下町ロケット・ゴースト
「あらすじ」
「最終章 青春の軌道」
4.(勝訴後のギアゴーストと佃製作所)
「特許無効」の勝訴判決が言い渡されたのは、10月最初の金曜日の午後のことだった。
第一口頭弁論期日での強烈な先制パンチから原告側の主張は論理的にも道義的にも崩壊し、何ら反論の余地もないまま僅かな半年ほどで下された判決であった。判決に先立ち、一昨日には、ギアゴーストから開発情報を流出させた末長孝明、それを指示した中川京一のふたりが不正競争防止法違反の疑いで逮捕されている。
その夕方、佃製作所の会議室ではささやかな祝勝会が開かれた。
その席ではいろいろなことが話題になっていた。
唐木田「もしウチがこの訴訟を引き受ける代わりに株を譲ってもらっていれば、ギアゴーストがタダ同然で手に入ったのに」
佃「そんなふうに買収しても、騙したみたいで気分が悪いだけだ」
殿村「社長、儲かるかどうかという以前に、人として正しいかどうかという基準で経営判断されたんです。それは素晴らしいことだと思います」
唐木田「ギアゴーストの伊丹社長から連絡があって、改めて明日、お礼にいらっしゃるそうです」
江原「ただ、ちょっとひっかかることを戸倉社長から聞きました」
(戸倉製作所→佃製作所が親密に取引している会社)
佃「なにかあるのか」
江原「伊丹さんが以前、帝国重工でかなり下請けイジメをしていて、伊丹さんから無理なコストダウンを命じられた挙げ句、取引を打ち切られた倒産した会社があるとか。それが社内で問題になり、辞めざるを得ないような状況になったという話でした」
津野「そんなのを助けちまったのか、オレたちは」
殿村「どんな理由で帝国重工を辞めたにせよ、いまはウチにとって重要な取引先です。それでいいじゃないですか」
佃「大切なのは過去じゃない。これからどんな取引ができるかじゃないか」
共栄していくギアゴーストと佃製作所。一緒に戦った二社にとって、今回のことは名実ともにパートナーとして共存共栄していく貴重な一歩になる―――はずであった。
5.(ギアゴーストの行く末?)
ギアゴーストの祝勝会が開かれ、二次会になった。
仕事の片付けが残っていた島津は、二次会の終わり近く、会社に戻ってきた。
しばらくすると、そこへふらりと伊丹が現われた。
「シマちゃんと話したいことがあってさ」、と近くの椅子を引っ張ってきて坐った。
「訴訟になる前、中川弁護士のところへオレと末長さんで最後の交渉に行ったことがあったのを覚えているよな。交渉は決裂したが、事務所を出たあと、オレひとりになった時に、ウチを買収したい会社があるって、中川さんとこの青山さんが追っかけてきて言われた」
初めて聞く話に島津は声が出ず、黙ったまま、伊丹に先に促す。
「ダイダロスという会社だった。シマちゃんも知っているると思うけど、社長があのーーー重田登志行だった。重田工業のあの重田だ」
島津も驚きの顔を見せた。重田工業の倒産に伊丹が関わった話は、帝国重工では有名な事件であった。
「重田さんから聞いたんだけど、あのときオレを機械事業部から外したのは照井課長でなく、あの的場俊一だったんだよ。あいつがオレを裏切り、オレを切ったんだ。オレはあいつにいいように利用され、捨て駒にされたんだよ」
静かな怒りに貫かれ、伊丹は虚空を睨み付けている。
「もういいんじゃん。昔の話でしょ。なんで今そんな話するの」
「これからいよいよ始まるからだよ」
伊丹の表情に、一転、煮えたぎるほどの怨念が宿っているのを見て島津は息を呑んだ。
「きっちり片を付けてやる」 呟くように、伊丹は言った。
「ねえ、ちょっと待ってよ。片を付けるって、どうするつもり?」
「重田さんと一緒にやる。ダイダロスの資本を受け入れ、業務も提携するんだ」
「ちょっと何言ってんの」
島津はあわてて言った。「佃製作所を裏切るつもり? あんなに私たちのために親身になってくれたんだよ。その思いを踏みにじって、競合する会社と手を組むって言うの?」
その剣幕にまったく動ずることなく、伊丹は平然としている。
「佃製作所よりダイダロスのほうが将来性は上だ。ウチはダイダロスと組むべきだ。そして的場に復讐する」
「あんた本気?」
島津は気色ばみ、語気を荒げた。「佃製作所の技術は優れてる。ダイダロスのことは私も知っているけど、ただの組み立て屋。どっちとつきあうべきかは、考えるまでもない」
「ダイダロスは急速に力をつけてる。すぐに技術も佃製作所に追いつくだろう。そのエンジンとウチのトランスミッション。この組み合わせがあれば、無視できない存在になれるはずだ」
「それで何? 目立つ存在になって的場を見返そうとでも考えてるわけ?」
伊丹に島津は呼びかけた。「目を覚まして、伊丹くん」
「オレは冷静だ、いつだって。たしかに佃製作所には世話になった。だけど、それはそれ。これはこれだ。今後、どっちと組んだ方が社業に寄与するか、少し考えればシマちゃんにだってわかるさ。もう決めたことだ」
「何ひとりで決めてんの」
島津は声を荒げた。「私、共同経営者でしょ。その意見を無視するの?」
ふっと伊丹の肩が揺れた。笑ったのだ。そして、
「いやならいいよ。シマちゃんはもう—――必要ない」
島津は凍り付き、すっと言葉を呑んだまま、ただ伊丹を見つめることしかできなくなった。
「最終章の6」に続く