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大雪山 遭難

2009-07-21 06:46:49 | 大雪山 遭難

名峰襲った荒天、「寒さで震えた」生還者絶句
雪の残るトムラウシ山頂付近の捜索(読売機から)=冨田大介撮影

 「震えるほど寒く、突風にあおられて倒れた人もいた。下山途中でメンバーが次々と脱落していった」。

 「日本百名山」にも選ばれた名峰、北海道・大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で登山客らが死亡した遭難事故。自力で下山した生還者らは、厳しい冷え込みや強風、横殴りの雨に襲われたパーティーが、散り散りに引き裂かれていった様子を語った。

 自力で下山した愛知県清須市、戸田新介さん(65)によると、一行は宿泊した山小屋を16日午前5時に出る予定だったが、「風は強くてビュービューの状態で、雨も降っていた」ため、いったん様子を見た。約30分後、ガイドの1人に「行きましょう」と促されて出発した。

 その後、トムラウシ山頂手前でパーティー後方にいた2人が倒れ、一行はその場から動けなくなった。その場に約1時間とどまり、戸田さんは「救助を要請しよう」と提案したが、体力の残っているメンバーで先に進むことになり、倒れた2人やガイド1人を含む数人を残して十数人で改めて出発した。

 だが、途中からついて行けなくなるメンバーが出始め、一行は次第に散り散りになったという。戸田さんも途中で脱落し、17日午前1時半頃に1人でビバーク。約2時間後に再び下山し、ふもとの国民宿舎「東大雪荘」近くの林道で救助された。戸田さんは「途中でついていけなくなった。風がすごく、とても寒かった」と話していた。

 同じパーティーに参加し、17日午前6時頃に自力下山した女性は「風はかなり強かった。歩ける人だけ下りてきたが、途中で座り込む人がいた。私は途中から2人で行動したが、もう1人が歩けなくなり、午前4時頃から1人で山を下りた」と疲れ切った表情で語った。

 別のパーティーのメンバーで、同じ山小屋に宿泊した静岡県函南(かんなみ)町の男性(66)は16日早朝、遭難したパーティーから5分ほど遅れて山小屋を出発した。「横殴りの雨が降り、突風にあおられて倒れた仲間もいた。遭難したパーティーはとてもペースが遅く、バラバラになった人たち全員を追い越してしまったが、『この人たちは大丈夫だろうか』と心配していた」と話す。この男性と一緒に下山した静岡県沼津市の女性(69)は、「遭難したパーティーには、風で飛ばされて転倒した人もいて、『大丈夫か』と思った。自分たちも強風で岩にしがみつくほどだった」と劣悪な天候を振り返った。

 道警によると、遭難の一報が入ったのは、登山ツアーを企画した東京都千代田区の旅行会社。遭難した18人のパーティーのうち3人が、携帯電話の電波が通じる5合目まで下山して通報した。携帯電話のメールでは、「4人の具合が悪い。かなり危ない」とガイドが伝えてきたという。
(2009年7月17日14時56分 読売新聞)

出典:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090717-OYT1T00611.htm?from=nwla


大雪山系10人死亡、下山組も散り散りに
大雪山系トムラウシ山山頂付近に設置されたテント周辺で続く捜索活動(17日午前6時10分、読売チャーターヘリから)

 北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で、東京都内の旅行会社が企画した縦走ツアー客ら計19人が遭難、同山系で計10人が死亡した事故で17日、下山当時の悲惨な様子が明らかになった。

 18人で出発したパーティーは、山頂手前でビバークした4人が死亡。山頂を迂回(うかい)後に動けなくなった女性3人が死亡しているのが見つかった。結局、自力で登山口まで下りることができたのは、5人だけだった。

 道警によると、18人のパーティーは16日午前5時30分頃に宿泊先のヒサゴ沼避難小屋をスタート。強風がやむのを待っていたが、ガイドの判断で予定の30分遅れで出発したという。

 しかし、強風に加え、横殴りの雨が降りしきる中、体温を奪われて歩みが遅くなる人が続出。出発から約5時間後の午前11時前には、女性が低体温症になり、さらに1時間後には、女性1人が意識不明となった。

 参加者の中から、救助要請を求める声も上がったが、ガイドは歩けなくなった人のビバークを決断。ガイド2人と男女5人が、「北沼」付近にテントを張り、ガイドを含む残る11人は、そのままトムラウシ山頂を迂回して下山するルートを選んだとみられるという。

