フアン3号

スポーツ大好き

ニューイヤー駅伝の始めと、変革と、そして今。

2012年01月03日 | インポート
このところ「1月1日」といえば、ニューイヤー駅伝であるが、その歴史を覗くと、「なーる程!」、
「うーんそうか!」等々、思わぬ記憶がよみがえるのである。

今日の私のブログは、その昔を引き寄せる旅のようなもの・・・年配の人程懐かしく思い起こす旅に違い無い。
(若い者にはふんーんそうか・・・程度かも知れないが・・・引き継いで来た駅伝選手の活躍は、意外と重く尊いものと感じるに違い無い)

(前置きはそのぐらいにして早速取り掛かろう)

第1回大会(1957年)。当初大会は(1月1日)ではなかったがその事には重きを置かないで読んでもらいたい)

★全日本実業駅伝の輝かしい第一回大会が開催されたのは三重県伊勢市。伊勢市外宮前を午前11時にスタート。4区間83.5キロだった。
★参加したのは14チーム。

1区で先頭に立ったのはヘルシンキ五輪5000M代表の井上治。
(当時の長距離界の第一人者だった)。

★初代チャンピオンに輝いたのは、ヘルシンキ五輪3000SC代表選手、高橋進を擁する八幡製鐵。

高橋の担った2区を含め、5区間で区間賞を獲得した。八幡製鐵は、他チームを圧倒する強さだった。
1位 八幡製鐵、2位 旭化成、3位 国鉄

第2回大会(1958年)

★関東の雄リッカーミシンが、初代チャンピオンの八幡製鐵を相手に真っ向勝負を挑む。

★リッカーミシンは1区で5位と出遅れた。が、2区で襷を受けた布上正之が驚異的な追い上げを見せて、八幡製鐵をかわし、3区の村田成男にリレー。その後も力走を続けたリッカーミシンは2位の八幡製鐵に4分余りの差をつけてゴールし、初優勝を飾る。

1位 リッカーミシン、2位 八幡製鐵、3位 全鐘紡

第3回大会(1959年)

★降雨により、泥まみれのコースで開催された第3回大会。前大会優勝のリッカーミシンと同2位の八幡製鐵がデットヒートを展開する。
★1区で西村良三(リッカーミシン)が区間新、2区では山内二郎(八幡製鐵)が区間最高。
八幡製鐵は、3区でリッカーミシンを逆転。しかし、リッカーミシンも4区ですかさず逆転。
リッカーミシンは5~7で区間最高を連ね大会新記録で連覇を果たす。
★リッカーミシンは箱根駅伝で活躍した強豪を次々と加え、当時最強の陣容を誇っていた。

1位 リッカーミシン(連覇)、2位 八幡製鐵、3位 東洋ベアリング

第4回大会(1960年)

★10メートル前後の突風が吹き、強風注意報が発令される中での開催。
★前年、連覇を果たしたリッカーミシンが不参加。
★勝負を決めたのは、4区を走った八幡製鐵の新人・君原健二(8年後のメキシコ五輪・マラソン銀)だった。君原は、50メートル差の2位で襷を受けると、すぐさま東洋ベアリングを抜き去りトップに。ゴールでは200メートルの差を付けた。八幡製鐵は第1回大会以来2回目の優勝。

1位 八幡製鐵、2位 東洋ベアリング、3位 明治製菓

第5回大会(1960年)

★駅伝の大会が3月に集中していたため、12月に移転。その結果1960年は、3月に第4回大会、12月に第5回大会が開催。

★この大会から、地区推薦を行うようになり、各地で地区大会が行われる。
★オープン参加で沖縄から全沖縄チームが参加(沖縄は1972年に米から返還)。
★レースは、第4回大会を欠場したリッカーミシンの独壇場になった。リッカーミシンは3区で先頭に立つとそのまま2位に5分近い差を付け優勝。2位には、後にヱスビー黄金時代を築くことになる名将・中村清監督率いる初出場の東京急行(東急)。同じく初出場の小森印刷機械も前半トップに立つなど大健闘を見せ5位入賞。一方、前回優勝の八幡製鐵は6位、同2位の東洋ベアリングは7位だった。

1位 リッカーミシン、2位 東京急行、3位 倉敷レーヨン

第6回大会(1961年)

★この大会より、地区連盟の割り当てが決まり、各地で予選が行われるようになった。(予選会を行うほどの参加チーム数が少ない一部地区では推薦制)地区連盟は右の通り。東日本・中部・関西・中国・西日本(後の九州連盟)
★距離も100メートル延長。走行距離83.6キロとなった。 ★レースは2区から雨が降り始め、標高45.4メートルの難所5区の五知峠は泥道と化した。
★優勝したのは前回初出場2位の東急。1区で9位と出遅れたが、3~5区で区間賞を連取し逆転。そのまま逃げ切った。前回覇者リッカーミシンは1区11位の出遅れが響き、2位。1秒差の3位に八幡製鐵が入った。
★東急の5区を任された中尾隆行は当時、最強のマラソンランナーと称された。ただし、不思議と五輪とは縁がなかった。
★15位日本レイヨンの4区を走ったのは、野口みずきのコーチ、藤田信之。(日本レイヨンは第4回大会にも出場。)
★全鐘紡は第2回大会以来の出場。11位に終わった。また全沖縄は正式出場となった。
★出場したこの大会の全てで優勝していたリッカーミシンは、初めての敗北。以後、優勝から見放されることとなる

1位 東急、2位 リッカーミシン、3位 八幡製鐵

第7回大会(1962年)

