送り火の点火風景
◆大文字送り火(如意ヶ嶽・支峰大文字山)…宗派を越えた先祖供養大文字の送り火は、銀閣寺周辺の旧浄土寺村の人々で構成される大文字保存会によって行われています。
■点火の瞬間
大の字の2画目部分を「北の流れ」、3画目部分を「南の流れ」と呼んでいます。
75カ所の火床は、保存会の家ごとに担当が決められています。
当日19時になると、大の字中心部の火床「金尾(かなわ)」近くにある弘法大師堂に灯明が灯され、浄土院住職や保存会員らによる般若心経などの読経が行われます。
大文字の送り火を管理する浄土院は、天台宗から浄土宗に改められたお寺です。
しかしながら、お寺には真言宗開祖・弘法大師も送り火の本尊として祀られています。
浄土宗の住職が古式通りの形で精霊を浄土に送るのは浄土宗としては異例な事ですが、旧浄土寺村の土着の信仰を尊重してのことなのです。
その後、各火床の責任者は「護摩酢」と呼ばれる仏前の清めの酒をふるまわれ、灯明の火が親火へと移されます。
点火時刻の20時、「南の流れよいか」「北の流れ」よいか」「字頭よいか」「一文字よいか」というかけ声で、竹に麦わらを巻き付け親火から火を移した大松明をふりかざし、そのタイミングで一斉に点火されます。
◆松ヶ崎妙法送り火(西山:万灯籠山・大黒天山)…題目を唱えて踊って浄土へ送る、妙と法の送り火は、財団法人松ヶ崎立正会会員で構成される松ヶ崎妙法送り火保存会によって、西の町組が「妙」、東の町組が「法」を受け持っています。
松ケ崎には、平安京造営に伴い天皇に米を献上するため移住した100軒の集落がありました。
「妙法」の文字と題目踊りは、700年程前に松ケ崎の全村民が日蓮宗に帰依したことに由来すると伝わっています。
■点火の瞬間
当日20時10分、妙法それぞれの山から良く見える位置より、保存会長による合図で同時に点火されます。
妙のある万灯籠山では涌泉寺の住職や保存会員らによる読経が行われます。
点火後は、「南無妙法蓮華経」の題目踊りやさし踊(京都市登録無形民俗文化財)が涌泉寺で始まります。踊りは送り火前日も行われています。
◆船形万燈籠送り火(船山:西賀茂山・明見山)…鉦の音で漕ぎ出す帆かけ船
船形の送り火は、西方寺のもと西賀茂鎮守庵町、総門口町、今原町の旧家より若中、中老、年寄で構成する船形万燈籠送り火保存会が携わっています。
■点火の瞬間
船の帆柱の先端にあたる火床を担当する若中頭が全体の監督を務めます。
当日の18時半、ふもとの西方寺から準備ができたかを聞く一番鉦が鳴らされ、20時13分には、元火(ないしょ火)の用意を合図する二番鉦が鳴ります。
仏教の半鐘の鳴らし方に準じ、最初はゆっくり、次第にスピードを早めて各番49回ずつ鳴らされます。
20時15分、山上から手松明によって準備完了の合図が出され、ふもとの西方寺から保存会副会長による三番鉦が鳴らされます。
一斉に若中が竹の手松明に親火からの火を移し、受け持つ各火床に走って船底から帆柱へと瞬く間に送り火が点火されます。
本堂では住職が読経します。送り火の後は、ふもとの西方寺で六斎念仏(国の重要無形民俗文化財)が催されます。
◆左大文字送り火(曼荼羅山)…松明行列は晴れ舞台
左大文字の送り火は、旧大北山村、現在の北区衣笠各町の人々を主体とした左大文字保存会によって行われています。
■点火の瞬間
当日の朝に菩提寺である法恩寺に設置された蓮の形の親火点火台に灯明で火を移します。
19時頃の住職による施餓鬼法要の後、親火から大松明1基と手松明約40本に火を移します。
一方、法恩寺の角には高灯籠、門前の街道では各家の前に門火として松明で篝火が焚かれ、先祖の霊を菩提寺に導きます。
その後、松明を持った行列が山上へと登ります。
この松明行列を見に来る人は年々増えているそうです。
50㎏を超え燃えさかる大松明を担いで山道を登るのは大変な労力です。
53カ所の火床は、年齢や経験などによって担当があらかじめ決められています。
いったん火の消された手松明に再び大松明から火を移した後、保存会長の鐘の合図で、手松明によって筆順に点火されます。
◆鳥居形松明送り火(大北山:大文字山)…古式の手法に創意工夫で火が走る、鳥居形松明送り火は、嵯峨鳥居本に住む青年を中心に構成される鳥居形松明保存会が行っています。
