奈良県立民俗博物館公園を散歩して撮影しました。
サラサウツギ
ダイサンポク
昨日は奈良国立博物館で開催います「藤田美術館展」を観て来ました。
館内は凄い人で特に「曜変天目茶碗」の展示コーナーには長蛇の列、と感嘆していると館内放送で私の名前を呼んでいる「保安室までお越し下さい」とのこと、携帯のカバーのポケットに入れていました、イコカやドコモカードに千円札1枚を入館直後に落としてしまい、「しまった」と諦めていたところだった、早速保安室に行くと落とした物が届いていた「ドコモカードに名前の記載があったから」と保安員の方、届けてくれた方を訪ねると「若い中国の男性」とのことで名前等も判らずでした、只々この場を借りてお礼申し上げます。
改めて館内で展示品を鑑賞しましたが、長蛇の「曜変天目茶碗」は待つ気持ちになれず諦めましたが、国宝の「紫式部絵日記詞」等はゆっくり鑑賞、素晴らしい表現力に魅了されました。
母の葬儀を終えて、連休最終日(6日)に長男夫婦が二人で出掛けると言う、従って長男宅で孫2人の子守りを午前中は私が、午後は妻が観ることになった、下の子が体調悪く、嘔吐したりしていると言う、孫や私の昼食の準備をしてないので上の子と昼ご飯の買い物に行く、孫の希望で電子レンジで温めて簡単に出来るデトルトカレー子供用と、私はボンカレー、ご飯はバック、量は色々なグラムが用意されている、子供用に150グラム、私は230グラムにしました。
他に果物等を買って帰宅すると、下の子が畳の上で座ったいる、上の子が「ウンチの臭い」がすると言う、見ると下の子のパジャマが濡れている、オムツをしていたが水便だった様で漏れたようだ、すべて脱がせてトイレに、車には介護用のビニール手袋を乗せているが間に合わない、素手でヴォーシュレットで体を洗い流して拭いてあげ、別の衣類に着替えさせた、何か孫が元気になった様な気がした。
レトルト食品を電子レンジで温め食事、下の子も食べたいと言う、私と半分こして分けた、食欲旺盛だった、妻と交代。
7日お昼ごろから大和郡山市役所へ、役所も連休後の仕事開始、沢山の人が来ていました、後期高齢者医療証等の返還、葬祭費用の請求等、住民票の除票の取得、国民年金の未払い分の請求方法の教授を受けました、この時点では体の異常はありませんでした、生駒に帰宅して少し横になる、夕方妻が何か食事かって来てと言う、この時点で食欲がなくなっていることを感じた、簡単な食事を少量、デザートにカットスイカ2切れを食し就寝、深夜になって嘔吐数回、ムカツキが強い。
8日かかりつけ内科へ、診察を受けムカツキを防ぐ薬を処方した貰う、12日まで食欲不振、14日になってヤットましになりました。
母が平成最後の日に亡くなりました、98歳でした。
病名は大動脈解離が原因による死亡と言う事でした、発症から1時間少しで息を引き取りました。
当日は施設で朝食を頂き、その後リハビリを受けていた途中に意識が無くなり病院へ搬送して措置を受けました。
私は自宅で午前9時半ごる携帯電話に知らせを受けました、番号を見て「これはやばい」と直感的に感じました。
母の状況の説明と「延命措置を望みますか?」「高齢ですので延命は望みません」と回答、直ぐに来て下さいと言われましたが「心臓はバクバク、体から力が抜けて」数分間自分に「冷静に冷静に」と言い聞かせて10時20分ごろ施設に到着、係員が病院へ案内してくれました、担当医から「CTの画像で大動脈が裂けていて体全体に血液が回っていません、高齢ですので手の施しようはありません」と説明を受けました、その後措置室の母のところへ、看護師さんから「声を掛けて上げて下さい、手を握ってあげて」と言われました、機械には血圧の表示まありませんでした、呼吸の数値だけが、「来たよ」と声を掛けますと「笑って嬉しそうな表情になり、目に涙が」、手は冷たかったですが摩ってあげました、10時45分点滴が無くなりますと共に呼吸をしなくなりました、先生の診察を受け終焉を告げられました。
でも最後に会えて幸せでした。
その後施設に戻り、入浴させてもらって、綺麗に薄化粧をしてくれて、とても98歳には見えず若く見えました」係の人はとても肌が綺麗だったからと言ってくれました。
葬儀社に連絡、母が施設を出る際は多くの人が見送ってくれました、十分なお礼の言葉も言えませんでしたが本当に多くの方にお世話になりました、母も幸せな人生だったと思います。
5月1日通夜、2日葬儀を家族葬で行いました、やっと落ち着いてきましたので公表させていただきました。