今日大晦日は仕事休み。
買い出しに行く。
大晦日なのに小春日和、手袋無しでも指がシバレない。
風は強いけど冷たくない。
買い出しと言ってもじじがもう在宅介護ではなくなったので
気張って炊事に明け暮れる必要は無い。
眠いのを頑張ってオムツ交換に深夜起き出す必要も無い。
大晦日の昼の冷たいとろろ蕎麦、夜の温かいかしわ蕎麦も必要無い。
旨煮も、厚焼きのだし巻き卵も、きんぴらも、なますも、茶筌茄子も必要無い。
お節料理の折り詰めも必要無い。
鯖の押し寿司も、刺身の盛り合わせも必要無い。
色々な種類の雑煮も七草粥の仕込みも柚子を乗せたお汁粉も必要無い。
春迎花も鏡餅のお供えも飾る必要は無い。
大晦日にテレビの第九を見ながらの珈琲も必要無い。
21:45の行く年来る年ご~~~んから日付の変わる瞬間の乾杯も要らない。
色々な食材の下拵えも時間毎のオムツ交換もベッドから車椅子への移乗も、
洗い物と掃除と片付け物と洗濯でくたびれる必要も無い。
あれもこれも要らなくなって時間を自分のいいように使えるかと言えば
仕事の休みは今日と明日の二日間だからこの二日で出来る事をやらなければならない。
いつもの道に来た。
じじがまだ独居で在宅介護の頃、ヘルパーのシフトや通院介助、受診日程など
キーパーソンがしなければならない諸々の相談をケアマネやヘルパー事業所責任者相手に携帯で
話しながら毎日この道を歩いた。
最近生活圏と行動範囲が変わって滅多にここを歩かなくなった。
いろいろ買った。
近所のスーパーで正月飾りの出来るだけ小さいのを探した。
百均で買ったのも合わせてじじの病床に飾る。
昨日じじが気に入って握って離さなかったガラス玉入りの赤だるま、小さい模造門松、模造の苔球。
病室に生の植物は持ち込めないので見た目の雰囲気だけ正月。
じじ宅の窓から夕日が見える。
2013年最後の日の入り。
日が暮れた。
なるほど明日には何か降りそうな西の空。
じじの病院に行くと、じじは懐にねこ山さんを入れて寝ていた。
看護師が懐に抱かせたらしい。
一つ一つ見せてから、病床に正月っぽいものを飾る。
床頭台の上がごちゃごちゃ狭くなった。
正月だけと看護師に断って置かせて貰った。
真ん中の金色の馬の置物は鈴になっていて、振ると素朴な焼き物のコロコロという音がする。
新年の干支、金馬の鈴。
じじはこれを気に入ったのか右手に持ってしばらく振っていた。
左手は拘縮して動かない。
お父さんは年男か?と聞くとじじは頷いた。
年男、年が明けたらじじは84歳。
一族の最長寿記録を更新した。
じじの家系は50代過ぎると皆歯が欠けるように癌でこの世を去って行く。
これまでの最長寿は確か、大叔母の78歳だったと記憶する。
一族の最長寿だ、記録更新しようと話すとじじは
勝ち誇ったように得意げな、嬉しそうな顔をした。
じじ宅から先月届いていた三浦綾子記念館からの案内を持って来た。
在宅の頃、じじは三浦さんの小説作品を全部読んだのだった。
『銃口』や『ガラシャ』を読んで涙流して泣いていたとヘルパーが記録に書き残している。
三浦光世さんを憶えているか、年賀状や手紙貰ったでしょと言うとじじは頷いた。
過去の長期記憶はまだしっかりしている。
案内を読み上げて聞かせた。
三浦光世さんは90歳になるんだって、と話すとじじは目をきらりと光らせた。
やや興奮気味の表情。
しかし声を出さない。
点眼、口腔清拭をして、私の自宅から持ち出して来た第九のCDを聴かせた。
大晦日だから。
CDは30年も昔に私が買って聴いていたカラヤンの第九。
じじが機嫌よくCDを聞き始めたので帰る事にする。
夜勤看護師に挨拶した。
年明けに医師と面談するまで経鼻胃カテーテルは入れないでほしいと言うと、
看護師は
「それは確約出来ません。
でも年明け2日に私が勤務なので先生が来た時にお伝えします。」
と言った。
