極豊仲良し俱楽部

日日是好日
(にちにちこれこうじつ)

西軍墓地へ。

2011年11月28日 15時51分58秒 | Weblog
ホテルへ戻りバイキング形式の朝食をいただく。地元の名物料理“こずゆ”なんかもあって
サービス満点。窓際に陣取ったので遠くに会津若松城も見える。
連れに早朝の散歩で見てきたことを伝えるとさっそく西軍墓地の住所を調べてくれた。
ナビに住所を入れていざ出発。
しかし、機械は冷たいもので近くまで誘導したら案内放棄!。
会津の人にとってはあくまで「侵略者」である官軍の墓地なんか案内板もありゃしない。
グルググルあたりを走っていると連れが「あの床屋さんに聞いてみよう!。」
営業していた床屋さんの前まで来ると、なんとそこが西軍墓地の入り口!!。
機械より、見えない何かに誘導されたみたい・・・。

さらに驚いたことに、墓地の入り口に戦装束の若者が二人。じっとこちらを見ている!!。
この時点で私の頭は正常な思考を停止した。
「こっ、これはタイムスリップだ~っ!!。」
彼らは腰に大小2本を差している。未来から来た我々を警戒しているに違いない。
車を降り、恐る恐る彼らに近づき「お、おっはようございましゅ~!。私達はと、東京から
来たものですが、あ、あなた方はい、いったい・・・。」と尋ねると。

「今日(10月23日)は年に一度の西軍慰霊祭です。私たちは西軍墓地史跡保存会のメンバーです。」
とのこと。
ああ、びっくりした!。しかしこの日を選ぶように訪れてしまったのはまったくの偶然。
連れも「この日を選んで来たの?。」と不思議がる。
やはり目に見えぬ何かの力に誘われて旅に出たのだ。今まで先祖を大切にしてきた自分は
間違っていなかった。人は死しても魂は永遠に残り、子孫を導くのだよ。
墓地で責任者の方に話を伺う。
「先祖は二本松藩士。二本松城落城後は薩摩藩と行動を共にしこの町で戦死した。」と伝えると
「そうゆう藩の方々は最も激しい最前線に送られました。」とのこと・・・。
それまでは同盟を組んでいた盟友会津に立場を変えて刃を向けざるを得なかった曽祖父の心情を
思うと胸が激しく詰まる・・・。
「他の西軍戦死者の方々と碑が並立していると記してあるのですが・・・。」というと、
「ここは長州、薩摩、島津、大垣等々、あくまで西軍の墓地ですから、もともと東軍の戦死者の
碑はないはずです・・・。よろしければ墓地をご覧になってください。」とのこと。
大きな藩の石碑以外は150年近い年月でどれも風化が激しく法名を判読するのも困難。
やはり、ここにも痕跡はなかったのか・・・。と、思ったが、また発見してしまったのだ!。

これもデジカメで撮ったのだが、前述のSDカード不良ですべて消失!。
ま、これもご先祖が「また近いうちに訪ねてこい。」ってことなんでしょうかね。

この後は、会津のランドマーク「鶴ヶ城」を訪れる。
瓦を赤瓦に葺き替えたとのことなのだが、元々を知らないのでよくわからなかったな・・・。
携帯カメラで撮った“ツレ”。元気です。


この日は、磐梯熱海温泉に宿泊。なんと部屋にかけ流し露天風呂付きの部屋。


料理も超豪華。たまにはイイやね!。






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津の朝

2011年11月28日 15時19分26秒 | Weblog
早朝5時に目が覚める。
連れはゆっくり寝かせておき、早朝の散歩に出る。
このときデジカメはまだ壊れていなかったのに、なぜか携帯だけ持って部屋を出た。

昨日訪れた久福寺までは歩いてもすぐの距離。
巻物に記載してあった旧地名「甲賀町」。今は馬場本町と名を変えている。


朝靄に包まれた城下町は幻想的だ。曽祖父が戦死した時もこのような状況だったのか・・・。


久福寺の門前を携帯カメラに収める。


寺の前で再び合掌。どうぞ安らかに・・・。


境内にあるこの欅の木はすべてを見ていたかもしれない。


清と静まり返る霧に包まれた城下町。戦装束の善之丞さんがいつ現れてもおかしくない、
時空を超えたような不思議な雰囲気だった。

寺の周囲をぐるりと廻り、ある十字路でそれを発見してしまった。

戊申戦争当時の城下町の地図である。

西軍墓地。会津藩や二本松藩を含めた奥羽越列藩同盟の人々は官軍とは呼ばず西軍と呼ぶことは
私も知っている。

この地図を見て直感した。
巻物に記してあった「碑ハ久福寺裏、官軍戦死者数百名ノ石碑ト並立シ・・・」とあるのは
この西軍墓地のことだったのだ!。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島へ。

2011年11月28日 14時05分27秒 | Weblog
1本の巻物が我が家にある。
箱も古ぼけて破損しているが・・・。


中の巻物には達筆な字で“父戦死の記”が綴ってある。簡単に要約するとこんな感じだ。
「二本松藩士でお馬廻り役を務め100石を賜った父、三浦善之丞は慶応4年(明治元年)、
会津若松・久福寺の門前で戦死し遺体は同寺に埋葬された。碑は他の官軍兵士と共に同寺裏に
並立しその名をとどめている。」


三浦善之丞は私の曽祖父だ。大東亜戦争の東京大空襲もくぐり抜け我が家に伝わる
“戦死の記”。その場所をいつかは訪ねてみたいと思っていた。
今、福島がこんな時だから、ちょっとルーツをたどる旅にでてみよう。

10月22日、上野から新幹線に乗り1時間ほどで郡山へ到着。
駅前で手配しておいたレンタカーを借り、西へ向かう。
猪苗代を過ぎたあたりで有名な野口英世博士の記念館に立ち寄る。


1時間ほど観覧し、会津若松市へ車を走らせる。事前にナビに久福寺の住所を入れておいたので
迷うことなく門前に到着。
いらっしゃった住職さんに来意を告げると「どうぞお上がりになってください。」。
過去帳を何冊もお調べくださったが、手掛かりなし・・・。
このお寺の檀家ではないし、記録はなかった。残念!。
お茶までいただき大変お世話になりました。ありがとうございます。
しかし、不思議だったのは同寺裏にあるという“官軍の碑”。
敷地内をくまなく歩いても全く見当たらなかった。長い年月で消失してしまったものと
あきらめた・・・。

近くのビジネスホテルに宿をとり、近くの居酒屋「華の舞」で連れとご苦労さん会。
会津の地酒“栄川”が腹に染み渡る。「なんか、来てよかったな~。」

・・・ここまで、デジカメでたくさん写真を撮ったのだが、なんとSDカード不良で
全て消失!!。帰京後、リカバリー屋に依頼したが修理不能とのこと!。安いSDカード
は使うもんじゃないってのを実感!。ちなみに今回使用したのはあ○ばお~で購入した2G
380円のもの。もう買わないよ!・・・。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする