを自分で作って生きることが人の発達には必要なんじゃないかと思います。
また、今の自分の主体性がどれくらい育っているかを分かるもの難しいんじゃないかと思います。

そして、家事や仕事のような、自分でご飯を食べていくことにも、主体性が重要なんじゃないかとも思います。もし、親御さんが子供の主体性を育てようと、ご飯を食べていけるように育てて、かつ、子供も大人になった時に自分でご飯が食べられるようにと修行に励んでいたとしても、本当のところは子供が大きくなって、親がいなくなった時にしか、主体的だったかどうかは、親にも子供にも誰にも分からないんじゃないかと思います。
そして、何というか、子供が大人になった時に、主体的でなかったぶんだけ修行にパソコンのデータの更新のような、更新が起きるんじゃないかと思います。そして、その子がどれだけ自力で更新できるかがポイントなんじゃないかと思います。
修行にも自立があるんじゃないかと思います。
Re:Unknown (浅見淳子)
2016-12-07 08:41:18
豆柿さん
この考察は、ほとんど当たってると思います。よくたどりつかれましたね。すごいです。

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