T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1240話 [ 「コーヒーが冷めないうちに」を読み終えて-12/?- ] 12/30・金曜(晴)

2016-12-30 09:08:36 | 読書

「本作抜粋による粗筋」

第三話「姉妹」 家出した姉とよく食べる妹の話-3/3-

[亡き妹に会いたいために過去に戻る姉]

 気がつくと、数がトレイにコーヒーカップとケトルを載せて平井の側に立っていた。

「亡くなった人に会いに行く人は、ついつい情に流されてしまい、制限時間があることを知っていても、別れを切り出すことができなくなります……」

 と言って、マドラーのような棒をカップに入れ、

「これを入れておけば、コーヒーが冷める前にアラームが鳴りますので……」

 と、気遣った。そして、

「ルールは?」と訊ねた。

「わかっている」と、平井はしっかり頷いた。

     

 平井は、ただ謝りたかった。

 何度も会いに来てくれたのに、邪険に扱った事。そして、旅館を継がせてしまった事。

 平井が家を出た結果、久美は旅館を継ぐ羽目になった。

 だが、もし、久美にも夢があったのだとしたら、その夢を断念させたのは、平井自身という事になる。そう考えれば、久美が何度も実家に戻るよう説得に来ていた理由もわかる。

 平井さえ実家に戻れば、久美は自分の夢に向かって生きることができた。自由になれるのだ。

 今さらではあるが、平井の後悔は、尽きることがなかった。

     

「コーヒーが冷めぬうちに……」

 と、数は囁き、ゆっくりとカップにコーヒーを注ぎ始めた。

 カップに満たされたコーヒーから湯気が立ち上る。

 揺らめきは目まいのような感覚となって平井を包み込んだ。身体が立ち込めた湯気と同化する。平井の身体は、ゆっくりと上昇を始めた。

                               

「平井さん」

 揺らめく意識の中、聞きなれた声にハッとし、平井は目を開けた。

 声のした方向には、エプロンを付けた計。雑誌を広げている房木がいて、平井の記憶にある、あの日の風景そのままだ。

 平井は戻ってきた。久美の生きているあの日に。

 平井は、落ち着くためにゆっくり深呼吸して、

「ども……」と、カウンターの中の計に挨拶した。

 計は、いつもワンピースの女が座っている席の平井に挨拶されたので、戸惑いながら、

「なに……、未来から? ……なんしに来たの?」

 と、過去の計は、久美が亡くなったことなどの事情も知らないので、質問もストレートである。

「ちょっと、妹に会いに」

 平井は、膝の上の手紙を握った手に力が入る。

「めずらしい! いつもは隠れちゃうのに?」

「今日は……ちゃんとね」と、平井は努めて明るく返事した。

                       

   カランコロン

「いらっしゃいませ」

 計は、反射的に入口に向かって声をかけた。

 平井は、誰が来たかは知っている。久美が三日前、この喫茶店を訪れた時間である。

 だけど、平井は、久美がどんな顔になっているのか知らない。ここ1、2年は逃げてばかりいたので、まともに見た覚えがないからだ。

 どんなに自分が妹の訪問を避けてきたのか、どれだけひどい仕打ちをしてきたのか改めて痛感し、申し訳なさと後悔で胸が一杯になった。

 しかし、平井は、ここで泣くわけにはいかなかった。平井は久美の前で一度も泣いたことがなかったのだ。その平井が泣いていれば久美は不思議に思うだろう。

 「なにかあったの?」と聞くに違いない。そうなれば、頭では「現実は変わらない」と理解していても、「事故にあうから帰りは電車にして」、「今日は帰らないで」と、言ってしまうに違わない。しかし、言ったら終わりだ。平井は、暴れ狂いそうな感情を抑えるために、大きく深呼吸をした。

「お姉ちゃん」

 その声に、平井の心臓は一瞬止まりそうになった。二度と聞けないはずの久美の声である。

「やっほう……」

 平井は、手をあげて指先をチロチロ振りながら、ありったけの笑顔で応えた。

「……え? あれ? 今日はどうしたの? 」

「なにが?」

「いや、ここ数年、こんなに簡単に会えたことがなかったから……」

「そうだっけ?」

 平井は肩をすくめながら応えた。

 久美はゆっくりと平井の座る席に近づき、

「コーヒーとトースト、あと、カレーライス、ミックスパフェいただけますか」

 久美はカウンターの中にいる計に声をかけた。

「なんか、変な感じだね?」

「なにが?」

「お姉ちゃんとこうやって向かい合って座るの、なんだか久しぶりすぎて……」

「……」

「……」

 平井の態度に、久美は何かを感じ取ったのだろう、不意に、

「ホントにどうしたの?」と、心配そうに尋ねてきた。

「なにが?」

「なんか変だよ? なんかあった?」

「別になにも……」

 なんとなく会話は途切れてしまった。

 平井からは話しかけられない。なぜなら、平井は、久美が現れたその瞬間から、久美を抱きしめ、「死なないで!」と叫びたい衝動を必死に抑えているからだ。喉元まで出かかったその言葉を押さえるだけで精一杯だった。

