昨日のみるさんのブログをご紹介した理由のひとつ。
今はもう変わりつつあるけど(実態がばれて)ちょうどみるさんの年代だと「縮小再生産こそ支援」の気運がありましたね。彼女が支援校に行ったのだってそうです。そして支援校卒だから、つまり高卒の資格がないからいろいろ話が遠くなる。今後知的障害がない・軽い人が進路を選ぶとき、ギョーカイやギョーカイに洗脳された教育現場が安易に支援校を勧めるかもしれない。でもリスクも考えて主体的に選択してよ、という私からの呼びかけです。
みるさんのご両親は私の講演会に来てくださったことがあるのですね。そこで赤本と『自閉っ子的心身安定生活!』を買って帰った。そしてこの二冊の本がその後みるさんのよりどころとなった。私がそらパパのブログの存在に気づいたのは『自閉っ子的心身安定生活!』の的外れな酷評だったのですが、あの本が支えとなって治っていった人もいるということです。
でも一方で『自閉っ子的心身安定生活!』はちゅん平があの壮大な虚弱体質を克服して作業所に週に五日通い始めたときにうれしくてうれしくて作った本なので、つまり、私はそろそろギョーカイに愛想をつかしていたころに作った本なのですね。
私は『発達障害、治るが勝ち!』の中でギョーカイのセールストークの裏に気づいた瞬間をこう書いてます。
=====
当時の私は知らなかった。「自立支援」とはどういうことか。私は一般人だから、自立支援と言えば文字通り自立を支援するのだと思っていた。
支援の世界(以降、支援業界を略して「ギョーカイ」と呼ぶ)では違っていた。
「自立支援を広げる」とは「自立支援」を謳う事業体が行政を説得し、血税から事業費の名目で行政に金を自分たちに支払わせる――すなわち、売り上げを得るシステムを広げることだったのだ。
=====
これは、驚きでした。
問題なのは今このときも、「支援校に行った方が自立への訓練を積める」と説得され知的障害のない子を支援校に進ませたいと願っている人がいるかもしれないということです。
そのときの「自立」の意味が違うのだと思います。一般に考えられている自立と福祉の考えている自立と。
福祉の考えている自立とは、エリートコースに乗せることです。
「生涯にわたる支援」のエリートコースです。
このあたりの「自立」の意味を知らないと、大変なことになります。
私がここに気づくのが遅かったのは、中高一貫校に通っていたため、高校受験を経験せず大学受験にいきなり突入したことだと思います。
高校受験って割と振り分けられるみたいですよね。
実質義務教育化している中で、行く場所がなくなるといけない、ということで学校で振り分け作業があるようです。
私の当時、神奈川は悪名高きアテストというのがありました。まあそうやって振り分けるわけです。私は中高一貫なのでアテスト回避しました。
進学率は高い学校だったのですが、大学はどこ行くのも自由。そして落ちても自己責任。というわけで推薦を狙わない限り、「どこどこ受けるな」とかそういう指示はありませんでした。たしか一月になったらもう登校しなくていいみたいな暗黙の規定があって、一月は推薦で決まった子しか学校に行ってなかったような気がします。私は家で勉強して二月の入試に挑みました。
こういう風に「自分の決めた学校を受けていい」状態しか知らなかったので、そして滑り止め受けなかったんですけどそれについても学校になんか言われた覚えがないので、よくわかっていなかったんですが、普通は学校は進路にあれこれ言うわけですよね。高校受験はとくに。そのときのプライオリティは「送り出し先確保」ですね。
発達障害者支援法のエリートコースに乗って行く先が支援校だと、あとあと色々不便もあります。
みるさんのブログを読んでおからさんがこんなつぶやきをしていました。
おからさんのおうちはご両親の判断で支援校回避されました。そして進路が広がりましたね。
すべて、各ご家庭が、自分で決めることです。
私たちは情報を提供しますけど。
今はもう変わりつつあるけど(実態がばれて)ちょうどみるさんの年代だと「縮小再生産こそ支援」の気運がありましたね。彼女が支援校に行ったのだってそうです。そして支援校卒だから、つまり高卒の資格がないからいろいろ話が遠くなる。今後知的障害がない・軽い人が進路を選ぶとき、ギョーカイやギョーカイに洗脳された教育現場が安易に支援校を勧めるかもしれない。でもリスクも考えて主体的に選択してよ、という私からの呼びかけです。
みるさんのご両親は私の講演会に来てくださったことがあるのですね。そこで赤本と『自閉っ子的心身安定生活!』を買って帰った。そしてこの二冊の本がその後みるさんのよりどころとなった。私がそらパパのブログの存在に気づいたのは『自閉っ子的心身安定生活!』の的外れな酷評だったのですが、あの本が支えとなって治っていった人もいるということです。
