治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

自覚的であれ

2016-11-19 11:09:30 | 日記
ついに「愛着障害は治りますか?」の手元在庫が全部売り切れ、新たに製本所から取り寄せです。
その後もご注文は続いていますが、そのように対応させていただいています。

そしてふと気づくと、地元横浜でLD学会があるらしい。
自主シンポで岩永先生が出るらしい。
見に行こうかな、当日参加可能かな、と思ってアプリをダウンロードしてやる気になっていたのですが、昨日帰りがけにすてきな色のジャケットを見つけて衝動買いしてしまいました。LD学会参加費になるはずのお金がジャケットに。そして今日はお寝坊。おまけに雨。やはり行くなと言う自閉の神様のメッセージと受け取りました。行ってもどうせ悪口書くだけかもしれないしね。

朝からLD学会のアプリがあれこれ通知してきてうざいです。
せっかくダウンロードしたので梗概は一通り読みましたが
この学会自体がもしかしたらいらなくなるな(ブ)疑惑が。
いや、必要ですよね、ずっと。
誰のためにかと言うと、ここで自己実現する学者の皆さんのために必要です、ずっと。
当事者は必要じゃなくなる日が来るかも。いや、来させないとね。

というギョーカイに喧嘩を売る姿勢は別に私の周りの人たちも全面的に支持しているわけではないのですよ。
とくに公務員方面、恐怖麻痺転じての支援者になった人たちとかは、味方でもはらはらしてみているのです。周囲に恐怖麻痺軍団が多い人はよけいにね。
「自分は喧嘩をすることを選ばない」と言います。
それはそれで結構。
ただそれで「自分は賢明」とドヤ顔するのは百年早いよ。してないと思うけど。
「喧嘩をすることを選ばない」と宣言することで、切り捨てている存在があることに自覚的でありたまへ。

お寝坊して目覚めて見つけたメールです。

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初めまして。いつもブログを楽しみに興味深く拝見させて頂いています。
息子は小1で、灰ちゃんメソッドの児童デイサービスに通っています。
そちらで、灰ちゃんのオススメ本として紹介された『芋づる式~』を読んで、一気に花風社さんのファンになりました!
『自閉っ子の身体を楽にしよう』、『人間脳~』、『猫本』を読みました。

私や回りの自閉っ子ママは、どの本にもたくさん助けられいます。
本屋さんで売っている発達障害関連本もたくさん読みました。
ほとんど参考になりませんでした。
だから、こんな素敵な本を出してくださる浅見さんにお礼を言いたくて。
うちの子は毎日のおねしょが、金魚運動だけで無くなったんですよ。

あと、ギヨーカイをメッタ切りするブログも読んでいて本当に気持ちがいいです。
自閉症の診断がついた2年前、『病気でないから治らない。あるがままを受け入れ、尊重し、社会が彼に合わせる工夫を』と言われ、目の前が真っ暗になり、本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。

でも今は、睡眠も、排泄も、不安も、とても改善しています。
少しでも身体を、生きることを、楽にしてあげたい。
そんなママ達の頼れる花風社、本当にありがとうございます。

=====

ギョーカイに喧嘩売らないのは自由ですけど
そしてそれが「大人としての約束事」だとしたり顔するのは自由ですけど
「浅見さんよくやるなあ」となまあったかく見ているのは自由ですけど
私がギョーカイをめったぎりにするからこそ、こういう人たちのメンタルが救われているんだということを理解するように。
そして「喧嘩を選ばない」自分が、実はそういう人の絶望感に対しては死んだふりをしていることはよく自覚してくださいね。保身のためならよけいね。

福島から横浜に避難してきた小学生へのいじめ、っていうか犯罪行為。横浜の恥、ということで憤怒している市民は多いです。
でも私が持っている疑惑は「教育現場が放射脳だったために訴えを軽んじた説」なんです。

