よれよれシステムエンジニア

家庭と仕事と人生のあれこれ

祖母の死

2005-10-28 00:04:17 | 日記

祖母がさっき亡くなった。

会社から病院へ至急駆けつけ、今、遺体の霊安室で二人きり。

享年95歳。

大往生だったといえるが、やっぱり悲しい。

でも、あんまり、急激に涙は出てこない。なぜだろうか。

祖母とは小学校6年生の頃から同居しており、
中学2年生のときは、1年ほど、両親が海外赴任していたため、
祖母と二人きりで暮らした。

その頃は、夕飯で、二人でトンカツを食べつつ、
ビールを飲んだりして仲良くすごした。

花が好きで、近所の家で珍しい月下美人が咲いたときに、
連れて行ったことを覚えている。
ふーん、これが月下美人、というような感想だった。

PTAにも積極的に参加して、担任の先生やお母さん達とも
非常に仲良くしていた。(前にも少しブログに書いたけど)

大腿骨をその年に骨折し、3ヶ月入院したが、
祖母と担任の先生とPTA仲間のお母さん達が交互に面倒を見てくれた。
これも祖母が周囲と仲良くしていた賜物だった。

わりと、のんびりしていたが、なんとなく人気のある人だった。

こんなこと書いてたら、やっぱり泣けてきた。

大学生のときは、毎日、私は昼頃までのんびりしていて、
祖母と掘りごたつで昼の時代劇(大江戸捜査網とか、
三匹が斬る)を見てから、ちょっと何か食べて、大学へ行く生活だった。

会社に入って、実家近くの寮に入ったけど、やはり実家から足は遠のいていた。
その頃は、それでもまだ元気だった。

結婚する頃になると、少しボケてきた面もあったが、
子供が生まれればあやしてくれたりしていた。

結婚すると、まぁまぁ実家にも遊びに行くようになり、
しばらく元気な様子を見ていたが、徐々にボケがひどくなり、介護が大変に
なってきた。このころは非常にオフクロ(実の娘)が苦労していた。

それで、数年前、介護施設に入所した。

介護施設も実家も私の家も妹夫婦の家も、みんな車で10分くらいの
範囲だったので、月に1回弱くらいの頻度で、会いに行っていた。
なんとなく、近くにいるから、という気持ちで、結果的に頻繁に
行ってなかった感もある。

そこで、以前のブログに書いたように5月頃に祖母が嚥下障害を
起こし、胃ろうを増設し、だいぶ良くなったが、また近頃、
なんとなく調子悪い状態が続いていた。

それでも、母から超低値安定といわれており、ちょっと
足が遠のいていたら、急に亡くなってしまった。

なんだか、呆然としている。

-----------------

この後、葬儀屋が来て手配して、実家に遺体を運び込み(車で二分)、
安置して、親父が会社から戻ってきて、自分はようやく
自宅に帰ってきた。

なんだか、悲しい実感って、この後湧くのかな。。。
明日は普通に仕事に行きます。

すこしほっとしたのは、直前にオフクロが祖母と会っており、
亡くなったときは、ほとんど眠るようにいつのまにか亡くなっていた事。
本人の希望通りの死に方で良かったなぁ、と思った。