T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

葉室麟著「陽炎の門」を読み終えて! -1/5ー

2013-06-27 17:02:25 | 読書

「概要」

裏帯より

 「職務において冷徹非情、若くして執政の座に昇った桐谷主水。かって、派閥抗争で親友を裏切り、今の地位を得たと囁かれている。 30半ばにして娶った妻・由布は、己の手で介錯した親友の娘だった。 お互いに愛情が芽生え始めたころ、由布の弟・喬之助が仇討ちに現れる。

 友の死は己の咎かーー。 足元は俄かに崩れ、夫婦の安寧も破られていく。 全ての糸口は10年前、主水と親友を別った、ある<事件>にあった。」

 「誰もが一度は過ちを犯す。 人は、そこからどう生きるのか。」 

 峻烈な筆で描きだす、渾身の時代長編!

 

「登場人物」

桐谷主水(主人公)⇒家禄50石、20歳過ぎに両親病死。 

             若年より剣術を修業し、家中でも評判の腕前。

             生真面目で融通が利かず、皆に煙たがれていた。

             どんなことがあってもとの出世欲が深く、勘定方から産物方取締りとして

             執政入り、1年後に30代で次席家老に出世する。

芳村綱四郎⇒下士の家の生まれ。 剣術の腕前は主水に劣らない。 

         主水と異なり、常に明るく振る舞い、出世なんかしたら上士と付き合わねばならん

         ので御免だという性格で、勘定方で主水の友。

         前藩主興嗣を中傷する落書の咎で切腹させられる。 由布や喬之助の父。

尾石平兵衛⇒家中の権力闘争後の穏健派の家老。

樋口次郎左座衛門⇒勘定奉行で、尾石家老の側近。 元は次席家老・森脇監物派

大崎伝五⇒町奉行で、尾石家老の側近。 元は次席家老・森脇監物派

渡辺清右衛門⇒次席家老。 元は家老・熊谷派。 予十郎が藩主興世を斬ったことで切腹する。

笠井武兵衛⇒郡奉行。 元は家老・熊谷派。

渡辺一蔵⇒渡辺清右衛門の嫡男で藩主興世が世子時代の小姓。

       後世河原騒動時に綱四郎に右腕を斬られ、出家して義仙と名乗る。

早瀬予十郎⇒渡辺清右衛門の妾腹の子で、藩主興世が世子時代の小姓時に衆道となる。

         主水を憎んで、喬之助を騙し、主水を父の仇に仕上げる。

         最後に興世と「心中」する。

 

「あらすじ」

 下線部分は小説のポイントになるところで、後から謎が説かれていく。

(1)-1 主水は念願の執政になり、重臣だけに許される潮見櫓の門を晴れがましく通る。

 九州、豊後鶴ケ江に6万石を領する黒島藩は、伊予の国来島水軍の中の黒島衆と称せられる黒島興正を藩祖とする。

 大門の脇の石段を上って「潮見櫓の門」を通ることを許されているのは、重臣のみである。これは、海上の異変を見張るという水軍の将を祖とする藩の謂れからである。平侍は、いつの日か、藩の執政になることを夢に、励みとする憧れの門である。

 外様大名の家中が財政窮乏は世の常で、どうにかして貧苦から抜け出さなければと、主水は精励恪勤してきた。

 職務において冷徹非情に振る舞うことから「氷柱(つらら)の主水」と陰であだ名を呼ばれている主水が、親友を陥れ、死罪に追い込んで、その介錯をした男と囁かれながらも、ついに、37歳の若さで執政にのし上がり、憧れの潮見櫓の門をくぐれる日が来た。

 それは晴れがましく希望に満ちた一歩のつもりであったが、主水は、それが大きな陰謀の中に足を踏み入れる修羅の道への一歩であったことを思い知らされる。

(1)-2 初めての執政会議で、藩主の機嫌を損ね、家老たちの表情を硬くした。

 10年前、藩は家老・熊谷太郎左衛門の保守派と次席家老・森脇監物の改革派に別れて激しい権力闘争が行われていた。 主水は亡父が保守派に属していたことから保守派の会合に顔を出していたが、親友の芳村綱四郎は改革派に属していた。

