治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

講演「神経発達障害という突破口」ご報告 ADHD、学習障害

2019-03-11 10:49:02 | 日記
さて、南雲さんとの共同ブログを更新する前に、3月3日の講演で私が南雲さんに触れたことを書いておこうと思いました。

当日取り上げた神経発達障害としては
・知的障害
・自閉症
・ADHD
・学習障害

でしたね。知的障害については詳しくやりました。これは「NEURO」にも書いてます。
自閉症に関しては、ちゅん平さんその他そこにいたASDの診断を受けたことのある方たちのご協力も借りて、ライブ感覚でやってみました。

そしてADHDと学習障害ですよ。

私は『片づけられない女たち』を作ってる途上で何度も「私もこれでは?」と思いました。そしてあの本があれほどマスコミで取り上げられたのは、マスコミ・出版の女性に思い当たる節のある人が多かったからだと思います。逆に言うと伝統的に求められる女性らしさをある程度仕事の能力で免除されている人が多いとも言えるかもしれません。

けれども今回DSM5を読んでみて、私はADHDの診断基準をほとんど満たしていないことに気づきました。ケアレスミスは多い。たしかに。でもそれはなんだかんだ致命的にはなっていません。てへぺろ力。悪いときには謝ること。誰かに救われること。運。色々です。

そしてその他の診断基準は本当に当てはまらないですね。期日は守ります。じゃないと仕事が進みません。そして期日を守る人たちとしか仕事しません。じゃないとはかどりませんから。たいていの人はそうじゃないでしょうか。そうなると期日を守れない人は落ちこぼれていくでしょうが、それは社会に理解がないからではない。単純に仕事ができないからです。

これは神田橋先生の言葉がヒントになったのですが、気が散る、ということはひっくり返せばマルチタスクだということ。私はそういう自分の特性を活かした環境作りは自力でしています。

だから私はADHDの診断基準には今当てはまらない。逆に言うと当てはまらないからこそ会社は23年続いてきたと思います。期日通りに仕事をしないと信用を培うことはできないからです。会社を経営していくうちに、私のADHDは治ったようです。もちろん拙いなりに、ずっと運動療法や食餌療法もしてきたようなもんですし。

そして学習障害。ここで南雲さんの話を出しました。

DSM5の学習障害の書き方は、なんというか突き放した感じなんですね。この突き放した感じはなんだろうと私は何度も読みました。そしてこの突き放し感には、日本より米国が格差社会を容認していることが関係あるのではないかと思いました。

つまり「読めないやつは読めなくていい」「学齢期だけ乗り切ればいい」という思想です。

でも南雲さんは読む人生を選んだのです。

本を読むことの意義を知り、自分の問題意識を解くために本を読む人生を選んだのです。だったらたとえ読字障害があったとしても、なんとか読む工夫をし、そしてハイテクな機器の必要性を減らしていかなければなりません。それが一次障害としての学習障害を治すということ。

逆に読む人生を選ばないのなら、本など学校卒業したら読まなくていいと思うのなら、いくらでも合理的配慮のみに頼っていたらいいでしょう。

だからこれは志の問題なのです。

そして私は会場の皆さんに問いかけました。皆さんはお子さんに、どういう人生を望みますか?
何か悩みがあったとき、解決したい問題があったとき、本を読むことのできる人生ですか?
だったら学習障害は治した方がいいでしょう。

それを望まないのなら、いくらでも「社会の理解ガー」をやっていればいいのですよね。

8年前の国難のあと生まれた猿烏賊

2019-03-11 09:41:55 | 日記
さて、昨日大相撲みながら猿烏賊ジュニアの物語をツイッターで更新していて、今日はそのまとめをアップするつもりでしたが、3.11。っていうことで8年前を思い出してみましょう。

私は直接の被災地にはいませんでしたが、それでも空前絶後の揺れでした。揺れの強さはともかく時間がすごかった。五分くらい揺れていた。その間の恐怖はすさまじかった。ここでこれなら東北はどうなのだろう。私の最初のツイートが「東北大丈夫?」だったのを今でも覚えています。まさか関東が震源じゃないとは思わなかった。それくらい強い揺れでした。

そして原発が爆発し、悲しい日々が始まりました。

夫は以前から決まっていた文科省派遣で3月14日からドイツへ。余震余震の日々でしたから、見送るときは今生の別れを覚悟しました。気持ち悪くなるぐらい余震に揺られる中、一人で耐えました。人心が安定したときに出そうと、節電で寒い部屋でダウンを着込み、iPadで情報収集しながらのちに『活かそう! 発達障害脳』となる本に取り組んでいました。

その頃夫は、ドイツでの偏向した震災報道に怒っていたようです。日本にいた私にも、ツイッター等を通じて海外での偏向報道の様子が伝わってきました。他人の不幸は蜜の味なのでしょう。「これで日本はおしまいだ」という論を張る海外メディアとそれを誤読しては面白がる反日日本人、という構図ができあがっていました。

ここでも翻訳は荒かったのです。例えば、「日本はこの震災で貧しい国になる」と断言する海外ジャーナリストの弁を嬉々として紹介する反日日本人ジャーナリストがいました。けれども原文を見てみると「will be a poorer country」で比較級でした。乱暴な訳がまかり通っていたのです。私はこういうのに腹が立ったので、結構原文と突き合わせしてやっつけたりしていました。

ちなみに、この前から第一次猿烏賊騒動は起きていました。最初は「僕は修行するんだ」と宣言した小学生を、そのあとは「医者なら治せんといかんわな」とおっしゃった神田橋先生を、そしてとにかく治そう、と言った私への「ありのまま系」の親・「家事のできる引きこもり系」の支援者からの攻撃は続いていました。それは北海道で器物損壊事件を出して警察が出動したほどの騒ぎになりました。

そしてあの国難。これから復興に長い時間とお金がかかります。治る人はますます治らないといけません。生涯にわたる支援を受ける必要がなくなる人が増えれば、納税者になる人が増えれば、この災害の多い国にとってどれだけ助かるかわかりません。けれどもありのまま系の保護者、家事のできるひきこもり系支援者たちは1ミリも変わりませんでした。相変わらず「差別ガー」「社会の理解ガー」「支援ガー」であり、修行する人、治ろうとする人をトンデモ呼ばわりし続けました。

私が彼らを猿烏賊と名付けたのはそれをみたためです。
新生物誕生
という記事を書きました。
猿烏賊の名の由来はこの記事に書いてあります。



動物である以上、子どもに餌の採り方を教えるのは本能です。こよりさんの本を見てください。その思いに貫かれている子育てです。それは子どもに障害があろうとなかろうと関係なく。その動物としての本能すらなくした人たち。その一群が発達障害界隈にはたくさんいるのです。

この人たちの機嫌をとるのは、そういう人たちを食い物にしている治せない医療、伸ばせない療育、アリバイでやっているだけの特別支援教育、そして飼い殺しの成人支援の人たちです。つまり、震災で何もかもなくした人に思いを馳せず、自分たちにできることは何かを考えず、相も変わらず国や自治体にたかり続ける人たちですな。

それに比べて、治るのは正義です。支援をなくしていくのは正義です。花風社クラスタの人たちは、自分の生活をよくするだけではなく社会貢献しています。

自信を持って歩んでいきましょう。
そして悲しみを乗り越えて、よりよい日本を作りましょう。
そこに寄与しましょう。
お子さんを治すのは、社会貢献です。
自分が治るのも、社会貢献です。
こよりさんのおうちは、障害のあるお子さん二人が社会人になったことで、国庫に四億円の貢献をしました。