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遅ればせながらの朗報 木村百合子さんの公務災害認定を求める裁判

2012年07月28日 01時37分14秒 | 教育を考える
木村百合子さんの公務災害認定を求める裁判。
7月19日に東京高裁での判決が出された。
地裁を上回る内容での勝利。
執拗に「個人的な弱さ」を主張して、公務災害を認めようとしない地方公務員災害補償基金(なんのための基金なのだろう)。

とにかくホッとした。

内容は、静岡市教組の説明をお借りすることにする。

「2012年7月19日東京高裁は、磐田市の新採教諭であった木村百合子さんが、着任後わずか6ヶ月で自死した事件において、百合子さんの死は公務が原因であるとして、地方公務員災害補償基金(基金)の公務外認定を取り消した一審判決を支持する判決を下しました。
 本件は、新採教諭の百合子さんが、学校による有効な支援体制がない中で、担任学級に在籍する多動性・衝動性が顕著で発達障害が疑われる児童を適切に指導し、学級がうまく機能しない状況にも対処することを強いられてうつ病を発症し、保護者からも抗議の手紙が寄せられるなどして更に精神的に追い込まれ、その手紙を受け取った翌日、自家用車の中で灯油を被って焼身自殺したという痛ましい事件です。
 基金静岡県支部長(静岡県知事)は、百合子さんのうつ病・自殺と公務との間に因果関係はないとして、公務外の認定をしましたが、2011年12月15日、静岡地裁は、この公務外認定処分を取り消す判決を下しました。
ところが、地方公務員災害補償基金は、これを不服として控訴。その理由は、「同等の職種、立場にある者が一般的にどう受け止めるかが基準であり、性格傾向が最も脆弱である者を基準とするのはおかしい(平均人基準説)。」「うつ病を発症した者は、性格傾向が最も脆弱な者よりも更に脆弱な状態となっているから、相当因果関係の判断基準の対象者から除外されるべき。」「うつ病発症の1ヵ月半の間、うつ病を発症するほどの過重な心理的負荷を受けるような深刻な問題行動が次々と起こったわけではなく、通常の支援体制も特別な配慮もとられていた。」などというものです。基金は、これと正反対の判決を出した静岡地裁の判決に噛み付いたのです。酷いと思いませんか。
基金には、多少の勝算があったのでしょうか。
実は、支援する側としても、東京高裁の判決が早い、これは勝てそうだ、と思っても、どこか不安がありました。何しろ、東京高裁ですから。最近の大阪や名古屋とも違い、不当な判決も多かったことが、頭にちらつきました。担当弁護士の小笠原さんもちょっと不安です、と。勝利報告集会の弁護士会館の504室で、法廷、記者会見を経て入って来られたその小笠原さんが、「懺悔します。」と。えっ、なぜ?「東京高裁は、 予想以上の判決を出してくれました。静岡地裁判決に太鼓判を押してくれました。いや、それ以上に、今まで認めなかった東京高裁が、脆弱な人基準に立った判決を出したのです。」と。そうなのです。基金は、控訴して、逆に藪から蛇を引っ張り出したのです。
 東京高裁判決は、基金の平均人基準説に対して、「公務から感じるストレスに対して抵抗力の強い者とそうでない者が存し、抵抗力の程度も様々であることが当然の前提となるから、特異な例は別として、社会通念上一般的に想定ないし容認される通常の範囲内の性格等の持ち主であれば、基準となる同種労働者の範ちゅうに入れるべきである。」と基金を批判。基金の言う「平均の人」ではなく、「普通に働いている人」が基準なんだよ、ということです。現場にいれば、当たり前のことなんですがね。
 うつ病発症については、基金は前述のように、この裁判のはじめから、うつ病発症後の百合子さんの負荷については無視していました。ところが、東京高裁はこれについても、「うつ病に発症した後の業務内容をしん酌することは、公務と本件自殺との因果関係を考察するに当たって、意義があるといえる」と、はっきりと言いました。
 基金は、しつように百合子さんが弱かったことを強調してきました。しかしこれについても、高裁判決は、次のように言っています。「真面目、几帳面、熱心、周囲に気遣いをする努力家ともいえる性格は、うつ病を誘発しやすいといわれている。しかし、若年の新規採用教員として、社会適応の未熟さがあるのは、むしろ当然であるといえることも併せると、このような性格傾向は、百合子と立場や経験等が類似した同種教員において、社会通念上想定される範囲内にとどまる性格傾向であるというべき」と。この部分は、尾崎裁判の東京高裁判決を思い出します。
 また、基金は「新採教員として通常のこと」「支援もあった」と主張していました。しかし、高裁判決は、「わずか1か月半という短い期間に児童による数々の問題行動が起こり、その対処を余儀なくされていたのであって」「若年の新規採用教員が置かれた執務状況としては、強度の心理的負荷を伴うものであった」とし、さらに突っ込んで、「控訴人(基金)主張するように、幼い児童のクラスにおいて当然に予定された範囲内の出来事であるなどと、軽くみることはできないものである。」とまで言っています。そのとおりです!
 基金が支援体制があったと言うことについても、静岡地裁の事実認定に、「手紙(注・親からの非難)を受け取って、端から見てもショックを受け意気消沈している様子であった。また、百合子は、そのころの指導週案の生活指導その他欄に、校長先生にいろいろ御相談したいです、お忙しい時期とは思いますが、時間を作っていただけないでしょうか、よろしくお願いしますと記載したが、これに対し、鈴木校長は、いつでも声をかけてください、都合を付けますよと指導週案に記載する方法で返答しただけであり、それ以上の積極的な働きかけを行うことをしなかった。」ということを、わざわざ付け加えて(つまり、暗に校長を批判している。)「明らかに深刻な状況に陥っている新規採用教員に対する支援としては、結果的には不十分なものであったといわざるを得ず」と、言明しています。
 尚、高裁判決は、地裁判決にいくつか付け加えをしていますが、ほとんどが百合子さんの大変さをさらに裏付けるものでした。
 傍聴、報告集会に100人以上が集まりました。その中では、「全国の裁判官の注目の的。意義は大きい。」「百合子さんは弱かったわけではない。もっと弱い人にも助けをと言う判決。みなさんも弱い人を助けましょう。」「これが当たり前と諦めている現場の環境の中で、百合子さんはおかしいと感じていて、みんなに問題提起したんだ。」などの声があがっていました。
 ご遺族からは、支援への感謝の言葉と共に、「これで、学校が変われば、と願います。」と。
 支援する会、弁護団の『声明』で、管理者・学校関係者への「抗議」、支援を拒んだ当時百合子さん在籍の静岡県教職員組合役員への「強い遺憾の意」の表明がありました。」(静岡市教組ブログより)
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