意識高いロハスな人々が原発えんがちょの主張をする。ロハスで意識高い仲間内では原発はえんがちょ扱いが「お約束事」である。あたかも療育ギョーカイで「あんたたち治せないじゃん」と指摘しあわないのがお約束事であるようにね。「原発よくないよね」「福島汚染」みたいなことを仲間内のクリシェとしてやりとりする。その言論がね、こういう悪ガキどもを育んでいる一面があることを意識高いロハスな原発えんがちょの人たちはよく自覚するように。

私はね、福島の状態がよくわからなかったとき
「自分は子育て中でもないから、仮に多少の健康被害があったとしても福島産のものは食べよう」と思いました。私が食べることによって福島の人が元気づけられるならそれもいいだろう。これはね「命は自分一人のものじゃない」という信念から派生した発想です。逆に一口も福島のものを食べたくない人は自分「だけ」が大事なんだろうね。

私がギョーカイに喧嘩売るのも同じ流れです。
だからね
公務員メンタリティ及び恐怖麻痺の人はひっこんでろ。っていうかいくらでも「喧嘩売らない」路線を追求しなさい。その代わり「自分たちが切り捨てているもの」には自覚的であってくださいね。

このメールくださった人にはね、きちんと絶望する力があったんですよ。
それはね、大事にしないといけないんです。
たとえば「のこのこ」とかは、絶望する力のない集団でしょ。「社会が合わせればいい」とギョーカイに言われるとうのみにするんです。
方やこの灰谷さん芋本経由の新たな花風社クラスタの方は、十分な社会性があるからこそ「それは立ち行くはずがない」と気づいた。

こういう「ギョーカイに絶望する力」のある人を、私は応援します。
だからギョーカイめったぎりは今後も続けますよ。
それでは損をする? そのみみっちい論理が私は若いころから大嫌いだったのですよ。「薄汚いなあ」と思ってきたのです。
そして今の自分が損をしているとは、全く思えないのです。
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ギョーカイを疑うこと (ふうりん)
2016-11-19 16:01:19
10年前、SST?、ごっこ遊びもしないうちの子がやるわけないじゃんで終わりでしたが、豆柿さんのコメント読んで、やっぱりなあ、なんてけなげな…と思いました。親の会は「親」の会なので親の希望を反映します。もちろん子どもの幸せを願っているんだけど、厳密に考えないと親の都合に寄ってしまいます。SSTをやるのは交流の場を作る意味もあるらしいけど、今考えるとひとりぼっちになりがちな我が子に焦っている親の気持ちの表れでもあるような。 SSTでできるようになったことを初めて歩いた時のように喜んでいると違ってくる気がします。親の状態が良くないと子どもにも良くないという理屈で常に手がかからない方を勧められたり、効率の悪いSSTをさせる不毛な努力(100万通りあるとしても覚えるより仕方がないと先生が言っているのを聞いてあきれた)で消耗するようなのは疑った方がいい。デイをたくさん利用できてよかったのよかったは誰のよかったなのか。あとで誰かがツケを払うことになるのではないのか。

LD学会はどうなんでしょうかね。誰のための学会になっているか。親がまる抱えするのも誰かが大変さを肩代わりするのも無理。社会資本も無尽蔵ではないのだからどう考えても自力をつけるのが一番。簡単ではないけれど特殊な方法でも奇跡でもないことがわかった今、困難さの説明と改善程度では興味が湧きませんけど。そこでとどまっているのなら本当には困っていることをわかってないから役に立たないなと思います。ギョーカイは当事者の味方か?というところを疑っています。 
Re:ギョーカイを疑うこと (浅見淳子)
2016-11-24 09:45:40
ふうりんさん、ようこそ。
本当に全部丸暗記しようとした人もいたそうです。そしてそれに沿って生きようと。つまらない人生になったと思いますね。今は気づいて離れられてお仕事されてますが。

早期介入されてけなげにそれに従ってきた子たち。アリバイ療育の呪縛がいつか解けるといいですね。

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