★後の五輪日本代表など、スター選手が数多く登場。道路の舗装向上も相まって、好タイムが続出する大会となった。
★まず1区では、八幡製鐵・君原(前述)と東急・船井照夫(東京五輪・10000メートル代表)がデットヒートを展開。1位君原、2位船井、さらに3位、倉敷レーヨン・岩田正志までが区間新を記録する。
★区では9選手が区間新。以下、3区が5人、4区3人、5区3人、6区3人。
★優勝は、前回大会3位の八幡製鐵。1区君原から、5区長田正幸まで区間新を記録。1区から先頭を譲ることなく優勝を決めた。2位は、前年優勝の東急。リッカーミシンは11位と低迷した。
★5区で区間新・区間最高を出した倉敷レーヨン・寺沢徹は後の東京五輪マラソン代表。

1位 八幡製鐵、2位 東急、3位 倉敷レーヨン

第8回大会(1963年)

★午前中は、絶好の駅伝日和だったが、午後から10メートル前後の突風が吹き、選手たちを悩ませた。
★区で大会史上に残る激戦が展開される。八幡製鐵・土屋と東洋工業・佐々木がデットヒート。従来の記録を1分30秒近く更新する47分55秒の区間新で同タイムゴール。胸一つの差で土屋が区間賞に輝いた。なお、土屋は翌年の東京五輪マラソン代表の4番手(補欠)となる。
★優勝は、東急。2区船井が区間新で首位を奪い、そのまま逃げ切った。前年優勝の八幡製鐵は君原健二の欠場が響き4位に敗れた。
★2位には、第1回大会以来の出場となった旭化成が入った。これが、全日本実業団駅伝における第1期旭化成時代の幕開けとなる。

1位 東急、2位 旭化成、3位 東洋工業(全19チーム参加)

第9回大会(1964年・東京五輪開催年)

★スタート時間が午前9時に変更。
★旭化成が初優勝を飾る。前回優勝の東急は、船井の不調で3位に終わる。9大会連続出場の八幡製鉄所は、この年もまたエース君原が欠場(東京五輪マラソン出場のため)したが、2位と健闘した。
★上位3チームまでが、トータルタイムで大会新を記録した。

1位 旭化成、2位 八幡製鐵、3位 東急(全18チーム出場)

第10回大会(1965年)

★スタートは、列車通過に引っかからぬように8時55分になった。
★レースは、前回大会で大会新を記録した3強の争い。中盤まで勝負をリードしていたのは君原が2年ぶりに戻ってきた八幡製鐵だった。ところが、君原から襷を受けた藤沢修が東急と旭化成に捕まる。優勝は、東急とのアンカー対決を制した旭化成。史上2チーム目の連覇を達成した。
★自衛隊体育学校の円谷幸吉(東京五輪・銅メダル)がこの大会で初参加。エース区間5区で区間賞を獲得。チームの4位入賞の立役者となった。

1位 旭化成(連覇)、2位 東急、3位 八幡製鐵(全21チーム出場)


第11回大会(1966年)

★この大会から600メートル短縮され走行距離83キロに。
★史上初の3連覇を狙った旭化成だが、1区で1分54秒差の15位と大きく出遅れる。さらに2区を終わっても13位。3連覇は絶望的と思われたが、3区から怒濤の追い上げを見せる。3区からの5区間で実に4人が区間賞を獲得。終わってみれば2位倉敷レーヨン1分近い差を付け優勝。3連覇を成し遂げる。

1位 旭化成(3連覇)、2位 倉敷レーヨン、3位 リッカーミシン(全23チーム)

第12回大会(1967年)

★「目標は大会記録を縮めるだけ!」大串監督が語った様に、前人未踏の4連覇へ、死角なしと思われていた旭化成だったが、波乱の大会となった。
★出場の九州電工、5区で佐々木精一郎が区間新・区間最高でトップに立つと、そのまま、アンカーまでトップでたすきをつないだ。しかし、それまで2位の電電中国は、アンカー片山勝(全日本実業団1500メートル優勝)が、ペース無視の捨て身のアタックを見せ、果たしてこれが功を奏す。片山は区間賞に輝くと共に、見事、電電中国に初優勝をもたらした。九州電工は、その後、倉敷レーヨンにも刺され、結局3位。
★旭化成は2区岩下が区間20位の大ブレーキ。後半追い上げたものの4位が精一杯だった。

1位 電電中国、2位 倉敷レーヨン、3位 九州電工、4位 旭化成(全26チーム)

第13回大会(1968年)

★旭化成は、前年ブレーキの選手を外すという荒療治を行い、見事復権を果たした。
★前回大会優勝の電電中国は5位。2大会連続2位の倉敷レーヨンは7位。前回、台風の目となった九州電工は6位に終わった。上位を占めたのは13大会連続出場の八幡ベアリングと12回目の出場となった東洋ベアリング。古豪が復活を遂げた大会でもあった。
★東日本勢はリッカーミシンの11位が最高。東急も14位と振るわず、駅伝は西高東低と言われた。

1位 旭化成(4回目)、2位 八幡製鐵、3位 東洋ベアリング(全24チーム)

第14回大会(1969年)

★旭化成に思わぬダークホースが立ちはだかった。中国予選2位、東洋工業である。スタートから最後まで、この両チームの一騎打ちとなった。
★1区では1秒差のトップで旭化成、2区は逆に東洋工業が1秒のリードでたすきをつなぐ。3区は、互いゆずらず同タイム。そのまま6区まで1秒を争う戦いが続く。勝負が大きく動いたのは、第6区。東洋工業・中川衛が区間新・区間最高を記録し、ダークホース東洋工業がおよそ30秒のリードを奪う。結局、そのまま旭化成の追撃を振り切り、初優勝。旭化成は12秒及ばず、連覇を逃す。

1位 東洋工業、2位 旭化成、3位 電電中国(全23チーム)

第15回大会(1970年)