 久美が言葉を選んでいる。うつむいて、頭の中で言いたいことを反芻している。もちろん、どう言えば、「平井が実家に戻ってくれるか?」ただそれだけである。なかなか言い出せないのも、ここ数年、何度も何度も平井から断り続けられたからだ。

 久美が小さく息を吸い、一呼吸おいての時だった。

「帰ってもいいよ」と、平井はそう答えた。

 久美はキョトンとして、「え?」と聞き返した。

「帰ってもいいよ、実家……」

 平井は優しく、言葉を継いだ。

 久美は「ホントに?」と、念を押してきた。

「なんにもできないよ?」と、平井は、申し訳なさそうに答える。

 すると、久美は泣き出した。

「ずっと、夢だったんだから……お姉ちゃんと一緒に旅館やるの……」

 と、うつむきながらつぶやき、テーブルには、大粒の涙が、ポトポトと落ちている。

 

 平井の脳裏に、三日前に自分が言ったセリフがよみがえってきた。

「書いてあるのよ、顔に。 お姉ちゃんのせいで私はやりたくもない旅館の女将をやってるの。 お姉ちゃんさえ帰ってくれば私は自由になれる……ってね」

                        

 なのに、その妹はもういない。

                       

 平井の後悔は、さらに強くなった。死なせたくない! 死んでほしくない!

「……く、久美」

 平井は漏れるような小さな声で久美の名前を呼んでいた。 

(中略)

「ちょっと、トイレ」

 久美はくるりと平井に背を向けて歩き出した。

 平井は、心の底から悲しみ、大声で泣き叫びたかった。だが、声を出すわけにはいかない。平井は、久美、久美と肩を震わせながら、声を殺して泣いた。

 ピ ピ ピ ピ……

 突然コーヒーカップの中から音がした。コーヒーが冷める前に鳴るアラームだった。

 平井はカップを手に取った。

 (もう一度だけ久美の顔を見たい)、だが、久美の顔を見れば、きっと飲めない(少しでも永く一緒にいたいから)、帰れない(幽霊になり、約束した実家に)。

 かすかに、トイレのドアの開く音が聞こえた。

 平井は、その音を聞いた瞬間、一瞬にコーヒーを飲みほした。

 平井にあの目まいにも似た湯気のような感覚がよみがえった。身体が湯気に包まれる。

 久美がトイレから戻ってきた。

 平井の意識は湯気となった揺らめきの中で、まだ、その場に残っていた。

「……あの、姉が何処へ行ったか知りませんか?」と久美が計に尋ねた。

「なんだか、急ぎの用事ができたとかで」との計の言葉に、久美の顔が曇った。

 その様子を見た計に、久美に、

「大丈夫ですよ。お姉さん、約束はちゃんと守ると言っていましたから」と言った。

 そして、計は湯気になった平井に向かって目配せのウインクをした。

「そうですか。じゃ、今日は帰ります……」と、久美は言って、軽快な足取りで喫茶店を後にした。

「(久美—――っっ)」

 揺らめきとともに、この場から消え去る意識の中で平井はしっかりと見た。久美が約束は守ると聞いたときに見せた幸せそうな笑顔を。

                                 

[現実に戻った平井]

 気がつくと、平井の前にトイレから戻ってきたワンピースの女が立っていた。

 数がいて、流がいて、高竹が、そして計がいる。

 平井は現実に戻ってきた。 久美のいない現実に。

 ワンピースの女の「どいて」の声に、平井は慌てて席を立った。

 平井は、大きく深呼吸をし、

「仕事も全然できないかもしれないけど……」

 と、言いながら、手に持っていた久美からの最後の手紙を見つめて、

「……このまま帰っちゃっても……問題ないよね?」と言った。

 計は大きくうなずいて、「大丈夫でしょ」と、元気に応えた。

   カランコロン

                            

 平井を見送った計が、お腹を小さくさすりながら「よかったね」とつぶやいた。

                   

        第四話「親子」に続く

 

 

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-03-12 01:06:57
冷めぬうちにではなくて
冷めないうちに…ではないのか

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