というわけで私は支援者が嫌いなんだが
実際には仲良くしている人、尊敬している人、本まで出している人もいて
「全員嫌いなわけじゃないんでしょ?」ときかれたら
一応
全員嫌い
と答えます。
「例外」っていうのは自分では作らない。
でも例外はできるよね、それが人間。
だから「私は浅見さんの嫌うタイプの支援者じゃないわ」って自分で思ってくれてたらそれでいいの。自分で思っていたら、実際に私に嫌われているかどうかなんて関係ないでしょう?
猫本も自分では「保護者当事者が支援者にダメにされている○○を復活できるように」作った本であり
支援者向けには考えていない。
でも実は初売り直販を含めてかなりの数がすでに支援者という人たちの手にわたっていて
こんな役立てかたもあるらしく
本はやはり子どもだなあ私にとって、と思います。
どういう意味で子どもかというと
一応自分が生んだんだけど、どのように世の中でサバイバルしていくか
どのような人にどうお役に立つかは、本の力なの。もう私のもとは巣立ったのよ。
だから支援者の人が役に立つというのなら役に立ててくれたらいいのよ。
じゃあなんで支援者が全員嫌いかというと
そもそも猫本の表紙を猫にしようと思った神田橋先生のこの一文でいえば
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十数年が経ち、後輩を指導することが多くなり、あのエピソードを思い出すことが多くなっていた。ある日、車にはねられ恐らくすでに息絶えている猫に、もう一匹の猫が寄り添うようにして、しきりに舐めている光景に出会った。その時に分かった。他者の不幸に寄り添い救けようとする性向は、哺乳動物にあらかじめ付与されている天然のパターンである。外界の一定のサインにより内在するパターンが賦活されるようにセットされているのである。ヒトの場合も事情は同じであるに違いない。そうした天然自然に由来する救助活動が精神療法のルーツである。その意味での精神療法は、人類発祥よりも古くからすでに在った。ところが人はいろいろな理由で、知恵を育てるとともに、動物と共有する天然のパターンを不活性化してきた。それゆえ、精神療法と呼ばれる対人活動を行うには、まず天然のパターンを活性化するところから始めなければいけない。
神田橋條治著 「精神療法面接のコツ」岩崎学術出版社 13ページ
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赤い本(「自閉っ子、こういう風にできてます!」)作ってから
「こんなに大変なんだ~社会の理解ガー」を支援だと思っている人にたくさん出会いすぎ
その間、私は、それこそ猫が猫に寄り添うように
「体温調節ができないとか、自分の身体がわからないとか、そういうの不便すぎるので、治せる方法ないんじゃないか」と考え続けてきたんだけど
そして私のその気持ちは
人類発祥の前からあった○○なんだけど
その○○に基づいて色々情報持ってくると
「治すなんて差別!」とか「とんでも!」とか
そういう支援者が多すぎるので
私は支援者が全員嫌いです。
この週末も隠密行動とって
方々で支援者に出会うと思いますが
覚えておいてね。
私はあなたたちが大嫌い。
あなたたちは猫に寄り添う猫じゃない。
あなたたちは人助けを産業化して○○を忘れている。
私が発揮した○○さえけちつけてつぶそうとした。
つぶれなかったのは私の○○がそれだけたくましいからだけの話。
この週末私に会う支援者の人たち、覚えておいてね。
私はあなたたちが大嫌いです。
というのが私の公式発言なので
自分が例外だと思う人は、「自分は例外だ」と心の中で思ってください。
思うのは自由だもの。