★全コース舗装道路で行われたこの大会では、マラソン選手の強化育成も兼ねているため、距離が16.4キロ延長。総距離99.4キロで行われるようになった。
★勝負は6区の23.4キロと各チームが予想していたが、実際はアンカー決着に。2位で襷を受けた電電中国・小林秀昭が先行するリッカーミシンを抜き、追いすがる旭化成を振り切って先頭でゴール。電電中国が3年ぶり2回目の優勝を果たした。
★新日本製鉄(前・八幡製鉄)の三村清登は、第1回からこの第15回まで、15大会連続出場を果たす(区間賞は計4回受賞)。

1位 電電中国、2位 旭化成、3位 リッカーミシン(全23チーム)

第16回大会(1971年)

★新旧の勢力が入り乱れ、トップがめまぐるしく入れ替わる大会となった。
★エース区間の6区では走り始めて13キロ付近で踏切に引っかかりトップ3選手が 15秒のロスタイムとなる。
★結局、優勝したのはエース区間6区でトップに立った東洋工業。終わってみれば2位に2分近い差を付けての圧勝。2年ぶり2回目の優勝となった。全鐘紡がチーム史上最高順位の2位と健闘した。2回目の出場のクラレが3位。前回優勝の電電中国は5位と振るわなかった。
★後に第2期旭化成黄金時代を牽引していくことになる宗茂がこの大会でデビュー。5区を走った。

1位 東洋工業、2位 全鐘紡、3位 クラレ、4位 旭化成(全25チーム)

第17回大会(1972年)

★州地区予選で2チームを出し、1-2フィニッシュを果たした旭化成と前回優勝の東洋工業の一騎打ちが予想された。
★レースは2区で旭化成がトップに立ったものの、すかさず3区でミュンヘン五輪3000sc・5000メートル代表のクラレ・小山隆治が区間賞の力走を見せ逆転。結局、クラレが、ここからゴールまで一度もトップを譲ることなく優勝。2位には1区で11位と出遅れながら、少しずつ追い上げてきた東洋工業。旭化成は3位だった。
★この大会では現天満屋監督・武富豊が神戸製鋼の第1走者でデビュー。

1位 クラレ、2位 東洋工業、3位 旭化成(全26チーム)

第18回大会(1973年)

★400メートルの距離短縮によって、全走行距離は99キロになった。
★4大会連続で優勝を逃している旭化成は、2区で区間最下位の大ブレーキ。トップに3分半近いリードを許す19位に転落。ところが優勝戦線から脱落したと思われた矢先の第3区、佐藤市雄がオーバーペースとも思える走りで、9人抜きを達成。さらに次の4区10キロ区間で黒木章が6人抜き。一気に4位へとジャンプアップする。そして5区、初出場の宗猛がチームをついに2位まで押し上げる。追い上げる旭化成を待ち受けるのは、久しぶりに優勝あらそいに絡んできた古豪新日鐵(旧八幡製鐵)。そして両雄の決着はアンカー勝負へと持ち込まれた。旭化成のアンカーは磯端克明、新日鐵は君原健二。激しい戦いの末、僅か6秒の差で旭化成が優勝。磯端は区間賞。君原は区間2位。アンカーの戦いがそのまま勝ち負けに直結した。
★なお第4回から数多くの名場面を生み出してきた君原は、この大会が最後の全日本実業団駅伝となった。一方、旭化成は初めて宗兄弟が揃って出場した。
★カネボウ監督・伊藤国光もこの大会でデビュー(第1区)。

1位 旭化成(5回目)、2位 新日鐵、3位 東洋工業(全26チーム)

第19回大会(1974年)

★鐘紡と旭化成、2強時代の幕開けとなった大会。
★旭化成は、2区で宗茂がトップに躍り出たものの、続く3区宗猛が、ダークホース中央発條・林卓郎に交わされてしまう。その後、旭化成は5区で巻き返し再びトップに躍り出るが、6区で鐘紡(前回大会に全鐘紡から名称変更)・伊藤国光の好調な走りの前に、再び逆転を許す。結局、そのまま差を詰めるどころか、4分以上も鐘紡に引き離され2位。鐘紡が初優勝を飾った。

1位 鐘紡、2位 旭化成、3位 神戸製鋼(全25チーム)

第20回大会(1975年)

★大会を彩る名シーンが生まれた。最終第7区、1分17秒の差を付け鐘紡・酒見勝喜がトップ。常識的にいけば鐘紡の連覇はもう目の前だった。ところが、2位旭化成・河野房雄がオーバーペース覚悟の大追走を見せる。そして、7キロ地点150m、中間点で100m、残り3キロで50mと、その差をじわじわと詰め、ついにゴール目前で逆転してしまったのだ。
★この大会では、コニカミノルタの前身小西六が初出場。13位だった。

1位 旭化成、2位 鐘紡、3位 リッカー(全25チーム)

ここまでが、今から37年前の実業団駅伝の歴史である。

(現在37歳の人が生まれたばかりの年にもうすでに、このような熱戦が繰り広げられた歴史があるのである!)
過ぎ去った過去にも、多くの勇者が確かに存在していた事の証明である!現在でも周りを少し見渡して見るがいい、きっと過去の素晴らしい選手達が幾人もおられるから!

(そう、あの人も、この人も、みんな過去に鳴らした凄い選手ばかりである!)