 その綱四郎は、前藩主興嗣が家中の派閥の対立に何も手を打たないことを中傷する落書を書いたとの罪に問われる。 綱四郎は同僚との会話において藩主に不遜な物言いをしたことは認めたが、「百足」と署名した落書は書いていないと言い張った。

 その落書が本当に綱四郎が書いたものであるかどうかが問題になり、その筆跡が綱四郎のものであることを明言した主水の証言が決め手になり、綱四郎は有罪が確定して切腹を命じられる。 綱四郎はなぜか友である主水に介錯人を依頼した。

 実は、その当時、綱四郎と主水のどちらかが勘定方の組頭に昇進すると噂されていた。 それだけに、「出世のために友を陥れた」と主水を蔑む者も藩内に多かった。 主水は、その証言に誤りはなかったという信念を曲げることはなかったが、心にしこりを残すことになった。

 独り身であった主水は、昨年暮れ、17歳も年下の若い妻を娶る。 妻は綱四郎の娘・由布で、綱四郎の叔父・作兵衛の養女として育てられていた。 由布を娶るのは介錯した自分の他にないだろうと、この娘を幸せにせねばと承諾したのだ。

 綱四郎は、切腹の前夜、主水は家臣として為さねばならぬことを果たしたので、決して恨んではいけない、自分から介錯を主水に依頼したのだ、一切恨みは無いと聞かされていたので、由布には主水に対してこだわりは無かった。 二人の仲はようやくに仲睦まじいものになり、主水も幸せを感じ始めていた。

 今、藩政は、若い藩主興世の手によって、権力闘争両派の頭になる者は喧嘩両成敗の形で失脚させられ、尾石平兵衛が家老となって取り仕切られていた。

 家老・尾石が初めて執政会議に出席した主水を藩主に紹介した。 藩主興世から、藩道場での試合で見たことがあるな。 そなたも強かったが、芳村綱四郎は、もそっと強かった。 芳村が切腹の仕儀となったのは惜しい事であったなと言われた。 

 主水は、その時、思わず片手で顔の眉尻の傷跡を触る癖が出た。 藩主が、主水、そなた、何をいたしておると訝(いぶか)る声を上げた。

 主水は、何か意にそまぬことが起こるたびに思わず眉尻の傷跡を指でなぞる癖があるのだ。 主水は今日に限って登城時や執政会議前に綱四郎にまつわる話や妻の話を何度も聞かされていたのだ。

 主水は、すぐに御前の前での不調法をお許し下さいと述べると、興世はよほど痛い思いをしたと見えると笑った。 しかし、次席家老の渡辺清右衛門が苦々しげな表情で、例の諸井道場と荒川道場の間の門弟による喧嘩の怪我だろうと言うと、興世は、途端に眉を顰め、家老たちも表情を硬くした。 何も知らない主水は、そのような状況にも拘らず、私は喧嘩を止めようとしたものであると言い訳めいた発言をした。 渡辺次席家老は、己を庇うな見苦しいぞと言う。

(2) 由布の弟が、江戸から出てきて、主水を三か月後に仇討ちすると告げて去る。

 執政初出仕の日、主水が帰宅すると、妻の由布から、江戸の剣術道場の内弟子になっている弟・喬之助が江戸からはるばる訪ねてきて、桐谷主水を父の仇として仇討ちするつもりだと告げ、同道している師匠・貫井鉄心様と兄弟子の武井辰蔵殿と九州を一回りして三か月後に主水と雌雄を決する決意であると話して去ったと告げられた。

 由布が、喬之助に父の最後の言葉を聞いていたでしょう、主水は仇ではないと言うと、師匠が後日にと由布の言葉を遮ったと知らされた。また、今日の評定でそれらしい件が触れられなかったので、何か訳があるのかと思った。

 

                                            つづく 

 

 

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