夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

写真

2007年02月07日 09時55分32秒 |  写真
最近好きなもの、綺麗だと思うものにカメラを向けて写真を撮りだした。
なんとなく初心に戻った感じで写真って悪くないな、ある部分自分に合っているのかなって感じがしてきている。



カメラは子供のときからそばにあったけど、子供のころから、スナップ程度に撮った写真がアサヒカメラなんかで入賞したりして、写真というものを軽く見る癖がついてしまった。とにかく花とか、猫とか、好きな対象を、好きな風にシャッターを切って、一応現像してみて、「そうか」で終わってしまう。花や猫が好きで写真を撮ろうとしていたのではなく、その一瞬をフレーミングするのが好きだったし、それは今でも変わらない。



大人になってからは、原稿に写真をつけてくださいってことを言われることが多くなって、好きでもない会議だとか、インタビューの相手とか、風景とかを撮らされ始めると、写っていればいいのだろうって感じで、ますます撮りたい写真というものから外れていってしまった。その当時だと、カメラは用意するけど、写真がお好きですかって聞かれれば本心から、「いや、仕事で記録用に仕方なく」って答えたと思う。



前の仕事を辞めたときに、自分へのご褒美として、それまでのバカチョンデジカメからもう少し本格的なデジカメを買った。
今は、仕事での写真もなくなったし、身近なところを散歩するためにも、ただひたすら歩くのではなく、そのデジカメでも持ちながらって思い始めた。



そうすると結構写真が面白いことに気がついた。
ただ散歩しながら花が綺麗、可愛い猫がいた、犬の面白い表情を見たっていうのを漫然となく見ているのではなく、それをどう切り取るのかって、対象の前で、もっとじっくりと見ることが増えてきた。写真はあるものしか撮れない、もちろん光線とかのその場の条件もあるけど、対象から何を、どこを引いていくか、あるいはあと一歩前に出るのかどうかが勝負だと思う。



もちろん花や鳥を撮ったからって、それらのことを知っているわけじゃないし、私の中にあるのはファインダーの中の形と色でしかないのだけど。
散歩道の野の花や鳥たち、それらを撮っていると知人たちからこれは何の花、あれはどんな鳥ってメールが入ってくるのがうれしい。



もっとも花も、何十年も花好きの人に囲まれて、自分も好きなくせに、未だに基礎的なことを知らないので、馬鹿にされているから、これからも植物や、動物が判るようになるとは思えないけど。



でも、私はそれでもいい。あくまで自分が綺麗と感動するものをどう切り取っていけばいいのか、それが私の今の楽しみだから。

それにしても、子供時代はフィルムや現像、引き伸ばしのお金がなくて、フィルムを無駄に使いたくなかった。今は要らない写真はすぐデリートできるし、PCでも加工だから、その部分のお金がかからないって素晴らしいね。



今は印刷まではやっていないけど、無料で印刷してアルバムにしてくれるところもあるようだし、今度試してみようと思う。



年寄りのたわごと? それでもいいじゃん。



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