活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

人の営み、人の悲しみ。そして人の思い。   闇を裂く道(下)

2009-09-27 12:24:52 | 活字の海(読了編)
著者:吉村昭 文春文庫刊 定価:600円(税別)
初版刊行:1990年7月1日(入手版)



丹那トンネル建設地の約160m上層には、丹那盆地が広がっている。
この盆地は豊富な水資源に満ちており、その恩恵を受けて濃い緑陰の元、
田畑は元より、清流が無いと生育は不可能とされる山葵(わさび)の栽培も
盛んだった。

その他、酪農により収穫された牛乳の運搬にも冷えた地下水を使って
鮮度を保つなど、水は常に人々の暮らしの周りに満ち、その生活を
文字通り潤わせていた。

その恩恵を受けて、人々の気質は柔和で余所者にも親切であり、まだ工事の
着工前に工事関係者が測量で訪れた際にも、何くれと無く親切に相対して
いた。

その人々の生活を支え続けていた水が…。
枯れ始めてきた。

時に、大正14年。
工事着工から7年を経てのことである。

工事現場では、夥(おびただ)しい量の湧水が工事関係者を悩ませ続けて
いた。
当初は排水溝を設けることで対処していたが、すぐにそれでは賄い切れ
なくなり、とうとう排水専用坑をまず新設するという新工法の開発が必要
になる程となっていた。

その水の出所が、丹那盆地を満たしていた水だったのである。


トンネル工事を主轄する鉄道省は、全ての工事が完了してからでないと、
十全な対処も打てないからとのもっともらしい言い分で暫定的な措置
しか行わなかった。

しかし。
人々の困窮は、正に今日明日の生活の糊口をどう凌げるのか、という
レベルにまで達しており、とてもいつ完工するか分からない工事の
行く末を待つような状態ではなかった。

そして、ついに。
筵(むしろ)旗を掲げ、手に手に農機具等を持って建築事務所を
取り囲む村民達。

その顔からは、かつての柔和な笑みは消えうせ、怒りと絶望がたっぷりと
塗り込められていた。


この問題は、結局昭和8年に各種補助金の支払いや水道管の敷設といった
和解策を持って、完全解決に至るのであるが。

10年近くも村民は元より、工事関係者、県庁の役人その他、多くの人を
巻き込み、その全ての人を当惑と絶望と敵意とで押し囲んでいったこの
事件を思うとき。


自分達の平和な生活を返せ!と建築事務所に押し寄せた村人達の。

日本の大動脈を作るという使命感に満ちて配属された建築事務所にて、
そうした村民に軟禁され、難詰された工事関係者の。

両者の間を必死で取り持ちながら、鉄道省に働きかけた県庁役人の。

様々な人の、様々な思いが。

隧道湧水のように、本書の中では溢れている。


勿論。
吉村氏の乾いた筆致故、感情的な文章になっている訳では無い。

だが、その余分な修飾や情感を削ぎ落としながら。
坑道を鑿(のみ)で少しずつ穿(うが)っていくように、事象を紐解いて
いく文章からは。

文体のガラスのような硬質感とは裏腹に、この問題に携わった人々の
煮え滾(たぎ)るような感情が、ページの向こうには熾(おこ)っているのだ。


この問題は。
少なくとも、上述の当事者の誰に責任がある訳でも無い。

きっかけを作ったのは、確かにトンネル工事ではあるが、当時の土木学では
160m以上地下まで水脈が繋がっているということは想定の範疇外だった。

そして。
問題が露見し、いよいよ周辺状況から因果関係が確認されていく中で。
長引く工事期間故に、建築事務所所長や技師達は異動等で代替わりをして
いくが、どの人物も皆、それぞれの立場で出来うる限りの対処を村民に
対して行っているように描かれている。

この辺り。
生半な小説であれば、作者の生温い願望の産物かとも見てしまうが、
こと確認できた事実以外のことは書かないということを自是としている
吉村氏であるが故、実際にそうした人となりの人物が工事関係者側に
輩出した、と思ってよいだろう。


村民を取りまとめる村の有力者達も、又。
彼らが村人達から信頼を受けていたのは、単に大規模地主だからだとか、
旧家だからといった直截的な事情では無いことは、工事関係者達との談判の
中でもはっきりと見て取れる。

ついに村民達が決起し、筵旗で持って建築事務所を取り囲んだ際も。
村民の代表として彼らは村の窮乏を訴えるが、決して声を荒げたりは
しない。

農民にとって、田畑を維持できないということは、即ちその存在意義を
喪うということだ。

村の有力者として、渇水をきっかけにして村に蔓延した村民達の絶望感や
憎悪をもっとも身近に感じながら、尚。

彼らは、感情のままに声を張り上げることを由とせず、自らをきちんと
律しながら窮状を説く。


そして、県庁の耕地課農林主事である柏木八郎左衛門。

僕が、本書で最も感銘を受けた人物である。


いよいよ水抜坑が貫通したことで、鉄道省が先送りにしていた抜本対策を
今講じなければ、これ以上村民達を抑え切れないと判断した彼は。

村の有力者の一人である仁田大八郎、建築事務所長の平山とともに、
鉄道省を訪れて、大臣である三土忠造へ直談判を行う。

375Pからのこの下りは、その少し前に描かれた水抜坑貫通のシーンに
一歩も引けをとらない盛り上がりを見せる。

柏木の主事という役職がどの程度の重みを持つものなのか。
総務省の開示資料中にあった、「地方公共団体における人事評価システムの
あり方に関する調査研究
」というファイルを見る限りは、民間でいうところの
主任と同等クラスである。