■点火の瞬間
急な斜面に並ぶ火床を熟練会員が、横に並ぶ火床を若者が担当します。
18時頃になると、山上7カ所で護摩木を井桁に積み上げた親火に点火し、その周りで松明をあぶって熱くし、松ヤニを含んだ「じん」を発火しやすいようにふかして点火を待ちます。
これが素早い点火の秘訣。
20時20分、保存会長の太鼓による合図僧侶の読経が始まり、各親火床から火を移した松明を手に一斉に走って各火床に突き立てます。
点火された山上では、化野念仏寺の住職による読経が行われ、精霊が送られます。
毎年8月16日恒例の送り火、午後8時に点灯され、京都市内の看板灯等も消されます。
私は、以前大文字保存会の方にお話を聞く機会があり室町時代が起源であり、あくまで町衆が先祖を送るためにしているとお聞きしました。
送り火の為に、薪を春に山の中腹まで運び、乾燥させておくのだそうです。
火床は各家族の担当であり、毎年同じだそうで、火の付け方一つに気を使うようです、伝承されていくのですね。
一度大文字の日に登って見られたら、京都の夜景がとてもきれいで、カメラのフラッシュが花火の様ですよと言われました。
大雨の時にでも、明るい昼間に薪を運び、火床を組んで、覆いを掛け 夜の8時まで小屋で避難されているとのこと。
地元の消防団が類焼の無い様に見回っておられます。
ボランティアの方もお手伝いされているようです。
ホテルや、花街はご寄付の為に、護摩木を販売され、市民はそれを買い求め願いを書き入れそれも、一緒に炊いていただき、消し炭をお守りとして市民がもらってまいりました。
長く続けられる風習には、多くの方の浄財が基盤にあるのですね。
食器のお盆にお酒を入れ、大の文字をそれに写して飲むと無病息災と言われる習わしがあります。
今年も忘れずやります。
2000年の大晦日の日に、21世紀を祝って五山の送り火が点灯されました、京都では大変な出来事でした。
※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。
※写真は全て過去のものです。
◆大文字送り火(如意ヶ嶽・支峰大文字山)…宗派を越えた先祖供養大文字の送り火は、銀閣寺周辺の旧浄土寺村の人々で構成される大文字保存会によって行われています。
■点火の瞬間
大の字の2画目部分を「北の流れ」、3画目部分を「南の流れ」と呼んでいます。
75カ所の火床は、保存会の家ごとに担当が決められています。
当日19時になると、大の字中心部の火床「金尾(かなわ)」近くにある弘法大師堂に灯明が灯され、浄土院住職や保存会員らによる般若心経などの読経が行われます。
大文字の送り火を管理する浄土院は、天台宗から浄土宗に改められたお寺です。
しかしながら、お寺には真言宗開祖・弘法大師も送り火の本尊として祀られています。
浄土宗の住職が古式通りの形で精霊を浄土に送るのは浄土宗としては異例な事ですが、旧浄土寺村の土着の信仰を尊重してのことなのです。
その後、各火床の責任者は「護摩酢」と呼ばれる仏前の清めの酒をふるまわれ、灯明の火が親火へと移されます。
点火時刻の20時、「南の流れよいか」「北の流れ」よいか」「字頭よいか」「一文字よいか」というかけ声で、竹に麦わらを巻き付け親火から火を移した大松明をふりかざし、そのタイミングで一斉に点火されます。
◆松ヶ崎妙法送り火(西山:万灯籠山・大黒天山)…題目を唱えて踊って浄土へ送る、妙と法の送り火は、財団法人松ヶ崎立正会会員で構成される松ヶ崎妙法送り火保存会によって、西の町組が「妙」、東の町組が「法」を受け持っています。
松ケ崎には、平安京造営に伴い天皇に米を献上するため移住した100軒の集落がありました。
「妙法」の文字と題目踊りは、700年程前に松ケ崎の全村民が日蓮宗に帰依したことに由来すると伝わっています。
■点火の瞬間
当日20時10分、妙法それぞれの山から良く見える位置より、保存会長による合図で同時に点火されます。
妙のある万灯籠山では涌泉寺の住職や保存会員らによる読経が行われます。
点火後は、「南無妙法蓮華経」の題目踊りやさし踊(京都市登録無形民俗文化財)が涌泉寺で始まります。踊りは送り火前日も行われています。