さて、一服したところで次ぎ21回大会に移ろう。

第21回大会(1976年)

★1区では、9チームがおよそ10秒差の中でひしめきあう大激戦。その中で、執念の区間賞を獲得した鐘紡が、そのまま全区間トップを譲ることなく圧勝。2年ぶりの優勝を飾った。
★鐘紡は全7区間の内、実に5つの区間賞を獲得した。

1位 鐘紡、2位 旭化成、3位 神戸製鋼(全27チーム)

第22回大会(1977年)

★鐘紡と旭化成。当時の実業団駅伝を彩った2強による4度目の対決。ここで勝負を分けたのは、エース区間の6区だった。旭化成は宗猛、鐘紡は伊藤国光と並ぶチームのエース鎌田俊明。この両者の走りがまさにこの大会の順位を決定づけた。2番手で襷を受けた宗猛は、トップの鐘紡を追いつめるどころか、まさかの失速で後にいた九州電工にも交わされ3位に転落。一方、鐘紡の鎌田はプレッシャーを受けることなく余裕の走りで、1位をキープ。結局レースは、その順位のまま替わらず決着した。
★区間賞は旭化成3つに対し、鐘紡は2つ。しかし、タイム差は鐘紡が3分上。効率の良い走りで連覇を達成した。
1位 鐘紡、2位 九州電工、3位 旭化成(全27チーム)

第23回大会(1978年)

★注目はやはり2強の対決。ところが、レースは思った以上にワンサイドに展開する。2区でトップに立った旭化成が、そのまま先頭を譲ることなく優勝した。
★3連覇を狙った鐘紡は、両エース鎌田と伊藤が区間賞の走りで気を吐いたもが、旭化成の牙城を崩すには至らなかった。そして、ここから駅伝は旭化成時代へと突入していく。

1位 旭化成、2位 鐘紡、3位 新日鐵(全27チーム)

第24回大会(1979年)

★旭化成が盤石の強さを見せた。レースは1区佐藤市雄から最終7区の児玉泰介まで、すべてトップでたすきを渡すという完全優勝を達成。2位九州電力に6分の差を付けた圧勝劇だった。
★ライバル鐘紡は5位。だが、3区を走った鎌田俊明が当時の新記録となる11人抜きを見せた。小西六が4位と健闘を果たした。この時の小西六のアンカーは、現コニカミノルタ監督、酒井勝充。この大会で全国実業団駅伝デビュー。

1位 旭化成、2位 九州電力、3位 リッカー※旧リッカーミシン(全28チーム)

第25回大会(1980年)

★大会前日、金沢自衛隊と鐘紡の欠場が決まった。前者は演習、後者はエース伊藤国光が故障したための大会を断念した。
★最大のライバル鐘紡がいない中、旭化成はこの大会でも圧倒的な強さを見せる。1秒差の2位で3区に襷をつなぐと、すぐさま首位をキープ。あとは旭化成の独壇場と化した。4区から最終7区まで4人連続区間賞を獲得。2位神戸製鋼に4分56秒の大差を付け、レコードタイムで優勝。チーム2回目となる三連覇を飾った。

1位 旭化成、2位 九州電力、3位 リッカー(全26チーム)

第26回大会(1981年)

★女子長距離の育成を計るため、この大会から駅伝女子の部が始まった。
★旭化成が史上初の4連覇を達成。

1位 旭化成、2位 鐘紡、3位 リッカー(計28チーム)

第27回大会(1982年)

★5連覇を目指す旭化成の前に立ちはだかったのは、やはり最大のライバル鐘紡だった。4区への中継点の時点でトップが旭化成、1秒差で鐘紡。旭化成は4区宗茂、5区松田勝志らが引き離しに掛かるが、鐘紡を振り切るまでに至らない。逆に6区で鐘紡の鎌田俊明が区間最高を記録。逆転を許し、20秒の差でアンカーへ。2位で襷を受けた旭化成のアンカー佐藤市雄は5連覇へ黄色信号が灯る窮地の中、冷静な走りで徐々に鐘紡を追いつめる。そして、中間点の手前で追いついた途端に、一気にスパートをかけ勝負を決した。
★佐藤市緒は第7区で区間賞を獲得。これで4年連続8回目の受賞。その記録は、29回大会まで続くこととなる。6年連続・10個の区間賞は共に大会史上最多である。

1位 旭化成、2位 鐘紡、3位 神戸製鋼(計28チーム)

第28回大会(1983年)

★女子の部が岐阜に転出し、再び男子の単独開催となる。
★1区では19秒間に13チームが入り込む混戦。3区で、鐘紡・伊藤国光が区間新・区間賞を記録し、鐘紡がトップに立つ。
★伊藤国光は、デビューした18回大会から28大会までの出場10大会で、実に8つの区間賞を獲得。歴代2位の記録である。
★旭化成は、スロースタート。4区宗茂・5区宗猛が区間賞を連続で獲得し、ようやくトップに躍り出る。ただ、後半に圧倒的な自信を持つ旭化成は、ここから他チームにつけいる隙を与えず、前人未踏の6連覇を達成した。
★意外なことに宗兄弟が揃って区間賞を獲得したのは、この大会が唯一。
★谷口浩美が旭化成の3区で大会デビューを果たした。

1位 旭化成、2位 神戸製鋼、3位 鐘紡(計28チーム)

第29回大会(1984年)

★名門リッカーが業績不振のため、陸上部が廃部。白水昭興監督(現日清監督)以下、選手全員が日産自動車移籍となり、話題を集める。
★名将・中村清監督率いるヱスビー食品が初出場を果たす。ヱスビー食品は、補欠無しギリギリ7名の選手ながら、瀬古利明、ダグラス・ワキウリ、新宅雅也、金井豊、坂口泰(現中国電力監督)など、金の卵を抱負に揃えていた。そのため7連覇を目指す旭化成を押しのけ、優勝候補と目されていた。
★ヱスビー食品は、いきなり1区から3区まで区間賞を連続で獲得し、序盤のうちに勝利を決定づける。終わってみれば5区間で区間賞を獲得(区間新は3つ、タイが1つ)、タイムも従来のレコードを8分近く更新。2位旭化成に4分14秒の差を付け圧勝した。駅伝は、旭化成時代からヱスビー食品時代へと移り変わっていく。
★この大会からTBSのTV中継が始まった。