平たく言えば、部長>課長>係長>主任となる役職ヒエラルヒーの最下層に
あたるポストである。

その役職である彼が、憤る農民と県、建築事務所、引いては鉄道省との
間の鎹(かすがい)となり、大臣にまで直談判するまでの行動力を示す。

そして。
大臣室で、大臣に対して自らの拳(こぶし)をテーブルに叩き付けて、
骨にひびを入れながらも農民の窮状と事態の早期解決を訴求する。

その熱があればこそ。
10年近く解決しないこの問題に、お上のいうことなど信用出来ないと、
暴力での解決も辞さない程頑なになった農民達に対しても、説得する言に
重さが加わるのだ。


その。
柏木八郎左衛門氏であるが。

Googleで検索しても、その名前を窺い知ることが出来るサイトは
殆ど無い。

唯一、「じてんしゃでGO!」氏のブログにて、本書に刺激されて丹那
周辺を自転車で逍遥した際の記録ブログ”丹那逍遥”
にて。

丹那盆地にある渇水問題を後世に伝えるべく建立された記念碑が紹介
されており、そこに柏木氏の名前が確認される位である。


彼の為したことを考えるとき。
自分の立場や職責を言い訳にして、自らの行動範囲を自縄自縛する
ことの虚しさを知ることが出来る。

為さねばならないこと。
それは、自らが為さねばならないと思ったことであり、
それを為しえるのも、為さざるのも、結局はその人がどれほどの思いを
持ち続けることが出来るかに拠るものなのだ、と。

改めて、そう教えてくれた本書に感謝したい。

末尾ながら。
この難工事に携わった全ての人の。
そして、本書を世に生み出した吉村氏の。
ご冥福を祈念して、この工、じゃない、稿を閉じる。


(この稿、了)

(参考)
鹿島建設のHPにある、建築博物誌
これが滅法面白い。
トンネルについても、あれこれとまとめられていて、とても勉強になった。


こちらは、鉄道・旅行情報マガジン「トレたび」から。
この中の「鉄道遺産を訪ねて」でも、丹那トンネルを始めとした様々な
鉄道に関する遺産の訪問記や画像が収録されている。


更にこちらは、とっても濃いHP。「廃道・廃線・隧道・林鉄・酷道・険道
交通遺構を探険するオブローダーの記録『山さ行がねが』」

この中の、「宇佐美隧道」訪問記録の中には、丹那トンネル建設時の難題の
一つであった、温泉余土に関する写真等も収録されている。

でも、HP作者も言われているように、このHPを見て安易に訪問することは
避けた方がよいと思われる(笑)。

最後に、高校教員をしておられるというKunihiko Suzuki氏のHP。
Kunihiko Suzuki's web site

こちらでは、丹那断層について画像付きで詳細に解説されている



(付記)
丹那トンネルの渇水記念碑であるが。

画像は、「じてんしゃでGO!」氏のサイトで確認していただくとして、
ここではその記念碑の碑文を、少し長くなるが紹介しよう。

その、解決までの壮絶な道程を知ることが出来る。

「由来我郷土タル水利灌漑ノ天恵ヲ享クルコト厚ク四隣ノ羨望スル町
 タリキ偶国鉄丹那隧道ノ起工ニ伴ヒ大正十三年函南村畑区地内ノ湧水
 漸減ヲ初メトシ各地ノ水源逐年涸渇セシヲ以テ之ガ救済ノ為鉄道省ニ
 於テ参百萬個ノ貯水池ヲ工作セシト雖モ其効ヲ奏セズ被害地区益々
 拡大シ昭和七年度ニハ四ケ村十五大字戸数千六百余戸人口壱萬有余人
 田面積五百七拾町歩ニ誇リ播種挿秧ニ際シテハ茫然鉄犂ヲ携ヘテ田園
 ニ佇立シ秋収ニ臨ミテハ拱手暗涙ニ咽ビツツ歳末ノ家計ヲ歎ズルニ
 至ル加之各地ノ飲料水源亦耗涸シ鉄道省急設ノ簡易水道ニ依リ僅ニ
 炊飯ニ便ズルノ惨状ヲ呈シ里人ハ自ラ農耕牧畜ノ天職ヲ楽マズ
 膏腴美田ハ幾年ナラズシテ磽序訣r野ト化シ山光水色亦昔日ノ美ヲ見ル
 能ハズ有志者日夜鳩首謀議各地ヨリ鉄道当局ニ哀訴歎願幾百回ニ及ベ
 ドモ救済ノ實容易に徹セラレズ窮困ノ余熱望ノ極時ニ或ハ矯激ノ擧ニ
 出ヅル者アリ寔ニ是レ聖代ノ一恨事識者深ク之ヲ憂ヒ昭和七年被害
 全地域ヲ一丸トシ渇水救済促進同盟会ヲ組織シ本縣知事ニ窮状ヲ
 訴フルヤ耕地課農林主事柏木八郎左衛門氏ニ救済方策樹立ヲ下命
 セラル同氏乃チ里上。ノ有志ト共ニ鉄道当局ト樽俎折衝スルコト年余
 新タニ函南村外三箇村普通水利組合を設立シ見舞金総額百拾七萬五千円
 ヲ交附セラレ國恩ニ欲セシメラルコトヲ得タリ時正ニ昭和八年八月八日
 被害閲年十星霜ナリ這四同碑貮基ヲ建立シ要ヲ録シテ後世ニ伝フ云爾」



(おまけ)
トンネル講じにおける貫通式の模様を、やはりYOUTUBEから見つけて
きたのでUP。

2号トンネル 貫通式発破 09-05-27




闇を裂く道 (文春文庫)
吉村 昭
文藝春秋

このアイテムの詳細を見る

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 箱根の険の元へ。日本の動脈... | トップ | ”土偶ビキニ”で妖怪退治  ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

活字の海(読了編)」カテゴリの最新記事