木造リング工事はリングの分割工区が終われば自分らの役目は終わり、日本側の企業パビリオンも受託した設計者と工事会社で、そこのみ完成させれば使命を果たしたことになり、万博そのもののメイン会場は知ったこっちゃない、もとより自分らの受注範囲外なのである。
このような末期的事態を見えにくくしている―─結果として隠蔽してしまっているのが、かの木造リングであることも皮肉な事態と言えるだろう。
昨年末より木造リングが一部立ち上がるたびに万博協会はじめ関係者は湧いた。と同時に工事進捗に対し、心配も疑問も持たなくなってしまったのである。大きな円形の構造物は雑多な会場をぱっと見、一つにまとめ上げるには視覚的にも非常に効果的で、リングで囲われた部分に関しては既にでき上がっているかのような印象を与えてしまっているのだ。
リングの造成の様子(2024年4月)〔PHOTO〕Gettyimages同時に、木の骨組みだけというのも日本国民には有効で、誰もが見慣れた住宅の上棟式(棟上げ)の状態を大きなスケールで再現しているため、未知の構造物ではなく既知の構造物があと少しで完成するという雰囲気に吞み込まれてしまっている。万博の開催を危ぶむ批判の声や主催者の懸念をいったん消失させ、問題を先送りする結果となってしまっているのだ。
あの木造リングがあるために「できていないものまで、できているように感じてしまう」、あの木造リングがあるために「今後の工事進捗にさらなる悪影響を及ぼす可能性」があるのである。
本来なら、リング内部の各国パビリオンが林立し、ひとつの都市が形成されつつある脇で、最後の最後に木造リングで会場を城壁のように囲うというのが、適切な工事の流れであったはずだからである。
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