1位 ヱスビー食品、2位 旭化成、3位 日産自動車(計30チーム)

第30回大会(1985年)

★旭化成が、主力選手の故障続出で出場辞退。ヱスビー食品は、中村清監督の死去に伴い、瀬古が監督代理として自らは走らず采配を振るった。
★レースはヱスビー食品と日産自動車の一騎打ち。日産自動車は3区まですべて区間賞を獲り、ヱスビー食品に43秒差を付ける。ところが、そこから4区間すべては逆にヱスビー食品が区間賞を獲得。6区で、ワキウリが日産自動車・工藤一良との激闘を制し先頭に立つと、その後は引き離す一方。結局、2分以上の差を付けヱスビー食品が連覇を果たした。

1位 ヱスビー食品、2位 日産自動車、3位 九州電工(計29チーム)

第31回大会(1986年)

★30回続いた伊勢路を離れ、舞台は琵琶湖畔の近江路へ。それに伴い距離も15キロ近く短縮され84.4キロに替わった。
★復活を果たした旭化成とヱスビー食品の対決が注目されたが、レースは意外なほどあっさりと決まった。旭化成は、1区でトップに立ったものの、その後5区間で区間賞を記録したヱスビー食品に歯が立たなかった。
★去年欠場した瀬古は、エース区間の5区で区間賞を獲得。瀬古がこの大会に出場したのは2回。共に区間賞を獲得した。

1位 ヱスビー食品、2位 旭化成、3位 日産自動車(計30チーム)

第32回大会(1988年)

★舞台は、上州路へと変更。日程も1月1日元旦開催となる。

★ヱスビー食品は、脚の故障のため大黒柱の瀬古が欠場。しかし、1~3区で区間新を記録し、序盤で4連覇を決めてしまう。ヱスビー食品は第1走者に中村孝生、アンカー金井豊と、共に地元群馬県出身選手を配置。余裕の構えで4連覇の偉業を達成した。
★この大会から小西六はコニカに改称。

1位 ヱスビー食品、2位 日産自動車、3位 旭化成(計27チーム)

第33回大会(1989年)

★4連覇を果たしたヱスビー食品は、メンバーの故障のため、東日本予選にさえ出ることが出来なかった。(瀬古監督代行は、女性選手を出したいと願い出るが、男女云々の前にエントリーしていない選手の出場は認められないと、却下。)その後、合宿中の不慮の事故でメンバーを失う悲劇も重なり、ここから6大会連続で不参加となる。
★王者不在の大会で見事初優勝を果たしたのが、日産自動車だった。当面のライバル、旭化成の背中を一度も見ることなく完勝した。

1位 日産自動車、2位 旭化成、3位 日本電気HE(計25チーム)

第34回大会(1990年)

★前年優勝の日産自動車と、名門旭化成の一騎打ちとなった大会。そのハイライトは最長区間の6区。トップで襷を受けたのは日産自動車・工藤一良、6秒差で旭化成・森下広一が続く。二人は程なくして並ぶと、そのまま肩をぶつけるような激しい鍔迫り合いを、実に18キロに渡って展開する。そして、1秒差の首位で森下がアンカーに襷を渡す。森下はこれが、初めてのニューイヤー駅伝。後に五輪銀メダリストとなる勝負強さの片鱗を見せた。
★日産自動車は、7区で九電工(旧九州電工)にも抜かれ3位。旭化成が実に6大会ぶりの優勝を果たした。第3期旭化成黄金時代の幕開け。

1位 旭化成、2位 九電工、3位 日産自動車(計24チーム)

第35回大会(1991年)

★大会前、宗茂監督が「過去最強のメンバー」と語ったとおり、旭化成が圧倒的な強さを見せ連覇を果たす。区間賞こそ1区だけだったが、そこから一度もトップを譲る事なく4時間10分04秒の大会新記録を樹立、3つの区間賞を獲得した2位日産自動車に3分16秒の差を付けた。
★順位がめまぐるしく移り変わる激しい3位争いを制したのは本田技研埼玉。過去最高の成績を収める。なんと鐘紡は7大会連続の4位。
★3区を走った日本電気HEの本田竹春が、大会タイ記録の11人抜きを見せた。

1位 旭化成、2位 日産自動車、3位 本田技研埼玉(計25チーム)

第36回大会(1992年)

★旭化成が2区から6区まで5区間連続で区間賞を獲得し、3連覇達成。2位九電工、3位安川電機で、九州勢が上位を独占した。
★2区では九電工・井手健二が11人抜きを達成した。

1位 旭化成、2位 九電工、3位 安川電機(計26チーム)

第37回大会(1993年)

★旭化成はエース森下広一が欠場。
★1区から5区までは、旭化成・九電工・本田技研工業の3チームが3つ巴の展開。しかし5区から7区までの3区間で旭化成が連続区間賞を獲得。4連覇を果たした。
★中国電力が初出場。13位と健闘する。

1位 旭化成、2位 九電工、3位 本田技研工業(計32チーム)

第38回大会(1994年)

★森下・谷口の不調の為、危機説が囁かれた旭化成だったが、終わってみれば区間賞4つ、2位以下を寄せ付けず5連覇を達成した。
★3区ではMDIのA・ニジガマが12人抜き、NTT東京の武田裕明が14人抜きを達成。共にここまでの大会記録を塗り替えた。
★1区の区間賞は鐘紡・高岡寿成。この大会でニューイヤー駅伝デビューとなった。五輪マラソンで2大会連続メダル獲得を果たすワイナイナもこの大会でデビュー。

1位 旭化成、2位 本田技研工業、3位 鐘紡(計32チーム)

第39回大会(1995年)