 しかし、捜索では、山頂からトムラウシ温泉へ下る登山道の分岐点で男性1人が動けなくなっていたほか、さらに約2キロ先の「前トム平」付近で、女性4人が動けなくなっていたのが見つかった。

 残る6人はさらに下山を続け、午後4時前には5合目付近までたどり着いたが、この頃にはガイドを含む3人が衰弱していたという。ガイドが携帯電話で道警に通報したのはこの頃で、体力の消耗が激しかった一行は最後は散り散りになったとみられる。

 午後4時30分頃、ビバーク先からガイドが携帯電話メールで「7人下山できない」と救助要請。さらに約30分後に「4人ぐらいダメかもしれない」と伝えた。日没後の午後8時過ぎには、道警がガイドの携帯電話と通話、容体を確認するため、定時連絡を入れるように指示したが、約3時間後の午後11時18分、電話に応答しなくなったという。

 救急車などが待機していた登山口に、最初の下山者が姿をみせたのは午後11時30分頃。日付が変わり、午前1時にはさらに2人。夜が明けた同4時45分、5人目が自力で下山した時には、すでに最初の犠牲者がヘリで収容されていた。

 また、18人とは別に入山していた男性は「南沼」付近で死亡しているのが見つかった。

 仲間とはぐれ、1人で下山したという女性は「途中で座り込む人もいた。途中から2人で行動していたが、相手が歩けなくなった」と振り返った。
(2009年7月17日22時38分 読売新聞)

出典:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090717-OYT1T00942.htm?from=nwla


北海道・大雪山系遭難:「午後から晴れ大丈夫」 ガイド、出発直前話す

 大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で旅行会社「アミューズトラベル」(東京都千代田区)が企画した登山ツアー客ら8人が遭難死した事故で、ツアーの男性ガイドが16日早朝の出発直前、「午後から晴れるから大丈夫」と話していたことが分かった。ガイドと同じ避難小屋にいた別のパーティーの男性が証言した。道警は、暴風雨にもかかわらず、ガイドが判断を誤ってツアーを継続した可能性があるとみてガイドから事情を聴いている。【和田浩幸、水戸健一】

 ツアーの18人と15日夜にトムラウシ山北側の避難小屋で一緒に泊まった静岡県の男性(66)によると、16日午前3時半ごろに起きたところ、外は雨が降り、風も強く、出発を見合わせていたという。その後、ツアーのガイドが「午後から晴れるから大丈夫だ」と話し、同日午前5時半ごろに18人が出発。間もなく男性らも小屋を出た。しかし、風雨はますます強くなり、岩にしがみつきながら進むような状況だったという。

 釧路地方気象台によると、16日午前5時の十勝地方の天気予報は「曇り、昼過ぎから晴れ」。ガイドはこの天気予報で「午後から晴れる」と判断したとみられる。しかし、十勝地方は同日昼にかけて風が強くなり、同日午前10時半ごろには、ツアーの女性客1人が寒さによる低体温症で動けなくなった。午前11時25分には強風注意報が出た。

 北海道山岳ガイド協会の川越昭夫会長によると、ガイドは登山の際、天気予報をラジオなどで確認し、山の気候が平地より少し遅れて変わることを念頭に自ら天候を予測するという。川越会長も16日朝、トムラウシ山から約20キロ離れた大雪山系の旭岳を登山する予定だったが、「天気予報が午後から回復だったものの、雲の動きを見て天気の回復は遅れる」と判断し、登山を取りやめていた。
 ◇「寒さ、想像超えた」ツアー会社社長、危険性把握せず

 アミューズトラベルの松下政市社長は19日、十勝管内新得町の町民体育館で記者会見し、「この時期にこれほどの寒さが来るというのは、想像を超えていた。そこまで危ない山だという認識はなかった」と述べ、夏のトムラウシ山登山の危険性を十分把握していなかったことを認めた。

 遭難当時、トムラウシ山頂付近の日中の気温は8~10度、風速は20~25メートルと台風並みで、体感気温は氷点下だった可能性がある。しかし、松下社長は「私たちが思う危険というのは滑落する、もしくは増水するようなところ」と述べ、悪天候による気温の低下は念頭になかったという。