◆船形万燈籠送り火(船山:西賀茂山・明見山)…鉦の音で漕ぎ出す帆かけ船
船形の送り火は、西方寺のもと西賀茂鎮守庵町、総門口町、今原町の旧家より若中、中老、年寄で構成する船形万燈籠送り火保存会が携わっています。
■点火の瞬間
船の帆柱の先端にあたる火床を担当する若中頭が全体の監督を務めます。
当日の18時半、ふもとの西方寺から準備ができたかを聞く一番鉦が鳴らされ、20時13分には、元火(ないしょ火)の用意を合図する二番鉦が鳴ります。
仏教の半鐘の鳴らし方に準じ、最初はゆっくり、次第にスピードを早めて各番49回ずつ鳴らされます。
20時15分、山上から手松明によって準備完了の合図が出され、ふもとの西方寺から保存会副会長による三番鉦が鳴らされます。
一斉に若中が竹の手松明に親火からの火を移し、受け持つ各火床に走って船底から帆柱へと瞬く間に送り火が点火されます。
本堂では住職が読経します。送り火の後は、ふもとの西方寺で六斎念仏(国の重要無形民俗文化財)が催されます。
◆左大文字送り火(曼荼羅山)…松明行列は晴れ舞台
左大文字の送り火は、旧大北山村、現在の北区衣笠各町の人々を主体とした左大文字保存会によって行われています。
■点火の瞬間
当日の朝に菩提寺である法恩寺に設置された蓮の形の親火点火台に灯明で火を移します。
19時頃の住職による施餓鬼法要の後、親火から大松明1基と手松明約40本に火を移します。
一方、法恩寺の角には高灯籠、門前の街道では各家の前に門火として松明で篝火が焚かれ、先祖の霊を菩提寺に導きます。
その後、松明を持った行列が山上へと登ります。
この松明行列を見に来る人は年々増えているそうです。
50㎏を超え燃えさかる大松明を担いで山道を登るのは大変な労力です。
53カ所の火床は、年齢や経験などによって担当があらかじめ決められています。
いったん火の消された手松明に再び大松明から火を移した後、保存会長の鐘の合図で、手松明によって筆順に点火されます。
◆鳥居形松明送り火(大北山:大文字山)…古式の手法に創意工夫で火が走る、鳥居形松明送り火は、嵯峨鳥居本に住む青年を中心に構成される鳥居形松明保存会が行っています。
■点火の瞬間
急な斜面に並ぶ火床を熟練会員が、横に並ぶ火床を若者が担当します。
18時頃になると、山上7カ所で護摩木を井桁に積み上げた親火に点火し、その周りで松明をあぶって熱くし、松ヤニを含んだ「じん」を発火しやすいようにふかして点火を待ちます。
これが素早い点火の秘訣。
20時20分、保存会長の太鼓による合図僧侶の読経が始まり、各親火床から火を移した松明を手に一斉に走って各火床に突き立てます。
点火された山上では、化野念仏寺の住職による読経が行われ、精霊が送られます。
毎年8月16日恒例の送り火、午後8時に点灯され、京都市内の看板灯等も消されます。
私は、以前大文字保存会の方にお話を聞く機会があり室町時代が起源であり、あくまで町衆が先祖を送るためにしているとお聞きしました。
送り火の為に、薪を春に山の中腹まで運び、乾燥させておくのだそうです。
火床は各家族の担当であり、毎年同じだそうで、火の付け方一つに気を使うようです、伝承されていくのですね。
一度大文字の日に登って見られたら、京都の夜景がとてもきれいで、カメラのフラッシュが花火の様ですよと言われました。
大雨の時にでも、明るい昼間に薪を運び、火床を組んで、覆いを掛け 夜の8時まで小屋で避難されているとのこと。
地元の消防団が類焼の無い様に見回っておられます。
ボランティアの方もお手伝いされているようです。
ホテルや、花街はご寄付の為に、護摩木を販売され、市民はそれを買い求め願いを書き入れそれも、一緒に炊いていただき、消し炭をお守りとして市民がもらってまいりました。
長く続けられる風習には、多くの方の浄財が基盤にあるのですね。
食器のお盆にお酒を入れ、大の文字をそれに写して飲むと無病息災と言われる習わしがあります。
今年も忘れずやります。
2000年の大晦日の日に、21世紀を祝って五山の送り火が点灯されました、京都では大変な出来事でした。
※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。
※写真は全て過去のものです。