治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

茨の道

2011-01-14 08:53:53 | 日記
さて、障害があるがゆえに将来も保護されるべき存在として子どもに過ごしてもらいたいという皆さん。

その人たちの生き方に難癖をつけるつもりは個人的には私には毛頭ないわけですが
ただ、そっちの生き方が、もしかしたら就労を目指す以上に厳しい道かもしれないな、とは思っています。

だって時代に応援されてないからね。

時代は就労方面は応援しているでしょ。
じゅうぶんな支援もノウハウもまだないし
世間の理解もゆっくりだけど
時代はそっちに向かっている。

そして時代に応援されているかどうかは、予算にかかわってきますよね。

保護してくれる人
すなわち労働力の確保もこれが実現可能かどうかにかかわってきますよね。

お子さんが大きくなったとき
ちゃんと人権が担保されている清潔な環境でお子さんが生活していくには
今からやらなくちゃいけないことが多いはずです。

だってそっち方面の枠が増えるとは思えない反面
競争率は高くなってくるはずですよ。

現場の人たちが言うのは、そもそも療育の前に親が不安定すぎて
生活リズムが作れない家庭が多いこと。
そのような家庭で障害が軽減されるはずがないこと。
親が朝起きられない
三食用意できないようなパターンも多いこと。

不登校になっても、親が「行かなくてもいいのよ」という方針で
そのまま引きこもりとなって高齢化していくことも多いこと。

特別支援教育が始まったときには「ニート化」も予防しようということになっていたはずですが
実際には「二次障害回避原理主義」の支援者たちが教育の現場にも医療の現場にも見られ
「頑張らなくていいんだよ」が合言葉となっていること。

そうやって「頑張らなくていい」と信じて育つ子どもや大人が増えること。

こういう状況を見ると、「保護されるべき枠」っていうのも競争率が高そうです。
だって志望者むしろ増えそうだし。

だから本当にお子さんが保護されて一生過ごすべきだと思っているのなら
まずやることは、ネットでぐちゃぐちゃ言うことではなく
表に出て行政に向かって声を上げることじゃないでしょうか。

予算をつけろ。
人を確保しろ、ってね。

これは、私が取材を重ねて出てきた実感です。