 ただ、パーティーの防寒対策が不十分だった可能性があることについては、「装備リストに必要なものを書いてある。防寒具は通常、参加者が基本的に責任を持って持参していただく」と強調し、会社の責任を否定した。

 また、松下社長は、18日に、事故後初めて札幌市のガイド(32)から遭難の様子を聞いたことを明らかにし、「ツアー客の体調は(16日の避難小屋からの)出発時は問題なかった。歩き始めたときも『疲れてもう歩けない』という人はいなかった」と述べた。ツアー客が下山途中にちりぢりになったことについて、ガイドは「覚えていません」と答えたという。
 ◇  ◇  ◇

 死亡したツアー登山客8人の遺体は19日朝、遺体安置所の十勝管内新得町の町民体育館から自宅に向かった。遺族は疲れきった様子で無言のまま。松下社長や道警の捜査員らは雨の中、じっと手を合わせて遺体を乗せた車を見送った。遺族は同日午後、新千歳空港からそれぞれ帰路についた。【金子淳、田中裕之】
 ◇「見切り発車、無謀」参加者、ガイドの対応に怒り 「判断する機会与えられなかった」

 ツアーに参加し、自力で下山した愛知県清須市土器野、戸田新介さん(65)が19日、毎日新聞の取材に応じ、遭難時の様子について証言した。「悪天候の中の出発は『見切り発車』で、無謀だった」とガイドの対応に怒りをにじませた。

 遭難当日の16日朝は雨が降っていた。出発予定(午前5時)直前にガイドがツアー客に言った。「5時に予定していたが、あと30分様子を見ます」。出発することは既に決まっていた。

 ガイドら3人と客15人が歩みを進める中、天候は悪化。北沼手前で小川を渡り振り返ると、流れが激しさを増し、波を打った。戸田さんは「帰れんな」と直感したという。午前10時半ごろ、北沼の辺りで女性1人が動けなくなった。女性にガイドが付き添った。他の客は別のガイドの指示で、約1時間半、近くの吹きさらしの場所にしゃがんで待機したという。

 じっととどまる時間が体力を奪っていったという。戸田さんはガイドに声を荒らげた。「何をやっとんだ。これは遭難だ。救援を依頼しろ。指示を出せ。じっとしとってはいかん」。ガイドは「先に行ける人は出発します」と先を目指した。

 ところが出発後すぐに別の客も動けなくなった。その後、ガイド1人と客10人が一団となって下山することになったが、出発後にばらばらになった。途中、戸田さんは別の客と協力し、歩けなくなった女性客を支えながら歩いた。「女性は転んだら自分では起きあがれない状態になっていた」という。女性を何度も抱き起こしながら声を掛けた。「こんなところで死にたくないだろ」。女性はうなずいていたが、生還することはできなかった。

 戸田さんは約35年の登山歴。戸田さんは「自分が見たことを知らせる義務がある」と取材に応じた。「遭難当日、私たちは『こういう危険があるけど行きますか?』と、判断する機会を与えられなかったのはおかしいと思う。なぜこんなことが起きたのか、何があったのかを知りたい」と語気を強めた。【福島祥】

出典:http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20090720ddr041040002000c.html


登山客、ガイドに業煮やし「救援要請を」 大雪山系遭難(1/2ページ)

2009年7月20日4時46分

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写真:寒さをしのぐために着たフリースを前に、当時の状況を説明する戸田新介さん=19日夜、愛知県清須市、古沢孝樹撮影寒さをしのぐために着たフリースを前に、当時の状況を説明する戸田新介さん=19日夜、愛知県清須市、古沢孝樹撮影

 「遭難だと認めて救援を要請しろ」。北海道大雪山系トムラウシ山の遭難事故で、なかなか救援要請をしないガイドに業を煮やし、こう求めたと、旅行会社アミューズトラベルのツアーに参加し、自力下山した愛知県清須市の戸田新介さん(65)が証言した。山頂付近で動けなくなった人が出始めて約1時間半たってからのことだ。戸田さんは「ガイドの判断は場当たり的だった」と憤る。

 戸田さんによると、16日午前10時半ごろ、山頂に近い北沼付近で女性が動けなくなり、ガイドが1人付きそった。戸田さんら他のメンバーは「何をしているのか」と、少し先で待っていたが、ガイドは一向に戻ってこない。風雨が強まり、「寒い。わーわー」と奇声を発し始める女性も出た。

