メモ帳

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空セミ ゼミ

2009-06-12 23:30:00 | Weblog
6月12日(金)のち

10時より卒ゼミ。のつもりで行ったが、・・・
また、ふけた!(って、言葉が通じるかな?)

手帳を見ていて、来週月曜日にXXXの記入が。
これって何? 行くのか、来るのか?
メールをググっても何も出てこない!
行くにしても、来るにしても実施要綱が来るはずなのに、
それも無いとは、どこで引き受けたんだろう?
と、いつもの所へ電話して尋ねると、担当はいなかったが、
確かにそこ経由の依頼だったようで、「来る」話だった。

研究室に戻ると、担当から電話があったとか。
メールを見ると実施要綱が送付されていた。

で、その説明用パワポの作成。

今朝、ゼミの前に20分ものの最終稿を上げた所だが、
月曜日は1時間もの。
これまで削りに削ってスリムにしたものを、また復活させて
大体形になってきた。

あちこちのパワポから切り貼りすると、スタイルが様々で、
統一感がないのがたまに傷。まあ、それほど目立たないからいいか?

午後、久しぶりに金ゼミに出る。出れるときには出とかなきゃ。
どうも訳すだけでいいと思っているような。
まともに訳してくれりゃ、それもいいですが、
訳したあと、自分の考えて意味が通じるかどうか考えてほしいものだ。
学部生とはちゃうんやで。というのも筋がいいやつだけ!

日曜日の六甲の下調べ。
コースがやっとわかってきた。
GPSデータロガーの操作法も何とか分かってきた。
これで今度はバッチり記録を取りたいものだ。

東和大学といえば

2009-06-12 06:30:00 | Weblog
東和大って、学生時代にちょっと絡んだことがある。

学生時代の下宿。
下宿と言っても最近の学生が住んでるようなおしゃれな1Kマンションではない。
玄関も一緒であれば、炊事場、トイレも共同。
部屋も4畳半に1間の押入れ、半間の床の間付き。

ある年の春休みの夕方、そにに電報が来た!
携帯電話なんて無い時代だし、下宿には共同の電話もなかった
(これは珍しい方かな。大家が一緒に住んでると、大家が呼び出してくれる所が多かった。)ので、
急ぎの連絡には電報が使われていた。
「XXXヘデンワサレタシ、トウワダイガク何の何べえ」てな調子で。

福岡に長く住んでりゃ、東和大学の名前、場所位は知ってましたよ。
西鉄大牟田線で太宰府に行く時、車窓から校舎、看板が見えてましたからね。

でも東和大学に知り合いはいないし、誰だ、何の用だ!

指定のXXXに電話する前に、とりあえず当時宮崎に住んでいた両親の所へ
午後8時から市外通話が安くなるのを待って電話すると、案の定、
父が息子を売っていた!

数学の教員が欲しいというので、息子も数学をやっていると言ったら、
連絡先を聞いて行ったとか。

翌朝、指定の番号へ電話する。
会いたいというので、暇な学生ですから会いに行きました。
平(ヒラ)ではなくてエライさんでした。
タクシー代を出してくれました。

エライさんも私の学年までは聞いてなかったようで、(調査が悪い!)
学4と聞いては、さすがに大学で使うわけには行かないと気づいたようで、
じゃあ、付属高校で。
えぇ~、まだ教員免許状も持ってないし、夏には教育実習に行くところ。
と言っても、そこはどうのこうのとうにゃむにゃ。
高校の担当者を呼びよせて、バトンタッチ。
でも、話しを聞くと、大学と違って、高校だと週に何日も行かなきゃいけないし、
理工系で一番暇な数学科の学生でもそりゃ無理というもの。
(それ以前に、高校の担当者としては降ってわいた様な話で迷惑至極!
 私が無理だと行ってくれてホッとした様子。)
で、前のエライさんの所へ。
これで父の顔も立てたし、一件落着と思っていたら、
エライさんは呼び出した以上、何かさせなきゃ、自分の顔が立たない、
と思ったかどうか?別の話を持ち出した。

当時は第1次計算機ブームで、計算機関係の専門学校が各地にでき始めていた。
通産省の情報処理技術者試験の第一回目がこの年の夏に行われようとしていた。
情処の試験には一般常識として、数学のパートもある。

福岡にも天神のスポーツセンター(当時はここで大相撲もやっていた)の前に
専門学校ができていた。そこでも数学の先生を探していたらしい。
大学とそこの専門学校とは経営的には無関係(のようだった)が、
そっちの事務長に電話して、話をつけたらしい。

帰り道(東和大学から大牟田線に乗ると、天神に着く)にその専門学校へ。
専門学校ですから教員免許状の問題は無いし、週二日、金曜日、土曜日に
4コマ(4クラスあるので、すべてのクラスで)で話がついた。

長~い一日だった。
大学より、高校より、専門学校の方がバイト代(非常勤講師代)は良かった。

あのエライさんはどうしてるんでしょうね?
ちょうど40年前の話なので、存命だったら90から100歳ほどでしょうか。

その後、東和大学は大学経営の問題で何とか週刊誌をにぎわすことになり、
その記事は読んでましたが、ついに募集停止になっていたんですね。

大学の閉校

2009-06-12 06:00:39 | Data
2004年 立志舘大(広島県坂町)閉学(2003年度より募集停止、閉学の時期は調査中)

2007年度より 東和大(福岡市)募集停止
2010年度より 三重中京大(三重県松阪市)、神戸ファッション造形大(兵庫県明石市)、聖トマス大(兵庫県尼崎市)募集停止