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金と出世を餌にして 大阪で起きていること

2018年09月15日 08時03分10秒 | こんなもの いらない
 あまりに安易で、愚かな提言に、開いた口が塞がらない。
 子どもの多面的な力のひとつに過ぎない「学力テストの数値」のアップだけが至上命令となり、そこに「カネ」と「出世」を絡めてくる。
 卑劣といっても言い過ぎではないほどの「愚」の極みだ。
 
 1961年から行われた学力テストが、教員の勤務評定(いわゆるキンピョウ)と連動させる、国の企ての結果、どうなったか。

 ・徹底的に学力テストの練習が行われ、その結果、本来の授業は猛スピードで進み、ついてこられない子が続出。
・テストに関係のない図工、体育、音楽、技術・家庭などの授業が削られた。
・休み時間や放課後にもテスト対策時間が作られたり、テスト練習のためのプリントが宿題が大量に出されたりするようになった。

 そして、驚くような現場の実態も明らかになった。

 ・いわゆる「できない子」をテスト当日に欠席させた。またはテスト時間に保健室で休ませた
・テスト中に教師が机の間を回って正しい選択肢を指で押さえて教えた。
・教師が高得点の答案を作成し、欠席した児童・生徒の答案とした。
・「できる」子と「できない」子を隣同士で座らせ、わからないところは「できる」子の答えを見て書くように指示した。

 この1966年には廃止されたが、その愚かな試みを大阪では繰り返そうとしている。

 イギリスでも同じような失敗をしでかしている。
 当時のサッチャー政権のもとで、学力テストを実施し、それを公表し、進学校を希望制とし、集まった希望者の数に応じて予算を配分するという施策である。これにより、学校間の格差が広がり、さらには地域間の格差も拡大し、学校における不正は日本とまったく同じことが起きた。
 この結果も無残な結末を迎えた。

 最近では、2015-2016年、東京の足立区で起こった「不祥事」も教訓となるはずだ。全く同じ構図だからだ。
 「教師が、生徒間を回って、テストの間違いを指で教える」「障害のある子を集計から外す」「過去問を繰り返し練習させていた」など、なりふりかまわず、点を上げることを追求していたことが明らかになった。(その学校は、足立区の「中位」にいたのが、翌年突如トップになったとのこと)

 過去から何も学ぶことなく、餌さえばらまけば、すぐに結果が出るといった浅はかな考えを持論とする市長は、それこそ「学力テスト」のたどった歴史の「過去問」を、繰り返し勉強する必要があるだろう。


 「大阪市の吉村洋文市長は2日、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)について、2019年度から市立学校の成績に数値目標を設け、結果を校長などの人事評価に反映する制度を検討すると明らかにした。全国平均を下回る状況が続いているため、教員の意識改革を促して成績の底上げを目指す。今後、市の総合教育会議に提案し、具体策などを議論する。

 文部科学省学力調査室によると、テスト結果を人事評価に反映する仕組みは過去に例がないという。担当者は「教育指導の充実や課題の把握を趣旨としており、人事評価への活用は具体的に想定していない」と指摘。市に対し「測定できるのは学力の特定の一部分であることなどに十分配慮してほしい」としている。

 市によると、市立の小中学校全体の平均正答率について目標値を設定。各校の達成状況に応じて校長や教員のボーナスに当たる「勤勉手当」を増減させたり、校長の裁量で使える予算を変動させたりする。

 ただ、地方公務員法は職員一人ひとりの能力や業績に応じて人事評価を実施すると規定している。吉村市長は「学校全体のテストの結果を個々の教員の手当に反映することには法的な課題もある」とし、実現可能性も含めて検討するとした。

 学力テストは小学6年と中学3年の児童生徒を対象に、国語と算数・数学は毎年、理科は3年に1度実施する。07年の開始以降、市は全校を対象にした学力テストで全国平均を全科目で下回る状況が続く。政令市別の結果公表が始まった17年度からは2年連続で最下位だった。」(日経)
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