★空っ風が吹き荒れる中、久しぶりにヱスビー食品が出場。前年入社のルーキー3人(早大トリオ)がメンバーに名を連ねた。3区では、若手大物対決が実現。ヱスビー食品のルーキー花田勝彦と、前年、鮮烈なデビューを飾った2年目の高岡寿成。花田が高岡を10秒差で破った。花田は区間賞、高岡は区間2位だった。
★1区を走った旭化成・高尾憲司は、6キロ地点で転倒。唇の上を4針縫うほどのケガを負うが、トップと15秒差の3位と力走を見せた。
★結果は、前半もたついたものの、谷口らベテラン勢の活躍によって旭化成が2回目の6連覇を達成。鐘紡とヱスビー食品によるデッドヒートとなった2位争いは、鐘紡に軍配。また中国電力は5位。初入賞を果たした。

1位 旭化成、2位 鐘紡、3位 ヱスビー食品(37チーム参加)

第40回大会(1996年)

★前人未踏、旭化成の大会7連覇がかかった一戦。ところが、旭化成は森下・谷口の両エースが欠場。一方、ライバル鐘紡は、高岡・早田俊幸の両エースを九州予選で温存。万全の体勢を敷いてきた。
★前年に続いて3区では高岡と花田が鎬を削る。この年は、区間新に僅か2秒差まで迫った高岡に軍配。一方、花田はタイムこそ高岡に16秒及ばなかったもののトップで襷をつないだ。中盤まで、旭化成・鐘紡・エスビー食品が抜きつ抜かれつのデットヒートを演じる。6区でエスビー食品が遅れると、勝負は7区へ。まず旭化成・佐保希が、先頭を行く鐘紡・森宗寛司を猛然と追い上げ3・2キロでかわす。その後、森宗は佐保の背後に付き、逆襲の機をうかがう。残り1・2キロ。群馬特有のからっ風に吹かれ佐保がバランスを崩した。その隙を森宗は逃さなかった。トップに立ち逃げ切りを図る鐘紡・森宗と、必死に追う王者旭化成の佐保。勝負はわずか1秒の差で決着。旭化成7連覇の夢が潰えた瞬間だった。
★日清食品がニューイヤー初登場。14位だった。

1位 鐘紡※18年ぶり4度目、2位 旭化成、3位 エスビー食品(37チーム参加) 

第41回大会(1997年)

★この大会も、旭化成・鐘紡・エスビー食品の三つ巴と思われたが、鐘紡が前半から崩れ、レースはエスビー食品と旭化成の一騎打ちとなる。
★6区では旭化成・川嶋伸次、エスビー食品・平塚潤が互いに一歩も引かないデットヒートを演じ、7区へ。ここでも旭化成・佐藤信之、エスビー食品・櫛部静二が互いにけん制しあい併走を続ける。勝負はラスト80メートル。佐藤が、先に仕掛けた櫛部を振り切りゴール。わずか3秒差で旭化成が勝利し、前年に1秒差で逃した王座を再び取り戻す。
★NTT関西の井田がよろけながら最下位でゴール。ニューイヤー駅伝史上最大の視聴率17.2%を獲得した。

1位 旭化成、2位 エスビー食品、3位 ダイエー

第42回大会(1998年)

★2区でトップに立った旭化成に対し、終盤での逆転を狙うエスビー食品は7区、渡辺康幸が15秒差まで詰め寄る力走を見せる。だが後一歩及ばず。旭化成が逃げ切りエスビー食品の王座奪還はならなかった。
★中国電力の油谷繁と尾方剛は、この大会で同時デビュー。
★6位日清食品のルーキー、ジュリアス・ギタヒは6区で15人抜きを演じて50分30秒で区間新をマーク。それまでの記録を一気に1分31秒も縮めた。

1位 旭化成※20回目の優勝、2位 エスビー食品、3位 ダイエー

第43回大会(1999年)

★旭化成、エスビー食品の2強時代は続き、この大会もこの2チームが6区で肩を並べる。そしてまたも勝負はアンカー対決に。ここで、旭化成のキャプテン川島伸次が、ベテランらしい計算された走りを披露。スピードで勝るエスビー食品の武井に対し、早くから揺さぶりをかけ、9キロ過ぎに2回目のスパートをかけ武井を突き放しにかかる。みるみると差は開き、結局50秒の大差をつけ旭化成が勝利。3連覇を飾った。エスビー食品は3年連続の2位。
★日清食品のジュリアス・ギタヒは3区(13.7キロ)で18人抜きを演じ、ごぼう抜きの新記録を打ち立てた。
★距離は100メートル延長され86.4キロ

1位 旭化成※21回目、2位 エスビー食品、3位 中国電力(37チーム参加)

第44回大会(2000年)

★真新しく生まれ変わった群馬県庁舎をバックにスタートした44回大会。ニューミレニアムの優勝を手にしたのは、旭化成でもエスビー食品でもなかった。4区でトップに躍り出たのは、東日本大会を1位で通過した富士通。
★35歳のベテラン福島正が、前を行くエスビー食品とNECをかわし、その後はトップを譲ることなくゴール。創部11年目にして、悲願の優勝を手にした。ちなみにこの時、富士通で区間賞を獲ったのは、5区の藤本李也。4連覇を狙った旭化成は2位。NECはチーム史上最高の3位だった。 ★富士通は期待の大物藤田敦史をはじめ、今大会4人のルーキーをエントリーしていた。
★日清食品の諏訪利成、コニカの松宮隆行がデビュー。
★ヤクルトのダニエル・ジェンガ(ケニア)は6区、33位で襷を受けると20人をごぼう抜きする驚異的な走りを見せ13位まで順位をあげた。ジェンガの20人抜きは、現在も破られていないごぼう抜きの新記録となった。

