音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

バド・パウエルの「クレオパトラの夢」を聴きながら想うこと

2013年07月24日 | インポート
 

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 最近では喫茶店やちょっと洒落たレストラン以外にも至るところでジャズを耳にする。珍しいのはある診療所での待合室。ここで聴くピアノトリオの調べは最高に心地良い。
 僕は昨年の終わり頃から近所の診療所にお世話になっている。歩いても10分くらいのところにあるので、車は使わず、雪吹き荒ぶ寒い冬であろうが、熱波の夏だろうが、なるべく歩いて行くことにしている.
 田舎にある診療所なので入ってすぐのところに受付と待合室がある。通路から左側が診察室、奥まったところに、ベッドや体重計が置かれた処置室がある。まず、受付で診察券と保険カードを提示し、待合室の座椅子に座る。つきっぱなしのテレビの画面をぼんやりと眺め、ふと、テレビの音声とは違う別の音の存在に気づく。
 「あっ」
 「これはジャズピアノの調べじゃないか」。
 無論、声に出すことはしないが、そこで耳にしたジャズピアノが印象的で、つい聴き入ってしまった。行くたびに同じピアニストのタッチなので、おそらくこれは医師か診療所に勤める看護師の趣味なのだろうか。僕もジャズピアノは大好きなので、この待合室での待ち時間はけっして苦痛ではない。それどころか、最近ではそのジャズを聴くことがひとつの愉しみになっている。
 そんな風だから、つい、このピアニストが誰なのかが気になってしょうがない。
 ピアノは、生まれながらにしてヨーロッパの影響がとても強い。ていうか、そもそもピアノはジャズには似合わないとさえ思えるくらい繊細な楽器だと思っている。ピアノに比べてトランペットやサックスフォンは、ジャズが持つユニークで豪快なサウンドを生み出すのに画期的な楽器だと思う。初期のジャズメンの多くはチャーリー・パーカーに代表される管楽器の名手が沢山いてビバップ期の黄金時代を築いた。そのジャズ界に管楽器と似た感性というかアプローチで新風を吹き込んだのが、セロニアス・モンクとバド・パウエルだった。
 ピアノ、ベース、ドラム。この小編成によるピアノトリオが生み出す音は、シンプルな構成だけに個性を前面に打ち出すのは難しい。所詮、ピアノトリオはとても限界域が狭い表現方法なのだと思う。
 しかし、そこに一風変わったジャズのスタイルを取り込んだのが、セロニアス・モンクとバド・パウエルであった。すなわち現代に通じる伝統的ピアノトリオとは程遠い、唯一無二のサウンドを生み出した立役者達である。
 ここに一枚のジャズCDがある。バド・パウエルのリーダー作にしてジャズの不朽の名盤『ザ・シーン・チェンジズ』がそれである。
 僕が最初にバド・パウエルのサウンドに触れたのは、バンドスタンド・レーベルの『ニューヨーク・オールスター・セッションズ』に於いてであるが、1940年代の音源が収められたこの盤はとても貴重で、今では海賊盤か私家盤でしか聴くことが出来ないレアな代物だが、このレーベルではそういった趣旨のもと、当時から非公式で録音された音源ばかりを集め、一枚のCDとして発売された、いわば、当時から確信犯的な海賊盤として世に出回ったものだろうし、現存するバド・パウエルの音源の中でももっとも古いと思われる。
 ただ、非公式音源だけに録音のクオリティはとても低い。それさえ我慢すれば、これはファンにとっては至宝の一枚になり得るのだが。話が横道に逸れたが、今一度、話を『ザ・シーン・チェンジズ』に戻そう。
 このアルバムはどの角度から直視しても、たとえば鋭利な刃物で切断しようが、その切り口は間違いなくバド・パウエルであり、彼が描くところの音楽に間違いないわけである。このサウンドを耳にすれば、ジャズがとても特別な聴きもののように思えて仕方がない。バド・パウエルのジャズを聴くと、ふと、彼の生い立ちがどうだったのかが無性に知りたくなってくる。果たして家庭は、貧しかったのか裕福だったのか。どんな少年時代をすごし、いかにしてジャズと出会ったのか。気難しいのか楽天家なのか。そんな内面的なことまで知りたくなってくる。
 『ザ・シーン・チェンジズ』は全体を通してとても攻撃的なサウンドを形成し、荒々しくスウィングするバド・パウエルのピアノに迎合するかのようにアート・テイラーやポール・チェンバースが歩調を合わせる。眼の醒めるサウンドとはまずこのようなレコードを言うのだろう。とてもじゃないけど、こんなジャズが診療所の待合室で流れていたら、普通の人は不快に思うだろうし、正常な人ならこんなジャズはまずチョイスしないと思う。
 『ザ・シーン・チェンジズ』は、ブルーノート・レーベルのみならず、ジャズ史に燦然と輝き続ける名盤のひとつだし、そのプレイは今聴いても躍動感に満ち溢れている。なのに、愛聴盤とするには些か重厚すぎる観が否めない。対岸まで泳ぎきろうと決意したスイマーが無謀にも息継ぎせず泳ぎきったような過酷さに似たプレイがバド・パウエルのジャズだからだ。最後まで聴くのはとてもつらいものを覚えてしまう。
 今回ばかりは原稿を書くために、通しで『ザ・シーン・チェンジズ』を聴いたが、普段なら中盤あたりで音を止めてしまうような、僕としてはそんな位置付けのアルバムでもあるわけだ。
 『ザ・シーン・チェンジズ』に関していえば、もうこのアルバムの顔ともいえる「クレオパトラの夢」を聴いたらもうそれで十分だ。戦場に向かう戦車が信じられないくらいの猛スピードで駆け抜け、あらゆる障害物を薙ぎ倒すように破壊していく、そんな光景を思い描くような狂気に満ちたバド・パウエルのピアノはすべてのジャズを凌駕している。つねに全速力でプレイし続ける強靭なバド・パウエルのジャズに圧倒された。そして、聴いていてこんなに疲れる経験はこの先もないと思う。

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YouTube: Bud Powell - Cleopatra's Dream






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