 1時間半が過ぎた。戸田さんはその場にいた別のガイドに「どうするんだ。様子を見てきてくれ」と頼んだ。しかし、さらに10分が過ぎても何の反応もない。我慢出来なくなった戸田さんは大声で叫んだ。「この事態をどうするんだ。遭難だと認めて救援を要請しろ」

 すると、北沼付近にいたガイドが戻って来た。「歩ける人は、先に下りてもらえますか」。救援要請は聞き入れられず、違うガイドが先導して先を進むことになった。

 1時間半も風雨の中で立ち止まっていたため、体が思うように動かないメンバーが多い。ペースが速いガイドにはついていけなかった。

 戸田さんは最後尾に回り、遅れている女性を励ました。女性は、すでに体に力が入らない状態。「前トム平」辺りの雪渓では女性につえを握らせ、「しりもちスキー」で引っ張るなど、助け合った。だが、やがて散り散りになっていった。

 戸田さん自身も体力の限界が近づいた。何とか助かったのは、山頂に近づいた時に雨がっぱの下にフリースをもう1枚、着たからだという。着替えるために雨がっぱを脱ぐと雨にぬれるが、「このままでは寒さでやられる」と思い切った。

写真:寒さをしのぐために着たフリースを前に、当時の状況を説明する戸田新介さん=19日夜、愛知県清須市、古沢孝樹撮影寒さをしのぐために着たフリースを前に、当時の状況を説明する戸田新介さん=19日夜、愛知県清須市、古沢孝樹撮影

 戸田さんは指摘する。「重ね着をさせるなど、ガイドが指示を出すべきだったのではないか」。戸田さんのほかに防寒対策をする人はほとんど見られなかったという。

 今回のコースは岩場も途中にあり、風雨が加われば難コースになる。雨でぬれた岩場で足を滑らせたり、風で波立つ小川の前で立ちすくんだりする人もいた。

 16日、朝の風雨を見て、出発を取りやめるべきだったと今も思う。「ツアーだとこちらから中止を言いにくい。ガイドが参加者全体のことを考えて判断を下さないと。リーダーシップをとれる人がいなかった」と悔しがった。(渡辺周)

出典:http://www.asahi.com/national/update/0719/NGY200907190029.html


複数客、出発前にガイドに「中止を」 大雪山系遭難

2009年7月20日4時49分

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 北海道大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で8人が死亡した遭難事故で、パーティーが前泊した避難小屋を出発する前に、悪天候や沢の増水、疲労の蓄積などを不安に思った複数のツアー客が「中止した方がいい」とガイドに申し出ていたことが北海道警への取材でわかった。出発後も「引き返した方がいい」「救助要請を」と訴えたツアー客がいたという。

 道警は、ツアー客が悪天候で身の危険を感じつつ、ガイドの判断を信じた可能性があるとみており、関係者からさらに事情を聴く方針だ。

 ツアーは旅行会社アミューズトラベル(東京)の主催で、14日に旭岳温泉を出発し、2泊3日で四十数キロを縦走するコース。予備日は設けられていなかった。遭難時は55~69歳の15人と男性ガイド3人という構成だった。

 捜査幹部によると、一行はひんぱんに風雨に打たれ、15日はヒサゴ沼避難小屋で眠ったが、16日早朝はかなり疲れが残っている客がいたという。さらに小屋の外は激しい風雨で、当初午前5時ごろの出発を約30分間遅らせた。

 この際、複数のツアー客が、ガイドに「今日は中止した方がいいのではないか」と申し出たという。しかし、ガイドは午後から天候は回復すると判断し、午前5時30分ごろ出発したという。

 出発してしばらくすると、「体調が非常に悪い」と訴える人が出て、それを聞いた他の客が「引き返した方がいいのではないか」「救助を求めた方がいいのではないか」とガイドに訴えたというが、ツアーは続行。昼前には山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、さらに男女4人も進めなくなった。この北沼付近には客5人、ガイド2人の計7人が野営することになったが、このうち4人が凍死した。

 アミューズトラベルの松下政市社長は19日記者会見し、16日の出発時のツアー客の体調について、ガイドから聞き取った話として「みなさん問題ない。歩き始めるときに、体力的に今日は疲れたから歩けないとか、そういう方はいませんでした」と話した。

出典:http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200907190369.html


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