大学の山の家が筋湯温泉の少し上にあり、
学生時代にはよく行ったものだ。
そこから牧ノ戸峠越えで久住山頂へ。
山の家では散策のために下駄がたくさんあったが、
昔の下駄はよく割れた。石でも挟むとパリンと
真っ二つに割れたものだ。
ので、下駄で山に入るのは禁止されていたのだが、
そこは無謀な学生魂。
下駄で久住登山へ。
割れた時のため、もう一足腰にぶら下げていく。
久住山頂の写真
の足元を見ると、右足は鼻緒がすれたのでしょうね、
タオルを巻きつけているようです。
いずれにしろ、下駄であの沓掛山の岩場も通り過ぎたということですね。
35年ぶりの久住のとき、連れ合いに、「昔は下駄で登ったような?」
と話すと、この岩場が下駄で通れるわけないと、
ウソでしょうと馬鹿にされたが、はからずも証拠写真が残っていた。
学生時代にはよく行ったものだ。
そこから牧ノ戸峠越えで久住山頂へ。
山の家では散策のために下駄がたくさんあったが、
昔の下駄はよく割れた。石でも挟むとパリンと
真っ二つに割れたものだ。
ので、下駄で山に入るのは禁止されていたのだが、
そこは無謀な学生魂。
下駄で久住登山へ。
割れた時のため、もう一足腰にぶら下げていく。
久住山頂の写真
の足元を見ると、右足は鼻緒がすれたのでしょうね、
タオルを巻きつけているようです。
いずれにしろ、下駄であの沓掛山の岩場も通り過ぎたということですね。
35年ぶりの久住のとき、連れ合いに、「昔は下駄で登ったような?」
と話すと、この岩場が下駄で通れるわけないと、
ウソでしょうと馬鹿にされたが、はからずも証拠写真が残っていた。
こちらははっきりとは覚えていません。
久住以外に、もひとつどこかを下駄で登頂したという記憶だけあります。
keiさんのような古い仲間は、カテゴリ「山の記録」にもどうぞ。古い記録をアップしています。パスワードがかかっていますが、適当に・・・
やはり、元気が違うんですね。
我々の人生オリンピックでも金メダル級の
脚力やエレルギーを持っていたんでしょう。
世界のトップアスリートと同世代ですよね。