1位 富士通、2位 旭化成、3位 NEC(37チーム参加)

第45回大会(2001年)

★全長100キロの新コースとなり、2区(22キロ)と5区(15.9キロ)が長丁場となる。
★東日本大会を制したコニカは、外国人を起用できないこの2区間に、松宮隆行・祐行(20歳)の双子の兄弟を起用。2区を走る隆行は、12人抜きを演じた富士通の高橋健一に抜かれるものの、2位で3区のエース、ザカヨ・ガソに襷を渡す。ガソがすぐにトップを奪うと、4区を経て襷は5区の祐行へ。駅伝初出場の祐行は、富士通のエース藤田敦史の追い上げを許さない走りで6区へ。襷はそのまま順位を下げずにゴールテープを切り、コニカが、26回目の出場で初の日本一に輝いた。

1位 コニカ、2位 富士通、3位 中国電力(37チーム参加 100キロ)

第46回大会(2002年)

★コニカと中国電力の争いとなった。勝負を分けたのは、「風」。しかし、それは上州のからっ風ではなく、弱い向かい風だった。
★5区、トップで襷を受けた中国電力の五十嵐範暁は、調子が今ひとつだったが、向かい風に強いランナーとして起用された。しかし、中国電力のこのオーダーが裏目に出る。五十嵐を追うコニカの坪田智夫が素晴らしい走りで、1分08秒あったタイム差をひっくり返した。6区の松宮祐行に襷が渡ったときは、五十嵐に32秒差をつけていた坪田。レースはこのままコニカの独走態勢となり見事2連覇を果たす。
★コニカは前年3区を走ったエース、サガヨ・ガソを欠いての優勝、層の厚さを見せつけた。

1位 コニカ、2位 中国電力、3位 日清食品(37チーム参加)

第47回大会(2003年)

★3連覇の懸かるコニカは、前年欠場したエース、サガヨ・ガソが復帰。3区で後続に1分07秒の差をつける快走を見せると、5区坪田も3年連続となる区間賞をマーク。2位の日清食品を大きく突き放し、盤石のレース運びで史上3チーム目となる3連覇を達成した。
★5区坪田智夫の3年連続区間賞は、日本人では34回~37回の米重修一(旭化成:現在は拓大監督)以来となる快挙だった。

1位 コニカ、2位 日清食品、3位 中国電力(37チーム参加)

第48回大会(2004年)

★3連覇のコニカが会社統合により、コニカミノルタとチーム名を変更しての参加。
★コニカミノルタは2区坪田智夫がトップに立つと、4区を終えた時点で2位中国電力に36秒差をつける。しかし、5区を走る松宮祐行(弟)で勝負を決めたいコニカミノルタを、昨年、風邪で欠場した中国電力の佐藤敦史が追い上げる。発汗も多く、うつむき加減で走る松宮に対し、8キロを過ぎて加速する佐藤。8.9キロで佐藤が松宮をとらえてトップに出ると、6区中継地点ではすでに1分50秒の差がつき、このままトップを堅守した中国電力がコニカミノルタの4連覇を阻んだ。
★2区で旭化成・小島忠幸と日産自動車・上岡宏次が揃って20人抜きの大会タイ記録を打ち立てた。
1位 中国電力、2位 コニカミノルタ、3位 日清食品(37チーム参加)

第49回大会(2005年)

★大晦日の雪で、白銀のなか行われた49回大会。
★マラソンで結果を出している、油谷繁、尾方剛、佐藤敦史の3本柱を軸に、連覇を狙う中国電力と、王者奪還を目指すコニカミノルタ。この2強の決着は、終盤戦に持ち込まれる。5区をトップでつないだコニカミノルタを追うのは中国電力、佐藤。佐藤は昨年と同様、コニカミノルタ松宮(弟)を猛追し、7秒差まで追い上げる。6区で肩を並べる両チームの決着は7区アンカーに託される。しかし、7キロ地点でスパートをかけたコニカミノルタの前田貴史に、中国電力の森政辰巳

1位 コニカミノルタ、2位 中国電力、3位 日清食品(37チーム参加)

第50回大会(2006年)

この大会あたりから外国人選手の出場可否が議論されたそうであるが・・・「外国人選手締め出さず」に決定されたようである。
(投票で決まったそうであるが、その後、外国人選手が益々増えるきっかけとなった)

第50回大会(2006年)

★50回記念大会で出場枠が増え、43チームが参加した。マイナス1.5度の寒さのなか、スタートした。
★序盤戦は九州地区予選で初優勝を飾った森下広一監督率いるトヨタ自動車九州が3区で飛び出した。サムエル・ワンジル選手が1分以上の差をものともせずトップへ。その後、トヨタ自動車九州は4区もトップを守った。
★5区に入り、コニカミノルタの松宮祐行選手がトヨタ自動車九州を捕え先頭へ躍り出た。一方、ライバル中国電力も油谷繁選手が6人抜きで2位へ。6区前半、激しく追い上げる中国電力だったが、後半コニカミノルタが突き放しアンカーへと襷を渡す。コニカミノルタはキャプテン磯松大輔がアンカーでフィニッシュ。駅伝王者コニカミノルタが連覇を達成、50回記念大会を制した。

1位 コニカミノルタ、2位 中国電力、3位 富士通(44チーム参加)

第51回大会(2007年)