でも一方で『自閉っ子的心身安定生活!』はちゅん平があの壮大な虚弱体質を克服して作業所に週に五日通い始めたときにうれしくてうれしくて作った本なので、つまり、私はそろそろギョーカイに愛想をつかしていたころに作った本なのですね。
私は『発達障害、治るが勝ち!』の中でギョーカイのセールストークの裏に気づいた瞬間をこう書いてます。
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当時の私は知らなかった。「自立支援」とはどういうことか。私は一般人だから、自立支援と言えば文字通り自立を支援するのだと思っていた。
支援の世界(以降、支援業界を略して「ギョーカイ」と呼ぶ)では違っていた。
「自立支援を広げる」とは「自立支援」を謳う事業体が行政を説得し、血税から事業費の名目で行政に金を自分たちに支払わせる――すなわち、売り上げを得るシステムを広げることだったのだ。
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これは、驚きでした。
問題なのは今このときも、「支援校に行った方が自立への訓練を積める」と説得され知的障害のない子を支援校に進ませたいと願っている人がいるかもしれないということです。
そのときの「自立」の意味が違うのだと思います。一般に考えられている自立と福祉の考えている自立と。
福祉の考えている自立とは、エリートコースに乗せることです。
「生涯にわたる支援」のエリートコースです。
このあたりの「自立」の意味を知らないと、大変なことになります。
私がここに気づくのが遅かったのは、中高一貫校に通っていたため、高校受験を経験せず大学受験にいきなり突入したことだと思います。
高校受験って割と振り分けられるみたいですよね。
実質義務教育化している中で、行く場所がなくなるといけない、ということで学校で振り分け作業があるようです。
私の当時、神奈川は悪名高きアテストというのがありました。まあそうやって振り分けるわけです。私は中高一貫なのでアテスト回避しました。
進学率は高い学校だったのですが、大学はどこ行くのも自由。そして落ちても自己責任。というわけで推薦を狙わない限り、「どこどこ受けるな」とかそういう指示はありませんでした。たしか一月になったらもう登校しなくていいみたいな暗黙の規定があって、一月は推薦で決まった子しか学校に行ってなかったような気がします。私は家で勉強して二月の入試に挑みました。
こういう風に「自分の決めた学校を受けていい」状態しか知らなかったので、そして滑り止め受けなかったんですけどそれについても学校になんか言われた覚えがないので、よくわかっていなかったんですが、普通は学校は進路にあれこれ言うわけですよね。高校受験はとくに。そのときのプライオリティは「送り出し先確保」ですね。
発達障害者支援法のエリートコースに乗って行く先が支援校だと、あとあと色々不便もあります。
みるさんのブログを読んでおからさんがこんなつぶやきをしていました。
おからさんのおうちはご両親の判断で支援校回避されました。そして進路が広がりましたね。
すべて、各ご家庭が、自分で決めることです。
私たちは情報を提供しますけど。
小学校の間に心身が安定していれば、地道に継続するのが得意な子に選択肢が増えます。主体的に決めることで多少大変でも続けられるということもあります。
その理由の1つは「テストで高い点数を取る」という与えられた作業を機械的に続けてきただけだからです。記憶に優位な脳神経特性を持っていればそれほど努力もいらない作業です。
ところが会社では同じ作業をただ繰り返すだけということはありえません。単純労働と言われる仕事も熟達具合によって効率化されるからです。
ですから、早い時期からの「リスクも考えての主体的な選択」が不可欠となります。リスクを理解するためには失敗やそれに伴う苦痛も同様に不可欠となります。失敗させないように、苦しませないようにすること自体が大きな間違いとなります。
そんな人材はどこでも仕事ができます。さらにどんどんステップアップし続けることが期待されます。
記憶に優れた脳神経特性だけで機械的に高学歴を積むというエリートコースを歩んできた人もまた、社会・会社には適応できなくなるリスクを背負うことになるわけですが、こちらは一生涯に渡る支援はないので実はより悲惨な末路とも言えるかもしれません。
二次障害?専門職なのにその用語を普段使うことはありませんが(笑)、立ちはだかる障害やそれに伴う苦痛がない生活こそが、将来の1人の社会人としての自立した生活の足かせになるのは間違いありません。