年明けの病院の稼働している日でかつ私の休みは9日、主治医と面談出来る時間はこの日まで待たないと取れない。
しかし主治医は2日に出て来ると看護師は言う。
2日か。
私は早出勤務だ。
一体この病院は何をしたいのだ。
寝たきりで在宅介護不能の老人と家族の意向を顧みる姿勢は皆無である。
私は後になって後悔するだろうか。
受け入れてくれる病院が無くて特養の空きは無く、老健で左肺が真っ白になるほどの誤嚥をして
他に選択肢が無かったとは言えじじをこの病院に転院させた事を、私は後で後悔するかも知れない。
・・・・・
介護をしていると、何をするにしても「これが最後かも知れない」と思って
何事でもしたり考えるようになった。
今年は本当に最後のような気がするので、いろいろな物事を整理したり
片付けたりしておかねばならない。
もしお恵みがあれば来年もあるかも知れないがわからない。
人間は誰でもいずれ死ぬから。
今、2秒だけテレビの電源入れた。
NHK教育でオペラの歌をキンキン歌ってる女人がいて1秒以内にチャンネル変えたら
紅白やってて知らないおねっちゃんがワライタケみたいなスカートふりふりで
何か歌っていたのでやっぱり1秒以内で電源落とした。
じじは入院して寝たきりの今でも口座振替でNHK料金(1年分)2万なんぼ支払っている。
年明けたらまた年間料金が口座から落ちるんだな。
私の金ではないけどどうも理不尽を感じて悔しいからちょっとテレビの電源入れたけど
画面ごと叩き壊したくなるほどつまらんの。
どうにかならんか。
出しっぱなしだったクリスマスツリーを片付けよう。
いつもこれらを片付ける時、写真付きで「お疲れ様、また来年」と記事に上げてきたが
多分これで最後になるだろう。
お疲れ様。
毎年じじが喜んだ。
今までありがとう。
さようなら。
23:45になったのでテレビを点ける。
間もなく日付が変わる。
酒を出してみた。
今年は春迎花もなく笑点暦を捲るのみ。
天気予報で元旦は雪。
日の出は期待できないな。
買い出しに行く。
大晦日なのに小春日和、手袋無しでも指がシバレない。
風は強いけど冷たくない。
買い出しと言ってもじじがもう在宅介護ではなくなったので
気張って炊事に明け暮れる必要は無い。
眠いのを頑張ってオムツ交換に深夜起き出す必要も無い。
大晦日の昼の冷たいとろろ蕎麦、夜の温かいかしわ蕎麦も必要無い。
旨煮も、厚焼きのだし巻き卵も、きんぴらも、なますも、茶筌茄子も必要無い。
お節料理の折り詰めも必要無い。
鯖の押し寿司も、刺身の盛り合わせも必要無い。
色々な種類の雑煮も七草粥の仕込みも柚子を乗せたお汁粉も必要無い。
春迎花も鏡餅のお供えも飾る必要は無い。
大晦日にテレビの第九を見ながらの珈琲も必要無い。
21:45の行く年来る年ご~~~んから日付の変わる瞬間の乾杯も要らない。
色々な食材の下拵えも時間毎のオムツ交換もベッドから車椅子への移乗も、
洗い物と掃除と片付け物と洗濯でくたびれる必要も無い。
あれもこれも要らなくなって時間を自分のいいように使えるかと言えば
仕事の休みは今日と明日の二日間だからこの二日で出来る事をやらなければならない。
いつもの道に来た。
じじがまだ独居で在宅介護の頃、ヘルパーのシフトや通院介助、受診日程など
キーパーソンがしなければならない諸々の相談をケアマネやヘルパー事業所責任者相手に携帯で
話しながら毎日この道を歩いた。
最近生活圏と行動範囲が変わって滅多にここを歩かなくなった。
いろいろ買った。
近所のスーパーで正月飾りの出来るだけ小さいのを探した。
百均で買ったのも合わせてじじの病床に飾る。
昨日じじが気に入って握って離さなかったガラス玉入りの赤だるま、小さい模造門松、模造の苔球。
病室に生の植物は持ち込めないので見た目の雰囲気だけ正月。
じじ宅の窓から夕日が見える。
2013年最後の日の入り。
日が暮れた。
なるほど明日には何か降りそうな西の空。