★コニカミノルタ、中国電力の2強時代に待ったをかけるべく史上最強外国人と呼び声高いガトゥニ・ゲディオンを要する日清食品が名乗りを上げた。
★スタート直後は例年通り外国人選手がレースを引っ張る展開。その中で故障明けのコニカミノルタの松宮隆行が日本人トップの4位で走り3連覇に向け好スタートを切った。
★日清食品は東日本大会優勝の立役者ゲディオンが前評判通り3区区間新記録の走りで2位以下を大きく引き離し勝負は決したかと思われた・・・しかし、中国電力5区、佐藤敦之が昨年に続き2年連続となる区間賞の走りで4区終了時点で2分17秒あった差を一気に逆転!その後、一度もトップ譲ることなく襷を繋いだ外国人不在の中国電力が日清食品有利と言われた下馬評を覆し3年ぶり2度目の日本一の座に輝いた。
★旭化成が7年ぶりとなる2位に食い込み古豪復活を予感させた。
★特別協賛の山崎製パン株式会社とTBSドラマ『華麗なる一族』がコラボレーションした華麗パンが製パン業界史上最高の初日出荷数105万個を記録。

1位 中国電力、2位 旭化成、3位 日清食品(37チーム参加)

第52回大会(2008年)

★北京オリンピックイヤーの幕開けを告げる第52回ニューイヤー駅伝は昨年、優勝候補にも名を連ねた日清食品が1区板山、2区徳本で大ブレーキ、トップと4分17秒差まで沈むという波乱に満ちたスタートとなった。そんな日清食品とは対照的にコニカミノルタは1区を日本人トップの3位で太田崇が走りエース松宮隆行に襷を渡すと2区区間賞の走りで早々と先頭に踊り出る。続く3区、外国人区間でサミー・アレックスが7位だったものの他の選手は全て区間3位以内という安定した走りで2区以降一度もトップを譲らない横綱相撲で2年ぶり6度目となる栄冠に輝いた。
★今大会、昨年の中国電力が演じた大逆転優勝の立役者となり、坂口監督が『神様、仏様、佐藤敦之様』と賛辞を送った中国電力のエース佐藤敦之とトヨタ自動車九州に新加入した箱根駅伝のスーパースター『山の神』今井正人の後半のエース区間5区での神様対決に注目が集まった。10秒のビハインドで襷を受け取った佐藤敦之は1km程で今井を追い抜く、3km手前まで食い下がった今井だったがその後、一気に振り切られ神様対決はあっけなく佐藤敦之に軍配があがった。終わってみれば佐藤敦之区間賞、今井正人区間5位という結果だった。
★トヨタ自動車九州2区の三津谷裕が24人抜きの快走でごぼう抜き新記録を樹立した。

1位 コニカミノルタ、2位 中国電力、3位 Honda(37チーム参加中)

第53回大会(2009年)

最後まで優勝争いがもつれる激戦となった。序盤は、連覇を狙うコニカミノルタが積極的にレースを引っ張ったが、4区でいったん後退。すると、5区以降は旭化成、日清食品、富士通の三つどもえの争いがゴール直前まで続く展開となった。最終7区でも、ゴール手前300メートルまで並走が続いたが、富士通の松下龍治がラストスパートで抜け出しトップでゴール。富士通が見事、9年ぶり2度目の優勝を果たした。優勝タイムは、4時間51分55秒。2位は日清食品グループ、3位は同タイムで旭化成が入った。コニカミノルタは終盤再び順位を上げたが4位に終わり、連覇はならなかった。

1位 富士通 2位 日清食品グループ 3位 旭化成

第54回(2010年)

序盤は、カネボウやスズキがレースを引っ張ったが、3区以降は日清食品グループ、トヨタ自動車、Hondaなどがトップ争いを展開。5区の残り1キロのところで日清食品グループの保科光作が主将の意地を見せて首位を奪うと、6区の徳本一善、アンカーのルーキー小野裕幸がトップを守り切り、出場15回目にして初優勝を果たした。また、連覇を狙った富士通は終盤にエース・藤田敦史らが猛追を見せたが、結果は3位に終わった。

1位 日清食品グループ 2位 コニカミノルタ 3位 富士通

第55回大会(2011年)

レースは前々回大会と同様、ゴール直前まで優勝争いがもつれる激戦となった。その中でも、トヨタ自動車は安定感のある走りで常に上位をキープ。最後はアンカーの熊本剛が富士通、日清食品グループとの三つどもえの激戦を制し、初の栄冠を手にした。
 一方、日清食品グループは1区で15位と出遅れたが、エースの佐藤悠基が4区区間賞の快走で2位に浮上。その後、5区でいったんはトップに立ったが、最終区でのアンカー勝負に敗れ、惜しくも連覇を逃した。

1位 トヨタ自動車 2位 富士通 3位 日清食品グループ

第56回(2012年)

日清食品グループが2年ぶり2度目の優勝!!
駅伝日本一をかけて初春の風物詩ニューイャー駅伝第56回全日本実業団駅伝は元日、群馬県庁を発着点とする7区間100Kmのコースに
全国の予選会を勝ち抜いた強豪37チームが出場し行なわれた。
レースは、日清食品Grが5区でトップに立ち4時間49分32秒の大会新記録で2年ぶり2度目の優勝を果たした。

1位 日清食品グループ 2位 コニカミノルタ 3位 旭化成

(現在では外人選手を持っているチームは20チームにも昇っている)

旭化成は2区(外人枠で21位に後退を余儀なくされる)も、その後追い上げ2位でゴールした!

中国電力も2区(外人枠で18位に後退を余儀なくされる)も、その後追い上げ9位でゴールした!

2区をみて外人選手の多さにびっくりしたのであるが、(こんなに外人ばかり呼んで来ても本当にいいのでしょうか?)(フアン3号)

館(やかた)を支えている柱(はしら)がだんだんと古くなったなら、古くなった柱の根っこを切り
「根継ぎ」といって新しい木材を継ぎ足してつなぎます。

伝統ある館(やかた)の「根継ぎ」とは、決して鉄が強いからとて鉄には致しません。

まやかしの駅伝がどんどん進まないことを祈ってやみなせん。

  (フアン3号)、












































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