Traverse Troubles

「うわべ」に惑わされない(その5)~人間は、そう簡単には変わらない。~

2019/10/19の(その4)の続きです。

自身の非行をネットに書き込まれて逆ギレする輩が居ます。
先日、福岡ITセミナー講師殺害事件の初公判で被告人に懲役18年の判決が出ましたが、これはまさに自らの非行をネットで指摘されたことへの逆ギレによって事件に発展した一例と言えるでしょう(※事件については、2019/11/18にも記載。)。

被告人に同情の余地は全くありません。
まず、自身のこれまでの非行やネットリテラシーの不足を一切棚に上げているわけですからね(※そもそも、指摘されて逆ギレするくらいならネットに書かれるような事を初めからやらなきゃいいだろ、と思うのですが…)。
それでも、こうした「負のエネルギー」がもたらすパワーの恐ろしさを目の当たりにすると、同じ一介の発信する側としてはとても他人事で済ませられる話ではないとも感じています。
批判的なものも含め、様々な意見の発信は憲法の言論の自由として保障されるものですが、こうした輩による「言論弾圧」に個々の発信者がどのような有効な対策を立てうるのか、なかなか決定打が見つからないのが実態かもしれません。

「逆ギレ」と言えば、一時期「キレる老人」という言葉がニュースやワイドショーなどで話題となり、彼らが起こすトラブルやそれに巻き込まれた被害者のインタビューが今も度々放送されていますよね。
こうした人たちが逮捕された時、過去の本人を知る人が「感じのいい人だったのに、どうしてこうなったのか信じられない。」とインタビューで答えるシーンがよく流れます。
個人的には、「キレる老人=元から非行気質の持ち主であり、後天的にルールや倫理を植え付けられて社会生活で抑えられていたが年を取ってから“たがが外れて”再び非行を起こすようになっただけ」ではないか、という仮説を持っています。
私自身、「三つ子の魂百まで」ということわざに代表される「人間は、そう簡単には変わらない。」派論者なので。

世の中にはいろいろな人がいますが、いい人をうわべだけ取り繕うことも、批判されればパフォーマンスの一環として”謝罪会見”を開くことも、人であれば誰でもできてしまうものなのです。
結局のところ、ある人間の本性はその行動に最も現れると思っています。
メディアも我々市民も、ある問題を起こした人物・集団に対してはその後の行動によって本性を見極めなければならないのです。



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