じじの病院に行くと、じじは懐にねこ山さんを入れて寝ていた。
看護師が懐に抱かせたらしい。
一つ一つ見せてから、病床に正月っぽいものを飾る。
床頭台の上がごちゃごちゃ狭くなった。
正月だけと看護師に断って置かせて貰った。
真ん中の金色の馬の置物は鈴になっていて、振ると素朴な焼き物のコロコロという音がする。
新年の干支、金馬の鈴。
じじはこれを気に入ったのか右手に持ってしばらく振っていた。
左手は拘縮して動かない。
お父さんは年男か?と聞くとじじは頷いた。
年男、年が明けたらじじは84歳。
一族の最長寿記録を更新した。
じじの家系は50代過ぎると皆歯が欠けるように癌でこの世を去って行く。
これまでの最長寿は確か、大叔母の78歳だったと記憶する。
一族の最長寿だ、記録更新しようと話すとじじは
勝ち誇ったように得意げな、嬉しそうな顔をした。
じじ宅から先月届いていた三浦綾子記念館からの案内を持って来た。
在宅の頃、じじは三浦さんの小説作品を全部読んだのだった。
『銃口』や『ガラシャ』を読んで涙流して泣いていたとヘルパーが記録に書き残している。
三浦光世さんを憶えているか、年賀状や手紙貰ったでしょと言うとじじは頷いた。
過去の長期記憶はまだしっかりしている。
案内を読み上げて聞かせた。
三浦光世さんは90歳になるんだって、と話すとじじは目をきらりと光らせた。
やや興奮気味の表情。
しかし声を出さない。
点眼、口腔清拭をして、私の自宅から持ち出して来た第九のCDを聴かせた。
大晦日だから。
CDは30年も昔に私が買って聴いていたカラヤンの第九。
じじが機嫌よくCDを聞き始めたので帰る事にする。
夜勤看護師に挨拶した。
年明けに医師と面談するまで経鼻胃カテーテルは入れないでほしいと言うと、
看護師は
「それは確約出来ません。
でも年明け2日に私が勤務なので先生が来た時にお伝えします。」
と言った。
年明けの病院の稼働している日でかつ私の休みは9日、主治医と面談出来る時間はこの日まで待たないと取れない。
しかし主治医は2日に出て来ると看護師は言う。
2日か。
私は早出勤務だ。
一体この病院は何をしたいのだ。
寝たきりで在宅介護不能の老人と家族の意向を顧みる姿勢は皆無である。
私は後になって後悔するだろうか。
受け入れてくれる病院が無くて特養の空きは無く、老健で左肺が真っ白になるほどの誤嚥をして
他に選択肢が無かったとは言えじじをこの病院に転院させた事を、私は後で後悔するかも知れない。
・・・・・
介護をしていると、何をするにしても「これが最後かも知れない」と思って
何事でもしたり考えるようになった。
今年は本当に最後のような気がするので、いろいろな物事を整理したり
片付けたりしておかねばならない。
もしお恵みがあれば来年もあるかも知れないがわからない。
人間は誰でもいずれ死ぬから。
今、2秒だけテレビの電源入れた。
NHK教育でオペラの歌をキンキン歌ってる女人がいて1秒以内にチャンネル変えたら
紅白やってて知らないおねっちゃんがワライタケみたいなスカートふりふりで
何か歌っていたのでやっぱり1秒以内で電源落とした。
じじは入院して寝たきりの今でも口座振替でNHK料金(1年分)2万なんぼ支払っている。
年明けたらまた年間料金が口座から落ちるんだな。
私の金ではないけどどうも理不尽を感じて悔しいからちょっとテレビの電源入れたけど
画面ごと叩き壊したくなるほどつまらんの。
どうにかならんか。
出しっぱなしだったクリスマスツリーを片付けよう。
いつもこれらを片付ける時、写真付きで「お疲れ様、また来年」と記事に上げてきたが
多分これで最後になるだろう。
お疲れ様。
毎年じじが喜んだ。
今までありがとう。
さようなら。
23:45になったのでテレビを点ける。
間もなく日付が変わる。
酒を出してみた。
今年は春迎花もなく笑点暦を捲るのみ。
天気予報で元旦は雪。
日の出は期待できないな。