食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食の研究者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

中世の都市生活-中世盛期のヨーロッパと食(4)

2020-11-25 22:53:58 | 第三章 中世の食の革命
中世の都市生活-中世盛期のヨーロッパと食(4)
前回は農村の様子をお話ししましたが、今回は中世の都市生活について見て行こうと思います。

西ローマ帝国の滅亡によって、それまでの都市は衰退しますが、中世盛期になると再び活気のある都市が発展するようになります。それを担ったのが「冒険商人」です。治安の悪い時代に一獲千金を狙って命がけの商取引を行ったのが冒険商人たちでした。
 
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10~11世紀頃に西ヨーロッパで農業生産力が大きく増大し始めた結果、荘園では内部で消費する以上の作物を収穫できるようになった。このような余剰生産物は荘園外に持ち出され、他の生産物との交換が行われるようになる。

これを担ったのが冒険商人と呼ばれる農家になれなかった、あるいは農家になるのを嫌った人々だった。人口が増えたため、農家以外の仕事をする者も出現するようになったのだ。彼らは一獲千金を夢見て荘園外に飛び出した。

商売を効率的に行うためには商品と商人が集まる特定の場所があると良い。そのような市場ができたのがキリスト教の大司教や司教が治めた「司教都市(司教座都市)」と呼ばれる街であった。司教都市は西ローマ帝国が滅亡した後も各地域を統治する役割を果たしていたし、その中の教会や修道院は巡礼の旅人に食事と宿を提供していた。

ローマ・カトリックの信者にとってエルサレムやローマなどの聖地への巡礼はとても重要だった。巡礼は尊い行いとして社会的に認知されていて、多くの人が一生に一度は聖地に行ってみたいと思っていたようだ。集団での巡礼がよく行われていて、時には数百人から千人もの信者が集団で聖地を目指したという。そして彼らは司教都市の教会や修道院に立ち寄りながら巡礼の旅を続けたのだ。

このように多くの人がやって来る司教都市に市場が生まれるのは当たり前のことであり、司教都市を核としてさらに商人たちや様々な商品を作る手工業者が集まることで市場が拡大し、商業活動が活発化して行ったのである。

こうして司教都市には次々と商人たちが集まってきたのだが、彼らは次第に自分たちの力で町を統治しようと思うようになった。そして彼らは領主を買収したり、場合によっては戦ったりすることで自治権を獲得して行った。

独立を果たした自治都市は都市全体を城壁で囲み、城門によってのみ外部と行き来を行った。このように都市全体が城塞の役割を果たしたのである。ちなみに、ヨーロッパの都市で地名の語尾にブルク(ドイツ)・ブール(フランス)・バラ、バーグ(イギリス)がつくものが多いが、これらはいずれも「城塞」を意味している。

こうして11~12世紀にかけて独立を果たした中世都市は、自治権を守るために他の都市と同盟を結び、領主や国家などと戦うこともあった。その代表的なものがロンバルディア同盟とハンザ同盟である。

一方この頃には、サラセン人(北アフリカのイスラム教徒)によって支配されていた地中海貿易が、イタリアのアマルフィやピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどの奮闘によって彼らの手に奪還されていた。彼らの地中海貿易と中世都市の商売が結びつくことで、中世の商業はますます盛んになって行ったのである。

さて、ここで中世都市における食について見て行こう。

人は食べないと生きていけない。商人たちも食べないと商売を続けられない。そこで、市場や集落のように人が集まる場所には食事や飲料を提供する飲食店が次々に出店して行った。店ではパンやチーズをばら売りし、店で調理した料理も出したという。また、ビールやワインも小売りしていた。都市には炉が無い住宅も多くあり、そこに住む人は基本的に外食するしかなかったのだ。

大都会のロンドンやパリなどの大都市では飲食店が大量にあり、とても繁盛していたそうだ。特にロンドンの飲食店街は有名で、12世紀後半にはテムズ川の岸辺近くではあらゆる種類の飲食店が24時間営業をしていたと言われている。そこではパンやチーズに加えて、串焼き肉やミートパイ、ゆで肉、揚げ肉、パテ(肉を細かく刻んでペースト状にしたもの)、ラグー(肉や魚介類を細かく切って煮込んだもの)、ワッフル、ビール、ワインなど、さまざまな料理や飲料を楽しむことができた。

家で食べる場合は自分たちで食事を用意することになるが、中世都市の食事で主食となっていたパンについてはパン焼き職人に焼いてもらうのが普通だった。パン焼きかまどはかなり大掛かりな設備になるため、金持ち以外は自宅に持てなかったからだ。



パン焼き職人は持ち込まれたパン生地を焼いて客に渡していたが、このようなシステムであったため一部のパン職人が不正を始めた。それは、客が持ち込んだパン生地の一部をこっそり盗んで焼き、別の客に売るというものだった。

しかし、その不正は結局ばれてしまい、例えば13世紀のイギリスでは『パンとビールの公定価格法』という法律で厳しく取り締まられるようになった。当時の庶民はカロリーの大部分をパンから得ており、そこでの不正は重大問題だったのだ。確かに飲食店では美味しいものも売ってはいたが、それらはとても高価で、庶民が気安く食べられるほど中世都市はまだまだ豊かではなかったのである。

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